2023年4月17日月曜日

バブルさながらの東京、大阪

東京や大阪のターミナル駅周辺の再開発ブームはいっこうに収まる気配もありません。歴史的建造物として価値がある郵便局やまだまだ現役で使えそうな10階建てのオフィスビルなどが次々取り壊され4,50階建てのビルに生まれ変わっています。

東京の新宿歌舞伎町と言えば1970年代、私の学生時代にはバーやキャバレー、風俗店がひしめきあい、私のような真面目な学生が近づけるような場所ではありませんでした。2000年ごろには中東系の怪しげな売人が路上で麻薬や危険ドラッグを誰彼かまわず売り付けて大きな社会問題になりました。

 それからさらに20年が経過し今や歌舞伎町にも超高層ビルが建ち、高級ホテルが入居し、何だかすごくバブリーな街に様変わり。大阪も負けてなく、東京の場合と同じような無機質な街へと変貌しています。

この空前の大繁栄が日本の企業によってもたらされ、そこから生じる莫大な利益が日本人の懐を潤しているのなら文句はありません。しかし超高層ビルの上層階にできるラグジュアリーなホテルは例外なく外資によるもので最低でも1泊10万円をはるかに超えます。豊かな訪日外国人をターゲットにした設備と価格設定に違いありません。

これは何のことはない、日本人が外国人観光客のサーバントになって、快適なサービスを提供し、山海の珍味を惜しげなく使った料理で彼らの胃袋と脳味噌を喜ばせているのです。そこで働いているのは結婚生活もあきらめざるを得ない低賃金日本人若年層。バブル崩壊後の30年間、日本は世界の発展から取り残され、しかも国内の貧富の差はかつてないレベルまで拡大してしまいました。

もちろん中国でも欧米でも貧富の差は日本以上に大きいものがあるのは事実です。でも日本が諸外国の社会の発展事情と大きく異なるのは、日本社会における貧富の差はほんの30年前ぐらい前まできわめて小さかったこと。国立大学の年間授業料はたったの12000円。家が貧しくても勉強を頑張れば医者にもなれたし、弁護士にもなれました。

今日の結婚も想定できない若者の群を見ていると、東京や大阪の空前の繁栄ぶりが空しく感じられます。あの都市を支えているのは日本の貧しい労働者と若者達、莫大な利益はすべて国外に流出していきます。

2023年4月14日金曜日

お茶が自生



庭にお茶の木が自生しました。来年には1回分ぐらい収穫できるかな? 

大阪カジノ

大阪IR計画を岸田政権が閣議決定した。大阪府、大阪市、政府はいったい何を考えているの?頭が湧いている。

貧困層の多い大阪がどれだけよりいっそう酷いことになるのか、よく分かっているはずなのに。モラル崩壊、生活破綻、破産者でいっぱいになる。大阪民は維新の恐ろしさにきづいていないみたい。

2023年4月12日水曜日

ダリダ「18歳の彼」

1970年代、20代の私はシャンソンやカンツォーネのレコードを聴くのが大好きでした。ダリダ(1933-1987)というフランスの歌手が人気絶頂で、彼女のイタリア語訛のフランス語はとても聞き取りやすく、私はそんな彼女の歌を繰り返し聴きながらフランス語やイタリア語を同時に覚えたものです。

ダリダのことはピンと来ない方も、アラン・ドロンとのデュエット「あまい囁き」の甘美なメロディーはご記憶にあるかもしれませんね。そんなダリダの数々のヒット曲の中でも、私自身日々老いを意識する今なお心に響き続ける歌があります。「18歳の彼」という曲です。今でいうアラフォーの女性に18歳になったばかりの恋人ができたというお話。

18歳の彼は子どものように美しく、大人の男のようにたくましい。彼を誘惑するためなら何をあげたって惜しくない……。アラフォー女性は恋愛において余裕を見せたくても、若い男にぞっこんで、なすすべもない。まだ子どものくせして「悪くはなかったよ」などと生意気な口をきく彼を自分のもとに引き留めておくすべはない。よく考えてみたら私は18歳の彼の2倍もの年を取っていたのだ……。

いかにもフランスらしい歌詞です。実際現在のマクロン・フランス大統領は高校時代16歳のとき出会った24歳年上の国語教師ブリジットと結婚しています。40歳の教師が16歳の少年と恋に落ちたなどと言うと日本では即刻辞表もの。マクロン大統領は今でもはるか年上の妻を大変愛しているようですが、これはいくらフランスでもやや例外的なことではないかと思います。ふつうはダリダの歌のようにアラフォー女性が18歳の若い男とハッピーに暮らすのは難しいでしょう。

