2023年4月12日水曜日

春到来

毎年雛祭りのころになると早咲き桜の開花便りがテレビの朝の情報番組をにぎわします。寒い日の後に今日のようなほんわか暖かい日がやってくると心が弾みます。“Spring has come”

私が小学生のころ、こんな春めいた日には父が幼い息子たちを相手に英語の成句をふとつぶやくことがありました。父が育った時代は英語は敵性語として忌避され、熱心に勉強する必要もなかったようですが、師範学校で習ったのでしょう、ときおり子どもたちに学のあるところを披露していました。ときには、「レッスン オネ!」(Lesson one)などと言って息子たちをからかっていたものです。

後年、私が中学生になってからは、父はよく私に英語の教科書を読んで聞かせてくれとリクエストしていました。うざいと思いつつ、テキストを読むと、満足げな顔をしつつ必ず、「ついでに日本語に訳してくれ」と言っていました。父が息子たちに望んだことと言えば、英語の朗読などほんとうにささやかなものでしかなかったのに、私は「自分で読んで!」と突き放すことの方が多く、いやな子どもだったと今になって反省することしきりです。

9年ほど前に父を見送って、今は自分自身の“老後”に向き合う日々。もはや難解な本を読む気力も消え失せ、テレビで見る世界のニュース、戦乱や天変地異も半ば他人事のようにしか心に響いてこなくなりました。唯一ことあるごとに身に沁みて思われることは、なつかしい生前の父や母のことです。

 父や母が好きこのんでしていたことは、私の嗜好にもよく合っているし、逆に父や母が嫌っていたことは私も嫌っていることを事あるごとに思い知らされ苦笑します。たとえば父はNHKの「みんなのうた」で繰り返し放送されていた、やなせたかし作詞の「手のひらを太陽に」(1962)について「わし、この歌きらい!」と言っていました。「まっかに流れるぼくの血潮……」、父に言われるまでもなく私もやなせの詞には背中がこそばゆく感じられたものです。

ベースにある感性や情緒が親子で似ていたからこそあらゆる場面で父に対し近親憎悪的な反応をしていたのもまた事実。この世ではままならないこともあるものです。“Spring has come”いい季節になりました。


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