2021年7月27日火曜日

荒戸山、恋ヶ窪湿原

 岡山県にも200万年前に噴火したトロイデ火山があるというので出かけてみました。新見市の西部、広島県東城に近いところにありました。


荒戸神社の境内に車を停め、標高761mの荒戸山(阿哲富士)に登り始めたのですが、登山道の整備が悪く途中で道を見失い引き返しました。津和野の近くにも標高907メートルの美しいトロイデ火山(青野山)があり、いつか登ってみたいものです。

その後、車で10ほどドライブしたところに西の尾瀬ヶ原と言われる恋ヶ窪湿原があり、入山料200円也を払って2.4キロメートルの遊歩道を一周しました。学生時代は東京で過ごしたのに、本物の尾瀬には一度も行ったことがないのが残念です。今は暇は腐るほどあっても尾瀬は岡山からはあまりに遠く、しかもとても行きにくい場所にあります。恋ヶ窪湿原で我慢したいところですが、尾瀬に比べるとあまりにショボい規模ですね。

帰路は東城から国道182号線を経由し、R2に入り福山、笠岡と走ってきました。暑い1日でドライブしていて猛烈な眠気に誘われます。笠岡にもある星乃珈琲で眠気覚ましのアイスコーヒーを飲んでから家に帰りました。(2021/7/25、日曜日)





TOKYO 2020始まりました

ついに開催にこぎつけた2020東京オリンピック大会ですが、いざ本番の競技が始まったら連日日本チームの大活躍で、「やはり無理してでもオリンピックが開催されて本当によかった」と思います。振り返ってみると、TOKYO 2020が決まって以来、国立競技場の設計案変更、ロゴマークの剽窃騒動、森会長の女性蔑視発言による退任、コロナ禍による1年延期、さらには土壇場になって開会式の演出や音楽担当者による過去の不適切発言の発覚など、何から何までまるで悪霊にでも祟られているのではないかと思わせるぐらいネガティブな出来事が続きました。

それは壮大なページェントのプロローグ当日のセレモニー場面にまで及びました。夜8時という遅い時間に始まった開会式の様子はテレビ中継されていましたが、ちらっと見るだけで、見ているこちらが恥ずかしくなるような陳腐なものでした。歌舞伎や舞踏のつまみ食い的アレンジ、過去の映像の大写しにノスタルジーに浸るなど、私には5分と続けて見ることができない代物でした。

それでも天皇陛下の開会宣言だけは見てみようと、もう日付が変わるころ、チャンネルを中継場面に合わせたら、ちょうど橋本聖子組織委員会会長の挨拶が始まったところでした。「だれもあんたの話なんか興味ないよ」と思いつつもがまん、しかしバッハ会長の度を超したダラダラスピーチにはもはや最後までつきあい切れずテレビを消して寝ました。

そして、バッハ会長のスピーチの直後にいわゆる「天皇不敬事件」は起きたようです。翌朝その様子をYouTubeの映像で見てびっくり。天皇陛下が開会宣言を読み始めたのに、菅首相も小池都知事も座ったまま。途中で小池都知事がそれに気づいて立ち上がり、菅首相もよろよろ立ち上がりました。この前代未聞の珍事が起きた理由は何も「不敬」などという物騒なものではなく、エンドレスに続くバッハ会長のスピーチに菅さんたちも頭がもうろうとしていたからでしょう。

ともかくこうして始まったTOKYO 2020ですが、いざふたを開けてみたら意外や意外、大変な盛り上がりです。歳を取っていろんな出来事にあまり感動しなくなった私ですが、コロナで鬱々としていた気分が吹っ飛びました。スポーツには人々の心を結びつける魔力があるものですね。




2021年7月20日火曜日

ヨーロッパ絵画400年の旅展

 先日、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展を見にいきました。日本の美術館ではなかなか見る機会のない16世紀の絵画から20世紀絵画まで、まるでヨーロッパの美術館の中を歩いているような錯覚を覚え、興奮しました。

もはや一つ一つの作品に付された画家の名前や解説を読むのに時間を費やすことなく、ただ全体的な雰囲気を楽しむことに集中しました。

西洋絵画は、余白と簡素な線で構成された東洋絵画と異なり、すごくsensualというかvoluptuous、つまり肉感的だなと感じました。美術館を出たら「今日は血のしたたるステーキをたべよう!」という気分になりました。

モネの「睡蓮」もありました。睡蓮と言えば大原美術館の「睡蓮」が有名ですが、正月に大原美術館を訪れたとき英語タイトルがWaterliliesと一つの単語になってるのはおかしい、再考を、と美術館に意見を述べました。そのことをこのブログに書いたような記憶がありますが、大原美術館の学芸員は私の意見に丁寧な返事をくれたものの、なかなかしぶとい。最近のテレビニュースに写った映像からも、分かち書きする気はないようです。

ちなみに富士美術館の「睡蓮」は世界中のほとんどの美術館で表記されているとおり、Water lilies となっていました。また東京富士美術館の創設者は池田大作氏、美術館は八王子の創価大学と隣接しています。

