2013年8月1日木曜日

屁合戦絵巻



例年なら梅雨明け10日は申し分のない晴天に恵まれ登山やキャンプに絶好の季節ですが今年は「経験したことのない豪雨」があちこち列島を襲っています。家屋や車はおろか道路まで洪水に流される映像を見ていると日本の天気はいったいどうなったのかという気がします。

 それに加えて山口県の山間部集落で起きた不気味な大量殺人事件は何か人ごととは思えません。長期間に渡る孤立無援の介護、いなかの人間関係のうっとうしさ、疎外感、自分自身の老いと孤独。山口の男と同じ境遇にいながら爆発寸前で踏みとどまっている人は多いでしょう。

 いったいこんな状況の中で本当に気張らしになり、気分転換になるものなんてあるのだろうか?と日々思っていたらネット上で室町時代ごろ描かれたと思われる「屁合戦絵巻」に遭遇しました。江戸時代の写本が早稲田大学図書館に現存し、デジタル化した画像が広く公開されています。まずは作品を早大図書館ホームページでご覧いただきたい。


 最初の数シーンではふた手の貴人たちが何やら作戦会議を開いています。屁の原料である芋を仕込み大きな鍋で煮ていよいよ戦闘開始です。双方のチームともお尻丸出しで強力な屁ビームを発射。ビームの威力は防御板をぶち抜き、馬をひっくり返し、猫を空中に飛ばせます。応戦する男女はうちわで屁ビームをはね返し、鼻をつまみながら敵陣深く尻を差し入れ強烈な一発をお見舞い。

 行司役の男は敵味方双方の女性が放つ屁に空中2メートルぐらい浮き上がっています。試合を有利にすすめるためにあらゆる努力を惜しまず工夫する男女。試合の結末はどうなったのかこの36枚のカットではよく分かりませんが、感想をひとことでいうと中世の日本人はすごい! 人生を楽しんでいます。

 考えてみれば当時も世相は暗く、血で血を洗う争いに明け暮れていた時代でした。でもこの絵巻の作者はそうした世相を「屁合戦」として芸術に昇華させることに成功しました。

現代の日本が関わる国際紛争も実弾ではなく屁ビームで平和裡に決着つけてほしいものです。日本人にはそういう知恵が古来あることをこの絵巻は語っているように思います。「まず笑うこと」。いかがです?

2013年7月18日木曜日

釧路女流文学の系譜



昔は芥川賞や直木賞を受賞するとかなり大きなニュースになり世間が騒いだものです。今では書店に特設コーナーができるもののそんなに売れているようすはありません。先日2013年の直木賞に釧路が舞台になった作品が選ばれちょっと興味をもちました。桜木紫乃という女性が書いた「ホテルローヤル」という作品です。(まだ読んでいません)(*)


ところで、釧路文学と言えば原田康子(1928-2009)の「挽歌」が1956年に発表され大ベストセラーになり、北海道の地方都市にすぎなかった釧路は全国から押し寄せる文学ファンでにぎわったそうです。古い価値観から解放された世相を背景に早熟な少女(兵藤怜子)が魅力的な設計士一家(桂木夫妻)に近づき、桂木を挑発し、その結果夫妻を破滅へと向かわせます。

この原田康子の源流をたどればフランスの女流小説家・サガンの「悲しみよこんにちは」に行き着きます。サガンの影響かどうか「挽歌」の主人公(怜子)は会話の地の文に「アミ」(友達)だの「コキュ」(妻を寝取られた男)だの、フランス語の単語を唐突に口にします。今読むとそういう箇所では背中に悪寒が走りますが……。

独特の文体といい背伸びした怜子のエキセントリックな行動といい、アプレゲール(戦後世代=不良)時代のかっこよさだったのかもしれません。しかし、霧につつまれた陰鬱な釧路湿原、霧笛が寂しく響く町の情景をそれぞれに不幸な登場人物たちの心象風景にぴったり重ねて描ききっているところは原田康子にしかなしえなかったことだと思います。

今回直木賞を受賞した桜木さんはどうやらこの原田康子に触発されて作家になったようです。「挽歌」では今でいうラブホテルがセッティングとして効果的に使われていますが、桜木さんの実家はラブホテルを経営しているとか。釧路の才女達には何かと運命的な共通点があるようです。近いうちに「ホテルローヤル」を読んでみたいと思います。

数年前、あまり国内旅行をしない私ですが「挽歌」にあふれるフランス趣味と現実の釧路の間にどんな結びつきがあるのか興味がわいてはるばる釧路まで関空から飛んだことがあります。夏でも気温が15度ぐらいしかない釧路はフランスというより北極圏に近いノルウェイの港町に似ているなと思いました。

