2019年8月22日木曜日

三宅定子さんの死を悼む

 中学校時代の同期生、三宅定子さんが急逝したという第一報に接し、本当に驚き、言葉がありませんでした。玉野市在住の三宅さんは、地域社会への貢献だけでなく、奉仕と支援を通して全世界の女性の地位向上のために活動する世界的な社会奉仕団体であるゾンタの幹部として、昨年は横浜で国際ゾンタ世界大会を成功裡に収め、その功績をたたえ、美智子皇后陛下(当時)から皇居に招かれ、お茶をふるまわれたとお聞きしました。
 公私とも実にエネルギッシュに活躍していた“さーちゃん”に異変が起きたのは6月ごろのことで、7月下旬に大手術を受け、当初は順調に回復していたが、急変しそのまま帰らぬ人となった、とご遺族様からおうかがいしました。4月には中学校の恩師を囲んでいっしょに花見の宴会をにぎやかに楽しんだばかりなのにあまりに急な話です。
 術後、病床からクラスメートにあてたメールによると、さーちゃんは学生時代からこれまでも3回生死をさまよう大病をしたことがあり、いつも故両親が枕元にやってきて「定子、貴女はもうこれ以上無理をして頑張らなくていいのよ。一緒に早く帰りましょう!」と言うのを毎回振り切ってきたのになぜかこの度は来てくれなかった、とのことでした。
 さーちゃんのこの最後のメッセージは一見よく聞く臨死体験の「お迎え」現象のようでもあるけれど、この言葉には彼女の病状と術後経過に関する真相が隠されている……、私にはそんな気がします。「今回は両親が迎えに来なかった」。つまり天国のご両親から見てもこの度の手術でまさか最愛の娘が死ぬなどとは思ってもなかった。事実手術そのものは成功した、まだお迎えが来る時期ではなかった。それなのに術後にいったい何があってこうなってしまったのか、幼なじみの私には疑問と悔しさが残ります。
 第一報を聞いてすぐに駆けつけた幼なじみによると、とても苦痛に満ち疲れ切った表情をしていたそうです。本当に悲しい。2日ほどおいて通夜が始まる前に私はひとりさーちゃんと最後のお別れをしました。偉大な女性の偉大な生涯の最期にふさわしい威厳のある平和な寝顔でした。
今ごろさーちゃんはまた別の世界で大活躍しているに違いない、そのように信じて私はあなたを送ります。

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