私自身、ダリダのさらに倍もの年齢になって、恋愛とかそんな意味ではなくても、若い世代の人々とどうコミュニケーションを取ったらいいのかよく分からないです。昭和オヤジが嫌われる定番は説教、昔話、自慢話が三冠王だったような。はたまたカルト教祖のように妖術を使って若い女性を洗脳するタイプの爺さんはいつの時代にもいるものです。(千石イエス方舟事件,1979)。私は、そうではなく、ふつうにどの世代の人ともお互いに無理せず楽しく生きていけたらと思います。

痛ましい転覆事故、保津川下り

前号のこのコラムで、早春の嵐山・保津川下りをしたときのすばらしい体験をご紹介させていただいたばかりというのに、それからわずか10日後のこと、ようやく京都の桜も満開になった3月28日、保津川下りの観光船が転覆し、船頭さんお一人が死亡、お一人が行方不明、乗客数名がケガを負うという大惨事が発生しました。川下りの楽しかった余韻がまだ残っている私にはショッキングなニュースでした。

船を操る船頭さんは総勢で200名ぐらいいらっしゃるとお聞きしたのですが、亡くなられた方は51歳のベテランの船頭さんで、行方不明の方はまだ40歳の働き盛りということです。もしやあの日、私やカナダから観光に来ていた従姉妹たちを乗せてくれた船頭さんたちではなかったかととても心配です。もちろんどの船頭さんであってもこんな事故で命を失うことなど絶対あってはいけないことですが。

保津川上流の亀岡から嵐山・渡月橋前までの約16キロメートルもの渓谷を2時間前後の時間をかけて、船頭さんたちは船をあやつります。迫りくる巨大な岩を竹の棒で一瞬にして遠ざけ、流れが緩くなると渾身の力をこめて竹竿を川底に押し当てながら船を前へと進めます。

その一方、乗客に対しては、川下りの要点や歴史、まわりの自然について、あるいはいかに体力が必要な仕事であるか、新人を採用してもあまりの激務に翌日にはもう辞めてしまう子が続出する話などユーモアを交えながら語りかけてくれます。

保津川は渓谷に沿って何度も大きく湾曲しながら流れていきます。そういう場所では淵の深さが15メートルもあるという説明もされていました。比較的浅い川なのに今もひとりの船頭さんが行方不明であるというのはそういう淵に沈んでしまった可能性もあるような気がします。ご家族の気持ちを考えるといたたまれない気持ちでいっぱいです。

転覆による死亡事故をきっかけに当局の規制が強まり、この優雅でスリリングな遊びが我々から遠い存在にならなければいいが、と危惧します。客の命が全員助かったことが奇跡のように思われる無防備な遊びであることも事実ですが、それはどんなスポーツでも同じこと。100年以上続く京の風物詩は後世まで守り伝えてほしい、そのように思います。


保津川下り

 すばらしい体験、保津川下り

 カナダから来日中の親戚カップルを誘って京都・嵐山の保津川下りに生まれて初めて挑戦してみました。川下りをした感想は「素晴らしい!」のひと言。何故今までこの年になるまでこんな素敵なものを見過ごしてきたのか、返すがえすも残念。それほどGoodでした。

保津川下りは特に桜や紅葉シーズンには決まってニュースで取り上げられる日本を代表する観光アトラクションですが「観光客で混み合ってそう」とか「怖そう」と思って敬遠されてきた人は多いのではないかと思います。今回の観光アテンドで図らずもこんな楽しい遊びに遭遇できて大変ラッキーでした。

川下りの一般的なコースは嵯峨野トロッコ駅からゴトゴト川沿いに走るトロッコ列車に乗ってトロッコ亀岡駅まで25分かけて移動するところから始まります。亀岡でトロッコ列車を降りたら連絡バスが待っていて、保津川下りの船乗り場まで数分で運んでくれます。

乗船予約は不要。切符を買ってしばらく待っていると川べりの船乗り場まで案内されます。混んでいても相前後して何艘かの船が運航されるので長時間待たされることはありません。怖いようなワクワクするような川下りの始まりです。

小さな船は満員のお客を乗せて保津川を下り始めます。最初の数分は穏やかなところを進んでいきますがやがて落差がある場所に来ると船は大きな水しぶきを上げながらザブーンと船ごと落ちるように川下へ流れていきます。ときには船底が岩に激突し、ゴリゴリ岩を擦る音が足元に響いてきます。

岸辺の木々の高い枝先で日本猿の群れが木の新芽を食べている平和な光景にうっとり。川べりの泥土の上には鹿やイノシシの足跡が付いています。川の流れがゆっくりの場所では舳先の上に立っている屈強そうな漕ぎ手が竹竿を川底に押し当てながら船を前に進めます。大変な重労働であることは説明を聞くまでもなく伝わってきます。航行時間は1時間40分でした。大人一人の料金は4500円ですが、コスパ最高。

