2018年6月7日木曜日

ひかりの蜜の垂るるつき

空いっぱいひかりの蜜の垂るるつき五月がこつりとひとを死なせる
(古関すまこ、フランス舞踏日記1977-2017より)

「空いっぱいひかりの蜜の垂るるつき」とはシスレーやピサロら印象派の画家がカンバスに残したセーヌ下流の実在する光景かもしれない。しかし同時にそこには深い象徴性を帯びた「ひかり」の本質が丸裸で呈示されている。「つき」とはmonth の意味か、あるいはmoon かもしれない。month なら真昼のしたたる光、moon なら満月の狂おしい黄金の光であろう。

別の言い方をすれば、ここではひとつの光景の中にふたつのリアリティーが描かれている。ひとつは印象派の画家達が発見した光がもたらす我々にも馴染みのあるリアリティー。もうひとつは「知覚の扉」でハクスレイが例えてみせた、バルブが開かれた状態でのみその本性が顕現するリアリティー、言わば本質そのものが剥き出しになったリアリティー。この異常事態を日常の言語で歌に詠んでしまったスマコの天才に私はたじろぐ。

いったんこんな光の存在に魅いられたら、無防備なひとは蜜がしたたる悦楽のなかでこつりと息絶えるほかない。

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