2017年7月12日水曜日

2017真夏の上海

7月初め、上海に行ってきました。十数年前から毎年2,3回は出かけているのですが、真夏の上海は今回が初めてでした。滞在中連日35度を超え、通りを少し歩くともう汗が噴き出してきます。温帯モンスーンという日本と同じ気候帯に属していることが実感されます。
 上海は、というか中国全体でしょうが、都市の様子や住民のライフスタイルが行くたびに変化していて、変貌のテンポの早さには驚かされます。いくつか気づいたことを思い出すままに列挙してみようと思います。
・コンビニのレジ
 日本のコンビニでは現金払いが今でも主流ですが、上海ではほぼすべての若い買い物客はスマホの画面上のQRコードを提示してキャッシュレス決済をしていました。コンビニの主力商品である食品を触った手で汚い紙幣を受け取り、釣り銭を返すのは不潔なうえに時間のロスもばかになりません。
また中国の最高額紙幣は百元ですが、この2千円足らずの紙幣に偽札が多く百元札を出すと露骨にいやがられます。そのようないろんな不都合を一挙に解消するQRコードは日本のデンソーが発明した2次元コードだそうですが、中国のコンビニで大活躍していたとは驚きでした。
・清潔になっていく都市
 かつて中国と言えば仕切りもろくにないニーハオ・トイレが有名でしたが、上海のような大都会ではすでに絶滅したようです。またパリやニューヨークの地下鉄駅にはたぶん現在でも公衆トイレはないと思いますが、上海の地下鉄駅にはちゃんとあります。使う気はないのですがいざというとき心強い存在です。
 また、食を扱う分野でも清潔に対する意識が徹底してきています。ジューススタンドやファーストフード店の従業員は食品を触るときビニール手袋を着用しています。手袋着用は今日では世界標準で、日本の寿司屋は例外ということでしょう。
 しかし中国でまったく変わらないものもあります。「ご利用ありがとうございました」、「お買い上げありがとうございました」、「またのご利用/ご来店をお待ちしています」……こうしたお礼の言葉は高級ホテルテルでも商店でもただの一度も聞いたことがありません。これらは決して中国語には翻訳できない日本語特有の謎の言葉なのです。きっと。

運転免許証更新手続きに思う

「岡山県運転免許センター」の画像検索結果
20歳のころ自動車の免許証を取って以来ほぼ半世紀、3年ごとに更新してきたので、私はあの不毛な儀式にこれまでの人生で15回以上つきあってきたことになります。なぜ不毛かというと、そもそもおよそ免許というからには、医師免許でも弁護士資格でも、国家が関わる資格認定とか免許は所定の技能と知識を収得した結果与えられたもので3年とか5年ごとの短期間に更新しなければならない理由が分かりません。
このような主張に対しておそらく警察は定期的な更新が必要だという理由を山のように挙げるでしょう。視力や認知力が落ちているかどうかチェックしなければならない、改正された法令を周知したい、更新しないと年齢とともに顔の形が変わってしまい身分証明に不都合等々。こういう理屈に対して異論を唱えても水掛け論になってしまうので深入りする気はありません。
しかしながら社会制度が早くから発達し成熟したヨーロッパでは免許証は一度取ったら生涯有効という国が多いようです。ドイツやフランスではおじいちゃんやおばあちゃんが18歳のころの顔写真を貼った免許証で車を運転しているといいます。イギリスでは70歳の誕生日まで書き換えはないそうです。もし免許証更新がないゆえに致命的な支障があるのなら早くから自動車社会になったドイツやフランスで見直しがないはずがありません。
となるとやはり日本での免許証更新制度というのは単なる手数料稼ぎ、あるいは警察関係の人々の雇用対策ではないかと邪推したくなります。それに更新手続きのたびに不思議、不愉快な思いがするのが交通安全協会という謎の存在です。なぜ県の運転免許センターに公(おおやけ)の組織でもない交通安全協会が入り込んで営業できるのでしょう?
更新手続きに必要な証紙を買うとき安全協会に入るよううながされますが、あの窓口の証紙を売っている人は県の公務員なのか協会の職員なのか一度尋ねてみたい気がします。協会は所場代や電気代をちゃんと県に納めているものと信じますが、警察組織と協会のみごとなまでの渾然一体ぶりには大変当惑します。
最後に、運転免許センターの権威主義丸出しの建物にひとこと。私はあの偉容を見るたびにナチスドイツの総指令本部を連想してしまいます。

