2021年10月29日金曜日

鞍馬・貴船ハイキング

 10月27~28日の1泊2日で、秋の京都探訪第2弾のプティ登山をしてきました。洛北の観光地として、比叡山や大原三千院、花脊峠などへは若いころ何度か行ったことがありますが、鞍馬天狗と義経、火祭り、紅葉で人気の鞍馬は年中人が多そうで長年敬遠してきました。外人観光客のいない今が千載一遇のチャンスです。

前泊した大阪淀屋橋でいつもの相棒K君と落ち合い京阪電車で出町柳へ。K君はクローン病でしょっちゅうトイレ(大)に、私も前立腺肥大症でトイレ(小)が近く、バイオリズムが合います。私が53歳で早期退職したのを見習ったのか、K君は38歳で退職。30歳で引退したジャン・ジャック・ルソーには負けていますが、もう一生働く気はないらしい。

さて京阪特急はあっという間に出町柳に到着。叡山電鉄に乗り換えました。叡山電鉄鞍馬線は2020年夏に発生した落石事故で1年以上運休していたのがやっと再開したところでした。しかし日本でも有数の北山杉の美林が広範囲に無惨な荒れ方をしていました。地元の人に聞いたら、平成30年の台風で深刻な被害を受けたそうです。関空が沈没し、連絡橋が壊れたあの台風です。

鞍馬駅周辺は案外飲食店、お土産屋が少なく、本堂、奥の院を目指して厳しい階段登りが続きます。寺域を越えて山を登り続けると、貴船に降りる古道につながり、急な坂を下ると、京都のブルジョワジーの密かな楽しみの聖地、貴船の料理旅館街へ到着です。

川床はつい先日、今年の営業を終えたばかりでした。山歩きしたあといきなり、料亭の座敷にトドのような体を投げ出して「女将!、とりあえずビール」。シアワセ!。鯉の洗いなど勧められるままに。「においもクセものうて美味しおすえ」なんて女将は言ってたけど、川魚ならやはり鮎にすべきだったと思いました。貴船神社には桂の大木がありました。黄葉の桂を見たのは初めてです。まだ歩ける!まだ生きている!ことを確認できた鞍馬貴船ハイキングでした。



帰路はパンパンの足では四条河原町の喫茶店「フランソワ」に寄る気力もなく、京都駅から新快速姫路行き、山陽本線と乗り継いで猫どもがまつ岡山に向かいました。なお、ICOCAカードは200キロメートルを越える乗車には使えないとのことで岡山駅では窓口精算となりました。

2021年10月27日水曜日

2年ぶり東京1泊旅行(雑誌掲載版)

 10月下旬、全国的に新型コロナ感染者数が激減した時期を狙って東京に行ってきました。昨年の正月明け、リニューアル・オープンしたばかりの東京京橋にあるアーティゾン美術館に行こうと思っていたらコロナが始まり、今日まで2年近く東京に出かけることを控えていたのです。

 アーティゾン美術館とはかつての「ブリヂストン美術館」であり、ブリヂストンの本社ビル建て替えに伴って、最新鋭の設備と機能を備えた美術館として数年がかりで全面リニューアルされたものです。

高校生のころ初めて訪れたブリヂストン美術館で出会ったセザンヌの「サント・ヴィクトワール山」は終生忘れられない名画としていつも私の心の中にあります。東京で学生生活を送っていたころ、関西に居を移してからも、そして岡山で老後生活をしている現在も上京の機会があればこの絵に会いに出かけてきました。

新美術館は現代の絵画作品の大型化に対処できるよう天井が高くとられ、また欧米での最新の展示技術、観覧予約システム等も採用していて、世界水準の美術館になっていると思いました。ただ館内の照明が全般に一様に明るく平板で、ひとつひとつの作品が広い空間に埋もれているような印象を受けました。「サント・ヴィクトワール山」も高校生のころ初めて訪れたときの暗い展示室に浮かびあがる圧倒的な迫力がかなり減衰して感じられました。美術館の運営に何の力もない1ファンが自分の思うような展示方法を望むのはしょせん無理な話ですが。

