2019年1月30日水曜日

ある夜のできごと(前編)

正月気分が抜けたころのある夜9時過ぎ自宅でまったりしていたら、幼なじみの加代ちゃん(仮名)から電話がかかってきました。加代ちゃん夫婦には3人の子どもがいてそれぞれ立派に成人し孫も数人います。ご亭主は社会的にも立場のある人ですが、今夫婦は離婚の危機にあります。昨年来私は加代ちゃんからそんな相談も受けていて、暮れに知り合いの弁護士を紹介したところでした。
電話の声はいつもの明るい加代ちゃんの声ではなく、暗い地獄の底からだれ相手ともなくひとりつぶやいているようにも聞こえます。「本当は離婚などしたくはない、私がこの家にいないと子どもや孫が帰ってくる場所がないから……」と心の本音らしき言葉が数分おきに繰り返されます。ときどき意識が遠のくのか私の呼びかけにも無反応になります。
私は話の内容の深刻さもさることながら、これは慢性硬膜下血腫による意識障害ではないか、一刻も早く救急車を呼んで専門医に見せなくてはいけない事態だと思いました。というのも加代ちゃんは1ヶ月前自宅で転倒して頭を強打したと言っていたからです。脳内でじわじわ出血が続きちょうどひと月経ったころぐらいに意識障害が出てきます。
夫婦は同じ屋敷でも別の棟で寝起きしているらしく、夫は妻の異変に気づいていない様子。時計を見るともう夜の10時を回っていましたが、私は勇気をふりしぼって加代ちゃん夫婦の家まで行ってみることにしました。車で15分ほど走ると見覚えのある一軒家に着きました。
加代ちゃんが寝起きしている棟の呼び鈴に応答はありません。おそるおそる母屋の呼び鈴も押しました。ピンポーンという音が空しく凍り付く夜の静寂に響くだけ。裏の方に回ってみたらご亭主の寝室とおぼしき部屋に灯りがついているのに気づいたのでガラス戸を叩いてみました。「はい」という声がしたので「ちょっとお話があります。玄関を開けてください」と言ったもののそれっきり。まったく反応が返ってきません。

そら恐ろしくなってきました。サスペンスドラマのシーンが頭をよぎります。人家はまばらといっても住宅街で深夜ドンドンよその家の玄関や窓を叩いている自分自身の存在も相当不審なものです。でしゃばり!いや、今ならまだ加代ちゃんを助けることができる。(続く)

2019年1月27日日曜日

大阪千日前、丸福珈琲店

この半世紀、大阪の丸福珈琲店を超える美味しいコーヒーを楽しめる喫茶店を他には知りません。ミナミはどこも路地裏まで年中中国人であふれかえり、丸福にもたくさんの中国人家族が来ます。
50年前自分もパリのカフェでアン・カフェ・シルヴプレなんて言ってたけれど、パリジャンにしてみれば、ジャポネが、、、と思われていたのかと思われました。

2019年1月25日金曜日

真冬の山陰、島根県立美術館、足立美術館

朝3時半に岡山を発ち岡山道、米子自動車道、松江道を走って松江までの日帰りドライブを楽しみました。

島根県立美術館
島根県立美術館で開催中の奈良原一高らの写真展「人間の土地」を見てきました。長崎の軍艦島で働く炭鉱夫やその家族の日常生活がかつて存在した場所は今世界遺産になっています。白黒写真、1950年代、コンクリートで覆われた人工島、寒々とした10階建てのアパート。よくこれだけの映像が残っていたものだと思います。

11時半になったので宍道湖の絶景が窓いっぱいに広がる館内のレストラン、ヴェッキオロッソでランチを食べました。いつ来ても、何度来ても湖の美しさに圧倒されます。

足立美術館
横山大観のコレクションと壮大にして繊細な自然の美を四季それぞれに見せる日本庭園で絶大な人気を誇る足立美術館は来る度にますます充実してきています。ただいま魯山人の作品をまとめて展示するギャラリーが庭の一角に建設中でした。大人の入館料は2300円と高いのですが、2年間有効のパスポートは6000円と大変お得。今日も迷ったのですが1回限りのチケットを買いました。展示を見た後でパスポートにしておけばと後悔しました。2年のうちにあと2回来れば元は取れることになりますので。

