先日、何年かぶりにイオンモール倉敷に出かけ、MOVIX倉敷で松竹製作配給のシネマ歌舞伎を見てきました。歌舞伎の舞台をそのまま映画に収録したものです。大歌舞伎をライブで日常的に見ることができるのは東京、名古屋、京都、大阪、博多などの大都市に限られ、また観劇料も高いので、シネマ歌舞伎のように地方にいながら映画並のリーゾナブルな料金で歌舞伎に接することができるのはとてもありがたい企画です。
今回見たのは女形舞踊「京鹿子娘五人道成寺」と「二人椀久」の2本立て。娘道成寺では板東玉三郎、中村勘九郎、七之助ほか合わせて5人の女形による白拍子花子が艶やかに舞いを披露。花子はたちまち蛇に姿を変えて道成寺の鐘に巻き付いて実らぬ恋の恨みを晴らすスペクタクルです。お姫様の衣装から蛇の抜け殻をイメージする衣装に早変わりするところが最大の見所です。
花子は実は安珍清姫の話に登場する清姫の亡霊です。清姫は自分にちっともなびかないイケメン修行僧の安珍を追いつめ、安珍は道成寺の鐘の中に隠れるのですが、恋ゆえにとぎすまされた嗅覚をもっている清姫は安珍の隠れ場所をたやすく嗅ぎ付け、大蛇に変身し鐘もろとも安珍を締め殺します。
伝統的な解釈ではこの話は清姫の安珍に対する悲恋・悲劇でしょうが、今風に言うと、これはまぎれもないストーカー事件だと思います。「ストーカー」という概念を表す用語がなかったつい20年ほど前までは清姫のような過度に一途な女性から詰め寄られて苦しく怖い思いをしたり、中には押し切られてしまった男性は世に多かったことでしょう。
五人道成寺の白拍子花子(清姫の亡霊)はストーカーの本質をよく表しています。相手が拒否しているのに一方的に迫る、それでも相手から無視されると恋の感情は怒りと憎しみに変わり、ついには蛇のイメージさながらのモンスター的感情に支配されます。安珍清姫の話は恋慕の感情はときにはコントロール不可能な狂気に変わりうることを昔の人もよく分かっていたのだと作品を見ながら思いました。
「二人椀久」は玉三郎、勘九郎による幻想的、情感豊かな作品でした。勘九郎は年とともにますます魅力を増し華がある役者。静かに踊る姿はもうたまりません。(上映終了)
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