やがて渡月橋が見えてくると船旅も終盤です。するとどこからかイカ焼きやおでんなどを満載した船が現れ、私も緊張感がほぐれたせいもあって、思わずみたらし団子とお茶を買いました。最高の体験でした。

認知機能検査

 認知機能検査兼高齢者講習

この夏ついに私も後期高齢者の仲間入りです。ちょうど運転免許証の更新時期にぶつかり、誕生日まであと半年弱あるのですが、先日岡山県運転免許センターで認知機能検査と高齢者講習を受けてきました。

運転免許更新に係わる認知機能検査がいくら簡単なテストとはいえ、やはり試験となると緊張するものです。それに子どものころから興味のないことを写真にでも撮るように暗記するのはまったく不得手。このテストを受けたことがある人はご存知かと思いますが、一番大変だったのは16枚のイラストを4枚ずつ見せられ、それらをすべて覚えておいて後で解答用紙に書き出すものです。

具体的には大砲、オルガン、耳、ラジオ、テントウムシ、ライオン、タケノコ……等16枚の絵がプロジェクターによって白板に投影され、覚えておくように言われます。その後、まったく別種のテストがあり、再び先ほどの16枚のイラストを想起する問題に返ります。オルガン、スカート、ベッド、バラ、ペンチなどと10種類のイラストはすぐ思い浮かんだものの、そこから先頭が真っ白!あせっても全然出てきません。

その後、今度はヒント付きで思い出せるかどうかのテストがあり、これは簡単でした。昆虫は?テントウムシ、楽器はオルガン……と16種類のイラストの記憶が甦るのですから人間の脳とは不思議なものです。

この問題はおよそ世の中に存在する試験という試験の中でもっとも甘いものといえます。試験問題がそっくりそのまま公開されていて、ネットで簡単に検索できるので、だれでも事前に予行演習しておくことができます。ただ認知機能が衰えた人はあらかじめ練習しておいてもそれが試験会場で生かせないという意味でテストとしての役割を“最低限”果たせるのだと思います。しかしこのテストが後期高齢者による事故を未然に防ぐことに本当に役立っているかどうか、私はかなり懐疑的です。

それはともかく、この試験を受けた結果に関してやばいと思ったことがあります。それはヒントなしでは思い出せなかった6個のイラストがいったい何だったのか、16個のイラストを見ても“耳”と“ぶどう”を除いてあと4個が今でもどうしても思い出せません。これこそ本格的な認知症の始まりを示唆しているのではないか? 心配です。

春到来

毎年雛祭りのころになると早咲き桜の開花便りがテレビの朝の情報番組をにぎわします。寒い日の後に今日のようなほんわか暖かい日がやってくると心が弾みます。“Spring has come”

私が小学生のころ、こんな春めいた日には父が幼い息子たちを相手に英語の成句をふとつぶやくことがありました。父が育った時代は英語は敵性語として忌避され、熱心に勉強する必要もなかったようですが、師範学校で習ったのでしょう、ときおり子どもたちに学のあるところを披露していました。ときには、「レッスン オネ!」(Lesson one)などと言って息子たちをからかっていたものです。

後年、私が中学生になってからは、父はよく私に英語の教科書を読んで聞かせてくれとリクエストしていました。うざいと思いつつ、テキストを読むと、満足げな顔をしつつ必ず、「ついでに日本語に訳してくれ」と言っていました。父が息子たちに望んだことと言えば、英語の朗読などほんとうにささやかなものでしかなかったのに、私は「自分で読んで!」と突き放すことの方が多く、いやな子どもだったと今になって反省することしきりです。

9年ほど前に父を見送って、今は自分自身の“老後”に向き合う日々。もはや難解な本を読む気力も消え失せ、テレビで見る世界のニュース、戦乱や天変地異も半ば他人事のようにしか心に響いてこなくなりました。唯一ことあるごとに身に沁みて思われることは、なつかしい生前の父や母のことです。

 父や母が好きこのんでしていたことは、私の嗜好にもよく合っているし、逆に父や母が嫌っていたことは私も嫌っていることを事あるごとに思い知らされ苦笑します。たとえば父はNHKの「みんなのうた」で繰り返し放送されていた、やなせたかし作詞の「手のひらを太陽に」(1962)について「わし、この歌きらい!」と言っていました。「まっかに流れるぼくの血潮……」、父に言われるまでもなく私もやなせの詞には背中がこそばゆく感じられたものです。