*10月に斜め読みしました。つまらない作品でした。

老齢基礎年金

 七夕の日は私の誕生日でした。終戦直後、食料も物資も極端に不足しているなか、しかもこんな暑い日に私を生んだ母の苦労は相当なものだっただろうと想像されます。

産婆さんを呼びに行った父が途中で道草をくって、ようやく産婆さんが駆けつけたときにはすでに私はぽんと生まれていたそうです。

兄を生んだとき難産で死ぬ思いをしたのに比べお前は生まれるときから親孝行だったといつも言っていた母(の介護)を裏切ることはできません。あと10日ほどで94歳になる母は私をひとりで産んだまさにこの部屋で人生最後の静かな日々を過ごしています。

さて、その息子もついに老齢基礎年金なるものをいただける年齢に到達しました。誕生日が来るのを待って岡山の年金事務所に請求手続きに出向きました。年金の仕組みの訳の分からなさは想像を絶します。すでに60歳になったときから公立学校共済組合から共済年金が振り込まれていてさらに64歳からはその額が増えました。

私は65歳になっていよいよ老齢年金の支給が開始されると、いままでの共済年金プラス年額70何万かの年金が新たに支給されるようになるものとばかり信じて誕生日がくるのを待っていたのです。

びっくりしました。「老齢基礎年金はすでに共済組合が立て替え払いしています。今後は老齢基礎年金部分を日本年金機構が振り込むことになります。受け取り総額は今までと変わりません」ガーン!です。何はともあれ残りの人生はこの年金をベースに生きていくほかなく人生はいつでも正念場です。

ところで年金事務所についてですが、書類の提出は“事務所”に持参するよう案内があったので事務所(岡山西)に出かけたら、「提出はここではなく、向かいの“街角の年金相談センター”に行け」と言われました。こちらも年金をもらうような老人です。がんこです。素直ではありません。がんとして動かなかったら、「じゃあ、こちらで受け付けます」ということになりました。

かつて運転免許更新業務に交通安全協会が深く関与していたように、年金業務も退職OBをおおぜいかかえた相談センターが年金事務所の本来業務を代行しているのかな?と想像します。真相は如何に?

参院選を前に

 昨年暮れの衆院選に続いて第23回参院選(投票日7月21日)が公示されました。今回の選挙から“ネット選挙”解禁ということですが、これは選挙運動についてネット利用が可能になったということであり、インターネットで投票できるようになった訳ではありません。

企業の株主総会での議決権行使がネットで問題なくできている時代になぜ有権者にご足労をかけ、莫大な事務経費、人件費を費やしてばかげたお祭り騒ぎをやらなければならないのか不思議なことです。

いっそのこと参議院議員は裁判員のように抽選制にしてはどうかと思います。参院の機能は衆院のチェックに限定して何か支障があるでしょうか。定数問題もなくなるし報酬は日当と交通費程度ですみます。

さて、思い返してみると6年前岡山では「姫の虎退治」で参院選は空前の盛り上がりを見せ、何と姫が虎に勝ちました。もう時効だと思いますので告白しますが、私も姫に期待した一人でした。

ところが当選直後から姫の行状は芳しくなく、また政党人としてもあっちにふらふらこっちにふらふらとさまよった挙げ句の果て6年の任期をまっとうすることなく辞任、暮れの総選挙では千葉県から出馬して結果は泡沫候補なみでした。

しかしこれはなにも姫の特異なキャラにすべてが帰する問題ではなかったと思います。この6年間のあいだに日本の社会・経済・政治情勢がひどく劣化したこととぴったり歩調があっていました。言わば彼女はこの6年間のダッチロール政権運用の象徴だったのではないでしょうか。

日経平均株価は7千円台に低迷し、超円高で輸出産業が瀕死状態に陥り、逆に中国・韓国は元安、ウォン安を武器に経済力を強め、もはや経済的に日本の援助が不要になったとみるや口汚く日本をののしるようになりました。(まともな神経ではつきあいきれない隣人たちをもっていることをガラパゴス民族である我らによく分からせてくれたという意味ではとてもよかった)

そして、政治・経済・外交のすべてがうまくいかないところにあの大地震と原発事故です。今思えばこの6年間、クーデタもなく、日本はよく耐えたものだと思います。参院選後の日本は吉とでるか凶とでるか、それはまだだれにも分かりません。

