2021年1月30日土曜日

変わる岡山市街地

 相変わらず吉備の中山を歩いています。黒住教本部の日拝所から岡山市中心部が隈無く見渡せます。香川県の屋島も見えます。

左の白い大きなビルは駅前のグランヴィアホテル、建設中の高層ビルはイトーヨーカ堂跡地再開発地に立つマンション等。東山の国際ホテルもくっきり。右のドームは岡山ドーム。岡山のスカイラインも気付けば変化していますね。

黒住教本部の駐車場から日拝所まで歩かなくても行けるよう5本のベルト式エスカレーターがあり、今まではもっぱらそれに乗っていたのですが、今日は石段を登ってみました。昨年来の山歩きで心肺機能が改善したのか、胸が苦しくなることなく頂上まで登れました。

吉備津神社周辺を含め本日の歩行数は9000歩でした。


2021年1月25日月曜日

松江1泊ドライブ

 1月23日(土)~24日(日)

今年初めての山陰路ドライブ。ノーマルタイヤなので雨降りの2日を利用して中国山地越え。

足立美術館、がら空き。GoToトラベル中断の影響が大きい。横山大観の部屋を独り占めできるなんて空前絶後の体験。館内レストランでビーフカレー。その後、島根県立美術館、同館内イタリアンレストランで2回目の昼食。東横イン宿泊。4時過ぎにチェックインした後、昼寝したら夜7時に。そんなに空腹でもなかったし外出もめんどうだったので、朝まで部屋から出ず。

2日目 ホテルの無料朝食だけでは足りなかったので、チェックアウトの後コメダ珈琲でモーニング。玉造温泉を経由して松山道、尾道道経由で福山へ。島根、広島県境に残雪多し。

備後一宮にある吉備津神社参拝。これで備前、備中、備後一宮にあるすべての吉備津(彦)神社を参拝したことになる。やはり備中の吉備津神社が圧倒的。心休まるのは備前一宮の吉備津彦神社だと思う。

ふくやま美術館でクールベ展鑑賞。国内の美術館が持っているクールベのほとんどすべてが来ているのではないかと思われるくらいたくさんのクールベがあった。66点。

2日間の走行距離 430キロメートル。




吉備の中山

 吉備の中山(1月19日)

宮島登山(下山?)で太腿、ふくらはぎがパンパンになりました。2日過ぎても歩くと足がカクカクして痛いので、「毒をもって毒を制す」の言葉どおり、近くの吉備の中山を2時間ほど歩いてみました。吉備津彦神社から登り、鼻ぐり塚の方へ降り元の吉備津彦神社まで戻るという全行程約6キロ、9000歩のハイキングでしたが、石のように硬くなっていた両足の筋肉がほぐれました。山の中には至るところ巨石や歴史的記念物があり、古代の豊かな息吹きがあちこちで感じられました。秋に来たときはまだ蚋(ぶよ)がいて五月蝿いので途中で引き返したのですが、冬の今は快適です。


吉備の中山、藤原成親終焉の地

吉備の中山には黒住教本部や岡山県古代吉備文化財センター、吉備津、吉備津彦神社などが狭い地域に密集してなにやらスピリチュアルな濃度が異様に高い地域です。我が家から見える中山は山の南面側で明るい印象があります。
ところが先日、吉備の中山を歩いたとき、頂上から北方向に下る道をたどったところ藤原成親(なりちか)が幽閉された上殺害された場所に出くわしました。山の北面はそうでなくても陰気なのに、成親の怨霊を封じ込めるような石組にぞっとしました。

平安末期の貴族、藤原成親(1138-1177)はわずか7歳で越後守、讃岐守と家格を超えて出世を重ねたのは、鳥羽法皇、後白河院の寵愛を一身に受けていた要素が大きいようです。何しろ「芙蓉の若殿上人」と言われたくらいですから(元祖芙蓉に例えられたのは楊貴妃)。

権大納言にまで上り詰めた成親ですが、後白河法皇と平家の争いに巻き込まれ(このあたりの史実に詳しくないので省略)、結局、失脚、俊寛は鬼界ヶ島へ流罪、成親は吉備の中山に幽閉されたそうです。歌舞伎で有名な「俊寛」で鬼界ヶ島にやってくる鬼の形相の悪役人、妹尾兼康は我が妹尾町の始祖です。(実際は有能な人だったらしい)。

