両親とも小学校の教師をしていたため、家にはオルガンがあり、父は器用にもよく軍歌を演奏していました。父の十八番の「同期の桜」が始まると母は血相を変えてオルガンが置いてある2階に駆け上って「お父さん、軍歌なんか弾くのやめて下さい、隣近所に恥ずかしいじゃないの!」と制止していました。
しかしながら純粋に音楽として捉えると軍歌はリズム感といい心に響く歌詞といい名曲の要素が詰まっています。子ども心に「同期の桜」の歌詞中の“同じコクタイの庭に咲く”の部分、意味は不明でもなぜか素敵!などと思っていました。しかし耳で覚えて歌っているととんでもない誤変換が頭の中で起きるものです。私は大人になるまで“同じ国体の庭に咲く”だと信じていたのです。
中学生の時、社会の時間に初めて国体という言葉の意味について先生から説明を受けました。「国民体育大会の国体とはちゃうで!」と。国体のはっきりした定義についてはよく知りませんが、(日本の清々しい)国柄とでもいうのでしょうか。「同期の桜」のコクタイはきっと“命を捧げるのにふさわしい国柄、我がニッポン、俺達仲間はその美しい国に咲いていさぎよく散る桜なのだ”という意味だろうと。
ところが西條八十作詞の歌詞を見てみると“同じ国体”ではなく“同じ航空隊”(3、4番)となっているではありませんか。なるほど同じ兵学校の特攻隊の若者が今まさに桜が花開こうしているとき出撃していった話なんだとジーンと来ました。
とはいえ、楽曲とのマッチングから言えば“コクタイ”こそ4拍でよく合っています。“コウクウタイ”では字余りになり、何となく聞いていると頭の中では勝手に航空隊が国体になってしまいます。そんなこんなですが、私は“国体”と思って歌うことの勘違いにはかえって意味の深みを感じさせる音の響きがあるような気がしてきらいではありません。
「同期の桜」を久しぶりにオルガンで弾いてみようと2階の部屋に上がってみました。でもダメでした。昔は私の勉強部屋でしたが今では猫部屋になっています。オルガンのペダルは6匹の猫達にとって恰好の爪研ぎ板になっていました。ペダルの奥には何やらコロコロ乾燥したウンチまで!猫はすべてを破壊する動物です。思い出の品々も容赦なく。
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