2023年4月12日水曜日

かかりつけ医制度

 「かかりつけ医制度」に対する危惧

日本に住んでいて本当にありがたいと思うのは、国民皆保険のもといつでも患者が希望する医療を受けられることです。それがどれほどすばらしいことか、日本で暮らしてきた私たちにはピンときません。

しかしながらこの日本でも厚生労働省の旗振りで患者と大規模病院の間にずいぶん高い壁ができています。すなわち1993年に制度化された特定機能病院というさんの診療はお断りという仕組みです。2016年の4月以降は紹介状を持たない初診患者からは選定医療費として5千円以上の金額を徴収することが特定機能病院の義務となりました。

初診の定義については病院によって他科を受診中なら選定療養費が免除されたり運用に多少のばらつきがありますが、最近どんどん厳格化しているように感じます。厚労省のもくろみはいわゆる「かかりつけ医」制度を普及させ、かかりつけ医の判断で必要に応じて専門病院を紹介するシステムの構築にあります。

もしかかりつけ医制度の仕組みが徹底されたらいったいどうなるのか、ちょっと想像してみると暗い気持ちになります。政府が想定しているかかりつけ医の主体は町の内科のお医者さんたちでしょう。

たとえば目に異常を感じて専門医に診てもらいたいと思っている人もまず内科を受診しなくてはいけないのでしょうか。目だけではなく膝が痛い、味覚が変、アトピーが悪化したなどという人が紹介状を書いて下さいと内科の診療所に押し寄せたら、内科診療所の先生もたまったものではないと思います。

たまたま近所に眼科や耳鼻科のクリニックがあって、そこを訪れた人が医師の見立てに疑問を感じ、「大学病院で診てもらいたいので紹介状を書いてほしい」と思っても簡単に切り出せるでしょうか。私自身以前、近くの行くのが初めての耳鼻科クリニックを受診したものの治りが悪く、「治療効果が感じられない」と疑問を呈したらその医師から口汚く罵倒された苦い経験があります。

だれでも先進医療を受けられる日本人にとって大学病院や大規模総合病院こそ、一生を通じての本当の意味での「かかりつけ病院」です。大病院でしっかり検査して確定診断を下し、治療方針が固まった患者こそ、町の診療所へ逆に紹介してもらいたいものです。


凶悪事件多発

最近やたらと凶悪な犯罪が全国あちこちで発生しています。とりわけ戦慄を覚えたのは東京・狛江市に住む90歳の女性が殺害された事件。大規模な組織犯罪の一端ということですが、このグループは関東だけでなく広島や山口など西日本でも犯行を繰り返しているとのことです。

同様の事件は全国で少なくとも30件以上起きているとの報道があり、いずれもその手口の荒っぽさ、冷酷さが特徴的です。実行犯たちは「闇バイト」を通じて犯行グループに加わっているようです。

これまで日本で発生した凶悪事件には個人的な怨恨によるもの、例えば津山三十人殺し(1938)、反社会勢力グループ間の抗争、オウム真理教による組織犯罪(1980年代末期から1990年代中期)、あるいは永山則夫連続射殺事件(1968-1969)のように動機がよく分からない不条理な事件(本人は「貧困が無知を招き、それが犯罪に結びつく」と主張)など様々な背景がありました。

しかし今回の一連の事件においては集団組織による金目当ての冷酷無比な犯行であり、無差別強盗殺人であることで際だっています。いわばプロによる強盗殺人で、ターゲットにされたお年寄りなど弱者が身を守ることはきわめて困難です。

狛江市の事件で逮捕された実行犯容疑者は取材陣のカメラに対し、レンズをまっすぐ見すえ挑発的な笑みを浮かべる始末。いったん逮捕されたら当然のことながら厳罰が下されるのは明白で人生を棒に振ることは最初から分かっているはずですが、容疑者の若者には刑罰に対する恐れや、そもそも「人を殺す」ということに対する罪の意識は最初から欠如していたのでしょうか。

