2022年12月26日月曜日

2022年を振り返って

今年も残り少なくなった今日このごろ1年を振り返ってみるといろいろ感慨深いものがあります。ウクライナ戦争はウクライナの善戦が伝えられているものの戦線がぶつかり合う現地に住んでいる人々にとっては、地獄の日々に違いありません。

日本は幸いなことに太平洋戦争を最後に70数年平和と繁栄を享受してきましたが、ここにきて東シナ海がずいぶんきな臭くなってきました。また経済的にもいつのまにか先頭グループから置いてきぼりをくらっているような情けない状況です。

コロナに関しては欧米でもアジアの多くの国々でももはや何の規制もない以前の状態に戻っているのに対し、中国のゼロコロナ政策の異様さは際だっています。日本ははっきりした政策を欠き、欧米とも中国とも違うあいまい戦術でコロナに対処しているところがいかにも日本的だと感じます。

大事件もありました。安倍元総理が夏の参院選の応援演説をしている最中に背後から手製の銃で暗殺されるというショッキングな出来事。この件は旧統一教会問題という予期せぬ事態を露呈させました。

イギリスのエリザベス女王の急逝にも驚かされました。世界史上最長の在位を誇った君主かと思っていたのですが、調べてみると第1位はフランスのルイ14世で72年と110日、第2位のエリザベス2世女王陛下は70年と127日だそうです。こうした神話級の記録が破られることはもはやないでしょう。

個人的な出来事としては、おおむね健康に恵まれた1年だったものの、11月に受けた歯茎の手術で頬がパンパンに腫れたのには本当に参りました。友人に腫れた顔の写真を見せたら“通天閣のビリケンさんそっくり、拝んだら御利益がありそうなくらい!”とまで言われました。

来年は久しぶりにカナダの親戚の子たちが桜の咲くころ日本に来るというので私も通訳として彼らに同行し京都や山陰の春を楽しみたいと思います。桜が咲き花見ができるのは何と平凡で幸せなことかと思います。

(お詫びと訂正)

本誌117日号に掲載した当コラム中において「甲本種苗店」と記しましたが、正しくは「こうもと種苗店」(代表者名:河本勝吉)でした。ご指摘いただいた読者の方には心より御礼申し上げます。

伯母の戒め

 小学生のころの夏休み、母に連れられて東京見物に出かけたことがあります。渋谷の道玄坂でビジネス旅館を経営していた伯母はしっかり者で世知に長け、母にとっては姉というより母親的な存在でした。文学少女がそのまま大人になったような母とはあらゆる面で気性も経済感覚も異なっていました。
 渋谷にも大きなデパートがあるのに、伯母は地下鉄銀座線に乗ってわざわざ三越本店まで買い物に出かけていました。もともと新潟生まれの伯母にとって呉服店「越後屋」が発展してできた三越には古里のにおいがあったのかもしれません。東京滞在の三日目ぐらいだったか伯母がその日本橋三越に連れていってくれました。「好きなもの、何でも買っていいから」と。
 私は遠慮がちな田舎の子どもだったし、当時の天満屋でさえ巨大なデパートに思えていたのに三越本店の偉容にはすっかり怖じ気づいたものです。伯母がこれはどうか、あれはどうか?と催促してきても私は「要らない」を連発。リッチな大人のためのデパートに子ども向き商品はそれほどなかったような気もします。それでもせっかくの伯母の好意を無下(むげ)にするのも悪いので、東京タワーの模型を買ってもらいました。
 ところが……。楽しかった数日間の東京旅行を終えて岡山に帰った日の夜のこと、ふと両親の寝室から母の嗚咽(おえつ)の声が聞こえてきました。母は父に取りすがって「東京で姉さんに酷いことを言われた、悔しい」と泣いているのです。
 後に何を言われたのか母が語ってくれたのはこうでした。「あんたたち夫婦は子育てを間違っている。つましい教員なんかやっていて子どもに倹約を強いているのだろう。そのせいで子どもがいじけているではないか。何を買ってやると言っても『要らない』の一点張りだった……」
 私は母に対し申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。なぜほどほどに値の張るおもちゃとか洋服でもねだって、伯母さんの自尊心をくすぐってあげなかったのか、大失敗でした。
“三つ子の魂百まで”、今でもデパートは食料品売場以外は苦手です。それでも伯母に似ていて上京したら用はなくても新宿の伊勢丹に寄ります。もっとも伯母に言わせれば「伊勢丹なんか……」でしょうが。 

インプラントその後

インプラントの人工歯根を埋め込むための手術を大学病院の口腔外科で受けてきました。私の場合、人工歯根を支えるだけの骨の厚みが不足していたので、人工骨で歯槽骨をかさ上げし、そこに人工歯根を埋入するというかなり大がかりな手術でした。

所要時間はたっぷり2時間。麻酔を打ちその後は口を大きく開けたままにしておくのですが、助手をつとめるシニア・レジデントの学生さんが金具で頬をずうっと引っ張り続けます。歯茎を切開する痛みは麻酔で消されているのに対し、頬に金具が当たる痛みは相当のもの。「頬が痛いのですが……」と申し出たら、先生は何と頬に麻酔をチュチュッと打たれるではありませんか!「こんな対処の仕方もありなの!?」

歯科の診療台の周囲には手術を担当している教授のほかにインプラント科の教授、レジデントや学生さんが34人見学しています。ガリガリガリと歯茎の中の骨が削られる音を聞きながら、ふと困った感覚が、最初は遠雷のように、そして次の瞬間にはすぐそこまで迫ってきました。トイレです。

「すみません、トイレに行かせてください」-「あとどのくらいがまんできますか?」

「漏れそうです」-「じゃあトイレに行ったらすぐ帰ってきてくださいね」

衆人環視の中でこういう会話をするのはなかなか非日常感が伴いますが、自然の要求には抵抗できません。白内障の手術では紙おむつをはかされるそうで、それに比べればまだマシ、トイレに行くくらいどうということはないとも言えます。

人工歯根の埋め込み作業も終わり、口腔外科の先生は額に汗を光らせながら30針とも40針とも数え切れないぐらい傷口を縫っていかれます。耐え難い時間。その日は病院に1泊して翌日帰宅しました。しかし本当の地獄はむしろ退院してから23日後に訪れました。頬の腫れが尋常ではないのです。

目も開かないほどの腫れが術後1週間も居座り、いやはや。インプラントのメリットは絶大ですが、難しい部位へのインプラントは歯科医師と十分話しあって、決して無理をしてまで強行すべきではないと思いました。後は人工骨がうまく定着することを祈るのみです。

2022年11月13日日曜日

インプラント手術で顔がパンパン

 春に抜歯した右上奥歯があった場所にインプラントの人工歯根を埋入する手術を受けました。大学病院に1泊しての大変な手術でした。上の歯の歯茎は副鼻腔までの距離がとても薄く、口腔外科の先生が先ず歯槽骨の増量かさ上げの処置をし、引き続きインプラント科の先生が歯根埋入されました。