冬、雪に覆われた庭園を一度は見たいものですが、私の車のタイヤはすり減り気味のノーマルタイヤで雪が降ると山越えして山陽路にある我が家に帰られません。
雪の予報が出ているなか、3時過ぎには帰路につきました。蒜山高原辺りでは以前降った雪が道路脇に残っていたうえ、「トンネルの出口ユキ」という警告が連続し、怖かったです。夕方5時にマドモアゼルの喫茶店に着いたのですが、雨になりました。山越え道は雪になっていたかもしれません。



2019年1月24日木曜日

11000ヘルツが私の耳の限界

歳を取ると高音域が聞こえなくなるそうですが、YouTubeにたくさんあるサイトのいくつかで実験してみました。低い方は20ヘルツくらいからドロドロした音が聞こえ始め8000,9000くらいでは音量がかなり小さくなるものの何とかキーンという音が分かります。私の場合、最大11000ヘルツが限界です。12000では完全に無音。

本当に音が出ているのか、喫茶店のマドモアゼルに12000ヘルツの音を聞かせたら鳴っているとのことでした。この辺りに20年の歳の差がはっきり出ていて歳を取ったことが実感されます。

皆様いかがですか?

2019年1月23日水曜日

タウン情報誌「オセラ」

いつもよく行く喫茶店に置いてある岡山のタウン情報誌「オセラ」。隔月刊のこの雑誌をパラパラめくるといつも何かしら新発見があります。つまり少しひまを持て余し気味な主婦、富裕層、シニア、ゴルフユーザー、観光、旅行者である読者をその気にさせる記事が満載なのです。
2003年の1月に創刊されたオセラのバックナンバーをざっとながめてみると、創刊号の特集は「岡山の秘湯めぐり」のほか連載記事として青山融氏による「岡山弁JARO?」が開始されています。第2号は「岡山の春」2大特集として桜と鰆にスポットを当てています。第3号は「笠岡諸島の休日」と続きテーマの陳腐さ、古さはどこにも感じられません。
一方最新号(20191-2月号)といえば「癒しのおこもり宿」として瀬戸内、山陰、兵庫、四国エリアにまで取材が及んでいます。そしてこの間十数年の間に繰り返し、パンや蕎麦特集が登場します。こうしてみるとグルメと旅ははやりすたりのない永遠のトピックであり、タウン情報誌のコンセプトとしてこの二つから大きく逸脱しない限り読者から見放されるということはない、と言えるのかもしれません。ふるさとの魅力をいろいろ切り口を変えながら繰り返し紹介してくれるオセラのような雑誌の存在はありがたいものです。
最新号のグルメ情報として「オステリアezaki」というイタリアンの古民家レストランが紹介されていました。総社の備中国分寺近くに昨年夏オープンしたばかりのお店だそうです。オセラの記事を参考にしてさっそく訪ねてみました。サービス担当でオーナーと思われる老紳士からいろんなお話をおうかがいすることができ楽しいランチの時間を過ごさせていただきました。
オーナーの方はサラリーマンを定年退職したあと、ふるさとの総社で崩れかかった古民家を見つけてリニューアルしレストランとしてオープンさせたとのことでした。ナポリの郷土料理をベースにしたというイタリア人シェフの料理はさすがひと味違うものがありました。

岡山に住んでいても通りがかりや口コミだけではなかなか今回のオステリアezakiのような素敵な店を見つけることはできません。オセラの同じ号で紹介されていた山陰や四国の「癒しのおこもり宿」も今すぐ訪ねてみたくなりました。


2019年1月17日木曜日

宇和島から松山へ

愛媛県は伝統的に教育、文化に力を注いできた県です。文部省の全国学力テストが実施される日は出来の悪い児童や生徒を登校させないで平均点をかさ上げするなどということもやってたくらい。


そんな愛媛県には大変立派な博物館や美術館があり、今回初めて宇和島(西予市)にある歴史文化博物館に寄ってみました。1994年開館なのでいかにもバブル時代の贅沢かつ意欲的なデザインの建物でした。

