この作品を閉架書庫にしまいこんで児童の目にふれにくくすることは戦争という現実から目をそらすことであり反対という意見と、いたずらに子供に恐怖心を植え付けるだけで何の教育的効果もなく弊害が大きいとする立場が対立しています。
1982年、戒厳令下にあったポーランドに2週間ほど滞在したことがあります。ポーランド人の友人の案内で古都クラコフの中世の町並みを堪能したところまではよかったのですが、その後訪問したアウシュビッツは大変衝撃的な体験でした。
かつての収容所がそのまま博物館になっていて当時の姿のまま保存されています。ヨーロッパ中から集められたユダヤ人捕虜たちから奪った眼鏡の山、頭髪の山、犠牲者の脂肪から製造した石鹸、義足の山……こうしたものが黙示録のように人間の悪魔性を物語っています。
なかでも近づくことさえ耐え難いものがガス室と火葬炉でした。合理主義者のドイツ人が設計しただけあって実にシステマティックにできていて、いったんガス室に入れられた人が生還できる可能性はゼロでした。炉付近に捧げられたたくさんの赤い花束が今も目に浮かびます。
アウシュビッツを訪れて以来、いまだにその記憶がトラウマになっていて果たしてアウシュビッツ訪問は自分にとってよかったのか悪かったのか、必要だったのかそうではなかったのか、よく分かりません。ただ2度とこのようなことを起こしてはいけない、戦争は絶対悪だ、という確信を持つようになったことだけは確かです。
このように、大の大人でもアウシュビッツのようなものを見せられたら夜中に引き付けを起こすぐらい心に傷を受けます。「はだしのゲン」については、いくら広島で現実に起きたことを描いたとはいえわざわざ児童の目につく場所に置いておくことに私は反対です。読みたいと思ったときに書庫から出してもらって読めば十分でしょう。平和記念館のジオラマを撤去する話もあるそうですが、ぜひそうしてほしいものです。
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