中学校時代の思い出や写真をまとめようという企画を聞いて、久しぶりに子ども時代の写真や手紙類が無造作に、ぎっしり入っているブリキの箱をひっくり返してみました。
縦長に5人仲良く写っているのは、下から大平、中原(伸)、黒川、渡辺の諸君と私。みんないい笑顔。たぶん修学旅行先の旅館で写したものだと思います。最近出版された大平君の著書に記されている経歴を拝見したら、小学生時代にアメリカで過ごした、言わば帰国子女のはしりだったとのことでびっくり。でも中学校の英語の時間、大平君はふつうのジャパニーズ・イングリッシュをしゃべっていたような気がします。修学旅行の観光バスの車内、バスガイドが「皆さん、『幸せなら手をたたこう』の歌をご一緒に。『肩たたこう』のところは隣の人の肩をたたいて下さいね」と生徒に促します。すると隣席の大平君が「ぼく、こういうの嫌い。肩たたかないでね」と話しかけてきました。私も同感で、二人でささやかな抵抗をしたことがなぜかくっきり記憶に残っています。
もう1枚の写真は修学旅行の宿の宴会場で余興をしたときのものだと思います。岡先生もこうして当時の写真で見るとずいぶんお若かったのですね。壇上でやっていたのはいくつかのヒントを聞いてそれが何なのかを推量するゲームでした。司会役は私、藤山君は正解の「米のジュース」と書かれた紙を掲示。半分私の陰になっている女の子はシルエットがおしゃれでキュートな郡山(西平)さん。
あらためてあのときの修学旅行のことを振り返ってみると、2020年の現在でも公立中学校の大半が3泊なのに、我々は車中泊も含めて5泊ぐらいしたのではないかと思います。薄れていく記憶では正確な日程を再現することはもはやできませんが、ずいぶんリッチな旅程でした。長崎では平和公園、巨大な平和祈念像、グラバー邸を見学、そして雲仙天草国立公園を経由して熊本に渡り、熊本城と水前寺公園を散策しました。阿蘇の火口と草千里、このあたりはバスで雄大な景色を見ながら大分に入り、お猿の高崎山、別府温泉の地獄巡りなど存分に楽しんで岡山に帰りました。往復とも夜行寝台列車でしたよね?
今年の正月(2020年)だったか桝田君と岡山駅前の居酒屋で一杯やりながら、あの寝台列車の旅のことをなつかしく語りました。3段式寝台車なのに、なぜか中・上段のベッドを使用させてもらえず、その代わりに技術家庭の先生手作りのラワン板を席と席のあいだに渡して寝るという苦肉の策、あれはいったい何だったんだろう、と。実際は板などかえってじゃまで床に転がってぐっすり寝たのではなかったかと思いますが、先生方のご苦労と工夫、生徒を思うお気持ちには今でも大変感謝しています。
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