2021年4月30日金曜日

中国、「反食品浪費法」制定

 中国国営メディアの報道によると、中国は全人代(国会)において、飲食店での大量の食べ残しや大食い動画の配信に対し罰則を設けて規制することを可決したそうです。このニュースに対して、日ごろ中国政府のすることなすことに手厳しい日本のネット民も諸手を挙げて賛同の意を表明しています。日本のテレビも大食い番組などやめてほしいものです。

 思い返せば、2005年ごろだったか友人と誘い合わせて初めて中国に行きました。古都の蘇州では有名な松鼠桂魚(しょうそうけいぎょ)をぜひ食べてみようということになり、ランチタイムもそろそろ終わりというころにある老舗レストランに入りました。

我々は二人ともそんなに大食ではなくメインの魚料理だけでいいと思ったのですが、単品というのも寂しいのでスープも注文しました。もうほとんどお客が帰ってしまったレストランで日本人が二人取り残されたように食事をするのですから10数人もいる従業員の視線が気になります。

しばらくしたらスープとリスのかっこうをした魚が登場してきました。魚料理は食べるところが案外少なく味もまあまあでしたが、問題はスープの方です。日本で酢豚ランチなんか注文したときについてくる小さなお碗ではなく、ラーメンどんぶりよりさらに大きな食器になみなみとスープが入っています。いくらがんばって熱々のスープを飲んでも水位はもとのまま。従業員たちは手持ちぶさたに「早く食べて帰ってくれないかな」と思っているような気がしてあせってもスープは減りません。

「どうしよう、これほとんど残すしかないなあ」と私が友人に言ったら、中国通の友人は「大丈夫、残したスープは厨房の大鍋に戻すだけだから」とのたまいます。友人の発言が事実だったとしたら、同じころ大阪の船場吉兆がやっていた食べ残し食品使い回し事件と同じですね。

何はともあれ、完食を美徳とする日本の食習慣はほんとうにすばらしい。しかし実相は寿司屋でも料亭でもステーキハウスでも「とてもおいしかったけどちょっと物足りないな」というぐらいの量しかもともと出てこないのですから完食できて当たり前。長い人生の大半は外食でしたが、給食を含め食べ残したことなど全然記憶にありません。これは幸せ? 不幸せ?

 

2021年4月11日日曜日

見尾の大カツラ

 


醍醐桜からそう遠くない勝山の山中にカツラの大木があるというので見に行きました。往年の名画「愛染かつら」のロケに使われたかつらの大木は長野県上田市別所の北向観音の境内にあるそうですが、カツラの巨木は日本海側の冷涼な谷川沿いに多いようです。

見尾のカツラも神木として祀られています。とはいえ、私には少々意地悪な木でした。写真を撮ったあと、次は葉桜になった醍醐桜を見ようと車を始動させようとしたら、プスンとエンスト。エンジンはかかるのに直ぐ停止。あせりました。こんな山の中までレスキューを呼んだら大事です。ほぼアウトと観念しつつまたやってみたらエンジンがかかりました!いつまたエンストするか分からない車を運転するのは本当に心細い。街道に出て最初のガソリンスタンドでバッテリーを点検してもらったら異常なしで、このまま帰り早めに点検に出したらどうか、ということでした。岡山道をヒヤヒヤしながら無事帰ってきました。
カツラの大木の前にあった祠に賽銭を入れなかった祟りですかねー?

愛染かつらの主題歌、「旅の夜風」を最晩年の父が深夜よく歌っていたのも今では懐かしい思い出になりました。当時は安眠を妨げられ「夜中の2時に何がほろほろ鳥じゃー」と怒りまくっていたものですが。

花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる途
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を独り行く
(西条八十作詞)

用水路の泥上げ

 私が住んでいる田舎の集落では、毎年4月最初の日曜日は地域内の側溝と用水路の大掃除をする日と決まっています。各家庭からひとりは参加しなければならないというのが習わしで、もし共同作業に出られないのなら3千円の罰金みたいなものを支払わなければなりません。

地域でやや浮いているなという自覚症状がある私は毎年この時期が近づくと「めんどくさいなあ」という気持ちになります。けれども「村の掟じゃあ」という声がどこからともなく聞こえてくるので、うっかりこの日を忘れて花見なんかに出かけるわけにはいきません。いろいろな疑問があるのですが、隣近所とのつきあい、しきたり、行事に関して「言挙げ」は最大のタブーです。いや言挙げがタブーなのは何も田舎の隣組だけの話ではありません。