2017年6月28日水曜日

文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(下)

 熊本で転んで内蔵を損傷した可能性があるのにもかかわらず、先生はJR職員の心配をものともしないでそのまま新幹線に乗り込み、岡山駅まで帰ってきて駅に待機していた救急車で病院に運ばれました。泰然自若の老病人とハラハラしっぱなしだったであろうJRの車掌さんの困惑した顔が目に浮かびます。

「何度もピーク」
 ふつうの人間にとって“人生のピーク”と呼べる時期は一度切りではないでしょうか。我々凡人にとっては、あこがれの大学に合格したとき、社会人になってばりばり活躍したころ、家庭を築いたとき……あとで振り返れば「あのころが我が人生最良の日々だった」と思える時期は何度もありません。
 ところが西郷先生の長い生涯には私生活においてもいくつもピークがあったものと想像されます。「想像される」というのは、先生の関心は常に今現在と未来にあり、過ぎ去った遠い昔のことなど自ら語られることはほとんどなかったからです。
「先生はソ連抑留時代もロシア美人にもてもてだったに違いない」、「どうやら今まで何度も結婚し、子どもの数も片手では収まりきらないらしい」とは、私が牛窓の「てれやカフェ」のマスター、ヒロシ君と今はなき先生を偲んでひそひそ語るたわごとですが、実際、西郷先生の人生は波瀾万丈だったようです。
お亡くなりになる前の何か月かは病院で過ごされたのですが、さしもの頭脳明晰な先生でもときには意識が混濁することがあったようです。ある日見舞いに訪れたヒロシ君に先生は言いました。
「おい、ヒロシ、おれは今殺し屋に追われている、隣の部屋にいるあいつだ。今夜おれは女を連れて逃げる。そこでお前に頼みたいことがある。ありったけの逃走資金と車を用意してくれ」
「女」というのは最後の日まで病院でお世話になった若い看護師さんのことなのか、それともシベリアの雪原のかなた、国境線をめざして先生といっしょに国外脱出を企てるロシア人美少女ナターシャかアナスタシアか?

「内部にたくわえられたマグマ」は先生の長い生涯の最後の瞬間まで灼熱のエネルギーを放出し続けたのです。すばらしき哉! わが師西郷竹彦先生 合掌

文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(中)

西郷先生の業績の集大成ともいうべき「西郷竹彦・文芸教育全集」全36巻を出版した恒文社社長の池田恒雄氏(ベースボールマガジン、恒文社会長)が全集の巻頭言で次のように西郷先生の人となりを紹介しています。

「先生は、いまも、若き日のエネルギーを持って日本中を、駆け回っておられる。しかも、近著からもわかりますように、そのお仕事は何度目かのピークを迎えておられるように思います。内部に蓄えられたマグマの強さには、ほとほと感心せずにはいられません」(西郷竹彦著「わが人生を織りなせる人々」新読書社、p.92、下線は筆者)。

この池田氏のことばはそのまま先生のより私的な部分あるいはパーソナリティーの根幹をなす人格の中枢部分にもあてはまるのではないかと思います。ここではプライバシーに配慮しつつも池田氏の言葉からキーワードを取り出して、先生の最晩年を近くで見てきたものとして思い出をつづってみたいと思います。