退院後、2日3日と日にちが経過するにつれ、顔の腫れが信じられないぐらいパンパンに。そろそろ引き始めてくれないと、外出もままならないです。




2022年11月2日水曜日

岡山大学学長、槇野博史君

今年1月ごろ右上の奥歯が原因で副鼻腔にまで炎症が拡がり大変なことになりました。かかりつけの歯科医さんで抜歯してもらったところ炎症は劇的に改善したのですが、その後のインプラント処置は大学病院にお願いした方がいいということで、岡山大学病院のインプラント科を紹介していただきました。

担当のK教授は気さくな方で腰が低く「白い巨塔」の財前教授とは正反対、私のおしゃべりにもちゃんと応じてくださいます。それをいいことに、最初の診察のとき、年齢を聞かれた際に、「74歳です。学長の槇野君と同じ年です」と、それとなく(えっ、見え見えですか?)槇野学長と親しいことをアピール。我ながら本当にいやな性格です。

「学長とお知り合いですか?」 待ってました、そう来なくちゃ。「中学校時代の幼なじみなんですよ。あさってはコロナ以来初めての飲み会があって久しぶりに会う予定です」。K教授は「驚きましたねえ、学長先生のお友達ですか」と相づちを打ってくれました。謹厳実直な先生なら「それが何か?」と返されても仕方ない場面です。

実は中学校時代の3年間、1学年5クラスあったのですが、槇野君とは同じクラスになったことはなく、いっしょに遊んだり勉強したりするような仲ではありませんでした。高校、大学も別々。ただ大人になってから同窓会や同期のメンバーで作っているメーリングリストを通じて交際してきたというのが実状です。

槇野君は高校時代に当時としては日本の高校生がアメリカに留学できるほとんど唯一の機会だったAFSの選考試験に合格し、アメリカの地方都市で1年間を過ごした経験をお持ちです。岡山県全体でも1学年に2、3人の超難関試験だったと思います。私が通っていた高校にもAFS留学帰りの女子生徒がいましたが、帰国直後は日本語を忘れていましたね。

その後、彼は岡山大学医学部に進学、卒業後も母校に残り、教授、附属病院長、学長と順調に出世(いやな言葉ですが)され、また専門の腎臓疾患の権威として学会でも重責を担っておられるようです。

「来年、カナダの親戚が来るので、彼らを連れて大学訪問してもいい?」と尋ねたら「学長の任期は3月末までなので、来るのならそれまでに来てね」とのことでした。6年間の任期は彼にとって長い歳月だったのか、あっという間の日々だったのか、とにかくお疲れ様でした。


大木になりすぎた庭の肥後椿

昔々、1960年代ごろ今の天満屋岡山店の近くに甲本種苗という種物屋がありました。天満屋とは県庁通りをはさんで向かい側にあった小さな店です。当時岡山にはほかに大きな種苗店がなく、もちろん現代のようにネット通販で何でも注文できるような時代ではなく、草花や果樹を育てるのが好きだった私にとっては魅力的な種物屋さんでした。

 たしか高校生のころだと記憶していますが、ある日学校の帰りに甲本種苗の店先に高さが5センチほど、茎の太さはマッチ棒ぐらいしかないとても小さな肥後椿の苗が売られているのを見つけました。肥後椿は直径が10センチもある大輪の花をつけるらしく、こんなちっぽけな弱々しい苗木にいつかそんな巨大な花が咲いたらどんなに見事なことだろうと夢がかき立てられます。

 大学生になって家を離れ、大阪で就職、それ以来実家に帰省するたびに肥後椿の生育ぶりを見てきました。大きくなるのが何と早いことか! 家の庭が気にいったのか、周りの先輩の木々に負けることなく、年々背丈が伸び横にも枝を広げ、春先には巨大な花を咲かせるようになりました。そして花が終わるとボテボテ豪快に地面に落ちて庭は深紅の絨毯を敷き詰めたようになります。

 ところで、椿は忌木で庭に植えることを嫌う地方が各地にあるといいます。花がボトリと落ちるところが打ち首を連想させるからとか、病人が絶えないからとか、家運が傾くからなどと言われているようです。ところが我が家の椿は大した悪さをすることもなく今や樹齢60年を超え、ますます元気いっぱい。とはいえ、ここ数年この大木にも困ったものだと感じるようになってきました。

 広くもない庭のしかも真南に年中葉がある常緑樹があると庭だけでなく家の中まで暗くなります。特にこれからのシーズン、太陽は低くなり座敷まで太陽の暖かい日差しが届かなくなるのです。「だから病人も出るのか、なるほど」と昔の人の知恵には感心させられます。そこで……。

 秋晴れの今日、梯子をかけてかなり大胆な剪定をしました。家の中が少し明るさを取り戻し、久しぶりに傍若無人に存在を主張する肥後椿にブレーキをかけた気分です。ただ山のように出た太枝や葉っぱをどうやって片づければいいのか、庭の植物との戦いはきりがありません。

2022年10月17日月曜日

医師のコミュニケーション能力不足

 医師の患者に対するコミュニケーションスキルを磨いてほしい

9月末頃、夜間ドライブしていたら右目の端あたりにストロボライトのような閃光が2、3秒に一回くらい光るのが見えました。最初は道路の照明灯が目に反射しているのかと思ったのですが、ずっと続くし車を停めても光り続けます。「いままで視力がいいのを自慢してきたけれどとうとう網膜がやられたのか!」と覚悟を決め、近所にある小さな総合病院の眼科を受診しました。

視力、眼圧、眼底などの検査を受け、次いで中年の男性医師による診察がありました。ところがこの先生「上見て、右見て……」と言葉少なく私に指示するものの、事前の諸検査の結果も含めほとんど何も言ってくれません。目薬の処方もないし、「はい、終わり」と言われた私は、いったい自分の目の状態がいいのか悪いのかさっぱり分からないまま。

あまりに愛想がないので、ついでにと思って「白内障はありますか?」と質問したら「立派な白内障ですよ、目が見えにくくなったらまた来て下さい」で終わり。「だれがこんな目医者に2度とかかるか!」と家に帰ったものの、あのなぞのピカピカする閃光は消えないし不安だけが増大します。そして週明けに倉敷にある医科大附属病院の眼科に予約を入れ、その翌週また眼科を受診しました。

前の病院と同じく視力、眼圧などの検査がありましたが、若い女性医師は、ピカピカ光るのは眼球の組織の一部がはがれそれが網膜に当たり、ピカピカ光るように見える、いわゆる老化現象のひとつで心配要りませんと、はがれた組織が写っている写真を見せてくれながら説明してくれました。

白内障についても年相応にあるけれど視力がいい間は何もしなくていい、点眼薬はあるにはあるけれどあまり効果がない、と処方しない理由を説明してくれました。この若い女性医師の診断はたぶん前の中年男性医師と大差なかったのでしょう。しかし同じように専門医に診てもらっても、片や不安が増大、片や不安が解消では大違いです。

