2022年7月7日木曜日

岡山県立美術館にて

 先日の日曜日、久しぶりに県立美術館に行きました。この日が最終日だった高木聖鶴展目当てのお客でにぎわっていましたが、私が見たかったのは地下画廊で開催中の「撮影された岡山の人と風景--県内作家の近作とともに」展の方でこちらはひっそり、閑散。しかしヨーロッパの人の目に映った2001年の岡山や写真集「bridge」などローカルかつユニークなおもしろい作品が多数展示されていて、こういう企画展こそ都道府県立美術館でなければ実現できないいい展覧会だと思いました。

そのうち杉浦慶陀さんという写真家の作品は「暗く沈みこんだ森」がほの暗く写し取られた作品群で「神様の殺し方」という連番タイトルが付けられ、魂を抜かれた自然を人間の暴力性の中で捉え、見る人に深い考察をうながす力作だと感じました。ところが、展示場のパネル(説明版)の文面を読んでいて「?」と感じた箇所がありました。

--杉浦によれば「管理され、虚勢されたはずの緑の中に潜むものは—-

文脈から言って「虚勢」ではなく「去勢」であることはあきらか。山の木材は資源として利用され、山地は産業振興のため開発され、森は違法に伐採される。「自然としての山と人間は結びついていないのではないかという意識がある」、つまりは一見豊かに見える森の緑も原初の森ではなく「去勢された」森だというのが杉浦のメッセージだと思います。

一番大切なキータームである「去勢」という単語が誤変換されているのは一美術ファンとして見逃せない! 出しゃばりの私は担当の学芸員を呼び出してもらいその旨意見を述べました。学芸員氏は面倒くさそうな顔をして私の説明を聞いていましたが、「作家から受け取った文章をそのまま使ってキャプションを作ったから……」と訳の分からないことをつぶやきながらそそくさと事務室の方へ消えていきました。

 美術館は接客業ではないのかもしれないが、私のような紳士的にクレームを付ける年寄りをもっと大切にしてほしい、いや構ってほしい! 老人は知識はあるのにそれを披露する場所がない、あんたら現役世代は分刻みの忙しさかも知らんが、こちとら時間はたっぷりあって閑を持て余してんだよ! それなのに名前も携帯番号も聞かれることなく放置されてしまう。私も迷惑千万な年寄りになりました。


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