2018年6月27日水曜日

ワールドカップ対セネガル戦を見て

ワールドカップH組はポーランド、コロンビア、セネガル、日本の4カ国で戦われていますが、対ポーランド戦を残して日本はセネガルとともにトップの位置にいます。対コロンビア戦では試合開始早々相手選手1名がレッドカードで退場し、ある意味ラッキーだった面があります。
しかしアフリカ第2のサッカー強国セネガル相手では勝ち目はないだろう……、小心者の私は、試合の様子を直視できませんでした。ふとんの中から、ときどき起きてはテレビをつけてがっかりしたり安心したり。
結果は22のドロー、勝ち点1を獲得するという大波乱(?)でした。これを機にあらためてアフリカ諸国の中でもあまりなじみのないセネガルを地図帳で見てみました。首都はダカール(北緯15度、西経17度)、人口1435万人、面積約20万平方キロメートル、主要言語フランス語、宗教イスラム教ということです。
アフリカ大陸の最西端の亜熱帯にある、面積人口とも日本より小さい国であることが分かりました。テレビでセネガルの日常風景を見ましたが、砂ぼこりの舞うなか男の子たちが元気に走り回り、サッカーに打ち興じていました。どこにでもある典型的なアフリカのイメージです。それにしてもテレビカメラに撮られる子ども達の目の輝きのきれいなこと!白人やアジアの子どもたちも生き生きとした表情をしていますがセネガルの子ども達にはかないません。
セネガルはかつてフランスの植民地だったので今でも公用語はフランス語だそうで、しかも聞いてみるとみんななまりのないとてもきれいなフランス語をしゃべっています。なんだか一度は旅してみたい国だと思いました。
それにしてもアフリカは遠い。私は20代のころアルジェリアに半年あまり滞在したことはあるのですが、アルジェリアは地中海をはさんでスペインの対岸にあり気分的にもヨーロッパのすぐ近くにいる感じでした。しかし本当のアフリカはサハラより南に存在するような気がし、いつの日か中央アフリカ、南アフリカからマダガスカル等一度は自分の目で見てみたい地域のひとつです。

侍ジャパンの次の相手はポーランド。ポーランドは激動の20世紀を戦乱と貧困のなかで過ごした悲劇の国。それゆえ不屈の精神ではヨーロッパ最強の手強い相手だと思います。

梅雨の食卓

今年は梅雨らしい雨の日が続いています。夏至の今の時期、もし梅雨が存在せず晴天続きなら大地はカラカラに乾燥し、山は禿げ、飲み水にも窮し、草原や林では枯れ木や枯れ草に火がつき、お米の栽培など論外です。梅雨のうっとうしさをなげくのがお決まりの日本ですが、夏は多くの国は雨が降らず過酷なシーズンを意味します。
アフリカ北部、中東、中国北西部など北緯30度から40度付近は気流の関係で乾燥地帯が多いのですが、インドからインドシナ半島、中国南部を経て日本にまで到達するモンスーン(季節風)のおかげで梅雨が発生し、日本もその恩恵にあずかっています。
やさしい雨が降る中植えられたばかりの稲の苗が日々色を濃くしていくのを見ていると本当に恵まれた国に生まれたものだと感動します。我が家の庭でも庭木や雑草がジャングルのように生い茂り、カタツムリ、アマガエル、ツチガエル、カミキリ、アゲハ、ミミズ、ヤモリなどいったい何種類の小動物が我が家で暮らしているのか見当もたちません。
直接的な害がない限り、家が植物や動物で占拠されていても私は大目にみています。先日、ミミズかと勘違いするほど小さなヘビがカエルを飲み込もうと格闘していました。食うか食われるか、それがすべての生物連鎖の世界に人間が感傷的な気持ちから介入するのはよくないことですが、平和主義者の私は「とりあえず、私の目の前でそんな争いをするのは止めて」と言ってヘビの子を1メートルほど先の茂みに放り投げました。
家庭菜園ではトマト、ナス、ピーマン、キュウリが成り始め、一人暮らしでは食べきれない毎日です。医師からは食事の塩分を極力減らすよう言われていますが、今の時期ぬか漬けのキュウリやナスに鰹節を乗せてしょう油をさっとかけたおかずほど美味なものは他にありません。

ぬか床もユニークです。冬場タクアンを漬けた樽の中に残った糠を捨てようと思ったのですが、ちょっとなめてみたらこれが実においしい!それをカメに入れて今度はぬか床に活用しているというわけです。こんなことをしている人は日本で私ひとりではないかと思います。ぬか漬けのナスとフライパンで焼いた厚揚げ。きょうの昼食はこれで決まりです。

2018年6月16日土曜日

ビュールレコレクション展

土曜日、福岡県大宰府で開催中のビュールレコレクション印象派展を見にいきました。日帰りです。説明文によるとチューリヒにあるビュールレコレクションは今後チューリヒ美術館に移管のうえ展示されることになるそうで、美術館の増築が終わるまでの今の時期に国外に貸し出しているそうです。セザンヌが6点もあり感激でした。


2018年6月14日木曜日

カナダからの親戚、京都観光案内(3)