最近の若い医師は医学教育課程で患者や病院スタッフに対する接し方をちゃんと学んでいると聞きます。「やさしく、分かりやすく、ていねいに」。 ぜひとも病院経営者には中高年の横着、横柄な男性医師たちを再教育してもらいたいものです。

2022年10月1日土曜日

朋あり遠方より来る

朋あり遠方より来る、また楽しからずや

(9月23日、秋分の日に沖縄の友人、組原洋君来岡。組原君がまとめたそのときの日記を加筆訂正のうえ適宜編集したものです。同窓生とあるのが本ブログ筆者。中学校のときの同期生ですが、交流が始まったのは50歳を超えてから。文中の「40代の旅と日常」は同君の近著。東京 学文社、2022)

※※※

山陽本線、福山発岡山行き電車で、岡山駅から2駅手前の庭瀬駅に14:19に着くと同窓生が迎えに来てくれていた。普段はまず近くの行きつけの喫茶店に行くのだが、たまたま秋分の日で、その関係の用事があったらしく喫茶店はお休みになっていて、同窓生は私の身体障害者用の5割引のETCカードを使って神戸まで行こうと言う。


同窓生に会いに行ったのはおしゃべりするためだから、行先はどこでもよい。彼の自宅近くに行って、出発の準備をしてから、まず牛窓に行った。Wikipediaによれば、牛窓は東と南は瀬戸内海に面している。特に観光業に力をいれており、「日本のエーゲ海」と称している。マッシュルーム(全国シェア30%)の生産地であり、香川県の小豆島とならび、日本二大オリーブ産地の一つでもある。


牛窓にはこれまで3回ぐらい同窓生に連れてきてもらっているが、「日常の記」を検索してみたら、130311140428の2回出てきて、いずれの時も小林宏さんというミュージシャンの人がやっている喫茶店「てれやカフェ」に行ったのだが、小林さんは今は県道から少し奥の方に入ったところに新しい店をリニューアルオープンさせていて、入り口近くのカウンター席でコーヒーを飲んだ。


2階はお座敷タイプで、窓から海が見えるが、床の間にほうずきが飾られていて、私の『40代の旅と日常』もほうずき色のバックでカバーを作ったので、記憶に残った。結構ゆっくり休んでから神戸に向かって出発した。


しばらく自動車専用のブルーラインを走り、備前インターから山陽自動車道に入り、姫路東インターで高速を降り、そのまま播但連絡道経由で姫路バイパスに合流しようとしたのだが、同窓生は間違って一般道に降りてしまい、コンビニで人に道を聞いて再び姫路バイパスへ。加古川バイパス、第二神明道路、阪神高速3号神戸線を走って、京橋出口で高速を降り、ポートアイランド沖にある神戸空港に向かった。同窓生の車にはナビがなく、外は暗闇でだだっ広いポートアイランドの中でまたも道を間違えたりしながら、午後8時前に空港駐車場に着いた。


空港ターミナルの洋食レストランで一緒にカレーを食べてから別れ、21:00SKYで那覇に23:00着。23:30発のモノレール最終便で帰る。

2022年9月28日水曜日

忍び寄るコロナの影

新型コロナの感染者数は減少しつつあるとはいえ数字的には相当なものです。岡山県においては8月のピーク時には1日の新規感染者数が4千人に達し、その後は減り続け最近は千人程度で推移しています。県内感染者累計を見ると27万人、死亡は4百人余りとなっています。

岡山県の総人口が190.6万人(2018年2月)であることを考慮すると実に7人に一人の県民が感染経験をしている勘定になります。しかしこの頻度に実感が伴わないのはなぜでしょう。みんなコロナに罹っても知らん顔して隣近所のうわさにならないように気を付けているのでしょう(賢明な判断です!)。

ところがごく最近、たまに幼なじみに会ったりする機会に「実は先月コロナに罹った」などという話をちょいちょい聞くことがあり、コロナの存在が現実味を帯びてきたような気がします。もっとも身の回りの例では、症状は軽く、ほとんどは無症状、症状があってもせいぜい2、3日熱が出たけど解熱剤を飲んで寝ていたら治ったという感じです。

流行初期のしばしば重篤な肺炎を引き起こし、エクモを装着され、死の淵を彷徨う恐ろしげな病気とはまるで別物になっているようです。

ところが……。先日、秋分の日に沖縄の友人が上京した際、はるばる岡山の私を訪ねてくれました。久しぶりの再会で喫茶店で話をしただけでは足りず、帰りの飛行機が出る神戸空港まで私の車で送ることにしました。友人は耳に障害があり大声でないと会話が成り立ちませんが、車の中ならいくら大声でもOK、神戸に着くまであれこれ話が弾みました。

そして週明けに思いもよらぬメールが来ました。「夜中に微熱があり、昼間はせき、くしゃみが出る」と。ちょっとあわてました。何しろ私は一度もワクチンを打っていないし、助手席の友人とは3時間も大声でしゃべっていたのですから。

友人も私もコロナに効果があると期待される寄生虫駆虫薬のイベルメクチンの効能を信じていて、すぐに飲みました。そのせいかどうか、あるいは友人の発熱は単なる風邪だったのか、症状はまもなく収まり、私も体調に変化なく過ごしていますが、忍び寄るコロナの影に一瞬たじろいだのは確かです。なお製薬会社と大学のイベルメクチンの治験結果は「有意な効果は認められず」でした。


2022年9月20日火曜日

エリザベス女王葬儀

「盆と正月が一緒に来たよう」というと例えとしてはまずいのですが、史上最強レベルの台風襲来とエリザベス女王の国葬があった9月19日はテレビ局にとってはそういう日であったに違いありません。おまけに台湾で大地震もあったのですが、このニュースなどすっかり片隅に追いやられてしまっていました。

台風の方はさいわい「経験したことがない」と言うほどの被害はなく、やはり注目されたのはエリザベス女王の荘厳かつ完璧な葬儀の様子でした。どの映像も伝統と格式、様式美にあふれてうっとり。かてて加えて、人々に愛された女王とのお別れに市民が親しく立ち会えるよう最大限の配慮がみられたことは羨ましくさえ感じられました。国葬までの約10日間、遺体は各地を巡回し、ロンドンでは24時間だれでもお通夜に参加できたことは驚きでした。

ウェストミンスター寺院での国葬の後、最終的に安置されるウィンザー城までの長い沿道でも葬列はゆっくり進み、そこでも多くの国民が花一輪、最後の献花をすることが許されていました。さすがはイギリス、伝統と格式に留まらず王室と国民の距離が近いと感じました。私も若いころロンドンに行ったことがありますが、そのとき一番驚いたのがバッキンガム宮殿のたたずまい。堀や森で隔離され、隠された皇居と異なり、「この壁のすぐ内側に女王がおられる」という圧倒的な近しさでした。実際はどうか知りませんが、とにかく王室と国民の距離が近い。日本の皇室の儀式はともすれば政界関係者と外国要人のために存在しているかのような印象が強く、「一般国民はテレビでも見ていなさい」というのは何とかならないものでしょうか。

