2017年4月27日木曜日

にわか観光ボランティア


4月は桜を求めてあちこちよく出歩きました。家で一人ぽつんと行く春を眺め暮らすのは精神衛生上よくないという危機感があったからです。旅に出れば何かしら新しい出会いや発見があるものですね。鳥取県の倉吉市を皮切りに京都と大阪に2回、愛媛県松山市と道後温泉、そして岡山の後楽園と忙しく動きました。
松山では日が暮れてから道後温泉に出かけてみました。道後には今までも数回行ったことがありますが、あの有名な道後温泉本館の中に入ったのは今回が初めてでした。浴槽は思っていたより狭くその上深いのでゆっくりのんびりくつろぐのはちょっと無理という感じでした。
一度は入浴体験すべき、しかし二度はけっこうと言ったら道後の人に叱られるかもしれません。入浴中の地元のお年寄りが観光客をつかまえて説教しているのを聞くと、「この湯に朝晩浸かればどんなガンも自然と治る」そうですから。
早々と温泉から出てラーメン屋に入ったらカウンター席に白人の2人連れが座っていました。2人はフランス語で会話していたので、勇気を出して「フランスから来られたのですか?」と声をかけてみました。フランス人ではなくベルギー人夫妻で、レンタカーで西日本各地を回っているとのことです。山陰を観光したあと岡山に行くというので、私が後楽園をご案内する約束をしました。
そして4,5日後、岡山では桜もほぼ終わってしまったのですがベルギー人夫妻と再会し、いっしょに後楽園を見て回りました。2人はこの庭園が江戸時代に造られた大名庭園であることなど日本の歴史や風土についてある程度勉強したうえでの来日であることが感じられました。
こうして、いわば押し掛けボランティア観光ガイドをして感じたことは、日本は今、有史以来最高に世界中の人々から注目されているという事実です。確かに日本は訪れるだけの価値がある国であることは、このベルギー人夫妻のようにじっくり日本を見て回っている観光客の熱の入れ方からも感じられます。

今まで日本の伝統、歴史、文化は主として日本人によってつくられ、守られ、研究されてきたのですが、今後はいろんな分野で外国人が大きな役割を果たす時代に入ってきたという気がします。ちょうど相撲という日本の伝統文化が外国人力士に支えられているように。

首の捻挫と心理テスト

桜が終わると同時にむせかえるような新緑の季節です。
どこまでも美しい中国地方の山中をドライブしようと思っていたら前の日曜日の朝、首筋に猛烈な痛みがありドライブどころではなくなりました。首が回らないとはこのことです。湿布と痛み止め(ロキソニン有効期限2008年11月)で治るだろうと思っていたのですが、がまんできず病院のペインクリニックを受診しました。
受診に先立ち、受付の若い女性が何やら紙切れをもってきて私の横に座り、「この調査は少々複雑なので一問ずつ私が説明しますので当てはまるところに○をつけて下さい」とのことでした。
1.最近よく眠れますか?
2.自分は世の中の役に立っていると思いますか?
3.将来に希望を感じますか?
9.食欲はありますか?
などと続き、質問は次第に微妙に。
ついに、
「○欲はありますか?」というのが出てきました。
事務の若い女の子が隣で見ているのでどこに○をつけていいのか迷っていたら、彼女曰く「ないのなら”ない”と書いて下さっていいですよ」と誘導してきます。私は右端に○を付けたかったのに、彼女の助言に従って左端に○を付けました。(1.ない 2.ほとんどない・・5.おおいにある)
首が痛くて病院に来ているのに何でこんなことになるのでしょう?診療費の嵩上げ以外理由は見当たりません!

"眠れません、世の中真っ暗で希望はもてません、友人は1人もいません、食欲も○欲もありません、、、"などと答えたら廃用性人格障害かうつ病とでも診断されるのでしょうか。ともかく、医師は「心理テストは問題ありません」と言い、ロキソニンと湿布を処方してくれました。何のことはない自分で手当した内容と同じでした。筋肉痛など様子を見ていればそのうち治ることは分かっていてももともと臆病な性格なのですぐ病院に行ってはいつも不満をかかえて帰っています。

