子どものころからスポーツ音痴だった私は小学校から大学まで体育の科目に悩まされ続けました。とりわけ球技が大嫌い。それが今や深夜テニスやサッカーの中継を見て喜んでいるのですから不思議なものです。
高校は何とか卒業して大学生になって事態はより深刻になりました。当時体育は必修科目で2年間実技をやらないと卒業できなかったのです。一般教養科目は代返や試験のときだけ出席すれば何とかなったのですが実技科目はそうはいきません。
マンモス大学のW大では体育は体育局という組織が全学部の学生を対象とした実技科目を提供していて、テニス、サッカー、水泳はもとよりゴルフ、スキー、スケート、登山、トレッキング等あらゆるジャンルのスポーツが選択可能でした。
スキーやスケートは冬1週間ほどの合宿に参加するだけで単位がもらえるので人気がありましたが、応募者が多いので抽選です。水泳は当時の大学では珍しく温水プールがあって、そのちょっとハイソ(死語?)なプールサイドの様子は村上春樹原作の映画「ノルウェイの森」によく描かれています。
さて、くじ運のない私はスキー合宿やトレッキングなど楽しそうな科目はことごとく外れ、1年目はサッカーを選びました。初めての授業の日、郊外にあるサッカー場まで電車に乗って出かけました。教師は50人ぐらいの学生に向かって「だれとでもいいから11人のチームを作れ!」と号令をかけました。
するともともと高校時代にサッカーで活躍していたセミプロのような連中はササッとまとまり、私のようなひ弱なドシロウトたちはモヤシのようなチームを作るしかありません。セミプロチームにもてあそばれた私は2度とグランドに立つことはありませんでした。
翌年はそれでもバレーボールを1年間いやいやながらやりました。でもまだ単位が足りません。3年目にはテニスを選択したのですが、もはや自分でやる気は全然なく、アルバイトで知り合ったR大学の友人に最初の授業の日に学生証とテニスウェアを渡し、以後1年間代理出席して単位を取ってもらいました。
50年も前の話なので時効だと信じます。もし時効などなくて、卒業を取り消されてもまったくどうでもいいことですが……。(続く)
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