私が滞在していた1971年ごろアルジェリアはフランスから独立してまだ10年にもならない時期でしたが治安は今よりはるかによく、現場でも宿舎でもおよそセキュリティに気を使うことはいっさいありませんでした。
アルズー精油所プロジェクトは日揮にとってアルジェリアでの最初の大型受注でした。重工業の伝統がまったくない国にいきなり水島のような巨大プラントを建設していくのですから苦労の連続です。
現地下請け業者が納期を守らないので工事に遅れが出る、すると発注側は工程遅れの違約金を日揮に要求するのですが、納期が遅れることは現地の労働者にとっては雇用が継続されることになるので歓迎すべきこと。何もかもがそんな調子で、ひたすら損をかぶっていたのが日揮で、結局このプロジェクトは会社にとっては大赤字だったようです。しかし日揮は約束を守って誠実にプロジェクトを完遂し、運転要員のトレーニングもきちんと行って引き渡しし、それ以後アルジェリアのプラント受注は日揮の独壇場になり、日揮自身業界最大手に育ちました。
アルジェリアはその後豊富な天然資源を生かして近代的な国に変貌していくのかと思っていたら1990年代になってイスラム原理主義によるテロが頻発するようになりますます荒れ果てた危険な国になってしまいました。それでも多くの日本人がアルジェリアで働いてきたのはアルジェリアの人々のお役に立ちたいという思いが気持ちの底にあったからに他なりません。
本社社員以外にも多くの人がいわばフリーランスの技術者として現場を支えていたのですが、ひとりひとりの方が人間として立派でしたね。他人に頼ることもなく不平不満をいうこともないすばらしい人々がなぜこんな最期を迎えなければならなかったのか、あまりにも不条理でむごい結末です。
(アルジェリアの路傍に咲くアイリス、iris alata)
(アルジェリアの路傍に咲くアイリス、iris alata)
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