エリザベス女王の国葬で感じたもうひとつのことは、国王の葬儀であれ庶民の葬儀であれ、キリスト教の葬式は分かりやすく、遺族はしみじみ心が癒されるセレモニーだということ。難解な仏式に比べ、分かりやすい説教のあいまにみんなで賛美歌を歌い、澄み切った気持ちで故人とお別れできるのが何よりいい。

イギリスの公共放送BBCの中継スタンスも立派でした。ひたすら儀式の進行と遺族の姿に焦点を当て、バイデン米大統領等各国要人の映像はいっさい流しませんでした。やるじゃないかジョン・ブル! 誇りと気骨がありますねえ。

グリーンモンスター、クズの脅威

最近在来線の電車や高速バスで大阪までよく出かけ、スローな旅を楽しんでいます。市街地を離れるとすぐに緑豊かな田園地帯を電車やバスは走っていくのですが、一見“緑豊か”に見える道路脇や鉄道沿線、里山の緑の正体が秋の七草のひとつクズであることに驚かされます。

クズは漢字で書くと「葛」であり、むかしなじみの葛餅、葛湯などの食品として、また風邪によく効く漢方薬、葛根湯の原料として人間の生活に役立つ存在でした。ところが今では人間の怠惰がもとでクズは最凶の迷惑植物となってしまいました。

実際、空き地に廃車を捨てたり廃屋を放置したりするとすぐにどこからともなくクズが繁殖を始め、電柱があればそれによじ登り、小川をまたいでどこまでも勢力範囲を広げます。高速道路の法面など日当たりのいい場所はクズにとって理想的な繁殖地になります。かつてアメリカは荒れた表土の保全のために日本からクズを輸入したそうですが、今ではグリーンモンスターとしてやっかいもの扱いです。

アメリカでも日本でもモンスターと化したクズの退治方法はあるのでしょうか? アメリカ軍がベトナム戦争のときに使用した枯れ葉剤のような薬品を使ったとしても効果は限定的で莫大な金もかかる一方、他の動植物や環境に与えるダメージは大きく現実的ではありません。

戦前までの日本の農村風景の美しさ、手入れのよく行き届いた山野の自然の美しさは外国人の驚嘆の的でした。たしかに安藤広重の浮世絵に描かれた農村は雑草一本生えていないうっとりする美しさ。若いころ初めてスイスを旅したとき、都市も農村もアルプスの山岳地帯もどこをとっても舐めるように美しく管理されていたことに感激したものですが、かつての日本もスイスに負けない絵になる国だったと思います。

どうやったらグリーンモンスター、クズに占拠され、松林は枯れ、足の踏み場もなくなった里山を復活させることができるのか。頭をひねっても、薪炭を捨てすべての燃料を輸入に頼り、小麦や大豆、家畜の飼料のほとんどを外国から安く輸入している現状ではお先真っ暗です。ここは奄美のハブ捕獲ではないですが、刈り取ったクズを1トン焼却炉に持ち込んだらいくらかの報奨金を支払うというのはいかがでしょう。

青春18きっぷ

 飛行機に比べ各種割引料金の設定に消極的なJRにしては珍しく長年続いているサービスに「青春18きっぷ」の存在があります。この切符に先行して誕生した「フルムーン夫婦グリーンパス」は今年を最後に廃止するとのことで、「青春18きっぷ」は全国のJR線をまたいで格安に旅行できる唯一の人気企画商品となるのではないかと思います。

この切符が登場したのは国鉄末期の1982年ということですが、実は私はこれまで一度もこれを利用したことがありません。始発から終電まで一日中鈍行列車に乗れるだけ乗って距離をかせぐというイメージが強く、旅の余裕を楽しむというより苦行のように思えたからです。

ところが歳を取ってひまになると岡山から京阪神あたりに出かけるには片道3、4時間かかる在来線の旅の方がペース的にぴったりくるのです。新幹線「のぞみ」の45分で新大阪に到着してしまう旅は速過ぎるし料金も高過ぎ。そんなところへ遅ればせながら「青春18きっぷ」という破格の存在に気づいたという次第です。今年の夏シーズンの切符の発売最終日は何と本日、8月31日まで! 利用期間は9月10日までなので、これからの10日間、小旅行を繰り返すことにしました。大阪、京都、広島、高知、松江と思い巡らすだけですでに東西南北5日分の旅程は完成です。

話は少々ずれますが、旧国鉄のネットワークの良さは新幹線の普及と分割民営化のおかげでどんどん悪くなってきました。とりわけ長距離の鈍行列車が激減。私の中学校時代には宇野発大阪行き鈍行列車があり毎日の通学に乗っていました。蒸気機関車が消滅する直前の時代です。

私は宇野線妹尾駅(現在の瀬戸大橋線)から岡山駅まで15分ほどの乗車でしたが、昭和36年当時、大阪まで闇米を運ぶ業者が通勤通学客を押しのけて、わずかな停車時間に我が物顔で多数の米袋を客車に積み込むのには閉口。その列車は夕方には闇米屋を乗せてまた岡山へ帰ってきていました。今はもう在来線で岡山・大阪を乗り換えなしで移動することはできませんが、さいわい線路はJR西日本管轄のままつながっています。北陸地方のようにかつての北陸本線が第3セクター化によってずたずたにされた地域に比べれば岡山はまだマシか、という感じです。

2022年8月24日水曜日

同期の桜

 両親とも小学校の教師をしていたため、家にはオルガンがあり、父は器用にもよく軍歌を演奏していました。父の十八番の「同期の桜」が始まると母は血相を変えてオルガンが置いてある2階に駆け上って「お父さん、軍歌なんか弾くのやめて下さい、隣近所に恥ずかしいじゃないの!」と制止していました。

しかしながら純粋に音楽として捉えると軍歌はリズム感といい心に響く歌詞といい名曲の要素が詰まっています。子ども心に「同期の桜」の歌詞中の“同じコクタイの庭に咲く”の部分、意味は不明でもなぜか素敵!などと思っていました。しかし耳で覚えて歌っているととんでもない誤変換が頭の中で起きるものです。私は大人になるまで“同じ国体の庭に咲く”だと信じていたのです。

中学生の時、社会の時間に初めて国体という言葉の意味について先生から説明を受けました。「国民体育大会の国体とはちゃうで!」と。国体のはっきりした定義についてはよく知りませんが、(日本の清々しい)国柄とでもいうのでしょうか。「同期の桜」のコクタイはきっと“命を捧げるのにふさわしい国柄、我がニッポン、俺達仲間はその美しい国に咲いていさぎよく散る桜なのだ”という意味だろうと。