東京に行った帰りにもうひとつ長年気になっていた熱海のMOA美術館にも初めて行くことができました。宗教法人「世界救世教」の創始者岡田茂吉のコレクションが所蔵展示されている美術館です。長いエスカレーターを何台も乗り継いで展示室に至る壮大な構造の美術館にびっくりでした。ちょうど「琳派展」が開催中でしたが、観客も少なくゆっくり国宝級の絵画や工芸品を間近に鑑賞できてラッキーでした。

二つの美術館をパパっと回ってみたのですが、コロナ禍ですっかり乾いてしまった私の心にみずみずしい「気」が戻ってくるのが感じられました。MOA美術館の庭園から見渡せた伊豆の海のように、ポストコロナの世界はきっと青く澄み渡った豊かなものであろうと心が高鳴りました。

写真、上2つはアーティゾン美術館

下は熱海、MOA美術館







薔薇と菊

 昨日(10.26)、いつもの散髪屋で髪を切ってもらっていたらちょうど眞子さまの結婚会見が目の前のテレビに映し出されました。小さなピンクの薔薇のブーケをもった眞子さまが家族と別れるシーンは映画の中のシーンのように感動的でした。ただ弟君がいなかったのはなぜかな?という気がしました。

 今朝は朝からモーニングショーで改めて会見のシーンを流していて、眞子さんというのはなかなかの人物だなと思いました。長い皇室の人物伝の中で一休宗純(いっきゅうさん)に並ぶ傑出した人だったのではといったらおおげさかも知れませんが、すごい人だと思います。ちなみに一休さんは自らを狂雲子と呼び、幼名は千菊丸、号は夢閨(むけい)あるいは国景(こっけい)と称し、なんとなく「こむろけい」の字面が並ぶのは悪い偶然でしょう。室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で詩人、説話のモデルとして知られていますが、出自は後小松天皇の落胤と伝えられています。
晩年の一休和尚は70代後半になって盲目の森女(しんじょ)を愛人にし「一代風流之美人」と玉のように森女をいとおしんだそうです。森女は20いくつで一休より50歳も若く、一休によれば楊貴妃並の美貌だったとか。今ふうに言えば彼女は盲目のシンガーソングライターだったのでしょう。「憂きもひととき、嬉しさも、思ひませば夢候よ」(森女)
一休宗純は当時の平均寿命の倍の87歳まで生き、マラリアで亡くなったのですが、臨終の言葉はかの有名な「死にとうない」でした。悟りを開いた高僧の最後の言葉に一休さんの非凡さがよく現れていると思います。墓所は21世紀の現在でも宮内庁が管理していて立ち入りできないということです。眞子さまもあらゆるスキャンダルにも耐え(屁とも思わない?)、ニューヨークでの新生活を男に用意させ、最後の会見でも「しおらしさ」のかけらもない堂々とした主張をしていたことにわたくし岡は参りました。
 
