2016年11月23日水曜日

毎夜夢枕に立つ父

先日上海に2晩滞在したときのことです。両親とも逝ってしまった今となっては何の気兼ねも気掛かりもなく旅先のホテルのベッドに潜り込みました。父が亡くなってはや2年、父のことを思い出すことも次第に減り、夢の中に今まで一度も出てきたことがなかった父が、その晩なぜか異国の上海で、長々としかも繰り返し、それこそ夢とは思えないようなリアルさで私に会いにきました。
(夢の中)病院から電話があり、「たまにはお父さんを見舞ってください」と言われびっくり仰天。あわてて着替えのパジャマやタオルを抱えて病室に行ってみると父が食事をしていました。「あれっ? お父さん、生きていたの!もう会えないと思っていたのに、よかった、よかった!」。そして目が覚めました。
父は生きている!? いやそんなはずはない、やはり2年前に亡くなっている、変な夢を見たものだ、と思ってまた寝ました。すると夢の続きが始まりました。舞台は病院ではなく我が家。若い女性が4,5人家に遊びにきていて私が彼女たちの応対をしていると父が台所から呼びます。行ってみると父はマンゴーのシロップ漬けが入っている大きな缶詰をどんどん開けては皿に移しています。彼女達を歓迎するためにいそいそと動き回っては楽しそうにしている父の姿。それは晩年の病弱な父ではなくまだ元気だったころの父でした。帰国後も毎夜夢枕に立ちます。
そういえば父は昔から私が友人を連れてくることをことのほか喜んでくれました。カナダの親戚がきたときも、私がイギリス人やフランス人のお客を連れてきたときも父が一番喜んで話に割り込んできました。「ちょっと、ワシの言うことを通訳してくれ」と言ってはつまらないこと(私にはそう思えた)を言い出すのに閉口したものです。
親子の関係とは不思議なものです。私は長年この父が苦手でした。父と子の対立は文学でも主要テーマになっているぐらい普遍的なものですが、私も父の存在、行動、強引なところ、臆病なところ……すべてがいやでした。ところが父が亡くなる数年前からそうしたわだかまりが消えました。

今さらながら我が人生最良の友を永遠に失ってしまったことに愕然とします。でもまたこうして夢の中とはいえ親子の楽しい交流が始まりました。お父さん、ありがとう。

2016年11月17日木曜日

相変わらずの中国式接客サービス

1年ぶりに上海に行ってみました。高松空港から春秋航空を利用したのですが、高松駅で空港行きのバスに乗った瞬間そこはすでに中国でした。中国人の観光スタイルも以前の送迎付き団体旅行から個人主体の旅行に切り替わっているようです。
見れば乗客の8割方は中国人旅行者でバスの車内は騒然。前の方の席に座った人と後ろの方に座った人がどなりあいのような会話を始めます。話の内容を他人に聞かれることに無頓着な点が日本人と大違いです。私の横に座っていた日本人のおじさんがしきりに「うるさい」を連発するのですが、そこはいかにも日本人。つぶやくような声でいくら抗議しても通じるはずがありません。
空港バスの中だけでもうんざり、なんだか希望のない旅立ちです。今からの3日間をギスギスした人々であふれかえる上海で私も旅行者なりに生存競争に勝っていかないといけないと思うと心が萎えます。年を取ってきたせいかよその国のいいところより不快なところばかりが気になるようになりました。
豫園(よえん)は上海随一の観光スポットですが庭園としては今一、むしろ周囲に広がる豫園商城の規模とにぎわいの方にだれもが圧倒されるでしょう。庭園見物もそこそこに名物の小籠包を立ち食いしようと、とある店に寄りました。「お代は前払い」と書いてあります。ところがレジのおばちゃんは接客の仕事そっちのけでスマホに夢中です。声をかけても無視するので、50元のお札でおばちゃんの視線をさえぎったら、私をにらみつけレシートとお釣りの30元を投げて返しました。
庶民的な場所だけでなく、空港やホテルの対応も似たり寄ったり。帰りの空港チェックインカウンターでは、長い順番待ちの果てにようやくたどり着いた私の目の前で服務員はスマホでメールを打っていました。
それでも若者が経営しているカフェや個人経営の店などに入ると日本とほぼ同様の接客をしています。要するに雇われて働いている労働者にとって“サービス”などという概念は理解を超えているのでしょう。そんなことに気を使っても1元も給金が増えるわけではないですから。

日本ではモンスター消費者対策もあってますます過剰な接客サービスに従業員が疲れていないでしょうか。たまには中国式もいかがでしょう?

