フランス南部の町ペルピニャンから少し山に入ったところに、アメリ・レ・バンという温泉保養地があります。その村には日本風のお墓があり建立から140年もの長い歳月を経てなお地元の人々の手によってていねいに守られています。
墓の主は野村小三郎(1855-1876)という岡山出身の陸軍の留学生です。小三郎は明治維新期の1870年、大阪の陸軍兵学寮からフランスに留学した10人の学生の一人でしたがパリで結核にかかり日本に帰ることなくわずか21歳で客死しました。
日本でも小三郎の存在を知る人は最近までほとんどいなかったのですが、2009年に出生地である岡山の郷土研究者たちと現地の人々とのあいだで「友の会」が結成されました。それ以後ブテさんというフランス側代表の方が2,3度岡山を訪ねてこられました。
今年もブテさん御一行様が2週間の予定で訪日され、連休最後の日に後楽園内で歓迎会を催しました。園内の茶畑のそばに“新殿”という東屋がありそこを借り切っての園遊会です。日本側の日笠会長先生は会をアカデミックで権威あるスタイルにしたいと望んでおられるようなのですが、園遊会に集まった人々は色々。フランス人4名を囲んで抹茶をふるまって下さったご婦人グループ、私の中学校時代の幼なじみの“女の子”たち、岡山大学の先生、取材に来た新聞社の記者などなどでした。
特に自己紹介や式辞とかの堅苦しいことはいっさいなく、肝心の会長先生が大幅に遅れて到着するハプニングもありとてもなごやかで居心地のいい日仏交流会になりました。
私の隣に座っていたアランというおじさんはペルピニャンで不動産屋をやっている陽気な方でした。そこへ向こうの方の席に座っていた幼なじみのみっちゃんがお茶を注ぎにやってきました。
私はみっちゃんをアランに紹介してこう言いました。「中学生時代、14歳の彼女がいかに美しかったことか!」と。アランは間髪入れず言いました。「それは去年のことに違いない!」還暦をとうに過ぎた我々には過分なお言葉ですが、心の中だけは14,5歳のままです。
美しい初夏の午後、野村小三郎を通して遙かな異国の人間が遙かな歳月を超えて悠久の庭園で集うことができました。メルシー・ボークー。
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