眞子さまから連想する女性がもう一人います。スタンダールの「赤と黒」に登場するマチルドです。小説の後半、パリに出た田舎者のジュリアン・ソレルが出会って結婚するドラモール公爵の娘です。ジュリアンとマチルドの恋愛はまるで2匹の猛獣が取っ組み合いの喧嘩をしているような凄惨なものでした。父親の公爵にとって執事というか住み込み下僕と思っていたジュリアンがまさか娘のマチルドと出来ていたなんてとんでもない悪夢。「公爵の令嬢が大工風情のせがれと結婚する!?」気が狂いそうになりますが、マチルドはジュリアンにぞっこんでどうしようもありません。1830年のパリは王政復古の時代で21世紀の日本などとは比較にならない貴族社会でしたから、秋篠宮の苦悩などかわいいものです。そもそもプライドが高い小娘のマチルドがなぜ下層民のジュリアンに惚れ込んだかというと、マチルドは貴族社会に生まれて退屈しきっていたのです。「美貌、才能、名声、財産、私にはすべてがそろっている。ああ幸せだけを除いて!」と16、7の小娘が日々鬱々と過ごしているところへ、とんでもない魅力的な若者が公爵邸に就職してきたのです。
父親の秘書、ジュリアンソレルは大変な美貌の持ち主だったうえに、誇り高く、野心に燃え、何を考えているのかつかみどころがない。貴族社交界にはいないタイプ! マチルドにふさわしいと思われていた婚約者の貴族青年ドクロワズノワなどは要するにかっこばかりつけていざというとき何の力もない唾棄すべき存在だったのです。
ジュリアンとマチルドの結婚は、しかしハッピーエンドにはなりませんでした。ジュリアンが昔の愛人、レナール夫人を教会で銃撃し大けがを負わす事件を起こし、死刑の判決を受けます。マチルドは陪審員を買収してでも夫を救出しようとするのですが、ジュリアンはこれを拒否。レナール夫人と過ごした幸福な日々を思い出しながらギロチンの露と消えていきます。ジュリアンの葬儀ではマチルドは何万枚もの金貨を用意させ、葬儀参列者に金貨をばらまくというトンデモアイデアを実行します。マチルドによれば後々、人々がジュリアンソレルのことを思い返すとき、ジュリアンのイメージ(成り上がり青年が痴情事件を起こして死刑にされたというぱっとしないイメージ)に金貨が投影されて輝かしいものとして連想される効果を狙ってのことでした。いっぽうレナール夫人もジュリアンの死の数日後後を追うように死にます(死因は述べられていません)。
 
ながながと書いてきましたが、眞子さまの強い意志の背後に何があるのかは想像できませんが、皇室には一休宗純のような人物が血脈の中にいること、19世紀のフランスにもマチルドのような人物が文豪スタンダールによって描かれていたことなどを勝手に結びつけて、私の感想といたしました。菊のカーテンを破って現代のバビロン、ニューヨークへ。私でも若さと才能と財産があったらこんな田舎生活はすぐさま捨ててニューヨークに行きたいものです。
 

2021年10月24日日曜日

東京1泊旅行2021/10/22-23

 東京のコロナが激減しました。でもタヌキ婆さんが25日にはあらゆる規制を解除すると記者会見で述べているのをニュースで見て、来週からまた感染が増大するに違いないと思い、上京するのはこの週末以外ないと判断、実行しました。

念願のリニューアルオープンした後のアーティゾン美術館を訪れました。以前のブリヂストン美術館時代に比べ展示面積が増え、天井が高くなり、また最新の美術館運営テクノロジーが駆使されていることなど、数年がかりで建て替えただけのことはあるなと思いました。ただ照明が均一で平板なものになっていてもっと部屋を暗くし、作品にスポットをあてて欲しかったという気がしました。

夜は新宿で学生時代以来50年ぶりにジンライムを飲みながら楽しい時間を過ごしました。心が若返りました。やはり東京は特別な街。お店の皆様ありがとう。

23日は日本橋の高島屋と丸善に寄りクリスマスカードなど物色。でも買うと荷物になるので岡山の丸善で買うことにして東京駅へ。熱海のMOA美術館を初めて訪問。琳派展開催中。エスカレーターを何回も乗り継いだ先に展示室があり、山の地形を生かした美術館の構造にびっくり。

さて、帰りは羽田に引き返すか新幹線でそのまま帰るか迷ったけれど、新幹線にしてしまい後悔。こだまは遅すぎ!しかも岡山に着いたとき岡山空港に置いてきた車を取りに行くための最終バスに乗り遅れ、本日改めて車を回収。教訓。飛行機で出かけたら飛行機で帰ること!