松山市の中心にある県立美術館は何度も訪れたことがある素敵な美術館です。ちょうど英国、グラスゴーの海運王バレル・コレクション展をやっていました。印象派の名品が70点ほど。ほとんどの作品が日本初公開でした。グラスゴーの美術館が大規模修理中でその間、日本に貸し出しているとのことでした。福岡、愛媛、静岡、東京、広島と巡回中です。東京ではBUNKAMURA。
また、県立美術館では修復が終ったばかりの弘法大師空海の肖像画も展示されていました。松山市の太山寺所蔵。

東京や大阪と違って地方都市の美術館は本当に閑散としています。まして平日では。カフェの大きな窓からは天空にそびえる松山城が絵になります。外国人親子が窓辺にいたので、写真の構図に入ってもらいました。今日が誕生日だというイギリス人は不動産業の自営と言っていました。今年5月に4歳になる息子は愛嬌があって、私にいろいろしゃべりまくり面白かったです。私がWhere do you live?と尋ねたら「黄色いおうち! 新しいおうちだよ」などと答えていました。子どもにとってはどこの町に住んでるかどうかは無関心で、どんな家に住んでいるのかが彼にとってのwhere なのだなと思いました。イギリスは不動産バブルで儲かってるみたいです。

斎灘(いつきなだ)沿いの国道を夕日を見ながら今治、しまなみ海道、尾道経由で岡山に無事帰りました。
愛媛県立美術館前から仰ぎ見る松山城

2019年1月15日火曜日

宿毛から宇和島へ

(訂正)
宿毛から足摺岬まで往復すると120キロの道程があり断念。そのまま宇和島、松山、しまなみ海道、尾道ルートをたどって岡山に帰りました。

高知県宿毛市1泊で宇和島、松山を巡るドライブに出ました。以前乗っていた老朽パルサーはトンネルの中でいつエンジンが止まってもおかしくないポンコツで長距離ドライブは恐怖を伴いましたが、今度のシエンタ7人乗りは22万キロ走った老嬢ながら安心して走れます。

高知道の山中は霧がかかり横山大観の朦朧体の絵画そのものでした。

蘇軾の「湖上に飲す初め晴れ後雨」の漢詩がふと思い出されました。
杭州の南にある西湖あたりの風景を歌った詩だったと思います。

ここ高知県は1月とはいえ山々の木の梢に春の気があふれ、晴れても降っても美しい早春の四国路を楽しんでいます。

2019年1月12日土曜日

加古川までドライブ

昨日、加古川在住の友人を訪ねました。龍野西あるいは姫路西で山陽道から降りるべきを通りすぎて、姫路東で播但道へ流入しようと思い失敗。帰りは加古川バイパス、姫路バイパス、太子バイパス、2号線、岡山バイパス経由で帰りました。往復230キロ。
昔は毎週末大阪から岡山まで往復運転して何ともなかったのに今では隣の県ぐらいまでがちょうどいいドライブ距離です。備前市あたりは今でも魔物がドライバーの命を狙っています。三石峠を越えて岡山に入ると岡山まで帰ってきたと気が弛むのか必ず強烈な睡魔に襲われます。30代のころ年末に雪がちらつくなかバイクで備前の坂道を走っていて道路端に停まっていたトラックに激突。肋骨4本折ったことを思い出しました。
昨日はコンビニ駐車場で30分ほど仮眠させてもらい無事実家に帰れました。