NHKはテレビ放送にスクランブルを

かねてよりNHKと全世帯数の3割近くの世帯との間に“払え、払わない”のバトルがあります。特にここ数年NHKは態度をいっそう硬化させ、あらゆる手を使って契約させる作戦に出、また契約があっても払わない人は裁判に訴えるという強硬手段まで取っています。
 いくつかの裁判ではNHKの主張が退けられ、いわゆる常識というか市民感覚に沿った判決も出ています。たとえばテレビは持ってなくてもワンセグ携帯があればNHKと契約する義務があるかどうかが争われた裁判では「契約の義務はない」という判決が今年8月さいたま地裁から出されました。「携帯電話は放送法でいう受信設備の設置には当たらない、つまり設置ではなく携帯しただけ」というのが判決理由です。
  レオパレス入居者に対する視聴料課金裁判でもNHKは敗訴しました(2016.10)。簡単に言うと、部屋にテレビがもともと設置されているアパートに入居した人には契約(支払い)義務はないという判決です。「放送法は『受信設備を設置した者は契約をしなければならない』と定めているが、男性は該当せず、契約は無効だ」と指摘した東京地裁の裁判長の判断はごく当たり前のことです。もしNHKの主張が通るのなら逆にNHKは全国のホテル客室に設置されたテレビの受信契約をいっせいに解約するつもりなのでしょうか?
 地裁、高裁レベルではいろんな判決が出ていますが、ついに今月初め、受信設備の設置者に受信契約を義務付けた放送法は契約の自由を保証する憲法に反するのではないかという根本的な争点が最高裁大法廷で審理されることが決定されました。放送法が違憲か合憲かによってNHKのあり方が大きく変わることは確かです。
 私は受信料の問題に関しては多くの視聴者が主張するように、NHKは放送にスクランブルをかけるべきだと思います。そのことによって契約が激減することをNHKは恐れていますが、今の脅迫まがいの早朝夜間の戸別訪問や不毛な法廷争いによるイメージダウンの方がNHKにとってよほどダメージ大だと思います。

 NHK会長は月額わずか50円の値下げを考えています。しかしその前に平均年収1150万円というおよそ国民を舐めきった給与水準こそ真っ先に大幅カットすべきではないでしょうか?

2016年11月3日木曜日

安納芋(あんのういも)

NHKの朝ドラはときに失敗作がありますがおおむね高視聴率を取っているようです。たいていのお話は秀でた才能をもって生まれた女の子が順風満帆な人生のうちに、あるいはいじめや貧困、逆境にも負けず、戦争など幾多の困難を乗り越えて才能を開花させていくサクセスストーリーになっています。
 ドラマの主人公の女性たちは必ずといっていいほど第二次大戦後の食糧難の時代に遭遇し、米や芋を求めて農村に買い出しに行きます。しかし、そんなに苦労して手に入れたサツマイモは果たしておいしかったのでしょうか? おそらく超不味い代物だったはずです。慢性的な飢餓状態にあったからこそありがたく高級着物などと交換してでも手に入れざるを得なかったのでしょう。
 というのも食料増産のかけ声の元栽培されていたサツマイモは質より量で、本当にまずい品種しか作られていませんでした。子どものころ近所の農家がフットボール大のサツマイモを収穫するところを見てひとつもらって帰って食べようとしたことがあります。煮ても焼いても食えないとはまさにこのことでした。
 時代は変わり、野菜や果物がどんどん美味しくなりました。「美味しい」が意味するのは「甘い」とほぼ同義で要するに食べ物が何もかも甘くなってきたのですが、とりわけサツマイモの甘さには驚かされます。
 なかでも数年前に登場した鹿児島県種子島原産という安納芋の焼き芋は別格のおいしさを誇っています。今では5月ごろホームセンターで安納芋の苗まで売り出されています。凝り性の私は苗そのものも自分で作って6月に植え、つい最近1株堀り上げてみました。大成功です。大きなイモがごろごろ出てきました。
 苗をどうやって作ったかというと、昨年晩秋スーパーで買った安納芋を母の寝室にあるタンスの上に置いたまま一冬越させたのです。寝たきりの母の部屋は年中室温を24,5度に保っていたのでイモも腐らず春を迎えました。初夏にイモを畑に移してやったらどんどんイモヅルを伸ばし始め、それを切り取っては畑に定植し、大豊作の晩秋を迎えました。

 8月末、母は97年の長い生涯を終えましたが、母の寝室で命を繋いだ安納芋には冬をこの暖かい部屋で越させてやろうと思います。もちろん大半は私の胃の中に消えますが。