老いることを極度に恐れた三島由紀夫も生きていればもう90歳近い老人になっていたはずです。早稲田で学生生活を送っていたとき授業中に「三島が割腹自殺した」という衝撃のニュースが飛び込んできたときは本当に驚きました。事件現場となった自衛隊市ヶ谷駐屯地は早大からそんなに遠くはなかったからです。
人はみな老いることはいやだけれども三島由紀夫のように老いを恐れてまだ若さが残っているうちに派手に死のうなどとは思いません。人の自由意志の手が届かないところにあるのが老いと死でしょう。
ここしばらく健康状態が安定していた母(94)ですが、ふと気がつくと顔の艶がなくなり、バラ色だった肌が土気色にくすんでいます。三島由紀夫の最後の作品になった『天人五衰』という小説があります。『豊饒の海』4部作の最後の作品ですが、「時間のない世界」に連れ込まれたような不思議な虚無感を覚えます。
天人五衰とは小説の中で詳しく解説していますが、おおざっぱにいえば年を取らないはずの天人にも5種類の衰えがくるというものです。花飾りは乱れ(髪が薄くなること?)、体から臭いにおいがでるようになり、若かったころはここかと思えば早やあそこというぐあいにあちこち活動していたのに、同じところに留まって動かなくなります。若いころは水浴びしたら水滴が玉のように肌の上を転がっていったのに、脂肪分が抜けた老人の肌には水がべったり広がってしまいます。
いったんこんな徴候があらわれたらもう手遅れ、衰えから回復することはできないと三島は天人五衰の言われを解説しています。
しかしながら、若さに翳りがおき加齢臭をまき散らすようになったって人間は死にません。平凡な人には三島のような死は決して訪れません。それなりに実り豊かな人生の最後に穏やかな死を迎えたいものです。
さて、母の肌が土気色になっているのに恐怖を覚えた私はただちに病院へ連れていき血液やCT検査をしてもらいました。意外なことに「数値に異常は認められません」ということでした。
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サイエンティストである医師の言葉には間違いはなかったことが診察を終えて帰った夜に思い知らされました。母に異変が起きていたのではなく、長期の介護による極度のストレスから私の精神に変調が起きていたのです。
もう取り返しのつかない段階にきているのかと思うとこのまま心臓が止まるのではないかという恐怖におそれおののきながらも、とりあえず両親を1週間、近所の病院で預かってもらうことにしました。
そして本日(金)午後、母を診察してくれた医師に私自身の心身の危機的状況を話しました。診察を待つあいだ、心臓が破裂しそうなぐらい動悸を打っていたのですが、医師と話を始めたら落ち着いてきました。「私はこのままだめになるのでしょうか」という訴えに医師はマイナートランキライザーを処方してくれ、「大丈夫、完全によくなりますよ」と励ましてくれました。「不安がこうじて心臓が止まるのではないかと怖いのです」という訴えには「100%そんなことはない」と言われました。
それでも不安は亡霊のように繰り返しやってくるので、大迷惑な話ですが、大阪の友人に来てもらうことにし、週末を一人で過ごすことは避けることができそうです。
それでも不安は亡霊のように繰り返しやってくるので、大迷惑な話ですが、大阪の友人に来てもらうことにし、週末を一人で過ごすことは避けることができそうです。
こうして自分には心身症など縁がないとタカをくくっていた私の半世紀でしたが医師や社会福祉制度、年金制度、かけつけてくれる友人の力にすがりながら人生最大の危機を乗り越えていこうと思います。不安感(“感じ”などという生やさしい気分ではなく死を実感する感覚)が徐々に減っていっているのはよい兆候です。
*オリジナル原稿の最終パラグラフは削除し、サイエンティスト以降は母の受診からきょうまでの心の状態をオリジナル原稿に加筆したものです。タイトルから大幅に逸脱した内容になっていますが、タイトルはそのままにしました。
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