「若き日のエネルギー」
100年近い生涯を通じて先生は常に若い女性から生きるエネルギーをもらっていました。複数回におよぶ結婚生活、多くの子どもさんに恵まれたこと自体が現今の草食動物化した若者世代には想像もつかない旺盛な動物的エネルギーの持ち主であったことを証明しています。
90歳を過ぎてから始められた我々地元民を受講者にしてのセミナーの参加者は中年以降のおっちゃん、おばちゃんが多かったのですがたまに文学に興味をもった女子高生なんかも混じっていました。
先生はおじんやおばんには目もくれず、若い生徒さんには実に懇切丁寧に勉強方法を伝授していました。「君、名前は何ていうの?文学を学ぶのにはまずこれこれの本を読むといい、今度持ってきてあげよう……」まるで高校か大学の文芸部の先輩が新入部員の女の子に語りかける口調。若き日のエネルギーは不滅です。

「日本中を駆け回る」
 文芸教育研究会主催者として先生は90歳を過ぎても全国大会に臨まれました。また遠距離の旅も一人で出かけることがありました。あるとき熊本出張の帰り、駅で転倒し、腎臓が損傷するという大事故に見回れたことがあります。即刻救急車で病院搬送しなければいけない状況です。(続く)

文芸学者西郷竹彦先生の死を悼む(上)

瀬戸内市牛窓在住の文芸学者西郷竹彦先生が97歳の生涯を終えられたことを新聞報道で知りました。一生を通じて精神が老いることなく、ここ数ヶ月病床にありながらも新しい本の執筆に情熱を燃やしておられたさなかの訃報でした。
西郷先生の名は日本での文芸学という学問領域にあってはまさにカリスマ的存在で、特に初等、中等教育界で先生の名前を知らない人はいないと言っても過言ではありません。そんなすごい方がたまたま岡山のしかも牛窓という海辺の小さな町で晩年を過ごされたおかげで、私も直接先生の講義に親しく加わる幸運に恵まれることができました。
数年前、90歳を過ぎた先生は地元の人々を対象に「てれやカフェ」という喫茶店で、夏目漱石、宮沢賢治、森鴎外、石川啄木等の作品を通じて文芸学の理論を精力的に説いてくださいました。とてもエキサイティングな学問体験でした。(その様子は山陽新聞文化部の取材記事として2011年4月21日、22日、24日の3回に分けて掲載)。
1920年、鹿児島生まれの先生の生涯は波乱に満ちたものだったようです。幼いころに両親をなくされ、土方をしながら苦学、東京大学で応用物理学を専攻。卒業後まもなく兵役、ソ連で抑留生活を余儀なくされたといいます。戦後生まれの我々からは想像もできない青春時代です。
しかし先生はそんな境遇をものともしません。ソ連での抑留生活では多くの日本兵が強制労働と栄養失調、極度のストレスと極寒の気候に命を落とし、2度と日本の土を踏むことなく死んでいきました。ところが先生は語学の才能を生かし、モスクワ東洋大学日本学部講師に採用され日本文化と日本文学を教え、1949年に帰国してからはロシア児童文学の翻訳を手がけ、その後文芸教育の理論的支柱になるのです。

どうやら恐怖のソ連抑留生活もイケメン、インテリ、薩摩隼人の先生にとってはモテモテで全然悪くなかっようです。どんな境遇でもそれこそはやり言葉でいう自己実現を果たす能力が生まれながら身についていたのでしょう。先生のリビドー(本能のエネルギー)は生涯減衰することがありませんでした。次回は少しばかり先生の人柄をしのぶエピソードをご紹介しようと思います。(続く)

