2021年5月26日水曜日

新幹線運転士トイレ離席事件

 5月に起きた東海道新幹線ひかり号東京発新大阪行きの列車が熱海-三島間を走行中、運転士(36)が腹痛のため約3分間運転席を離れ、客車のトイレに行って用をたしたというニュースには笑えないものがありました。JR東海は社内規定違反として運転士と代わりに運転室に入った車掌を処分するとのことですが、穏便に済ませてほしいと思います。

 たしか国鉄時代の新幹線は常時2名の運転士が乗務していた記憶があります。当時の国鉄OBの思い出話を読むと、運転士は二人いるので、交代で食堂車でゆっくり食事を楽しんだとか。運転士には国鉄から食事代の半額補助があり、ビュッフェ東京のビーフシチュー、帝国ホテルのハンバーグ、日本食堂のシュウマイが運転士の間で人気があったそうです。そしてもうひとつの楽しみは四季折々の沿線の風景や各地で催される花火大会を運転席という特等席から見ることだったと記しています。

 ところが民営化にともなって運転士は1人体制になりました。1人と2人では全然違います。食事はおろか小用だって乗車勤務中は無理です。話相手もいなく、時速300キロメートルでめまぐるしく飛び去る風景を横目に見るだけの味気ない勤務ではないでしょうか。

 国土交通省によれば今回の事態のような場合は、指令の指示を仰ぎ、運転資格がある車掌が乗務していない場合は列車を停める、ということのようです。確かに原則は守るために存在しているのですが、果たして急にがまんならない便意に襲われるなかでそんな手順など踏んでいられるかと思います。3分から5分後、すぐ後を次の列車が迫って来るなかで臨時停車などしようものなら、ダイヤは乱れ大事になります。

 ハイテク新幹線、世界に誇る死亡事故ゼロの新幹線の走行はコンピュータで制御されているので本当は無人運転だって可能なはず。指令がモニター室の映像を見ながら自動運転するのと運転士が先頭車両の運転席に座っているのとどれだけの違いがあるのかと思います。

 どうしても運転士を置かないといけないのなら、運転席がボタン操作一つで洗浄機能付き自動トイレに早変わりする装置を導入したいもの。あれもダメ、これもダメなら規定通り列車を停めて心おきなく用を足してもらいたいものです。


老朽化が激しい国道の道路橋

国道2号線を車で走るときいつも恐怖を感じるポイントがあります。岡山市南区妹尾西交差点と古新田交差点の間にある低い丘陵は高尾(たこう)と呼ばれる地域ですが、2号線はその丘陵の切り通しを突っ切っています。問題の恐怖のポイントとはまさにその切り通しの上空に架かっている長大な道路橋のことです。

この道路橋は昭和40年ごろ国道2号線(通称バイパス)が開通したとき、もともと高尾山の中を通っていた細い林道を維持するために設置された鋼鉄製の構造物ですが、年々橋の土台や本体の錆が拡大し、もともとはベージュ色だった橋が今では全体的に真っ茶色になっています。

その下を通過するとき、とりわけ2号線バイパス名物の朝夕の大渋滞に引っかかって車が進まないとき、私はいつも「ある日突然大地震でも起きてあの巨大な道路橋がこちらに向かってワリワリ・ドッサーンと倒れて来たらもう最後、助かるすべはない」と妄想します。

実際この目で阪神大震災(1995)発生当日、倒壊した阪神高速道路を目の当たりにしたこともあるし、外国での道路橋の崩落映像を見たり、中央高速笹子トンネル天井板落下事件(2012)の痛ましい映像を見るにつけ、国やNEXCOがちゃんと管理しているはずの道路でも、いつ何時“想定外”の事故が起こりうることは想像に難くありません。まして日常的に私を悩ましている道路橋のひどい劣化とメンテナンス皆無の実体はだれの目にもはっきり分かることです。岡山国道事務所の職員の方々も日常的にあの橋の下を通っておられるはずで気づかない事案ではないと思います。