2013年6月19日水曜日

原発事故その後



東京電力福島第一原子力発電所が地震と津波にもろくも崩壊し過酷な放射能事故を引き起こしたのはわずか2年ちょっと前のことです。いまでもふる里を追われ避難生活を続けている被災者が30万人もいるというのに電力業界は原発再稼働にやっきになり、政界でも与党政調会長の高市早苗氏が「原発事故で死者が出ている状況ではない」とおよそ現実離れした発言をして与野党から批判を受けています。

つまりは被災者以外の多くの国民は原発事故のことはすでに意識の外に追いやってしまっているのがこの国の現状だと思います。そして全国各地に避難している人々の意識にも変化が起き、もはや帰郷をあきらめた人が6割にも達するという報道がありました。

ここでにわかに福島から遠く離れた岡山がクローズアップされてきます。避難先として岡山の人気が高く岡山に定住する人は依然増加しているとのことです(朝日新聞6月16日)。これに関して美作市在住の作家・あさのあつこさんは「都会でなく、自然条件が厳しくもない岡山の人にはつかず離れずの間合いがある」そんなところが人気の秘密だと分析しています(同記事)。同感です。

それにしてもふる里から800キロも1000キロも離れた遠い岡山まで移住して来られる方々のエネルギーと実行力には感服します。北関東や東北地方の暖かい人間関係を捨てて、京都ほど極端ではないにしてもはっきりいってかなりドライな岡山県人に混じって暮らすのは大変な勇気が必要だったと思います。

瀬戸内市長船町服部にドイツ式の本格的なパンを作って売る店が昨年暮れにオープンしました。“オぷスト”という天然酵母のパン屋さんですが、もともと埼玉県で開店しようとしていたら原発事故があり放射能の影響を考えて岡山に移住してこられたそうです。小さな子供たちのためとはいえそこまでできるのは夫婦の愛情と子供の健康への心配が高市さんなんか想像もできないぐらい大きいからにちがいありません。

この“オぷスト”のパンは上述のような背景を抜きにして単純にものすごくおいしいパンでした。我が家から車で片道1時間かかるのですがわざわざ出かける価値があります。本場ドイツでも今どきこんな食べ応えがあるパンは珍しいでしょう。
 
(写真はサナエちゃん、鼻のあたりがなんとなく・・・)
 

2013年6月18日火曜日

我が罪を贖えり、大ムカデ



  夜中母を襲った吸血鬼の正体はいぜんとして不明なまま事態は沈静化したかにみえました。ところがある晩、深夜いつものように母の横で仮眠していたら枕元で何かカサコソという音がしたのでスマホの明かりでその辺を一応調べたのですが異常はなく、そのまままた寝ました。

しばらくして首筋に冷たい感触があり、しかも動いています! びっくりして電灯をつけてみたら15センチもある大ムカデが首と枕の間にいるではありませんか。ムカデの背中側に首の皮膚が当たっていたのです。ぬらり、ひんやり。ムカデの腹側が首筋に当たっていたら、つまり首の上をヤツが這ってかまれていたら、きっと私は発狂したと思います。

手許にあった薬局でもらった処方薬の紙袋に大ムカデを誘導しぱっと口を閉じました。さてどうしよう。火あぶりの刑、あるいは熱湯責めにしてやるか、と思ったものの、こいつが母を襲った証拠はないし、私も刺されたわけではないので無罪放免に決定し、塀の外に逃がしました。しかしこれは何も蚊一匹殺さなかったアッシジの聖フランチェスコの真似をした訳ではありません。実はムカデには恩と負い目があったのです。

小学生のころ庭に高さ2メートルほどの棕櫚の木がありました。幹はタワシのような細く乾いた繊維で被われていて、子どもごころに私はふとこれに火を点けたらどうなるかなと思ってマッチをすりました。

火は一気に幹を駈け登りました。大変なことをしでかしてしまった!我が親父は偏執狂というか性格におおらかさがないというか、こういうことに関しては必ず目敏く見つけネチネチ説教するのが常でした。ときに体罰をともなう親父のしつこい叱責を想像すると暗澹たる気分でした。

するとまだ煙が残っている半ばこげた木の先端に何やらうごめくものがあります。棕櫚の木をねぐらにしていた大ムカデが火にあぶられて出てきたのです。私はとっさに話を作り替えました。「大ムカデが棕櫚の木に逃げたので火をつけて退治した」と。我が罪を大ムカデに転嫁したことを60年ぶりに初めて告白します。