2017年6月8日木曜日

京大総長式辞、JASRACに風穴か

音楽著作権管理団体として作詞家や作曲家の権利を代弁するJASRACの存在がかえって楽曲や詩を生み出すクリエーターとそれらを聞いて楽しみ感動する聴衆との日常的な心の交流を妨げているような気がします。音楽著作権管理団体はほかにもあるのですが実質的にはJASRACが業務を独占している状態です。
JASRACは著作権法が認めている正当な引用の判断基準をきびしく解釈していて、ものを書く人の創作意欲を減退させることはなはだしい。私も時代を映す演歌やはやり歌の歌詞の一節を自由に引用してブログやエッセイを書きたいのですが、JASRACからの問い合わせが来ることをおそれて歌詞の直接的な引用は避け、タイトルや歌い手の名前(これらには著作権がない)を挙げて何とか気持ちを伝えようと苦労してきました。
ところが今年の4月、天下の京都大学において山極総長が入学式式辞で昨年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの「風に吹かれて」の英文原詩を長々と引用したことがJASRACの目に触れ、京都大学に対して「お問い合わせ」があったことがニュースになりました。山極総長は「常識にとらわれない自由な発想とはどういうことをいうのでしょうか」と問いを発し、総長が高校生時代に流行ったボブ・ディランの「blowin’in the wind」を引用、披露しました。総長の挨拶文は以下のような引用の構造をしています。具体的には京都大学のホームページを開いて、「平成29年度入学式式辞」を見ていただきたいと思います。
「風に吹かれて」の英語の歌詞が2行、その和訳が2行ずつ、結局歌詞の1番が全部掲載され、さらに2番からももう2行引用されています。正直、びっくりしました。いままで1行の半分の引用にも文句をつけていたJASRACがどう対応するのか見守っていたら、なんと理事長が京大のケースは「著作権法の『引用』と判断し(使用料は)徴収しない」と会見で表明したからです。

京大の例がJASRAC問題に風穴を開けたことになると私は信じたいです。ただこの結果がただちに作家やブロガーにとって光明となるかどうかはもう少し時間が経過しないと分かりません。またJASRACはヤマハ音楽教室に対しても使用料を求めて逆に訴訟を起こされていますが、その結果にも注目したいと思います。

2017年6月7日水曜日

「わが青春のマリアンヌ」


シニア世代になった今も見るたびに思春期のころに引き戻してくれる特別な映画があります。「わが青春のマリアンヌ」。「銀河鉄道999」の松本零士など多くのクリエーターに多大な影響を与えた作品といわれています。監督はジュリアン・デュヴィヴィエ、仏独合作映画で1956に公開された白黒映画です。
実はこの映画にはフランス語版とドイツ語版の2種類があり、単に音声吹き替えというのではなく、主役の少年がドイツ人とフランス人のダブルキャストで撮影されています。両方とも現在YouTubeでフルムービーが視聴できますが、私はだんぜんドイツ語版の方が好きです。(注)
何と言っても若き日のホルスト・ブッフホルツが演じる主役のヴィンセントの憂いを含んだ繊細な演技が素晴らしい。思春期の少年独特の夢想、冒険、夢と現実の境界を自由に行き来するたましい、そんなものを見事に表現し尽くしています。
物語は、ある日森の奥にある寄宿学校にアルゼンチンからヴィンセント少年が転校してきます。湖の向こう岸に古い館があり、そこにマリアンヌという美しい少女が恐ろしい老伯爵かなんかに幽閉されていて、助けを待っている……。ヴィンセントは嵐の夜、手漕ぎボートで救出に向かいます。どこまでが夢で何が現実なのか、映画を見ている人は次第に青春の迷宮に導かれていきます。
この映画では青春のロマンチックな感情だけでなく残酷さも遺憾なく描かれています。男の子(小学生から高校生ぐらいの年代)だけの寄宿学校ですが、そこに校長の親戚の少女、リーゼもヴィンセントに少し遅れて転校してきます。
ヴィンセントは故郷のアルゼンチンのパンパで野生の馬を自由に乗り回していたほど動物の心をつかむ魅力を備えた少年です。深い森の中にある寄宿学校でヴィンセントがアルゼンチンの民謡をギターに合わせて歌い始めると、野生の鹿たちも感動して窓の外に集まってきます。