さて、幽閉された成親ですが、毒の入った食事を拒否したため、6メートルほどの崖の下に鉄の矢が仕掛けられたようなところへ突き落とされて死んだとか。(食事を与えられず餓死した説も)。

宮廷では「芙蓉の花」と讃えられた成親がよりによってこんな田舎の陰気くさい山影で獄死したのですから怨霊にならないわけがありません。

コロナで海外旅行ができなくなったおかげで、身近な名所旧跡巡りをして、にわか歴史ファンになって、毎日を楽しんでいるこのごろです。



最近の記録(1/17)

 広島1泊・宮島登山

只今、宮島の弥山頂上を目指してヒーヒー言ってるところです。登山と言ってもロープウェイ山頂駅から1キロほどアップダウンのトレールを登るだけなのに心臓にきます。もう山歩きも限界かなと思いつつゆっくりゆっくり前進です。

宮島には何度も来ているのに弥山に登るのは初めて。素晴らしいコースですね。瀬戸内海がとても近くに感じられ、眺望は絶景。なぜ今まで来なかったのか悔やまれます。

昨夜は広島で泊まったのですが、信じられないくらい街が閑散としていました。広島と言えば牡蠣ですが、寿司屋に酢牡蠣がおいてなくてショック。宮島の牡蠣料理店でも生牡蠣はおいてないようにみえました。

2021年1月15日金曜日

本格的なボケが

 午前中、車の修理屋さんから車検完了の知らせがあり、コンビニATMで車検代107,000円ぴったり引き出しました。ATMのボタンに触れることはコロナ感染リスク大なので、店を離れる前に手を消毒しようとカウンターに設置されたセンサータイプのアルコール噴霧器らしきものに両手をかざしました。!?反応がありません。

カウンターの中から店員が「消毒薬はあっちですけど」とあざ笑っていました。私が手をかざしていたのはコンビニコーヒーの吐出ノズルでした。

古い車でもタイヤとバッテリーを新品に換え、車検であちこち不具合なところを調整してもらったら、また車旅に出たくなりました。風が生暖かく春めいてきました。

2021年1月13日水曜日

友人の葬儀にネットで参加

中学校時代の同期生だったT君が年明けまもなく逝去し、東京のご自宅近くのキリスト教会で葬儀が執り行われました。享年72歳。晩年は肝臓がん、悪性リンパ腫、そして最後は白血病と次々襲いかかってくる病魔との壮絶な戦いの様子を感情的、感傷的になることなく冷静、客観的に、同期のクラスメートで作っているメーリングリストを通じて、我々にも知らせてくれていました。

可能な限りの最先端かつ最良の治療を国立の専門病院で受けつつも昨年末には積極的な治療法が尽きて退院を余儀なくされ、自宅で緩和ケアを始めた矢先の急変でした。戦後ベビーブームに生まれた我々同世代の人間は、科学の力を素直に信じる教育を受けてきたので、T君も最後まで医学に対する信頼感を失わなかったのではないかという気がします。

葬儀の様子は前もってネット中継する旨ご遺族様からご案内があり、我々中学校時代の同級生も、それぞれの自宅において友人との別れに立ち会うことができました。コロナ禍の時代にあってはネットでの参加はリアルに列席することに負けず劣らずいいものだという気がしました。

昨今は伝統的な大勢の会葬者が列席する葬式よりもごく近しい身内だけで行う家族葬が主流になりつつあります。この方法は確かに親しい家族だけで故人とのお別れが心おきなくでき、費用も抑えられ、何よりも会葬のお礼やあいさつなど慣れない雑事に追われることから免れます。しかしその反面、家族葬は故人と親しかった友人、先輩、後輩、職場の仲良しだった人々も排除され、お別れの機会がもてないことはやはり寂しいものです。

一方、公開のネット中継では単に動画を拝見するだけというのではなく、こちらからも弔辞やメッセージを残すことができます。しかもご遺族は参列者への応対に追われることもなく、ネット参加者もリアルに列席したときと変わらない気持ちでお別れできる利点があります。今回は約100名の方々がネット中継にチャンネルを合わせていました。

こうした形の葬儀は海外では幅広く行われているようで、昨年カナダの従兄が亡くなったとき初めてその存在を知ったのですが、進取の気性に富んだT君は彼のパイオニア精神で我々クラスメートにも悲しいけれどいい時を共有させてくれた、と思います。


2021年1月10日日曜日

ハヅキルーペ CM

 