この歩道橋の近くに住んでいる私の実感ではもはやだれも使っておらず、場合によっては撤去という選択肢もあるのではないでしょうか。本当に考えてもらいたいものです。もし車が渋滞しているときに倒れてきたら死傷者は数十人を下らないし、長期間国道2号線が通行止めになり大惨事です。

とにかく私の不安と憂慮をこのようなコラムに書いて満足するのではなく、近々岡山国道事務所に連絡して、見解なり対策案をお伺いしてみようと思います。なかなか動かないようにみえる行政も、これまでの経験から言って、市民からの要望や提案に対しては案外前向きにしかも早急に取り組んでもらえるものです。


2021年5月12日水曜日

島根県海潮のカツラ

 島根県の山中にある海潮(うしお)カツラです。日原神社の境内にあるとのことでナビまかせで来たのですが、「目的地に着きました」と案内があるものの通り過ぎてしまいました。車を降りて探したらありました。あまりの巨大さで分からなかったのです。樹齢5000年と説明板に記されていました。


カツラの名木はどれにも共通していて孤立樹のような印象があります。付近にカツラの若木がまったくみあたりません。古代から人が神社に植えて大切に育ててきたのでしょう。

もう田植えが終わっています。





初夏の大山

 5月9日(日)1泊2日で松江までドライブに出かけました。雲の冠をいただいた大山。米子道大山PAにて。もう雪はありません。もう1枚は蒜山PAから見た黄砂にけぶる大山。





反骨の老女医U先生

 行きつけの喫茶店で幼なじみとよもやま話をするのがほぼお決まりの日課になってもう20年近い歳月が流れました。年寄りが集まれば体の不具合の披露合戦になるのが常、近くの病院や診療所の評判やうわさ話のオンパレードです。コロナ騒動以前のことですが、そんなおしゃべりの中で近場の診療所の女医U先生のことに話が及びました。もう80に近いお年だと思います。

「U先生はとても優しく親身になって診てくれるので子育ての間中ずっとお世話になりました」と友人の奥さんがおっしゃいます。続けて、「だけどU先生はどんな種類であれワクチンは打ってくれないので、さすがにこのごろはよその診療所に行くことにしているのよ」と。

この話を聞いて私は思わず笑ってしまいました。U先生とは直接の面識はないのですが、実はU先生が小学校6年生のとき私の父がクラス担任をしていて、夕食のときなどに「Uちゃんは本当に聡明な子だ」とよく話題にしていました。Uさんのお父さんは芸術家肌のちょっと変わった人でときおり我が家を訪ねてきては長居するのが子ども心に私の不満でした。お客様がいる間はじっとしているよう母に言われてもそこは子どものこと、私がちょっとはしゃいだりすると、Uおじさんの雷が落ちます。「畳の上をジタバタするねえ(ドタバタするな)、ほこりが立たあ!」と。

6年生のUさんは才女にふさわしく名門中学、高校へと進学し、地元の医大に行って女医になったことは私の父の自慢でもありました。その後はUさん一家との交流もないまま50年もの歳月が流れ、Uおじさん自らが設計した瀟洒なレンガ造りのご自宅も今は廃墟になったまま町中にたたずんでいます。私はU先生の診療所の存在は知ってはいるものの直接お目にかかったことはありません。

ところが5月10日から新型コロナウイルスワクチン接種の予約受付が岡山市でも高齢者を対象に始まり、久しぶりにU先生のことが思い出されました。ワクチンに懐疑的な姿勢を貫いてこられた先生の診療所は接種可能な医療機関のリストに載っているのかなと目を凝らしても見当たりません。反骨の老女医の意地が透けて見えます。私もワクチン予約フィーバーを横に見つつ、何も大急ぎでワクチン接種などしなくてもいいだろうとのんびり構えています。