昔は学生と言えば二十歳前後の若者と相場が決まっていました。ところが日本も成熟社会になって生涯学習が定着し今ではどこの大学でも社会人や定年退職組学生が教室の前の席に陣取り年若い先生の講義を本職の学生より熱心に聞いています。
ただ私自身まだ若かったころ、かなりの年配の人たちがなぜまた大学なんかに出かけて勉強するのかピンときませんでした。「人生、他にすることはないのか?」などと冷ややかな目で見ていたものです。
ところが妙なことに自分自身還暦を過ぎて体力的にも頭脳的にも限界を感じ始めたころから、昔勉強し損ねたことをそのままにして死ぬのは心残り、という気がしてきてまだ思考力があるうちに難解な本を読んだり新しい外国語に取り組もうという気になってきました。老いと死が現実のものになってきたからでしょう。
しかし若いころ2回も大学に行った経験を振り返ってみて大学というところは実に効率の悪い教育機関であることが身にしみて分かっています。同じ過ちを3度犯すにはもう年を取り過ぎているので私なりにやり方を考えてみました。一番いいのはかつて齧っても歯が立たなかった本を読み返すこと。例えば、世界的に著名な言語哲学者、井筒俊彦先生の「意識と本質」(岩波文庫、1991)。
この本は単に難解なのではなく華麗に難解であることが最大の魅力で死ぬまで読んでも飽きないでしょう。こうした古典の名著のありがたいことは1冊読むことで同様のレベルの本を100冊読んだのと同じ効果があり大変時間の節約になります。
読書とならんで頭脳活性化に有用なのは超一流の人の話を聞くこと。最近、牛窓の喫茶店(てれやカフェ)で文芸学の権威で国語教育界の重鎮、西郷竹彦先生の石川啄木と宮沢賢治に関する連続講義(全8回)を聴講する機会に恵まれました。
当年91歳の西郷先生は最先端の文芸理論を駆使して、毎回3時間の長丁場を飽きさせることなく、啄木や賢治の作品にまったく新たな光を当てて現代に生き生きと甦らせます。
そこには“生涯学習”などという変に気取った言葉でくくられるようなうそっぽい真面目さなんか入り込む余地はありません。先生は生涯現役の学者にして言葉の魔法使いなんですね。次回は夏目漱石の奥処を見せてくれるとのことです。
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