小学生のころの夏休み、母に連れられて東京見物に出かけたことがあります。渋谷の道玄坂でビジネス旅館を経営していた伯母はしっかり者で世知に長け、母にとっては姉というより母親的な存在でした。文学少女がそのまま大人になったような母とはあらゆる面で気性も経済感覚も異なっていました。
渋谷にも大きなデパートがあるのに、伯母は地下鉄銀座線に乗ってわざわざ三越本店まで買い物に出かけていました。もともと新潟生まれの伯母にとって呉服店「越後屋」が発展してできた三越には古里のにおいがあったのかもしれません。東京滞在の三日目ぐらいだったか伯母がその日本橋三越に連れていってくれました。「好きなもの、何でも買っていいから」と。
私は遠慮がちな田舎の子どもだったし、当時の天満屋でさえ巨大なデパートに思えていたのに三越本店の偉容にはすっかり怖じ気づいたものです。伯母がこれはどうか、あれはどうか?と催促してきても私は「要らない」を連発。リッチな大人のためのデパートに子ども向き商品はそれほどなかったような気もします。それでもせっかくの伯母の好意を無下(むげ)にするのも悪いので、東京タワーの模型を買ってもらいました。
ところが……。楽しかった数日間の東京旅行を終えて岡山に帰った日の夜のこと、ふと両親の寝室から母の嗚咽(おえつ)の声が聞こえてきました。母は父に取りすがって「東京で姉さんに酷いことを言われた、悔しい」と泣いているのです。
後に何を言われたのか母が語ってくれたのはこうでした。「あんたたち夫婦は子育てを間違っている。つましい教員なんかやっていて子どもに倹約を強いているのだろう。そのせいで子どもがいじけているではないか。何を買ってやると言っても『要らない』の一点張りだった……」
私は母に対し申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。なぜほどほどに値の張るおもちゃとか洋服でもねだって、伯母さんの自尊心をくすぐってあげなかったのか、大失敗でした。
“三つ子の魂百まで”、今でもデパートは食料品売場以外は苦手です。それでも伯母に似ていて上京したら用はなくても新宿の伊勢丹に寄ります。もっとも伯母に言わせれば「伊勢丹なんか……」でしょうが。
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