カナダの親戚たちは主にアルバータ州カルガリーおよびカルガリーの南、アメリカ国境近くにあるレスブリッジに集まって住んでいます。湿潤温暖なバンクーバーあたりと異なりカルガリーは乾燥地帯に位置し雨がほとんど降りません。そんな地域からやってきたいとこたちにとって日本の雨は初体験だったようです。
3日間の京都観光を終え次の観光地、大阪へ電車で移動したのですが、この日はあいにく小雨が降っていました。JR環状線の大阪城公園駅からホテルまで、雨の中大きなスーツケースを何個もゴロゴロ引っ張りながらの移動で、ガイド役の私は申し訳ない気持ちでしたが、彼らは雨に濡れながらもなんだか楽しそう。
チェックインしたあとホテルで傘を借りて大阪城公園の散策に出かけました。Lets go! 私は傘をさして歩き始めたのにご一行様がついてきません。不思議に思って引き返してみると彼らは「傘の使い方が分からない」と傘を広げるのに四苦八苦しているのです。「いや、そのボタンを押して……」とまるで我が子を幼稚園に送り出す親のような光景が展開するとは夢にも思っていませんでした。
-「でもカナダでもたまには雨が降るでしょう?」
-「雨が降っても車でしか移動しないので傘なんか生まれてこの方使ったことがない」
私はおかしさがこみ上げてきて大笑いでした。日本では小学校に上がっても傘ひとつ満足に使えなかったらバカにされるかもしれないけれど、そんなことどうでもいい、100人の人がいれば100通りの個性があるし100通りの考え方がある、それをお互い認めることが大切であって、日本人のように他人の箸の上げ下ろしにまでケチをつけるような態度はよろしくない、と反省しました。

京都、大阪、奈良、姫路と名所旧跡をいっしょに見物し、岡山・倉敷では親戚の家を私の運転でご案内しました。お互い高齢化してきているので、今回の再会が永久のお別れになるケースが多いでしょう。それでもカナダの人たちは感傷的になることなく、明るくハッピーに神戸港から那覇、石垣、台湾へのクルーズに出発していきました。私はアテンドの疲れがどっと出て、しばらくは放心状態でした。(終わり)

カナダからの親戚、京都観光案内(2)

清水寺を参拝したあと、観光客でごった返す三年坂、二年坂を下りました。祇園か四条河原町まで歩いてそこでお昼ご飯にしようとみんなの了解を取っていたのですが、いとこ達は「孫におみやげを買うから」などと言ってはチマチマした雑貨であふれるおみやげ屋に吸い込まれていきます。早くもヒザが痛み始めた私は腹も減ってきたので「もうこの辺りで昼ご飯を食べてしまおう」と提案し早めの昼食になりました。
カナダからの4人のなかでひとりは海鮮素材がダメ、もうひとりは玉子がダメでこうなるとなかなか店選びに気をつかいます。さいわい三年坂に湯豆腐屋があり座敷に上がりました。驚いたことにいとこたちは正座ができました。逆に私はヒザ関節が痛むので体を斜めに投げ出す始末です。でも場所柄この辺りの店は観光客相手で商売しているだけあって、お客がどんな格好で座ろうが無視してくれます。
ゆっくり湯豆腐を食べたあとも相変わらずおみやげ屋に寄りながら坂を下っていたら、いとこのブルースが「トイレはどこ? かなり急いでいるんだけど……」と言い出しました。こんなときこそ観光ガイドの腕の見せどころです。すぐに小ぎれいなトイレを見つけてあげたら大変感謝されました。それにしてもなぜ急にトイレなのか、夜になって大腸の難病で苦労している友人に電話をかけて、その話をしたら「豆腐はやばいよ」と教えてくれました。人によっては豆腐は便秘解消にもってこいの食材だとか。
それにしても外国人が日本に来て異口同音に感嘆するのがトイレです。駅の公衆トイレもほぼ100%温水洗浄装置がついているし、ペーパーも完備しています。日本のトイレがこんなにきれいになったのはそう遠い昔ではなく、これは日本人が目標をもってがんばったいい例ではないでしょうか。今でも外国の街に滞在するときはホテルで用を足しておかないとあとで悲惨な目にあいます。

ただ、コーヒーブレークで立ち寄った喫茶店だけは例外で和式水洗トイレでした。4人のなかでただ一人白人のD.J.が「トイレの写真を撮った」と言って見せてくれましたが、これはヒザの悪い私には悪魔のトイレ。緊急事態で腰を落としたら最後、2度と立ち上がれません。(続く)

カナダからの親戚、京都観光案内(1)