2013年6月6日木曜日

酒津 水辺のカフェ



 介護という忙しくも退屈な日々を過ごしていると用事もないのに遠くの友人に長電話して「最近何かおもしろいことない?」と聞くのが口癖になりました。どいつもこいつも「ないっ!」のひとことで終わり。そんなとき強い味方になってくれるのが岡山のタウン情報誌です。

タウン情報誌の人気企画といえば喫茶店特集です。どこの店も素敵にみえ一度は出かけてみたい気分にさせられます。しかしこういう特集に繰り返し登場する喫茶店は往々にして店主の「こだわり」が顔に出ていて何だか一見(いちげん)さんとして行くのがためらわれます。

でも抵抗できない喫茶店がありました。酒津の「水辺のカフェ 三宅商店」です。酒津という地名は桜の名所として子どものころからよく耳にした地名ですが、岡山市郊外育ちの私には土地勘がなく今まで一度も行ったことがありません。言わば幻の名所である酒津。情報誌に掲載された湾曲した水路に沿って水の上にせり出したように見えるカフェの写真が私を強烈に誘います。

スマホアプリのナビが「目的地に到着しました」というのに我が愛車は高梁川沿いの土手の上を走っていて、本当の目的地は酒津公園をクネクネとすり抜けたわかりにくいところにありました。よくタウン情報誌で紹介される店が「隠れ家的○○」と言う割にはデカデカと派手な看板を掲げた俗っぽい店だったりするものですが、三宅商店は確かにナビをも騙す本当の隠れ家でした。

人気の水辺が見えるカウンター席は満席だったので靴を脱いで2階の座敷に上がりました。開け放った窓から心地よい風が八畳と六畳の続き間を流れていきます。用水路を流れる水の音と高梁川堰堤の道路を走る車の遠い騒音が不思議によくマッチして心が静まってきます。

家に帰ってからあらためて酒津の位置を地図で調べてみました。なんと酒津公園はときおり出かける倉敷イオン・ショッピングモールの裏手に位置していました。そういえばナビが盛んにイオンの方向に私を誘導しているはずでした。私は酒津は総社にあると昔から思い描いていて清音(きよね)の方から高梁川に沿って大きく回り込んでいたのです。

素敵な隠れ家は案外身近なところにあるものですね。今度遠くの友人を誘ってやろうと思います。

風俗と風土



いわゆる慰安婦問題について大胆というか思慮に欠ける発言をして物議をかもした橋下大阪市長が東京の外国人記者クラブで会見を開きました。通訳をはさんで1時間以上の長丁場のやりとりでした。

橋下さんと各国記者のあいだには最後まで埋められない溝が残っていました。東京や西欧のエリート記者は大阪という風土を知らないがゆえに橋下さんの発言が耐え難く突拍子もないほど異様なものに感じられたのではないか、そんな気がします。

記者の質問で飛び出してきた「飛田」とは“中学生でも知っている”現存の赤線地帯です。私も東京の大学を出て大阪の大学に就職したころ、何気なく友人と天王寺界隈を散歩していて知らないうちに飛田に迷い込んだことがあります。衝撃的でした。

見たところ80歳ぐらいの遣り手ババア(それにしても下品な表現!)が三味線片手に流し目で「寄っていきー」と声をかけてくるのです。うぶな我々は一目散に逃げ出しました。

飛田よりもさらにお手頃な料金で得難い体験をさせてくれるのが泉南の信太山(しのだやま)であることはふつうの高校生でも知っていること。信太山には自衛隊の大規模な駐屯地があることでも有名です。

大阪で暮らしはじめたころ、世間を騒がす事件の性質が東京と大阪でずいぶん違うなと思いました。そのころ関東では幼女連続殺害事件に代表される性犯罪が多発していました。一方、大阪ではなぜかガス爆発事故が多く、他には豊田商事会長刺殺事件、三菱銀行北畠支店襲撃事件など金にからむ事件が頻繁に起きていました。猥雑な大阪なのになぜか凶悪性犯罪は少なかったのです。

私が出した結論は、大阪では性にまつわることはタブーでもストレスでもなく飲み食いと同レベルの日常的営為であるのに対し、建前を優先させ官僚的思考が強い東京では抑圧された性衝動が性犯罪や猟奇的な犯罪を生み出すのではないか、です。

橋下市長が当初発言していた「沖縄の海兵隊は風俗を利用せよ」という発言の下地にはこのような風俗と治安が折り合いをつけている大阪的発想法があったのではないでしょうか。ただそれを国際政治の場で発言したことは謎です。失言ではなく彼ならではの計算があってのことかもしれません。焼け太りということは政治の世界でもありえますから。