コロナ対策・指導を取り仕切る総本山の厚労省においてさえ、課長が「飲み会やるぞー」と呼びかけたら、だれも「そんな非常識なことは止めましょう」との声を挙げず、課内20人以上のインテリ高級官僚が深夜まで居酒屋で大宴会にうち興じるのが日本という国のお国柄です。

話が脱線しましたが、私が感じる疑問は次のようなものです。(1)罰金の3千円を徴収する根拠とその使い道。(2)重労働であること。用水路からヘドロをすくい上げ、一輪車に乗せて集積所まで運び、さらにそれをスコップでダンプカーに積み込む一連の作業。これは若者にとってもきつい作業ですが、メンバーの中に若者なんて一人もいません。平均年齢75歳ぐらいの年寄りしか出てきません。もはや限界に近いと思うのですが、たぶん来年も再来年も同じことが繰り返されるでしょう。

とはいえ、下水道のないこの地域では我が家の生活排水もその用水路に流れていくので、体力が続く限り参加することはやぶさかではありません。おまけに今時こんな田舎でもふだん隣近所の人々と話をする機会はほとんどなく、年1回のどぶ掃除がお互いの安否情報を交換する唯一のチャンスです。ご近所の人々に「元気でやってますよ」とアピールしておくことも大切なことです。

和気藹々、2時間ほどでヘドロを片づけたら、ごほうびにペットボトル入りのお茶の配給があります。ムラ人としての義務を今年も立派に果たした証拠物件のお茶です。

醍醐桜見物にマイカー規制を

長年岡山県に住んでいながら、いままで一度も県北の真庭の山中にあるという醍醐桜を見に行ったことがありません。どんなところにどんな姿で樹齢千年のその大桜は立っているのかずっと気になっていました。ところがこの春ついに長年の夢を実現すべく、地元新聞に満開したとの記事が掲載された直後の月曜日、マイカーで出かけました。

北房インターを降り、案内標識に従って山の方へ向かっていくと、下諏訪神社のところに駐車場があり、係りの人が観光客の対応をしています。「ここから先、Uターンはできません」という看板が何か所かありました。しかし醍醐桜までまだ2キロメートルはあるとのことなので、少々の渋滞は覚悟の上で「ここから先」の一本道に突入してしまいました。あまりに軽率な判断でした。

すぐに延々続く渋滞が目に飛び込んできてにっちもさっちもいきません。5分ほど止まってはまた2~3メートル動くような状態がたっぷり2時間続きへとへと。途中で一瞬めまいのようなものを感じました。「このまま気分が悪くなって車を運転できなくなったらどうしよう? この状況から逃げ出す手段は全然ありません。絶望感のみ。トイレは途中1か所簡易トイレが道の端に設置されていますが、衆人環視のもと車から離れてトイレにいくのは勇気がいることです。「これなら下諏訪神社のところに車を止めて歩けばよかった」と悔やんでも後の祭り。

それでも遂に車窓から山のてっぺんにそびえ立つ醍醐桜の立ち姿が目に入ってきたときは感動しました。しかしもはや車を駐車場に停めて桜を見る気力は消え失せてしまって、一刻も早くこの状況から逃げ出したくなり、桜は見ないでそのまま帰りの一方通行の山道を下りました。

真庭市が今の方式を採用しているのにはそれなりの理由もあるのでしょう。しかしながら地元集落の人々の生活と安全、見物客のことを考えたら早急に花見シーズンには日中だけでもマイカー規制をして、マイクロバスやジャンボタクシーで観光客を運ぶ方式にしてもらいたいと強く願います。何事にも規制を受けるのは抵抗があるのは確かなのですが、私のように高をくくって進入してしまい失禁寸前の恐怖の体験をするよりはるかに楽しくゆっくり天下一の醍醐桜を楽しめると思います。




2021年4月5日月曜日

鷺が食事を待っています

 鯖寿司の老舗「いづう」に行く途中、白川沿いの料亭の勝手口に鷺がいました。時折ご馳走をもらえるのでしょう。いづうの鯖寿司はそれを食べるために京都まで出かける価値があると思わせるものがありますね。



渡月橋

 こんなに人が少ない渡月橋は初めてです。人力車のお兄さん方も暇そうでした。




仁和寺の御室桜

 3月31日、4月1日の1泊2日で大阪、京都旅行に出かけました。遅咲きで有名な仁和寺の御室桜も今年はかなり早く咲き始めていました。