ところが西條八十作詞の歌詞を見てみると“同じ国体”ではなく“同じ航空隊”(3、4番)となっているではありませんか。なるほど同じ兵学校の特攻隊の若者が今まさに桜が花開こうしているとき出撃していった話なんだとジーンと来ました。

とはいえ、楽曲とのマッチングから言えば“コクタイ”こそ4拍でよく合っています。“コウクウタイ”では字余りになり、何となく聞いていると頭の中では勝手に航空隊が国体になってしまいます。そんなこんなですが、私は“国体”と思って歌うことの勘違いにはかえって意味の深みを感じさせる音の響きがあるような気がしてきらいではありません。

「同期の桜」を久しぶりにオルガンで弾いてみようと2階の部屋に上がってみました。でもダメでした。昔は私の勉強部屋でしたが今では猫部屋になっています。オルガンのペダルは6匹の猫達にとって恰好の爪研ぎ板になっていました。ペダルの奥には何やらコロコロ乾燥したウンチまで!猫はすべてを破壊する動物です。思い出の品々も容赦なく。


甥っ子夫婦からのお返し

昨年の夏に続いて今年も東京に住んでいる甥っ子夫婦に岡山特産のブドウをお中元として送ってやりました。ニューピオーネとシャインマスカットがそれぞれ2房合計4房、お金の話を言っては身も蓋もありませんが、送料込みで1万円近くかかりました。甥たちは二人とも国家公務員でいわゆるDINKs(Double Income No Kids)、嫁さんの両親の家の近くにアパートを借りて住んでいます。叔父の私が甥に贈り物をするときいつも多めに送るのは、義両親にもお裾分けしたら甥っ子も少しは点数稼ぎができるのではないかという甥思いの下心があるからです。

届いたのと同時に甥からは「食べ始めると止まらない」、嫁さんは「いつもありがとうございます」とのメッセージが届きました。それからしばらくしたころ、甥から「羊羹を5個送った」と知らせてきました。「去年はお礼の言葉だけだったのにずいぶん進歩したものだ、ついにお返しできるようになったか!」と羊羹の到着が待たれました。

「え!、何これ?マジっすか?」宅急便のお姉さんから渡された小包は中に修理済みのスマホでも入っているのかと思えるぐらい小さなものでした。「5個」とは文字通り5個の一口サイズの水羊羹が小さな箱に。もしもぶっとい羊羹が「5本」も届いたらどうしようと心配していたのがバカみたい。しかも念入りなことに小さな箱には2人の連名で「お中元」ののしが貼られていました(粗品だろうが、こういう場合)。

私はいやらしくもその羊羹の老舗メーカーのホームページをチェック。税込みで1404円!いやはや甥っ子の両親も嫁さんの親もいったいどういう教育をしてきたのだろう、と小姑根性丸出しで行きつけの喫茶店のマドモワゼルに愚痴ってしまいました。

終活というか私の老後、死んだときの後始末は、たった一人の叔父である私を結婚式にも招待しなかったこの甥に頼むしかないので、昨年それとなく始めたお中元、お歳暮作戦はかくて惨めな結果に終わってしまいました。ミニ羊羹5個お返しするのももったいないと思わせる私の存在の軽さ、立場がよく分かりました。

もともとありもしない肉親への幻想を捨てること、預貯金等も自分で使えるうちに使ってしまわないといけないことだけは確かなようです。


2022年7月12日火曜日

安倍元首相暗殺事件に思う

6月中旬に奈良を訪れ、その際に近鉄西ノ京駅のプラットホームで元総理大臣Hさんが護衛もなく電車を待っているのを至近距離から目撃した話をこのコラムでご紹介しました。日本は何て安全な国だろうというコメントとともに。Hさんとはもちろん細川護煕元首相のことです。

それからひと月もしないうちに同じく近鉄大和西大寺駅駅頭の広場で参院選の応援演説をしていた安倍元首相が手製の銃で暗殺されるという前代未聞の惨劇事件の報道に日本だけでなく世界中の人々が接することになりました。その日、私はラジオでNHKニュースを聞いていたのですが、何が起きたのか要領を得ない報道に、どうか一命だけは取り留めてほしいと願ったものです。しかしまことに残念な結果に終わりました。

今回の事件で多くの識者から指摘されていることは要人警護の拙さ、異常事態発生時の対応の悪さです。たしかに演説をする元首相の背後すれすれのところを車や自転車がすいすい通っているという何とも異様な光景が繰り返し放映されていて、素人目にもあの警護のやり方はないだろうという気がしました。

対照的に同じ元総理大臣だった細川さんがリュックサックを背負って一人で近鉄電車に乗っていたのはあらためてあれは何だったのか考えてみました。要人警護の決まりとして首相経験者には終生SPが一人付くらしいです。ところが現在、村山富市さんと細川護煕さんのお二方は「煩わしい」との理由で警護を断っているそうです。

細川さんご自身、新宿のホテルで銃撃された経験がおありだそうですが、政界を引退した後は陶芸や絵画に才能を発揮し、今回のようなきな臭い事件のターゲットになる心配はあまりないのでしょう。村山さんが率いていた社民党はもはや風前の灯火状態で村山さん自身98歳という超高齢者となった現在、お二人とも政治的には「終わった人」故に勝ち得た平穏な生活だと思います。

それに反してモリカケ、桜の決着もなかばうやむやなまま、しかもひょっとすると3度目の復活だってありえた実力者の安倍さんの場合、身辺警護は最高のレベルで対処することが求められていたはずです。警戒を緩めてもかまわないのは村山さん、細川さんレベルになってからでも遅くなかった、と残念でなりません。


2022年7月7日木曜日

生食すると危険なサヤインゲン

家庭菜園向きの野菜としてサヤインゲンは育てるメリット上々です。というのもスーパーで売っているサヤインゲンは値段が高く、量も少ないうえに鮮度もすぐに落ちます。インゲンこそ晩春から晩夏までいつでも種蒔きができるのでぜひ家庭菜園に取り入れたい野菜のひとつです。

種類は大きく分けてつるあり種とつるなし種があります。つるあり種の方が長期間次々と収穫できるのでベターなのですが、つるを誘導する支柱を設置するのがめんどう。これに対しつるなし種は低い位置で生育が止まるのでプランター栽培にも好都合です。

今年は久しぶりにつるなしの種を買って菜園で育てたところ大豊作でした。定番の食べ方はサヤインゲンのゴマ和えや肉料理の付け合わせなどでしょうか。ところでサヤインゲンによく似た豆にササゲがあります。とくにタイ料理で有名なソムタムに入れる長さ40センチぐらいあるササゲは三尺ササゲとも呼ばれ、タイでは生のまま食べます。

「未熟なササゲは生で食べられる!」いいことを知ったと思いました。サヤインゲンもソムタム風に生で食べられるのでは? 危ないところでした。サヤインゲンはササゲと異なり有毒成分であるレクチンが多量に含まれているのでサヤインゲンでもインゲン豆でも生食/不十分な加熱は厳禁とのことです。