2013年5月23日木曜日

夜中来たりて血を吸う怪物と疑心暗鬼



パーキンソン病と認知症をわずらい、数年前からすっかり寝たきりになってしまった93歳の母ですが、それなりに健康で自宅のベッドで過ごしています。日々これといった異変がない安定した状態が続いていることは介護をする私にとって大きな励みであり安堵でもあります。

ところが先日、母の平穏を破る事件が発生しました。訪問看護師さんが母のケアをしていたとき「あっ」と驚きの声をあげました。何事かと思ったら、母の左手の人差し指から血が大量に出ていてシーツやタオルが血まみれになっていました。人差し指には傷口が2か所ありましたがそんなに大きくも深くもありません。しかし指はパンパンに腫れ出血もひどいものでした。

看護師さんはすぐに傷口を消毒し、ホームドクターに電話をかけて状況を説明し抗生剤と傷口の殺菌剤を処方してもらいました。手当をしたあと、薬の効果もあって重篤な事態になることは免れましたが、問題は寝たきりの母に傷を負わせた“犯人”がまったく不明な点です。

どんな怪物に襲われるとこんなにもひどい出血をするのか皆目見当がたちません。奇怪な流血事件は昨年兄が母のケアのため泊まっていたときにも一度起きて大騒動したことがあります。兄が言うには、目を覚まして母を見たら額から血を流していて、大量の血が枕の芯まで到達していたとか。

さてはもともと親の介護などする気がない兄が弟の私に責められていやいやながらやっていることの腹いせにDVを働いているのではないかと私はとっさに思いました。そのことを友人にしゃべったら、友人は「天井に隠しカメラを設置しろ!」とアドバイスしてくれました。

いくら何でも兄がそんなことするはずがない……とはいえ疑心暗鬼がつのります。でも正月以来兄は介護分担を一方的に放棄し、現在は私が一人で母を看ているので結果的に兄の容疑はめでたく晴れました。

真犯人はおそらく、この季節、我が物顔で部屋に侵入してくるムカデ、ヤモリ、クモ、ゴキブリのうちのどれかではないかと想像しています。近々両親を病院に預けて家中を薫蒸しようと思います。戦慄すべきは姿が見えない吸血鬼(虫)。しかしそれにもましてコワイのは兄を怪しむ私の疑心暗鬼のココロです(笑)。

2013年5月16日木曜日

台湾旅行2013


連休明けに大阪の友人を誘って台湾に行って来ました。パスポートの記録をたどってみると2009年、2011年、そして今年2013年と2年ごとに台湾へ出かけていました。いわば台湾を定点、定時観測していることになります。

この1,2年の近隣諸国による対日情勢のきびしさを連日ニュースで見聞きしてきたせいか、台湾はまるで天国でした。おいしい食べ物にあふれ、人々は愛想がいいし、上海人のようにところかまわずけたたましく電話でどなったり唾を吐いたりする光景はまったくありません。

以前から台湾人のマナーはとてもよかったと思うのですが、なかでも地下鉄の整列乗車にはびっくりでした。その整然とした乗降態度は東京と同等であり、大阪より上でした。

もう一つ大きな驚きだったのは年輩の人はもちろんですが、ファーストフード店でも地元の客しか入らないような小さな食堂でも若い従業員がほぼ例外なく日本語で受け答えしてくれることでした。これも上海のタクシー運転手が“ステーション”とか“ホテル”という仕事柄必須の単語さえ解さないのと大違いです。

台湾は日本国内を旅行している感覚で観光したりショッピングを楽しめる世界で唯一の国だと思います。

英米の旅行ガイドブックは、初めて大陸ヨーロッパを旅行するのならまずオランダに行くことを奨めています。オランダはヨーロッパでは英語がダントツで通用し、大陸欧州独特の風習に慣れるのに好都合だからですが、台湾こそ日本にとっての“オランダ”ではないでしょうか。

思えば日中国交回復以来“日中友好”の旗印のもと安い労働力と無限の市場に期待しておびただしい数の日本企業が中国に進出していきました。しかし漢詩や孔子孟子に出てくるような清廉潔白な君子、風雅風流を解する文化人などどこにいるのやら。官民問わず上から下まで拝金主義に凝り固まり文明以前のふるまいを平気でする中国人を相手に倒れた企業人は死屍累々の惨状です。

尖閣国有化以降やっとハイリスクの中国との取引に台湾企業をかます知恵が日本企業にも浸透してきたようです。植民地時代の台湾総督府の美しい建物を今も総統府として大切に使ってくれている台湾こそ日本のベストパートナーとの意を強くした2年ぶりの台湾旅行でした。