次また上京の機会があったらせめて2泊しよう。

写真(上) アーティゾン美術館

写真(中) MOA美術館、尾形光琳「虎図」




MOA美術館から房総半島、伊豆半島、伊豆大島が遠望できました。


2021年10月20日水曜日

衆議院選挙2021雑感

 東京オリンピック・パラリンピックが終わるや否や政局が大きく動き、10月下旬、わずか10日余りの衆院選が始まりました。すでに期日前投票が開始されているというのにまだ手元に投票所入場券が届いていないという前代未聞のあわただしい選挙です。31日の投開票というのは想定よりさらに1週間前倒しの選挙であり、事務を担当する市役所職員はてんてこ舞いだと思います。

しかし市役所職員の皆様よりさらに忙しい思いをしているのは他ならぬ立候補した先生方でしょう。なかでも県内選挙区割りの面積が異様に広い3区や5区を10日ちょっとで回り切ることは素人目にもほとんど不可能に思えます。

とりわけ瀬戸内海に浮かぶ島から鳥取県との県境に面する山間地まで包含する3区の中心的都市と言えば津山市ということになるのでしょうが、この広大な地域が地政学的にひとまとまりである要素はまったく見あたりません。候補者はいたずらに連日何百キロもの田舎道を走行してひたすら「お願いします」と連呼するだけで、地域の問題や国政に関する問題を有権者と意見交換することなど到底無理だと思います。

これは何も本県だけの問題ではなく衆議院選挙そのものがかかえている問題です。かつての広すぎる選挙区問題を解決するために導入した小選挙区制ですが、地方の選挙区は全然コンパクトになっていないうえ、都会の住民の選挙権の軽さに対する不満も増大する一方です。

それに加えてさらに複雑な仕組みの比例代表制が問題をややこしくしていて、結果的には見たことも聞いたこともない候補者が次々と当選していきます。1994年に改正された公職選挙法ですが、もうそろそろ足で歩く選挙区割り制度からデジタル時代にふさわしい、地域の人口に比例した議員が誕生する選挙システムを作っていくことを検討すべき時期にきているのではないでしょうか。

国内外の情勢が風雲急を告げるなか、コロナ、風水害、地震、火山噴火等々災害が連発する日本、そんな日本で政治に意欲を燃やす候補者の皆様には心から敬意を表したいと思います。有権者としては最低限投票という行動で候補者の意欲に応えるのが礼儀であり務めだと思います。

2021年10月15日金曜日

平等院鳳凰堂


東福寺庭園。 完全な幾何学模様ではなく、右方向に石の配置が減っているところに、庭園を設計した人の遊び心を感じます。

 相変わらず汗ばむ気候ですが、コロナが落ち着いているので久しぶりに大阪京都まで1泊の旅にでました。

創業当時からよくいく心斎橋のフレンチ、ビストロダンジュは広い店内にわずか二組でした。道頓堀の人出も少なく、この夏の感染爆発の恐怖は尾をひいているように感じました。

本日は淀屋橋から京阪に乗って京都の宇治へ。大阪で長く暮らしたのに平等院鳳凰堂には行ったことがなく、初めて訪れました。両サイドのウイングには昇るための階段がないことに気付きました。国宝の展示館に鳳凰の実物が展示されていました。案外小さなものでした。

その後、東福寺に移動。50年ぶりの参拝で、建物の大きさにはびっくりでした。記憶に残っていた市松模様の庭園は逆に「えっ!こんなに狭かったのか」と意外な感じがしました。

最後は八坂神社、円山公園を散歩。足はガクガク、額から汗がポタポタ。四条河原町の喫茶店フランソワでコーヒーを飲んで今回のプチ旅行を終えました。京都も大阪同様閑散としていてちょっと不気味でした。



2021年10月6日水曜日

愛は私たちより強く

 https://youtu.be/M9qPulvWkA4

大学生になってフランス語を勉強し始めたころ、シャンソンの虜になりました。それから50年、フランス語はほとんど忘れてしまったけれど、今でも歌詞を丸暗記している名曲がいくつかあります。

クロード・ルルーシュ監督の「男と女」のサウンドトラックにあるピエール・バルーの「愛は私たちよりも強く」もそのうちのひとつです。

どろ沼の世間の中で自由に生きるか、籠の中で幸せに生きるか、それは愛が決めること...