ちょっと調べてみたら、インゲンほどではないにしても多くの植物にレクチンは広範に含まれ、その数、数千種類!グルテンもそのうちの一つとかで、生の食材に無頓着であってはいけないと思いました。動物と異なり植物は外敵の攻撃に対し、動いて逃げることができないので、簡単に食べられないようにさまざまな有毒成分で武装しているそうです。

一方、人間の知恵も大したものです。大半の有毒成分は煮たり焼いたりの加熱で活性を失うことを経験から学んできました。またアクを取ることによってワラビやコンニャクなどもおいしく食べています。

戦後の食卓に登場したサラダは、健康的なイメージと裏腹に、植物が持つさまざまな毒性分を無防備に摂取することに他なりません。戦後アトピーやアレルギーが爆発的に増えたのはそのせいでは? 昔の人が安易に生ものを食べなかったのにもそれなりの理由がありそうです。


岡山県立美術館にて

 先日の日曜日、久しぶりに県立美術館に行きました。この日が最終日だった高木聖鶴展目当てのお客でにぎわっていましたが、私が見たかったのは地下画廊で開催中の「撮影された岡山の人と風景--県内作家の近作とともに」展の方でこちらはひっそり、閑散。しかしヨーロッパの人の目に映った2001年の岡山や写真集「bridge」などローカルかつユニークなおもしろい作品が多数展示されていて、こういう企画展こそ都道府県立美術館でなければ実現できないいい展覧会だと思いました。

そのうち杉浦慶陀さんという写真家の作品は「暗く沈みこんだ森」がほの暗く写し取られた作品群で「神様の殺し方」という連番タイトルが付けられ、魂を抜かれた自然を人間の暴力性の中で捉え、見る人に深い考察をうながす力作だと感じました。ところが、展示場のパネル(説明版)の文面を読んでいて「?」と感じた箇所がありました。

--杉浦によれば「管理され、虚勢されたはずの緑の中に潜むものは—-

文脈から言って「虚勢」ではなく「去勢」であることはあきらか。山の木材は資源として利用され、山地は産業振興のため開発され、森は違法に伐採される。「自然としての山と人間は結びついていないのではないかという意識がある」、つまりは一見豊かに見える森の緑も原初の森ではなく「去勢された」森だというのが杉浦のメッセージだと思います。

一番大切なキータームである「去勢」という単語が誤変換されているのは一美術ファンとして見逃せない! 出しゃばりの私は担当の学芸員を呼び出してもらいその旨意見を述べました。学芸員氏は面倒くさそうな顔をして私の説明を聞いていましたが、「作家から受け取った文章をそのまま使ってキャプションを作ったから……」と訳の分からないことをつぶやきながらそそくさと事務室の方へ消えていきました。

 美術館は接客業ではないのかもしれないが、私のような紳士的にクレームを付ける年寄りをもっと大切にしてほしい、いや構ってほしい! 老人は知識はあるのにそれを披露する場所がない、あんたら現役世代は分刻みの忙しさかも知らんが、こちとら時間はたっぷりあって閑を持て余してんだよ! それなのに名前も携帯番号も聞かれることなく放置されてしまう。私も迷惑千万な年寄りになりました。


2022年7月4日月曜日

危うくマムシにやられるところだった

家の西側壁面が野ブドウの蔓に覆われるようになり、3日の日曜日に草刈りと野ブドウを除去。抜いた草やブドウの蔓を素手でかかえてははプラかごに入れていく。最後の山を抱えようとしたときそこに潜んでいた巨大なマムシが飛び出し側溝に逃走。奇跡的に噛まれなかった。すぐに三角ホーを持ってきてマムシを押さえつけたものの殺すのに忍びず、隣のくそ婆の方に追いたてる。 今まで家の周りや畑、田んぼでマムシに遭遇したり退治したことがトータルで10回はあるがこんなにも危機一髪の状況だったのは初めて。もしやられていたらと思うとぞっとする。

2022年6月18日土曜日

大阪・奈良2泊旅

 数年ぶりに奈良の率川神社の百合祭、三枝祭を見ようと6月15日から17日まで大阪奈良旅行に出かけました。15日は東横イン梅田東泊。梅田といっても南森町にあり天神橋商店街が近くあらゆる飲食店がそろって楽しい街。

16日。神田君を呼び出し心斎橋のビストロ・ダ・アンジュでランチ。赤ワインがおいしい。フレンチで満腹せず、丸福珈琲店でサンドイッチ追加。近鉄で奈良へ。東横イン奈良泊。近畿の高校生陸上大会が開催中でどこのビジネスホテルでも高校生がいっぱい。大阪で買った鯛焼き2つとコンビニ弁当をホテルで食って就寝。寝るまで内館牧子の「もう一度生まれたら」を読む。テレビドラマは原作を大きく膨らませているのが判明。内館センセイ、意外と面白い。

17日。率川神社での三枝祭はコロナのため招待客以外は境内に入れない。あきらめて、というか見ても見なくてもいいので近鉄奈良駅前に戻りバスで唐招提寺へ。

昔1度来たことあり。蓮が開花。続いて薬師寺まで歩いて移動。薬師寺は参拝せず近鉄西ノ京駅へ。ほとんど人のいない京都行きホーム目力がある姿勢のいいおじいさんが薬師寺の坊さんたちと談笑。マスクは着けていてもどこかで見たことのある顔。えっ? かつての総理大臣、細川護煕さん? お付きの人も警備もなくリュックサックを背負って電車の到着を待っている。私はまもなく到着した京都行き急行に乗車、元首相は後続の特急に乗るのだろう、ホームの待合室に入っていくのが急行電車の窓越しに見える。私は大和西大寺で大阪・難波行きに乗り換え。まもなく細川さんを乗せた京都行き特急が入線。ホーム側窓側の席に細川さんが一人座っているのが見える。京都駅で新幹線に乗り換え東京に帰られるのだろう。ネットで調べたら細川さんは絵も描くそうで薬師寺のために大作を残しているらしい。

大阪・千日前到着。またも神田君と丸福珈琲店へ。ハヤシライスセット。歩いて空堀商店街に行き土居昆布店で昆布や佃煮購入。神田君と別れて谷六から地下鉄、新大阪から新幹線ひかりで帰岡。おとなびの指定席は夜9時過ぎのこだまだったが、5時過ぎのひかり自由席に乗る。岡山駅まで無事到着。駅構内の吾妻寿司で「柊」1800円。マンションの猫のお世話。実家着。庭の植物は無事。





2022年6月15日水曜日

泉州水なす

大阪で暮らした約30年のあいだに出会った食材で一番感動したのが「泉州水なす」です。Wikipediaによれば「なにわ伝統野菜第一号」の称号を授与されているとか。関西空港行き電車が岸和田、貝塚、泉佐野あたりを通るとき、車窓から水ナス栽培農家のビニールハウスがよく見えます。水ナスはその名のとおり栽培には土壌中にたっぷり水が含まれていることが必須で、本場の水ナス畑は畝と畝の間の通路が常時水浸しになっています。