ところがヴィンセントの存在にうっとりしたのは鹿だけではありませんでした。リーゼも一方的に恋をし、ヴィンセントが大切に飼っている鹿を彼女は殺してしまいます。嫉妬からです。思春期の夢想から抜け出せない少年と一足先に「おとな」になった少女のこころの対比が残酷にも美しく描かれています。

(注)2017年6月7日現在、YouTubeではドイツ語版が見あたりません。この2,3週間のうちに削除されたものと思われます。DVDもフランス語版しか販売されていないようです。私はなつかしのレーザーディスク時代のドイツ語版「わが青春のマリアンヌ」をもっています。またYouTubeのドイツ語版もダウンロードしています。このようにYouTubeにのせられる動画は著作権の問題などですぐ消されることは日常茶飯事なので、気に入ったものがあれば迷わずダウンロードしておくに限ります。


慢性疾患と薬

60歳70歳と、年を重ねると体にはさまざまな変化が起きます。体重は増加する一方だし、血圧、コレステロール、血糖、尿酸等あらゆる検査項目が正常値を上回ってきます。医師からは体重を二十歳のころに戻しなさいと指導され、慢性疾患に対しては病名ごとに薬が処方されます。
私の場合、若くてほっそりした体つきだったころからすでに中性脂肪の値が異常に高く、それは超肥満体型の現在も変わっていません。病院に行くたびに薬を勧められますが、何だか体に悪いような気がして処方をお断りしています。
 たしかに医師が言うとおり、腎臓や肝臓疾患、動脈硬化、糖尿病などはどれも静かに進行するので、症状がないからといって放置するのは命取りになるのかもしれません。脂質異常(高コレステロール血症)を放置しておくと動脈硬化を起こし、やがては心筋梗塞とか脳卒中で倒れるという経過をたどるのでしょう。
 しかし現在68歳の私の場合、50年もの長い年月を中性脂肪やコレステロールが高いまま過ごしてきたのにもかかわらず、どこで何度検査しても動脈硬化を指摘されたことはありません。血液ドロドロかも知れませんが血管はしなやかなようなのです。
 高脂血症の人が薬で数値を下げなければならないとされる理由は、大規模な調査の結果、薬の効果が立証されているからでしょう。しかしだからと言って動脈硬化を引き起こしていない老人が今さら薬を飲む意味があるのかどうか、むしろ副作用によるデメリットの方が大きいのではないか、と私は疑問に思います。
 医師はこうした疑問に対し「いやこれこれの理由で飲む意味があります」などとは答えてくれません。優しい先生は「まあ様子をみましょう」と言われるし、手厳しい先生は不機嫌になり「私の指示を聞けないあなたがこの病院に来る意味ありますか?」と匙を投げつけてきます。

 私の父は人工透析に頼りながらも96歳の人生をまっとうしました。父の70歳ごろの手帳が遺されていたので読んでみて思わず笑ってしまいました。腎臓が悪化して医師から大量の薬を処方されていたころの日記です。「こんなに何種類もの薬を飲んだら体に悪いような気がするから半分捨てた」。慢性腎不全にもかかわらず100近くまで生きた父には賢明な判断力があったのです。