主演のジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エメの名演技は忘れられません。

眞子さんの結婚がいよいよ近づいてきて、ふとこのシャンソンを思い出しました。1966年制作の「男と女」で歌っていたピエール・バルーは精悍な若者でした。それが何と50年後、日本のしかも岡山のライブ会場「Mo:gla」で歌うというので聞きに行ったことがあります。すっかりおじいちゃんになっていました。2016年12月、パリで没。

ともかく、
ニューヨークは泥沼ではないし、ただ有名人なだけに鳥籠みたいな幽閉感はつきものでしょうが、眞子さんにはしあわせな人生を送ってほしいものです。

人権もプライバシーもない生活を30年も送ってきたのだから一時金は受け取るべきだと思います。

ハレカハーフを利用しよう

岡山市長選で3選を決めた大森市長のテレビ会見を聞いていて初めて“ハレカハーフ”という岡山市内の高齢者や身体障害者を対象とした路線バス・路面電車の半額割引制度の存在を知りました。

割引専用ICカード、ハレカハーフには2種類あって、ひとつは65歳以上の岡山市民を対象としたもの、もうひとつは身体障害者手帳等を持っている市民を対象としたものがあります。対象路線は岡山市内を発着する民間バスの全路線および備北バスの地頭線(天満屋ー地頭)、中鉄北部バスの勝山線(天満屋ー勝山)であるとパンフに記されています。

これまで東京や大阪、京都など大都市ではシニア向けに無料または大幅割引パスを配布しているのを見聞きして、シニア世代になった私はずいぶんうらやましく思っていたものです。でも岡山市には市営バスがなく民営各社が競合するなかでそういうサービスは永久に実現できないものと諦めていたので大森さんの発言はビッグサプライズでした。

新サービスはすでに開始されていて、市役所で配布しているハレカハーフ交付申込書に名前や住所等を記入して申し込めば2週間程度で割引専用ICカードが送られてくるということです。またすべての手続きはWEBでできます。ハレカハーフカードには写真が表示されるのでそのための写真をスマホで撮って添付するのが少々めんどうでしたが、この種の電子申請制度のなかでは比較的簡単にできたという印象です。

ただいまハレカカードの到着を楽しみに待っているところです。半額というのはかなりのインパクトがあります。我が家は駅から遠く、これまで車で出かけることができる郊外型の飲食店しか利用してこなかったのですが、バスが身近になれば市内中心部のレストランでアルコール付きの食事もできるなと思います。

ハレカハーフにはうれしい3つの特典もあります。チャージ金額の8%がプレミアとして加算、前月の利用総額に応じて最大10%のプレミア加算、さらに誕生日から3日間は通常運賃から50円を引いた運賃の半額で乗れるとのことです。赤字路線の廃止傾向が止まらない民営バス業界ですが、シニア世代の皆様、ご自身の健康のため、また公共交通機関維持のため、おおいにこの制度を利用しようではありませんか。


山中鹿之助のお墓

 田んぼのあぜ道や河原が真紅の彼岸花で覆われるこの季節、松江まで1泊2日のドライブをしてきました。山陰を代表する美術館といえば安来市にある足立美術館ですが、そこから車で数分のところに月山富田城(がっさんとだじょう)という戦国時代の城跡があり、標高190メートルの月山頂上まで汗だくになりながら登ってみました。天空の城のひとつとして歴史ファンの人々に大変人気がある場所だそうです。