ベースにある感性や情緒が親子で似ていたからこそあらゆる場面で父に対し近親憎悪的な反応をしていたのもまた事実。この世ではままならないこともあるものです。“Spring has come”いい季節になりました。


マイナカード交付申請

政府がやっきになって導入を図っているマイナンバーカードですが、昨年11月末に総務省が発表した申請件数は11月27日時点で7568万件、人口に対する割合は60.1%になったとのことです。また実際に交付された枚数は6735万枚で交付率は53.5%にとどまるそうです。

カード取得者に対する最大2万円分のマイナポイントをもらうためにはこの2月末までの申請が必須とのことで、私もついに覚悟を決め、半年以上下駄箱の上に放置してあったマイナカード交付申請の封書を開けてみました。

「うわっ!申請書だけでなく、いろんな印刷物が入っていて一々広げて読むのも大変、自分で記入して写真を貼り付けるのはめんどう、どうせ写真のサイズが違う、書き方が違うと後で文句を言われるぐらいなら最初から役所に駆け込んで手取足取り教えてもらう方がいい」

しかし、区役所も申請人であふれかえっていて何時間も待たされるといううわさを小耳に挟み、これも断念。マイナポイントの2万円には未練があるけれど、もう間に合いそうもない、などとあきらめムードになっていたら、申請期限は2月末ながらマイナポイントの締め切りは5月末まで延長されました。

またまた気が変わり、「よしがんばってみよう」となり、今度は封筒の中身をちゃんとよく読んでみました。「何だ、自分でもできそうじゃないか!」要するに自分の写真を1枚スマホで撮るだけ、そこが最大の関門らしい。QRコードを読み込んだらあとは名前、生年月日、メールアドレス等記入の上、写真を添付して送信。実際これだけでした。

さて、あらためてマイナカードが届いたとして、ポイントをもらえる以外に具体的なメリットがあるのでしょうか。中国では国鉄の切符売り場で長距離列車の切符を買おうとすると、マイナカードのような身分証明書を機械に読み取らせる必要があります。切符の券面にも個人ID番号が印字され、どこの誰がどこへ旅行したという情報がすべて当局に把握される仕組みです。こういう強権的な国家にあってはマイナカードの保有は国民の義務。幸いなことに万事あいまいな日本、いかにも日本の役所が考え出しそうなゆるゆるマイナカードの効果(と弊害)はおのずと限定的なものになると思います。


同性婚導入、賛成64%

2月14日の山陽新聞朝刊の1面トップ記事は、共同通信社が実施した同性婚に対する国民の賛否を尋ねる全国緊急電話世論調査の結果を報じるものでした。驚くべき結果です。同性婚を認める方がよいとの回答が64.0%、認めない方がよいは24.9%だったそうです。

緊急アンケートが実施されたきっかけは同性婚をめぐる元首相秘書官の差別発言を受けてのことですが、結果は意外な感じがするぐらい国民の間でこの問題に関する理解が進んでいることを示すものでした。同性婚を巡る岸田首相の発言、すなわち「社会が変わってしまう」ことに対する抵抗感、恐怖感は保守政治家に共通する価値観を端的に表していると思います。

何かにつけ「変わること」に対するほとんど本能的と言っていい抵抗感は日本社会のあらゆる面で見られます。死刑制度、難民受入れ、選択的夫婦別姓、過酷な長時間労働慣行……等に対する国策。どれもが「日本文化と深く関わっているので西洋のまねはできない」という暗黙の了解があっての国際社会の中での孤立ぶりですが、それでもいざやってみたら、案外スムーズに受け入れられたこともあります。例えば喫煙の問題。

 私が就職した50年前の日本のオフィスでは執務時間中の喫煙は常識でした。向かいの席のヘビースモーカー先輩に「タバコの煙がこちらに流れてくるので仕事中のタバコはやめてもらえませんか?」とお願いでもしようものなら、「こいつ頭おかしい」という表情を返される、そんな時代でした。新幹線でも航空機でも、ときには映画館の中でも喫煙OKでした。ところがいったん国が禁煙に舵を切ったらそれを徹底して守るのも日本人です。

 LGBTQは性的マイノリティと定義されますが、果たして“少数者”問題でしょうか。日本の各種調査ではその比率は3~10%ですが、アメリカの若者を対象とした調査では5割というにわかには信じがたい数値も報告されています。これはもはや少数者とは呼べません。左利きの人の割合が日本では11%ですが、だれも左利きをマイノリティなどと差別しないのと同じように、LGBTQであることは「それで?」という感じに世間は近づいているのが実態ではないかと思います。岸田さん、世の中をよく見て政治をしてください。