英語の分かち書きは本当に難しいと思います。カナダの従姉にメールを書いていていつも、everyday なのかevery
dayなのか、こんがらがります。これはアメリカ人もよく間違えるそうです。
調べてみるとeverydayは「日常の」という形容詞、every day 「毎日」は副詞(句)で意味も用法も微妙に違うのですが、しばらくするとまたどっちだったかなあとあやふやになります。

余談が長くなりましたが、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展は8月29日まで。シニア料金1100円。

(山陽新聞7月20日より)


2021年7月14日水曜日

大阪・奈良1泊2日旅

 まもなく東京でオリンピックが始まろうというのに、コロナ禍は一向に収まる気配がなく、祝祭感、ワクワク感がほとんど感じられないのは寂しいものです。家でボサッとしていても何も始まらないので、気分転換のために日曜と月曜の1泊2日で大阪・奈良まで出かけてみました。

 行政の意のままには動かない大阪人も長引くパンデミックにエネルギーを吸い取られてしまったのか、あるいは日曜のせいか人出は少なく、8時にはいっせいに店が閉まり、キタやミナミの繁華街が寂しく感じられました。すでに未来に向かって明るくにぎやかに歩み始めた欧米の街角の様子をテレビで見るにつけ、感染者数、死者数とも欧米に比べれば桁違いに少ない日本で、担当大臣自らフリップまで用意して酒販業者に直接、間接に圧力をかけ、更なる自粛を迫っていることは異様です。

 翌月曜日は大阪・日本橋の喫茶店「丸福」で大阪在住の友人K君と落ち合い、「暇だし、奈良へ行ってみよう」という話になりました。K君は現役時代の職場の後輩で歴史や時事問題に詳しく、私がどんなことを質問しても間髪入れず「それはこんな歴史背景があるから」と明快。歩く辞書です。おまけに安倍元首相と同じ難病を患い、仕事も40歳過ぎには辞めてしまい、いつも暇で、私の突然の呼び出しにも気軽につきあってくれる貴重な存在です。

 奈良までは近鉄でわずか30分。いつも観光客でごった返す奈良も観光客がこうも少ないとまるで初めて訪れた街のような錯覚にとらわれます。いつもなら群をなす鹿が煎餅をくれと通行人に近づいてくるのに、観光客が払底して鹿も煎餅をねだることを忘れてしまったようです。その代わり広大な芝生の上で無数の子鹿たちが草を食んでいました。不思議なことに屈強な牡鹿の姿がありません。こんなところにもコロナの影響が及んでいるのかもしれません。

 お昼ご飯を食べようと老舗料亭の「菊水楼」に立ち寄ったのですが、メインのレストランは平日は休業中でがっかり。明治24年創業の由緒あるこの料亭も、今回のコロナ・パンデミックにはお手上げの様子でした。感染症の恐怖に加えて飲食業に不当に圧力をかける政策と相まって、全国の多くの店が廃業に追い込まれています。政府には圧力ではなく積極的な支援が求められます。






2021年7月7日水曜日

伊豆箱根の美術館群と自然災害

 昭和30年代、中学生になったばかりのころだったか、夏休みに親戚を頼って上京したことがあります。新幹線など影も形もなかった時代、あこがれの寝台特急列車「あさかぜ」に乗車することは夢見がちな少年にとって、まるで夢の中の出来事だったような気さえします。

夜岡山駅を出発した「あさかぜ」は外が白むころ早くも静岡県東部に到達しました。そして丹那トンネルを出るとすぐ熱海です。食堂車で朝食をとりました。トーストに添えられたバターがビー玉のように丸められているのを生まれて初めて見ました。シルバーのナイフ、フォークが白いテーブルクロスにセットされ、窓の外には朝の相模湾がまぶしく光り、旅に出た喜びにあふれました。

それ以来60数年の間、何百回となく新幹線で熱海を通過したのですが、電光掲示板が「ただいま熱海駅を通過しています」と親切に案内してくれても「そろそろ東京が近いな」くらいしか心が動きません。東京で過ごした数年の学生生活のあいだでもすでに熱海は時代遅れの観光地というイメージしかなく、途中下車してまで観光したことはありません。

ところが近年、熱海や箱根には魅力的な美術館が3館もあるというのに一度も出かけたことがないことが人生での見残し事のような気がしてなりません。コロナ禍が収まったら一番に出かけてみたい場所がこの熱海と箱根です。日本絵画、中国・朝鮮絵画のコレクションにおいて日本を代表する美術館のひとつであるMOA美術館、箱根の小涌谷にある岡田美術館も伊藤若冲など日本画の宝庫。箱根には西洋絵画1万点を所蔵するポーラ美術館があります。

今回の熱海の土石流の第一報が流れたとき多くの人々がMOA美術館に避難していると報じられていました。この美術館を創設したのは世界救世教の開祖、岡田茂吉氏であり美術館が被災者に救援の手を差し延べるのはごく自然なことだと思います。

ただ私には火山噴火や崖崩れ、山崩れ、地震などありとあらゆる自然災害が定期的に襲ってくるこの伊豆箱根の土地になぜ重要な美術品満載の美術館が存在するのか不思議な気がしてなりません。風光明媚な土地柄が魅力なのでしょうか。自然災害は人々の暮らしや生命だけでなく、2度と復元できない人類の至宝も無惨に奪っていきます。