今年の2月、極寒の日々を過ごしていたとき突然、実家の電気温水器が壊れ、2日ほど水が流れっぱなしになりました。「お湯が出ないとはおかしいな」と思いつつもすぐに温水器の点検をしなかった代償はいつもの数倍の水道料金になって返ってきました。水道代のこともさることながら、21世紀の日本でお湯が出ない生活というのは困りものです。
思い返せば、この温水器は40年も前から働き続けてきた年代物で、長年何のトラブルもなくいつも豊富なお湯をお風呂や台所に届けてくれました。足腰が弱って自分で入浴できなくなった母を湯船にそっと入れてあげると母はうれしそうに「いいあんばい」と喜んでくれました。
一方100歳近くになった父を風呂に入れるのは至難の業でした。もともと風呂嫌いの父でしたが、昔飼っていた犬さながら全身を使って抵抗するのには私もついに根負けして、最晩年にはベッドに横たわる父の体をお湯で拭いてあげるだけになりました。そんな思い出深い風呂ですが、秋風が吹き渡る今現在に至っても相変わらずお湯が出ません。台所での洗い物も大変です。
いまさら最新鋭のヒートポンプ電気温水器を設置しても一人暮らしではコスパが悪いので、長年の電化住宅契約をやめて、ガス給湯器にしようかなあ。ともかく工事の人に来てもらうためには壊れた温水器周辺に積み上げられた粗大ゴミの撤去から始めなければ……、それはそれでなかなか大変、よだちます(岡山弁)。
給湯器ひとつ取り替えが進まない老人になってしまった今、子どものころの日々がとても幸せだったと懐かしくなります。薪で沸かすお風呂に浸かっていると母が頃合いを見計らって追い炊きをしてくれます。近所の身よりのないおばあさんが遠慮がちに我が家のお風呂に入りにきました。そしてみんなみんなこの世を去っていきました。
幾年ふるさと 来てみれば
咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
門辺の小川の ささやきも
なれにし昔に 変わらねど
あれたる我家に
住む人絶えてなく
(故郷の廃家、ヘイス作曲、犬童球渓作詞)
さて感傷的になるのはもうやめてガス屋さんに電話するとします。
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