2001年に親の介護のために岡山に帰ってきたのですが、意外にもここ岡山でも駅前のデパートの野菜売場で「泉州水なす」をよく見かけます。これを買い求め、家で糠漬けにして食べると絶品! そこで今年は水ナスそのものを家で育ててみることにしました。

4月、たまたま訪れた美星町の「星の郷青空市」の園芸ショップで水ナスの苗を発見し3本購入しました。茎や葉には水ナスの絹肌の実にそぐわないするどいトゲがあり、このトゲこそ本場泉州の水ナスの特徴かと思います。晴天続きの5月中毎日水やりを続けた甲斐があってか、6月になって待望の水ナス第1号が収穫できました。さっそく糠漬けです。例年春と秋の気候のいい時期に糠床を生糠から作るのですが、今年はてっとり早くスーパーで完成品の糠床を購入し、そこに山椒の実や昆布、唐辛子、酒粕、清酒、生糠などをアレンジしました。そしてキュウリやキャベツ、ふつうのナスを何度か漬け、たちまち熟成糠床が完成しました。

収穫直後のツヤツヤ新鮮な水ナスを熟成糠床に漬け込むこと一昼夜、たちまち何ともいえないさっぱりした食感最高の糠漬けができました。アクが少なく生でも食べられる水ナスは浅漬けが一番。鰹節をかけ、しょうゆをちょっと垂らして、炊き立てのご飯に乗せて食べるとほかにおかずは要りません。みずみずしい初夏の食卓です。

梅雨入りして水分をたっぷり含んだ畑ではキュウリ、ナス、インゲン、ズッキーニ、ミニトマトが収穫期を迎えました。美星町特産のかぐわしいベーコンをちょっと炒め、そこに畑でとれたジャガイモ、タマネギ、ズッキーニやインゲンなどを加えて作ったミネストローネもこの季節ならではのフレッシュな一品です。


2022年6月9日木曜日

無言館展

ただいま牛窓にある瀬戸内市立美術館において、“無言館展 戦没画学生 魂のメッセージ”という絵画展が開催中です。第二次世界大戦戦時下、美術学校を卒業した画学生たちが学生時代や戦地で描いた絵画を収集、補修、保存、展示するため、平成9年、長野県上田市に「無言館」という名の美術館がオープンしたとのこと。今回その中から選りすぐりの作品が牛窓にやってきてここ岡山においても静かな感動の輪を広げています。

いただいたパンフレットには「将来への希望に満ちたはずの若者たち。絵筆を銃に変えざるを得なかった画学生」とのキャプションが掲げられています。この若者たちの年齢はちょうど私の両親と同じ大正6年前後の生まれで、大正デモクラシーの中で自由で豊かな教育を受けた世代です。召集された画学生たちは当時の多くの若者同様、北支やフィリピンなど南洋に送られ2度と故郷を見ることなく散っていきました。

展覧会の会場ではいろんな世代の人が熱心に絵に見入っていましたが、とりわけシニア世代の観客にとって戦没画学生は自分の伯父さん、兄弟のように感じられたのでしょう、感極まって目元をぬぐう人も見受けられました。

長野県上田市郊外にあるという「無言館」には現館主の窪島誠一郎氏が遺族の元を尋ね歩き、現在130名、約600点の作品が所蔵され今も収集は続いているそうです。牛窓の会場には絵画作品だけでなく画学生が戦地から故郷の両親に当てた遺書や手紙類も展示されています。国や時代の違いをこえて戦争で一番の犠牲になるのは若者や子どもたちであることは現在も続いているウクライナ戦争をみればよく分かります。

展示された絵画のテーマとして戦争そのものが描かれているわけではなく、むしろ大正生まれの世代のほとばしるような芸術に対する才能と感性の高さを見せつけます。彼らが戦禍に散ることがなかったら戦後の芸術界は様変わりだったのではないかと思いました。

「無言館」館長の窪島さんによる講演会は5月に実施されましたが、満席だったとのことで、美術館によれば再度講演会を行うかもしれないとのことでした。詳しくはホームページに掲載されるようです。(牛窓にて開催中、7月10日まで)


2022年4月15日金曜日

4月中旬の野菜畑

 暑い日のあとに雨模様で寒い日があります。

(上) ジャガイモ。合計で80株ほどあります。

(下) 桑の新芽。花芽が見えます。






2022年4月8日金曜日

桑の木の接ぎ木

 桃の花が咲く季節は春の接ぎ木シーズン。

桑のジャムが好評なので、大きな実をつけるケンタッキー・ワンダーを実生株に接ぎ木した。3株、4ヵ所。(4月7日)



2022年3月11日金曜日

副鼻腔炎 老女医の荒療治ですっきり

 中学生のとき臨海学校で豊島に行きました。そのとき海水が鼻に入ったのが原因だったかどうか分かりませんが、副鼻腔炎を起こし夏休みに日赤病院(現在の中銀本店所在地)で残酷な手術を受けました。そのときいっしょの部屋にいた患者が、副鼻腔炎は年を取ったらまた再発するものだと言っていたのが気になりました。実際、それ以来風邪を引くと最後は鼻詰まり、つまり急性副鼻腔炎になり耳鼻科のお世話になって今日までやってきました。1,2回耳鼻科に行けばすぐ治るのが通例。

ところが、2月下旬ごろから上右奥歯が痛み始め、抜歯してインプラントにするかどうかなどと歯科医と協議しているうちに、顔の右半分が腫れて目の下に常に鈍痛があり、歯が浮いて気分は最悪。そこで中庄の川崎医大病院・耳鼻科でCTを撮ったら右上顎洞にぎっしり膿がたまっているとのことでした。川崎医大の耳鼻科、皮膚科、眼科の医師はほぼ例外なく若くてきれいなおねえさんですが、何を聞いても画像から分かることしか言わないし、マニュアルどおりの薬の処方です。「奥歯が原因かどうかは分からない」。私が「上顎洞の開口部から直接膿を吸い出すことはできませんか」と尋ねたら「部位的に難しいです」とのこと。
「では、抗生剤3ヶ月分処方します」というので、「3ヶ月も!?」と言ったら、1ヶ月に減らし、そのころ来るように言われました。
 
もっと強制的、物理的に膿を排除することはできないのか、そんな話を喫茶店で話していたら、畳屋のコバヤシさんが、「鼻の中からストローぐらいの針を上顎洞にぶっさして膿を吸い出してもらったことがある。効果は劇的で一気に蓄膿の不快な症状が消えた。紹介しようか?」という。太い針が骨を貫通するとき「ベキッ」という音がしたけど一瞬だった、などと。
 
