2017年2月7日火曜日

初めてのベトナム旅行

 1月終わりから2月始めにかけての数日をベトナム南部の大都市ホーチミン市で過ごしました。もとのサイゴンです。かつてフランスの植民地として栄えた面影はオペラハウスや威風堂々としたホテルなどの建造物に残っていましたが、かつて公用語として使用されたフランス語は完全に消滅し、英語に置き換わっていました。商店や飲食店でも英語がよく通じます。かつてベトナム戦争で地獄の苦しみを味わわされたベトナムの人々ですが、マクドナルドやスタバだけでなくアメリカ資本を取り込み空前の繁栄を誇っているように見受けられました。大統領がねちねちと“千年恨みます”などと70年前のことにしがみつき、呪詛の言葉を周囲にまき散らしながら自ら崩壊の道をたどっているどこかの国とは大違いです。
 4日間の滞在中そんな活気あふれるホーチミンを楽しんだかというと、出発前から体調をくずしていたのがますますひどくなり、ほとんどの時間をホテルのベッドの中で過ごしていました。そもそも関空10時半発の飛行機に乗るために岡山の地元駅を朝6時前に出発しなければなりませんでした。早朝の新幹線に寝坊して乗り遅れないように徹夜で過ごしたうえに、飛行機の中でビールとワインを立て続けに飲んだのが悪かったようです。
 トイレで戻そうと思ったのですが何も出てきません。機内で失神でもしたら大変なので4席空いた場所で横になって耐えていました。機内は日よけが全部閉じられてもともとうす暗かったのですが、ときおり漆黒の闇につつまれている気がしました。たぶん横になったまま何度か失神を繰り返していたのだと思います。それでもホーチミンに到着するころには気分も落ち着いてきて、ホテルにチェックインすると同時にベッドにもぐりこみました。時間はまだお昼を過ぎたころでした。同行のK君(昔の職場の後輩君)はホーチミンにかつて一度来たことがあるらしく、すぐに観光に出かけました。
 翌日もホテルで過ごし、3日目になってようやく今回の旅の目的である「愛人 ラマン」の舞台になった高校を見にK君と出かけました(K君は前日すでに下見していた)。歩いていると空気が肌にまとわりついてきます。30分ほど歩いてやっと高校があるところに到着したのですが喫茶店でダウン。アイスティーを飲み終えて、私はホテルに帰ることにしました。ふらふらになりながら30分かけてホテルへ。タクシーはあるのですが、どういう性分か日本でも外国でもタクシーに乗るのはきらいなのです。
 同じインドシナにあるバンコクに比べるとホーチミンの方がはるかに町がきれいなのですが、私には猥雑なバンコクの町の方が合うような印象でした。積極的にまた来てみようという感じにはなれませんでした。
 結局、4日間何もしないで帰国したのですが、つくづく体力が落ちたことを痛感しました。このままでは健康な老後は送れない、健康を取り戻せるかどうか、まだ何とか病気ではない今がラストチャンスです。少しずつでも運動をし、体重を落とし、身の周りを片づけようと思います。
 

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