カナダの従姉たちと私の関係は父親同士が兄弟です。第2次世界大戦が始まる前、19歳で単身カナダに渡った伯父は文字通り開拓者魂のかたまりのような人物でした。太平洋戦争が始まると理不尽にも敵国の日本人だという理由で強制収容所に入れられ大変な苦労をしたのですが、8人の子どもにも恵まれ、人生に対して常に前向きに生きた人でした。
それでも晩年の伯父は妻に先立たれて寂しくなったのかしきりと父に長い手紙やカセットに録音した音声手紙を寄越すようになりました。子ども時代をともに過ごした父のことや故郷のことが懐かしく思われたのでしょう。もう30年以上昔のことになりますが、私は年老いた伯父と父がハワイで数日いっしょに過ごせるよう計画を立て、渋る母も説得して親子で出かけたことがあります。
ちょうど晩秋で庭の柿が熟すころ、私は選りすぐりのおいしそうな富有柿の実を10個ほどスーツケースに忍ばせて出かけました。果物類の持ち込みは当然御法度なのですが、伯父さんにぜひとの思いでした。ところが入国・税関審査の長い行列は遅々として進まず、すでにうつ病とパーキンソン病を発症していた母が「気分が悪い」といって突然倒れ大騒動になりました。すぐに空港の係員が車椅子を持ってきてくれ、我々親子3人は医務室のような別室に案内されました。心配な母をベッドに移して回復を待ちました。
しかしその部屋は医務室にしてはなんだか殺風景でよく見るとベッドの四隅に何と鉄の鎖が取り付けられています。そうかこの部屋は不審者を隔離する留置場も兼ねているのか!私は急に隠し持ってきた柿のことが気になりだし、その部屋にあったゴミ箱に全部捨ててしまいました。
そうこうしているうちに母も元気を取り戻したようなので、係員に伝えるとその場で3人分の入国審査と税関審査をすばやくやってくれ、もはや長い行列に戻る必要はありませんでした。到着ロビーではすでにハワイ入りしていた伯父や従姉たち家族が出迎えに来てくれているはず。
「伯父さん、ずいぶんお待たせしてごめんなさい、これこれこんなハプニングがあって……。伯父さんが子どものころ登って遊んでいた柿の実をさっきまで持っていたのに、医務室に捨てて来ちゃった。惜しいことをしました」(続く)
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