学長からコメントありました

Oさん
 律儀なO大生の嬉しいお話しをありがとうございます。人生100年時代です。
MH  

2019年1月10日木曜日

古いつきあい、新しい出会い

一人暮らしのわびしい年末年始の孤独をうち破るように年明け早々、和食の店で中学時代の幼なじみ、すまちゃんと会食しました。すまちゃんは長年フランスで舞踏家として名声をほしいままにしてきた芸術家ですが、近年はふる里岡山に本拠地を移して活躍しています。今日は小難しい芸術論なんか忘れて、地酒と岡山の新鮮な魚料理を堪能しました。
中学校を卒業した後は別々の高校、大学に行き、再び交流が始まったのはすでに50歳を過ぎてからのことでした。2001年の3月、パリですまちゃんの舞踏公演がありそれを見にフランスまで出かけたのが再会のきっかけでした。そこからカウントしてもすでに20年近い歳月が流れました。
70歳になった私の生活実感は「老後」そのものです。「老いた後」とは死を待つ日々に他なりません。ところがすまちゃんは女性であるせいか、芸術家として常に創作活動をしているせいか「人生、もうひと花、ふた花咲かせなくちゃ」と元気がいい。酒も料理もどんどんすすみます。
実はこの日、私は会食の約束時間より少し早く店に着いてしまい、時間調整のために隣りの焼鳥屋に入り、食前酒のつもりでグラスワインを引っかけていました。カウンター席の隣にはビールのジョッキを重ねている若者がいて、ふとしたことから話が弾みました。聞くと大学生だそう。
たまたまその学生さんが通っている大学の学長がすまちゃんや私と同じ中学校の同期だったので、私はそんな話もついしゃべってしまいました。そうこうしているうちにすまちゃんから店に着いたという電話があり、若者との楽しい会話を切り上げレジに向かいました。正月気分もあり学生さんの飲み代もいっしょに払って焼鳥屋をあとにしました。
家に帰ってパソコンを開いたら学生さんから丁寧なお礼のメールがきていました。名前が書いてあったので興味本位で学生さんのツィッターも覗いてみました。そこには私にくれたメールの口調と異なり仲間内あてにこんなことが書かれていました。
「今日、焼鳥屋でビールを飲んでいたら学長の同窓生というおじいさんが全奢りしてくれた。あざっす!」私の中ではすまちゃんも学長先生もみんな昭和時代の中学生のままなのに、正真正銘の若者から見ると単なるじいさん、ばあさんなのです。悲しいことですが仕方ありません。

2019年1月8日火曜日

少しがっかり、新しい出会い

 年末クリスマス前にカナダから遠縁になる女子大生がボーイフレンドを連れて来日しました。「岡山に寄りたい」というメールを受け取ったのは来日の10日ほど前のことで、用件もただ「行きたい。会うことができますか」だけの内容で自己紹介的な記述がありません。とりあえずカナダの従姉キャスリーンに電話して「どんな子?」と尋ねてみたら反応がパッとしません。「あの子は自分のおじいさんの葬式にも来なかったような子、人のいいお前が便利に利用されるのが心配」とのこと。
 でも実際にやってきた彼らと岡山や倉敷の名所や先祖の墓所などを見て回ったことは私にとってもいい気分転換になり、あわただしくも楽しいひとときでした。12日の滞在時間はあっというまに過ぎて岡山駅まで見送ってお別れしました。「カナダに来たときはぜひ我が家に寄ってください」とちゃんと社交辞令まで言える子たちでした。
 キャスリーンには電話で「いい子たちだったよ」と報告。キャスリーンは「私こそ偏見で見ていたのが恥ずかしい」などと言っていましたが、彼女の観察眼が鈍っていたわけではないことがまもなく判明しました。
 「これから広島に向かい、その後は金沢、野沢温泉で日本の正月を体験し14日に帰国する」と楽しそうに言っていたのに、その後いっさいメールがありません。岡山で案内した前川國男設計の県庁舎や吉備津神社、丹下健三設計の旧倉敷市庁舎など彼らが大学院で専攻している建築学的に重要な建造物の来歴などを英文でまとめてすぐ送ってやったりしたのですがなしのつぶて。
 でも、彼らのこうした振る舞いは私の甥や姪でも似たりよったりで、いまどきの若者には昔風のマナーはぴんとこないのでしょう。ときたま後楽園や倉敷でにわか観光ボランティアをして知り合いになる欧米観光客からもサンキューメールなど届いた試しがありません。むべなるかな。
感謝されるためにボランティアしているのではなく、特に私の場合はでしゃばりの範疇です。それよりもやはり知らない異国の人、世代の違う人々に出会う意味は大きいしまた楽しいことです。「利用される」という意味では私もカナダ人カップルをしっかり利用させていただきました。ネイティブとの濃い時間の共有は英会話の練習にもってこいです。