最近あまり見かけなくなったハヅキルーペのCM。武井咲ママが「みんなハヅキルーペを置いて」と声をかけると、ママもホステスさんたちもそろって椅子の上に置かれたルーペの上にお尻をチョンと置いてたちあがる、何ともお下劣なCMです。

このCMを見る度に中学校時代のクラスメートだった北村君のことを思い出します。国立大学の教育学部附属中学校だったので、教育実習にやってくる大学生のために授業参観用の長椅子が教室のうしろに設置されていて、昼休みには女子の仲良しグループがその長椅子をベランダに持ち出して弁当など食べてくつろいでいました。

ある日いたずらっ子の北村君が女子たちが座る前に牛乳を椅子のフェルトに撒いて湿らせました。牛乳を吸ってもフェルトの色はそんなに変化ありません。私に「よく見とけよ」と声を掛けてきます。そこへ女の子が3,4人やってきて長椅子に腰掛けました。一瞬の間を置いて女の子たちはハズキルーペの女の子のように「キャッ!キャッ!」と叫びながら反射的に立ち上がります。座った椅子が濡れていたらびっくりしますよね。

すると北村君が満足げに私に向かって解説してくれます。「女の子が飛び上がるタイミングに微妙な時間差があったのに気付いた? 時間差で女の子がはいているパンティの厚みが判るんだ!」と。

北村君はデザイン事務所を立ち上げ、そこここに感性豊かで独創的な作品やモニュメントを残しながら還暦を過ぎたころ急な病気でなくなりました。しょっちゅう彼のデザイン事務所に遊びに出かけていただけに早い別れが残念でなりません。もうかなりの人数の幼なじみが向こうに行ってしまいました。


黒革の手帖 拐帯行

 


夜、何気なくテレビをつけたら、武井咲(たけい・えみ)主役の「黒革の手帖 拐帯行」をやっていました。武井さんのお美しいこと! 一瞬3年前の作品の再放送かと思いました。全然劣化してないのはさすが。最近、私が大好きなハズキルーペのCMをあまり見かけなくなって少し寂しいなと思っていたところに咲先生のあのド迫力!往年のみやこママの絶頂期もかくやと思われます。(注・中学校の同期生の子が銀座でクラブのオーナーママをやっていた。今は「老婆の休日」と称して世界中観光めぐりしている)

コロナで萎縮した世の中を明るくするにはこういうゴージャスでバブリーなドラマが欠かせません。

「拐帯行」(かいたいこう)とは見慣れない言葉ですが、解説によれば、『まかせられている金銭・物品などを、自分のものとする目的で持ち逃げすること。』だそうです。

2021年1月3日日曜日

大原美術館


 大原美術館が空調設備をリニューアルするために昨年長期休館していたあと、初めて出かけてみました。チケット販売窓口で試しに、シニア割引ありますか?と聞いたら、それはないけれど、JAFカード持ってないですか、ないです。天満屋カードは? ないです。山陽新聞何とかカードは? 持っていますが家に、、、などと親切にも延々と聞いてくれ、とうとう「たまるんカード」で大ヒット!! 晴れて200円引きで入館できました。通称「たまらんカード」もたまには役に立つものだとちょっと嬉しくなりました。

大原美術館は現在、中国銀行の店舗だった建物を改装、児島虎次郎や古代エジプト、西アジア出土品の陳列のためのプロジェクトが進行中で来年にはオープンするようです。そのために「第三創業基金」への寄付金を募集中です。今まで寄付金を寄せられた方々の名前がパネルで表示されていて、中学校同期のMさんのお名前も拝見しました。一口の額が割合大きいのでぱっと思い付いて寄付するのは困難なだけにMさんには敬意を表します。

私は大原美術館に対し別の方法で質の向上のために微かな貢献をしたつもりです。というのも大原美術館のコレクションの中でエル・グレコの「受胎告知」と双璧をなすモネの「睡蓮」について、その英語タイトルが「Waterlilies」と表記されていることに違和感を覚え、ケンブリッジ英和辞典、その他で確かめたら、綴りは「Water Lilies」と2語で構成されています。こういう分かち書きは紛らわしいものが多く、どちらが正解かというと、辞書の見出しだけでなく引用件数の多さで、より多くの人が使うものがまあまあベターかと。

そんなことを「ご意見箱」に残して美術館を後にしました。まあこういうのは「貢献」というより「でしゃばり」というのがぴったりですが、、、
万一、自分の指摘が間違っていたら赤恥をさらすことになるので、「一般的には2語で綴るようです」とおだやかな言い回しで書きました。