2017年4月12日水曜日

ひとりきりの春に母を思う

 今年の桜は例年になく豪華でしかも長く咲いているような気がします。思えば昨年の今ごろはまだ母が存命で、私は介護のために精神的な余裕を失い、花などゆっくり見ている気分ではありませんでした。
 母は60代半ばごろからうつ病を発症したのですが、何とか病気を克服しようと、自分を鼓舞して専門の病院に通っていました。かつて古京町(岡山市中区)にあった県の精神保健福祉センターからの帰り道、母は旭川に架かる相生橋の上で立ち止まり、“いっそここで身を投げよう”と思うのが常だったと私に語ったことがあります。
「でも私が自殺したら、孫に縁談が持ち上がったとき、おばあさんが自殺したとなると縁談話の妨げになるからと思いとどまった」そうです。孫に対する愛情に満ち、どんな時でも感情的にならず生涯理性を貫き通した母らしい話です。
うつ病がやや収まってきたころ、突然全身が硬直し、麻痺してしまう病気になり神経内科がある病院に入院しました。ちょうど冷夏で米が収穫できず米不足騒動があった年です(1993)。私は週末毎に大阪から車で岡山に帰り、入院中の母を見舞い、家で一人で過ごしていた父の用事を片づけたりしていました。母の入院は半年も続き、リハビリに取り組んだ結果何とかまた歩くことができるようになりました。
退院後も神経内科の先生にはすがるような思いで老いと病の相談をしていたようです。あるとき母が「先生、私はいったい毎日何をして生きていけばいいのでしょう?」と尋ねたそうです。医師の返事は母の怒りを買いました。「庭の草取りでもしながら、静かにお迎えが来るのを待ちなさい、と私に言うのよ」。
母はうつ病や原因不明の病気になってもなお明日を信じて生き甲斐のある生活ができることを望んでいたのです。そのための具体的なアドバイスを求めていた母にとって医師の言葉は大きな打撃になりました。その後もパーキンソン病、認知証を併発し、母はそれらの病にあらがうこともままならないうちに昨年の夏の終わり、97歳の大往生をとげました。

生きる意味を問うた母に次々と襲いかかる病は過酷な答えしかもたらさなかったのですが、母はひるむことなく虚無に勇敢に立ち向かいました。そんな母をあっぱれと思います。

旧友と京都観光

 このごろ年齢とともに体のあちこちにガタが出てきたせいもあって「自分の足で歩けるうちに動いておこう」というあせりにも似た衝動でつき動かされることが多くなりました。「今年花見をしたからと言って来年もあるかどうかは分からない」なんてことは若いころはまったく考えもしませんでした。
 そんなおり沖縄に住んでいる友人K君が本土の桜を見たいので岡山に行ってもいいとメールをよこしてきました。それならいっそ京都で花見をしようと逆に提案し、1泊2日の花見旅行が実現しました。今年は全国的に桜の開花が遅れ、京都も例外ではありませんでしたが、空前の外国人観光ブームに沸き立つ京のみやこは着物姿の外国人で春らしく華やいだ活気に満ちていました。
 K君は大学教授兼弁護士をしているのですが、視線は常にアジア、アフリカの発展途上国に向けられていて、若いころから今日に至るまで貧しい辺境の国々に出かけてはフィールドワークに精出しているだけあって、気取ったプチブル的なものは本質的にきらいな性格。それに引きかえ、私は伝統と格式に支えられたブルジョワ的、こけおどし的なものがきらいではありません。そういう意味では京都はスノッブな私の趣味にけっこうよく合った町なのです。
 平安神宮にほど近い閑静な場所にあるホテルにチェックインした後、夕食を求めてK君と出かけました。ところが広大な公園や神社にはばまれてなかなか食事処が見つかりません。やっと店らしい灯りを見つけてそばまで行ってみたら何やら高そうな料亭。昼間歩き疲れてヒザにきていた私は「たまにはこういう店はどう?」と打診するも即座に却下。
 ついに大通りにたどりついたところに、京大も近いせいか学生向きの食堂がありました。学生らしい若者3人がアジの開き定食を食べていたので我々もそれにしました。安くておいしい! K君も大満足。でも私はどこか物足りない。春爛漫の京都でアジの干物定食は味気ない。

 翌日の昼は、天明元年創業の鯖寿司「いづう」に行きました。私は満足。だまって食べていたK君の感想は聞かなくても想像できます。食べ物は怖いです。往年の友情、久しぶりの再会もこうしてすきま風が吹き始め、いづうを出た時点で花見は余韻もないまま突然終了しました。