2017年5月17日水曜日

日光浴をするカメに思う

そよ風に誘われて健康のため自転車で遠出することが多くなりました。幹線道路を避け、生活道路や農道をゆっくり進んでいると道沿いの用水路でカメが日光浴をしているところをよくみかけます。
ところが用水路はほぼ例外なくコンクリートで護岸されていて、カメにとってのんびりひなたぼっこをする場所はほとんどありません。たまに水の中に向かってコンクリートの階段が設けられていたりしたら狭いコンクリート板の上で数匹のカメが重なるようにして甲羅を干しています。なんだかかわいそうです。
昔の用水路は護岸なんかしていなくて自然の岸辺だったし、護岸しているにしても石積みの緩い傾斜になっていたのでカメなど水辺の生物は陸と水中を自由に行き来できていました。また石垣の隙間にはたいていウナギが住み着いていたものです。
親水護岸が施されている場所もあるにはあるようですが、きわめて限定的です。せめて用水路をコンクリートで護岸する際にはところどころでも傾斜を緩やかにした石積みの場所を確保することを行政の河川を設計管理されている部署に強くお願いしたいと思います。これは何もカメのためだけではありません。人間だって梅雨や台風シーズンに用水路に流されたニュースをよく聞きますが、今の用水路では自力で岸にはい上がることはできません。
さて、日光浴をしているカメをよく観察してみると、ほとんどのカメは在来種ではなくミドリガメのようです。おそらくペットとして飼われていたのが逃げ出したか、大きくなりすぎて捨てられたものが大繁殖しているのでしょう。最近では子どものころよく見かけたイシガメやクサガメを目撃することはまったくありません。ミドリガメに在来種が駆逐されたのでしょうか。
こうなると用水路にあふれているカメに対する気持ちも複雑になります。ミドリガメがイシガメを絶滅させるのなら何とかしないといけないでしょう。しかしミドリガメにしても何も好きこのんで日本で大繁殖している訳ではありません。ペットとして拉致されてきて捨てられた末のことゆえ、日本でたくましく生きている彼らに罪は問えません。

カメたちの遺伝子が汚染される(自然交雑)のも人間の罪として受け入れざるをえないのが悲しいです。

「ミドリガメ」の画像検索結果

いつの時代も人気者、太宰治

「恥の多い生涯を送って来ました」という読者の気持ちをいきなりぐっとつかむ名せりふで始まる、太宰治の代表作「人間失格」ほど戦後の日本人からこよなく愛されてきた小説はほかにないと思います。
私の誕生と同年同月の19487月に発表されて以来、新潮文庫だけでも累計600万部を超え、2010年には映画が公開され、また繰り返しアニメやコミックにもなり、さらに先日52日発売のビッグコミックオリジナル誌において新連載が始まりました。大変な人気です。
主人公、大庭葉蔵の幼年時代は自意識過剰な性格を隠すために道化を演じ、青年になってからは酒と女とクスリにどっぷり浸かり27歳にしてまさに“廃人”になってしまったというのに、その間ひたすら女性からもてまくる不思議な話です。
葉蔵少年は太宰治その人であることは間違いなく、太宰治は「人間失格」を脱稿して1ヶ月後に愛人と玉川上水で心中してしまうのですが、それがまた若い女性の心をつかみ、毎年サクランボが実るころ(桜桃忌)後追い自殺者が続出するというもてもてぶりです。
私も今では太宰治の大ファンのひとりですが長い間、この東北出身の作家に注目したことは一度もありませんでした。子ども時代に学校で読んだ「走れメロス」のあまりのクサさぶりに、他の傑作におもむく意欲がそがれたからです。しかし、中年もそろそろ終わろうかというころ「人間失格」を初めてまともに読んでびっくり仰天でした。
根暗な中学生の葉蔵が自分の本性を隠すために明るくおどけた振る舞いをしているのを、よりによってクラスでもっとも頭が悪そうで虚弱な竹一という少年に見破られるシーンはこの短編の前半のハイライトです。葉蔵少年の身に起きた不意打ちにはおよばないにしても、誰にとってもその後の自分の運命を暗示するような何ものかにまったく予期しないかたちで出くわし、その恐怖を抱えたまま生涯を送るということはよくあることではないでしょうか。

酒と女とクスリにまつわる不始末しか描かれていない後半を読み終えて不思議となつかしいようなほっとするような印象を持つのは、「人間とはこの程度のものです」と作品のディテール(細部)が読者にやさしく語りかけてくるからだと思います。