川崎医大で処方された抗生剤がすぐ効くわけもなく、食欲、気力が日に日に落ちて途方に暮れ、昔よく行っていた妹尾駅前のサイトウ先生(女医)を訪ねてみました。「亀の甲より年の功」というか、先生は「上顎洞の開口部から膿を吸い出すことはできますよ。やってみますか?」と余裕のお言葉。
「私に耐えられるでしょうか?」
「さあ、どうでしょう。若い男性はよく気を失います」おばちゃん先生は何とも言えない微笑みをたたえながら私の目を見ている。
ここで決断しないと、これがラストチャンス、それに私は若い男ではない。
「もうやけくそです。やってください!」
5分ほど麻酔薬が効き始めるのを待っていざ開始。
私は複雑な鼻の構造に対し柔軟に折れ曲がるポリエチレンのチューブでも使うのかと思っていたのに、先生の手にはステンレス製のJ型のノズルが、、、
「いきますよ、ちょっと顎を引いて」と言われ顎を引いた瞬間、老女医の手が俊敏に動いた。
「ウギャー! マジっすか?」
あんな硬いステンレスノズルがいったいどうやって複雑に屈曲した鼻の空洞に入り込めたのかは謎。
 
ノズルの先端をあちこち動かしながら膿を吸い出し、生理食塩水で洗浄することわずか数分。この医院、いつもは診察台に座ると中年の看護師のおばちゃんが体をぴったり私に寄せ付けて両手で頭を固定。それをやられるたびにウザイと思っていたのですが、今日は優しいおばちゃん先生と体を寄せて守ってくれる看護師さんの体温を感じながら、まるで胎児に戻ったような安心感を覚えました。
 
「どうです。すっきりしたでしょう」とおっしゃるのですが、あまりのことに茫然自失。10分ほど経過観察して無事会計へ。あれだけ大変な処置(私にとって)だったのに、お支払いはたったの590円でこれにもびっくり。

翌日
半日ほど血が交じった鼻水が出ていたが、今朝はすっきり。顔の腫れも引いて歯痛も収まる。恐るべし蓄膿直接吸引洗浄荒療治。
 
これで一件落着かというと、上顎洞炎の原因である奥歯の抜歯、インプラントなど苦難の道はまだしばらく続きそうです。

2022年3月9日水曜日

「人生案内」

 今や激変する世界情勢に関するニュースや論壇、経済統計などは新聞よりもテレビ、ネット、専門サイトの方がより効率的、双方向的に情報を得られます。新聞をゆっくり読むのは喫茶店でくつろぐときぐらいのもの。そんなとき私が必ず目を通すのは「人生案内」(読売)などの人生相談。これでもかと毎日毎日人間の苦悩が綴られています。

 たしかロシアの文豪トルストイの言葉だったと思いますが、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸なものである」という名言があります。大正3年に連載が始まったという「人生案内」は100年を超す長寿コラムとのこと。不倫、夫婦の間の秘密を告白すべきか、親への批判、パラサイト化した子どもへの絶望感、果ては亭主のちょっとした下品な仕草にはがまんできないから離婚すべきか、などと同音異曲の相談が途切れることはありません。

 そんな相談事例の中でも最近とりわけ心を打ったのがあったのでここに簡単にご紹介します。

60代男性、子どもは独立、妻との平和で豊かな日々。世間的には満ち足りた幸福な人生。しかし私には思い出すだけでも怒りに震え出すような悔しい記憶がある。中高一貫教育の名門校(兵庫県といえばあの高校か)で不登校気味になった自分に吐きかけられた教師らの侮蔑的な言葉や態度!「この野郎……」

今は会社社長をしていて収入も平均以上、ボランティアなど社会生活も立派にこなしている。でももともと優秀校だったので同級生たちを見回しても自分の立身出世など自慢にもならない、そこがまた悔しい……心の持ちようを教えてください、という悲痛な内容です。

初老の男の女々しさをここまで率直かつみごとに語った相談も珍しいと思いました。そんな感動的なお悩み相談なのに、大学教授の回答は正直ピンぼけで、「そんな苦しい経験があったからこそ今の幸せがある」と思え云々と。そんな説教を聞いてこの60男の怒り、悔しさが慰謝されるわけがない。なぜ日本人はこの先生のようにものごとを精神論で片づけたがり丸く収めようとするのか。私なら「今からでも五寸釘と藁人形を用意し丑の刻参りをすべき。怒りを忘れたころに呪いは必ず届くもの」とアドバイスしますよ。


2022年3月5日土曜日

アニサキス症

 先日、スーパーで美味しそうな生の鯖を売っていたので1尾買ってシメサバにしてみました。ママカリ、ニシンの酢漬け大好き人間としてはこってり脂の乗ったシメサバには抵抗できません。しかしながら、鯖は寄生虫のアニサキスがいることで有名で、じっさい包丁を入れたら断面から1匹ぷにゅっと切れたのが出てきました。アニサキスは酢に対してとても強い耐性があるそうで、酢の中に入れられても1週間は死なないとか。そういう知識はありながら、シメサバを作り、しかも2日後に食べたらどうも当たったらしく、昨夜は2時間おきに胃痛と吐き気に苦しめられました。深夜、友人に電話したら「救急受診しろ!」と促してくるのですが、深夜に胃カメラなんて精神的に無理。ネットで調べたら正露丸が特効薬レベルで効くというので、朝イチで買って飲んでみました。何となくよさそう! 100錠入りで800円と激安なのもうれしいです(昔ながらの黒くて臭いやつ)。正露丸は昔は日露戦争勝利にあやかり征露丸と称していましたが、またこの旧名に戻すべきかと。

2022年2月9日水曜日

2022年2月

 4日 大腸ポリープ切除のための1泊入院のためパジャマなど購入

5日 県立図書館で「大島渚全映画秘蔵資料集成」を借りる。誤字脱字があったので国書刊行会の編集部にメールで知らせる。私の指摘通りとのこと。

6日 牛窓。

9日 川崎医科大胃腸内科受診。ポリープ摘出はコロナRCR検査も必要なので2泊3日の入院になるそうで、この時期入院したくなく、手術を7月末に延期。胃カメラも同日へ延期。何事も予定通りにはいかなくなった。

2022年1月

3日 吉備津彦神社、神道山初詣。

8日 大阪

9日 京都 従姉の娘、由美子とイタリアン

12日 鼻詰まり 長い鼻トラブルの始まり

13日 JALで東京へ。新宿泊

14日 浅草、東武特急で日光へ。日帰り。飯田橋泊

15日 神楽坂 日仏センター、ル・モコで昼食。夜37.5度 38.5度、せきがひどい。夕方から翌朝までずっとホテル。

16日 朝目覚めると平熱に。羽田からJALで岡山に帰る。

17日 37度。峠は越した感じ。

18日 さいとう耳鼻科。副鼻腔炎と診断される。

19日 さいとう耳鼻科、SpO2 :99%

20日 無料抗原検査 陰性

21日 早島クリニック耳鼻科、牛窓。

22日 風邪、ぶり返し症状。

24日 早島クリニック

28日 早島クリニック

31日 早島クリニック



15日