2008年7月12日土曜日

地球最期の日

 洞爺湖サミットの期間中、テレビは繰り返し氷原を失った北極熊や崩落する氷河の映像を流していました。うち続く天変地異といい「誰でもよかった」殺人の流行といい、時代感覚はまさに終末思想そのものです。

 小学校の図書室で読んだ絵本の恐怖を今でもよく覚えています。何億年かの未来、太陽が年を取って巨大化し、地球上のすべてのものを焼き尽くしていくようすが描かれていました。

 焦熱地獄よりはるかに怖かったのは、近づいた太陽の引力によって自動車や人間が空中に舞い上がりやがて太陽に吸い込まれるイラスト。

 子供の私は、太陽の引力で体が浮きそうになったらすぐに校庭のプラタナスの大木にしがみつこう、地中深く根を張った木が一番頼りになるはず、などと対策を考えたものです。 でも少し後になって考えてみると、絵本のイラストも私の対策も誤っていることに気づきました。

 本当にそんな日が来たら、人や自動車どころか地球そのものが太陽に呑み込まれるので大木にしがみついたところで無意味。第一、人類が何億年後も存在していること自体ありえない・・・それなら何も心配することはないかというと今度は新たな恐怖に取り付かれてしまいました。

 遠い未来人類が滅亡したら、いったいだれがかつて地球に生命があったことを認識するのか、認識主体そのものがなくなることの恐怖!校庭のプラタナスに抱きついてもこの実存的恐怖からのがれることはできませんでした。

 それにしても人類最期の日はいったいいつなのか、仏教はずいぶん楽観的な数値を出しています。弥勒菩薩が下生(出現)するのは56億7千万年後だそうですが、そのころまで生命が存続しているとはとても思えません。

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