4月1日に合わせたように桜が満開になりました。久しぶりに岡山市の中心部まで出かけましたが、西川べりには色とりどりの春の花木が今を盛りと咲き誇っていました。岡山市も戦後60年が過ぎ、焼け野原から緑と水のきれいな素敵な都市に変貌しました。おだやかな都市の情景は長年平和と繁栄が続いた証(あかし)であるような気がします。
4月といえば新学期、毎年この時期になると書店にはNHKの語学講座テキストが山積みになって勉強熱心な視聴者を誘惑します。私はここ数年ラジオ中国語講座を飽くこともなく、やや漫然と聴いてきました。還暦を過ぎてからの語学の勉強ははかどらないのですが、それでも一人で中国へ出かけても困らない程度には中国語が身についたと思います。
もうこれ以上いくら初歩のラジオ講座を聴いても進歩はなさそうなので、今年は気分を変えてロシア語講座を聴くことにしました。学生時代に1年間勉強した経験からしてロシア語は中国語よりはるかに難しい言葉だと思います。そこで目標は低く設定、ロシア文字の看板が読め、オペラのチケットを買ったりホテルやレストランで用が足りればそれでいいと思っています。
ロシアへは、ソビエト時代の1980年ごろ一度個人で旅行したことがあります。モスクワ空港の税関ではいきなり「別室ご案内」の恐怖を味わいました。当時の東ドイツのマルク紙幣をしおり代わりに日記帳にはさんでいたら「すべての持ち込み外貨の申請をすべきなのに虚偽申告した」とのおとがめを受けたのです。ソ連官憲の顔がマジ怖かったです。
しかし夜行列車でレニングラード(サンクトペテルブルク)に着き、ネヴァ川の両岸にたたずむ帝政ロシアの壮麗な宮殿やエルミタージュ美術館を見たときすべての旅の憂鬱が吹き飛んでしまいました。ドストエフスキーの主人公たちが放つ阿鼻叫喚、殺意、腐臭が今もただよう街!すべてが夢の中のようでした。
その後ソビエト連邦はあっけなく崩壊し、レニングラードはまたピョートル大帝の都に戻りました。新生ロシアは私が見たかつてのソビエト・ロシアから脱皮したのかどうか、片言のロシア語でもいいからしゃべれるようになっていつの日かサンクトペテルブルクを再訪したいと夢をふくらませています。
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