頂上の本丸跡からは城下の広瀬の町並みから米子市街地まで、中海、弓ヶ浜そして日本海までがパノラミックに広がり、心臓破りの急な坂を登った甲斐がありました。私は子どものころから日本史が苦手で戦国武将のエピソードなどほとんど知識がないのですが、にわか勉強したところによると、まさにこの富田城こそ戦国時代に山陰・山陽八ヶ国の守護大名だった尼子氏の本拠地だったということです。

群雄割拠の戦国時代のこと、中国地方の広大な土地を支配した尼子氏もやがて安芸の国、毛利氏との対立が深まり、1566年に滅亡、そして残されたのが「山陰の麒麟児」の異名を取った山中幸盛鹿之介(鹿介とも)ら尼子十勇士の存在です。

鹿之介については尼子氏再興のため「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名、その3度にわたる毛利氏との戦いもついに力尽きて1578年、備中松山城に近い高梁川の河原で謀殺されたとのことです。鹿之介が生まれた富田城を訪れたのをいい機会に、高梁川と成羽川が合流する場所にある鹿之介のお墓も見物してきました。わずか33年という短い生涯にあって休む間もなく大活躍した鹿之介の墓所はコンビニ、ローソンのすぐ隣にありました。だれがお参りしたのか菊の花が手向けられていました。

2021年9月末、鹿之介の時代から450年の歳月が流れ、立憲君主制の民主主義の平和な世の中です。しかし、テレビが中継する自民党総裁戦の結末は最後の最後まで「専門家」の予想をことごとく裏切るドラマチックなものでした。選挙期間中、麻生副総理が「これは権力闘争だ」といみじくも言っていたように、議員票は明日のおこぼれを狙ってあちこち大移動しました。鹿之介のように傾きかけた主君にいつまでも忠義を尽くしていては生き残れないのが世の常なのでしょう。


菅さんの功績


昨年秋に突然退任した安倍首相に代わり菅さんが総理大臣になったもののわずか1年で降板となりました。菅さんの業績に対する評価は人それぞれ。小泉環境大臣は「こんなに仕事をした政権が正当な評価を受けていない」と涙目になりながら会見で述べていました。「小泉さんもなかなかの役者やのう」とどっちらけでしたが、実際菅さんの施政下で日経平均はバブル崩壊以来の高値を達成し、無謀とも思えたオリンピック、パラリンピックも成功裏に終えることができました。

 しかしながらこの1年、相次ぐ地方選挙で与党系候補が連敗し、菅さんでは間近にせまった総選挙が戦えないとのことで、無念の降板となりました。政界の権力闘争とはなかなか非情なもののようです。

そんな菅政権の1年でしたが、国民すべてに大きな恩恵をもたらしたのは携帯料金の大幅値下げです。昨年秋の政権発足後まもなく携帯大手各社は相次いで2千円台の新プランを発表し、今年3月には実際に新しいサービスが始まりました。多くの若者はすぐさま新プランに変更したようですが、私には契約変更の手続きがやや複雑そうに思え、半年ほど様子見したあげくやっとこの9月にデータ量20ギガバイト、電話かけ放題のオプション付きプランに切り替えることができました。

キャリアメールのアドレスが消滅すること、市中のショップで気軽に相談できないことなど懸念はあったのですが、いざ携帯会社の手順にしたがってやってみたらあっけないほど簡単でした。いままでたった2ギガの容量でちょっと油断したら月初めにもう規定データ量がなくなるという悲劇から解放され、しかも料金は半額以下!どこにいても自由に情報にアクセスできる喜びを遅ればせながら味わっています。

いっぽう、旧来の契約のままの利用者、多くは「情弱」と言われる中高年の利用者からは貧弱なサービスはそのままで高額な利用料を取り続けています。菅さんの力をもってしても大手携帯各社の料金体系を抜本的に見直しさせるところまでは及ばなかったのでしょう。

現在、次期総理大臣になるはずの自民党総裁戦のまっただ中です。候補者の皆さん、大きなビジョンも大切ですが、菅さんのように身近な課題、切実な問題のこともよろしく。