このごろ年齢とともに体のあちこちにガタが出てきたせいもあって「自分の足で歩けるうちに動いておこう」というあせりにも似た衝動でつき動かされることが多くなりました。「今年花見をしたからと言って来年もあるかどうかは分からない」なんてことは若いころはまったく考えもしませんでした。
そんなおり沖縄に住んでいる友人K君が本土の桜を見たいので岡山に行ってもいいとメールをよこしてきました。それならいっそ京都で花見をしようと逆に提案し、1泊2日の花見旅行が実現しました。今年は全国的に桜の開花が遅れ、京都も例外ではありませんでしたが、空前の外国人観光ブームに沸き立つ京のみやこは着物姿の外国人で春らしく華やいだ活気に満ちていました。
K君は大学教授兼弁護士をしているのですが、視線は常にアジア、アフリカの発展途上国に向けられていて、若いころから今日に至るまで貧しい辺境の国々に出かけてはフィールドワークに精出しているだけあって、気取ったプチブル的なものは本質的にきらいな性格。それに引きかえ、私は伝統と格式に支えられたブルジョワ的、こけおどし的なものがきらいではありません。そういう意味では京都はスノッブな私の趣味にけっこうよく合った町なのです。
平安神宮にほど近い閑静な場所にあるホテルにチェックインした後、夕食を求めてK君と出かけました。ところが広大な公園や神社にはばまれてなかなか食事処が見つかりません。やっと店らしい灯りを見つけてそばまで行ってみたら何やら高そうな料亭。昼間歩き疲れてヒザにきていた私は「たまにはこういう店はどう?」と打診するも即座に却下。
ついに大通りにたどりついたところに、京大も近いせいか学生向きの食堂がありました。学生らしい若者3人がアジの開き定食を食べていたので我々もそれにしました。安くておいしい! K君も大満足。でも私はどこか物足りない。春爛漫の京都でアジの干物定食は味気ない。
翌日の昼は、天明元年創業の鯖寿司「いづう」に行きました。私は満足。だまって食べていたK君の感想は聞かなくても想像できます。食べ物は怖いです。往年の友情、久しぶりの再会もこうしてすきま風が吹き始め、いづうを出た時点で花見は余韻もないまま突然終了しました。
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