久しぶりにカナダのいとこ達が来日しました。私も彼らとともに京都に3連泊し連日忙しくアテンドをしています。過度に密着してアテンドするのはお互い疲れるのでホテルは別にし、私は使い慣れたビジネスホテルに泊まり、彼らには京都駅の真上にあるデラックスかつ交通至便なホテルを用意しました。
観光初日は京都の北西エリアにある金閣寺、北野天満宮、嵐山、天龍寺に行きました。もっともりだくさんにあちこち見られると思いきや、総計5人で行動すると一人でささっと名所巡りをするようにはいきません。でも詰め込みはあまり意味がないと思いました。日本がほとんど初めての観光客にとってはどのお寺を見ても古びた同じような建物にしか見えないのではないでしょうか。
ともかく京都を強く印象づけるには金閣寺が一番。庭の池に燦然と輝く金閣こそ万事派手好きなアメリカ人や中国人をうならせるものがあるのに対し、渋い銀閣など見せても「何これ?この地味な安普請の建物の何がいいの?」となること請け合いです。
金閣寺は今や年中観光客であふれかえり、一方通行の順路に従いどんどん移動していかなくてはならず、立ち止まって三島由紀夫が描いた金閣寺の美にひそむ精神性、怖さといったものなどに思いを致すゆとりなどありません。でもそれはそれで何だか楽しい面もあります。
外国人についで多いのが修学旅行の中高生です。制服の刺繍を見ると東京や千葉といった関東方面の学校から来ている生徒が多いように思いました。いとこ達が生徒に英語で話しかけるとけっこう英語で答える子も多く、徐々に日本の国際化が進んできているようです。いとこたちも簡単な会話でも楽しげです。

2日目はこれまたこれぞ京都という清水の舞台に行きました。あいにく修理中で舞台もほとんど幕で覆われていたのですが、私が舞台のことを英語でステージと直訳したら、何のためのステージがこんなところにあるのか質問されて困りました。その質問は適当にごまかし、日本では「清水の舞台から飛び降りる」という言い回しがあることなど紹介。いとこたちはいっせいに「こんなところから飛び降りたら死んじゃうよ」ともっともな反応をしていました。(続く)

2018年6月7日木曜日

ひかりの蜜の垂るるつき

空いっぱいひかりの蜜の垂るるつき五月がこつりとひとを死なせる
(古関すまこ、フランス舞踏日記1977-2017より)

「空いっぱいひかりの蜜の垂るるつき」とはシスレーやピサロら印象派の画家がカンバスに残したセーヌ下流の実在する光景かもしれない。しかし同時にそこには深い象徴性を帯びた「ひかり」の本質が丸裸で呈示されている。「つき」とはmonth の意味か、あるいはmoon かもしれない。month なら真昼のしたたる光、moon なら満月の狂おしい黄金の光であろう。

別の言い方をすれば、ここではひとつの光景の中にふたつのリアリティーが描かれている。ひとつは印象派の画家達が発見した光がもたらす我々にも馴染みのあるリアリティー。もうひとつは「知覚の扉」でハクスレイが例えてみせた、バルブが開かれた状態でのみその本性が顕現するリアリティー、言わば本質そのものが剥き出しになったリアリティー。この異常事態を日常の言語で歌に詠んでしまったスマコの天才に私はたじろぐ。

いったんこんな光の存在に魅いられたら、無防備なひとは蜜がしたたる悦楽のなかでこつりと息絶えるほかない。

古関すまこさんの短歌

古関さんの著書「フランス舞踏日記」についてはxxさんがすばらしい読書感想文を書かれていました。なかなか難解な文体と内容を正確に読みとるのは困難ですが、繰り返し読んでいるうちに、文体の魅力に取り憑かれていくのを感じます。
210ページから212ページにかけて15首の短歌が「短歌日記」というタイトルのもとに掲載されています。

情緒豊かであり、(感傷的ではなく)、男性的(と言ったら怒られそうですが)、珠玉の名篇だと私には感じられました。本に掲載されたもののほかにきっと多くの短歌を作られているのではと思います。ぜひ歌集を出版してください。

ここに何首か引用してみます。

春から夏
・ブルターニュに横に降る雨夕暮れて人らクレープ焼けるを待ちをり
・空いっぱいひかりの蜜の垂るるつき五月がこつりとひとを死なせる

舞踏
・クレタにて七つ星あり白しろと波かしら寄る暗き海あり
・ボヘミアの野に満月を残し来ししづかに猫のみづを呑む音

Half
・地に生ふる根なくば爪をHalfとは二つの異境に立ち尽くすこと
・秋の日にパチンとつめ切るはさみの音 君は遠くの国を語れり

「大地をつかむ根がないのなら爪を立てよ」息子に対する母親の深い愛情と激励を感じます。

古関さん、対談のご案内

「舞踏を語る、舞踏から語る」 古関すまこ x すずき道剛
6月8日(金)夜7時から
岡山禁酒会館2階ホール
参加費 1000円

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(ついでに)

私の母も、私が学生時代に休学してアルジェリアに滞在していたとき、パリから送った絵はがきに対し、ボードレールの詩「旅のいざなひ」の一部を引用した手紙をくれたことがあります。

わが児(こ)、わが妹(いも)、
夢に見よ、かの
国に行き、ふたりして住む心地よさ。
長閑(のどか)に愛し、
愛して死なむ
君にさも似し かの国に。
                (L'Invitation au voyage 鈴木信太郎訳)
少女時代にポール・ヴァレリーやボードレールに心酔していた母は息子が「君にさも似しかの国」にいることを喜んでいたのではないかと思いました。(「かの国」がフランスなのかベルギーなのかよく分かりませんが)