メメント・モリというラテン語の警句があります。「死を思え、人は必ず死ぬ存在であることを忘れるな」という意味ですが、古来より人はそんなことは分かっているが自分が死ぬことなど考えたくもない、自分だけは何とかして死から逃れたい、不老不死の薬が手に入るならたとえ地の果て海の果てでも探しに出かけたものです。
しかしそんな薬などこの世に存在しないことが明白になると人類は「あの世」を発明しました。多くの宗教は貧困、孤独、死別、病気など苦悩に満ちた現世に対し来世における輝かしい永遠の命と幸福を約束しています。
ところが世の中にはそんな約束などまったく信じない種類の人がいます。満93歳の父は人工透析を受けながらやっと生きている状態なのに「あと30年は生きる」と宣言し、身近に死の影が浸潤してくるのを断固拒否しています。
親不孝者の私はそんな父に死を思い起こさせるような嫌味ばっかり言っています。病院へ行く途中満開の桜を横目で見ながら「お父さん、『願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ』(西行、山家集)のような風雅な心境になりませんか?」などとからかってみると父はさっと顔を曇らせます。
世のお年寄りはある程度の年齢になると本心かどうかは分かりませんが「早くお迎えにきてほしい」などという言葉を家族の前で聞こえよがしにつぶやくものです。ところがわが父はそんなセリフは口が腐っても言いません。
とはいえ、父はせっかくの長寿を日々楽しんでいるようすもありません。週3回透析に行く以外家から出ようともしないし、最近ではテレビも飽きてきたらしく、食べることと寝ること以外これといったこともしないで暇をもてあましています。
例年、桜が満開になる4月と晩秋の紅葉のころには、私も息子としての義務のようなものにつき動かされて父を桜や紅葉の名所までドライブに誘っています。「お父さん、今日は天気もいいし花見に行こう!」と言ったら父はボソッとつぶやきました。「最後の花見か……」。
「お父さん、“最後の花見”とはまた急に弱気になったね」と心配になって声をかけたら「今年最後の花見という意味じゃ」と叱られました。
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