またも小学校登校途中の児童が刃物を持った男に襲われ多数の死傷者が出ました。凶悪殺戮事件は、安倍首相が来日中のトランプ米大統領との蜜月ぶりをアピールするため連日のパフォーマンスを総仕上げしようとしていたまさにその日の朝、神奈川県川崎市で起きました。
横須賀自衛隊基地での日米首脳同席の行事では、多数の警官・機動隊が警備に動員されていました。川崎での事件はそんな一般の治安が手薄になる日を狙っての犯行だったのではないかという気がします。
犯人の51歳の男はその場で自殺したので犯行の動機は永遠に封印され、今後どのような効果的な対策を考えればいいのかその手掛かりは簡単には見つかりそうもありません。私は事件の第1報を聞いて、すぐに2001年6月に発生した大阪教育大学附属池田小襲撃事件を思い起こしました。
今回の川崎市で起きた事件同様、大阪の国立名門小学校の児童が殺戮の標的になってしまったことは偶然ではありません。池田小学校事件の犯人、宅間守は控訴を自ら取り下げ、子どもを殺された家族や身体と心に深い傷を負った児童への謝罪の言葉もなくこの世を去っていきました。宅間は法廷でこんな恐ろしい呪詛の言葉を吐いています。
「世の中は公平やない!わしは世の中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。わしみたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを分からせたかったんや。世の中勉強だけちゃうぞ、とあのくそガキに一撃を与えたんや……。」
宅間守は自身の自殺の道連れに児童を殺傷したと法廷で述べていますが、今回の事件も自殺の道連れという何とも身勝手な、幼い子どもに対する愛のかけらもない行動でした。このよく似た二つの事件の背景には自身の生い立ちがきわめて悲惨であったという自覚があり、幸せそうに見えるエリート家庭の児童に対する底知れぬ怒りが感じられます。
ますますひどくなる一方の格差社会に対する怒りや絶望・怨念は、大阪や川崎のような極端な形をとるかどうかは別にして、均質だと思われてきた日本社会をジワジワ蝕んでいて、今後も同様の事件が起こりうる素地は十分あります。通学時の防犯対策など何の役にもたちません。
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