中学2年の夏休み、現在、日銀岡山支店が建っている場所にあった日赤病院で副鼻腔炎の手術を受けました。上の唇をひっぺがす野蛮な手術の恐怖は半世紀経っても忘れられるものではありません。
手術を受けた日の深夜、私は病室で突然洗面器一杯ぐらいの大量の血を吐いてしまいました。鼻から出ていた血をすべて呑み込んでいたのです。病室の床は血の海と化し手もつけられない惨状でした。
付き添っていた母がおおあわてで看護師を呼んだり吐瀉物の後片付けをしていたら、中庭を挟んだ向かいの病棟の人が「主人が危篤で安静にしていないといけないのに、なにを夜中に灯りをつけて大騒ぎしているのか」と文句をつけてきました。
母はそのときの屈辱を生涯忘れたことはなく、いつも思い出しては怒っていました。「うちの子こそ大量の血を吐いて死にかけていたのに・・・」。 私自身は胃が空になったらすっきりして、気分もよくなったのですが、母には日赤病院そのものがトラウマになってしまったと同時に私にはますます甘い母親になりました。
2学期になって中間試験のあと父兄面談があって、母は担任から「息子さんにはもう少し本気で勉強に取り組むよう親御さんから指導してください」と言われたらしい。
母は、「お言葉ですが、息子は大病をやっと乗り越えた身、生きていてくれさえすればそれでいい、成績の善し悪しなど問題外です、と申し上げたら先生呆れていたわ」といかにも楽しそうに語ってきかせてくれました。
子供のころ成績がよかった兄には「東大以外、大学ではない」などとプレッシャーをかけていた母も私にはこうるさいことはいっさいなし。血の海と化した鼻の手術のおかげです。
2008年7月12日土曜日
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2 件のコメント:
私も鼻の手術を受けました。
私の場合は、万年鼻炎状態で鼻で呼吸ができないので、鼻の奥の骨を削る手術でした。
削られているその瞬間の音を今でも鮮明に覚えています。
全身麻酔ではなかったので、手術中にされていることが分かるのです。鼻の穴からノミみたいなものを入れられ、トンカチでガンガン叩いて骨を削られました。ガリガリ、ゴリゴリと体の内部から聞こえる聞いたこともない音でした。
全身麻酔にすれば良かったと後悔しました。
術後1週間は入院が必要でしたので、人生初の入院です。その時にNinelivesさんと同様にベッドを血の海にしました。
くしゃみと同時に鼻に溜まっていた血が一気にドバッと出てきたのです。あれだけの血を見せられると人間心から“死ぬ”と思ってしまいます。
鼻の手術は二度と受けません。
全身麻酔でもいっしょでは?
鼻の骨は頭蓋骨と一続きなので、脳に直接響きますね。私は最初のうちは寝ていたのにガンガンが始まって30分ぐらいで目が覚めました。痛くはなかったけど恐ろしい。恐ろしさを紛らわすために手術中の医師にあれこれおしゃべりしていました。くちびるをまつげのあたりまでめくられていても人間はしゃべれます!
ずっとしゃべっていたら医者が「やかましい、だまっとれ!」と怒ってました。
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最近、耳鼻科にいったとき「内視鏡全盛の現在でもあんな野蛮な手術をすることがあるのか?」と尋ねたら、病変の状態により大きく開く手術をすることがあるとのことでした。
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