DIY(Do It Yourself)パンク修理

 健康のためにあちこち自転車で出かることが多くなりました。住み慣れた町も違った魅力をときおり見せてくれます。こんなところに中世の碑があった! 意外なところに話題の喫茶店があった!などの発見も多いうえ、体のためにいいことをしているという満足感もあります。
 ある日、いつものように自転車を軒先から引っぱり出したときのことです。前輪がパンクしていて一気に憂鬱になりました。自転車屋まで押して行くとリムやチューブがダメージを受けると言うし、だからと言ってわざわざパンク修理のためだけに自転車屋さんにトラックで取りにきてもらうのも何だか気が引けます。
 そこで思い立ったのがパンク修理にチャレンジしてみることでした。とりあえずホームセンターで修理キットを買ってきましたが、内心いかにもハードルが高そうで本当に自分にできるのだろうかと不安に。そこでYouTubeに修理方法が投稿されていないかチェックしてみたらいっぱい動画が出てきました。どなたの動画も懇切丁寧に手順やコツを分かりやすく解説してくれています。
 タイヤから引き出したゴムチューブに少し空気を入れてバケツの水につけ気泡がブクブク出ている箇所を見つけたときは思わず心が躍りました。子どものころ自転車屋のおっちゃんがやっているのを横で見ていたころの光景そのままです。
 子どもには魔法のように思えていたパンク修理もちょっと手順やコツを指南してもらえれば小学校高学年ぐらいの子どもでもすぐやれるようになると思います。でもまあ学校の児童や生徒は勉強やクラブ活動が忙しいので、餅は餅屋、つまり本職にまかせることは健全な分業社会のあるべき姿かもしれません。
 むしろ我々老年期に達し、認知症予防をしなければやばいという世代の閑人こそが、脳に刺激を与え活性化する目的も兼ねて、今まで業者におまかせしていたものを自分で修理し、未知のことにチャレンジするのはとてもいいことだと思います。ただし体力の限界範囲内で。

 実際、築70年の実家は庭木が2階の屋根にぶつかっています。これもDIYでやってみたいのですが体重100キロの私が梯子から落ちたらこの先数十年は村の人の同情を装った嘲笑を浴びるでしょう。やはり専門家に任せるのが無難なようです。

ワケギのぬた

 ワケギの酢味噌和えなど今どきの子どもたちは喜んで食べるのでしょうか。若い世代の家庭の食卓ではめったにお目にかかることはないでしょうし、むしろ料理屋の突き出しくらいでしか人の目に触れない一品だと想像します。
 ワケギはお隣の広島県・尾道市が有名な産地ですが、どこでもよく育つ家庭菜園向きの野菜です。9月ごろ球根を植えるとすぐ芽を出して生育を始め、2ヶ月ぐらいで食べられる大きさになり、ネギの代用にもなります。そのまま冬を越させ早春2月ごろ再び生育を始めたものを畑から株ごと引き抜いてきて料理します。
 私は子どものころ、母が作ってくれるワケギのぬたが大好きでした。畑から取ってきたワケギを“しょうやく”(下準備)して、1分ほど熱湯に浸けたらすぐ冷水に取り、水気を切って酢味噌で和えます。主役はワケギですが、そこに季節の魚介類を合わせることによって食味のバリエーションを楽しみます。
岡山ではばら寿司でも必須の食材であるモガイを甘辛く煮たものをワケギのぬたにもよく加えます。ちなみに現在ではモガイと言っていますが、正確に言えば昔は「ハイガイ」と呼んでいました。どうやらモガイとハイガイは別種の貝のようです。ハイガイを正調岡山方言で発音すると「ヘーゲー」となります。
 たまに食べるとしみじみおいしいワケギですが、困ったことに収穫の期間が1ヶ月間くらいしかありません。かといってぬたばかり毎日食べることもできないので、今年は旬の今の時期に大量にぬたを作って冷凍保存することにしました。
 モガイ、マテガイ、マグロの赤身、しらす、油揚げなどと組み合わせたものを200グラムずつ冷凍パックに詰めて冷凍室へ。そうでなくても狭い冷凍室が20袋ものワケギのぬたでいっぱいになりました。
 しかしながらこれらの冷凍保存されたぬたを実際に他の季節に食べることになるかどうか自分でも怪しい予感がします。ほかの多くの自家製保存食同様、冷蔵庫の肥やしになりそのうち冷凍庫の食材は氷河に閉じこめられたミイラと化す恐れ大です。

 そもそもぬたを冷凍庫に入れるためにミイラたちを一掃したのですが、3年前の食材などもありました。そうならないように冷凍ぬたは早いうちにがんばって食べようと思います。