凶悪な面構えと言えば「博多ストーカー事件」の容疑者の写真にもぞっとしました。被害者の女性は頭、胸、腹など十数カ所刺され、死因は失血死、には言葉がありません。あの顔で襲われた被害者の恐怖はいかばかりだったか想像もできません。

1月28日、山陽新聞社さん太ホールにおいて、シンポジウム「死刑制度について考える」が岡山弁護士会によって開催されます。犯罪がますます凶悪化し、組織的、利潤追求型になるなかでの死刑制度について、賛否両論があるなか、シンポジウムに参加して自分なりの考えをまとめてみようと思います。

 

死刑制度について考える

 シンポジウム「死刑制度について考える」に参加して

 東京都狛江市で起きた強盗殺人事件はマニラの入管施設において拘束されている容疑者の日本への送致を巡って日本の警察当局とフィリピン当局の話し合いがまとまりそうな気配です。凶悪事件が日常化するなか先日、死刑制度に関するタイムリーなシンポジウムが岡山で開かれました。(岡山弁護士会主催、さん太ホール、2023年1月28日)

 第1部は芥川賞作家の平野啓一郎さんによる基調講演でした。京大法学部学生時代の平野さんは死刑存置派だったけれど、作家になってヨーロッパの作家仲間と親しく交流し、また犯罪によって身内の人を殺された被害者の方々への取材を通じて、現在は死刑廃止論者になったという心の変化を文学者ならではの説得力をもって語っておられました。

第2部は平野さんの他に刑法の専門家である甲南大学教授の笹倉香奈さん、京都弁護士会の辻孝司さんらによるパネルディスカッションでした。まだ娘さんのような若々しい雰囲気を保っておられる笹倉先生は、先進国の中で死刑制度を残している日本の特異な状況を論理的に説明されたことが特に印象に残りました。ともすれば情緒的、感情論的に死刑の問題を語ろうとする我々素人の考えとは大きく違っていました。

ヨーロッパではEUへの参加条件として死刑制度を廃止していること、アメリカには死刑制度が残っているとはいえ大多数の州で廃止または停止状態にあること、日本において死刑制度が自殺の手段として使われることがあること、えん罪による死刑執行事例があること、必ずしも被害者遺族が死刑を望んでいるわけではないこと、など専門家からの説明に一々うなずいてしまいました。

また、犯罪人引渡し条約が米国と韓国との間でしかない理由として日本の死刑制度の存在が関わっているとの説明がありました。容疑者を日本に引き渡すと死刑が執行されかねないので死刑廃止国は日本と関連条約を結ばない。そういう意味では、フィリピンの例のように楽しい拘置所生活を送りながら、日本での強盗殺人を指揮するタイプの犯罪がますます増えるのではないでしょうか。

とまれ、日本の死刑制度には感情論を超えたいろんな弊害もあることを学ぶことができた充実したシンポジウムでした。


猛烈寒波襲来

この冬は暖冬気味に推移していると感じていたのに、大寒になってからというもの、天気予報通り日本列島は猛烈寒波に襲われました。岡山県内では北部を中心に高速道路が閉鎖されただけでなく、備前市内の国道2号線までマヒし、20数キロもの大渋滞だそうです。

 家の中にいても水道の凍結が心配になります。ちょうど1年前のこと、台所で洗い物をするのにいつまで待ってもお湯が出てきません。おかしいなと思って家の外に設置してある電気給湯器を点検したところ、器械が破損しタンクの熱湯はすべて排水溝に流れてしまっていました。

 この突然の惨事にどのように対処したかというと、専用の電源を切り、水栓を閉めただけでそのまま今にいたるまで放置しています。いまどきお湯のない生活をしている世帯など数えるしかないと思います。今の時期、顔を洗うのも食事の用意、後かたづけをするのもすべて凍るような冷水で行っています。

知り合いにそんなお湯なし生活のことを話すと、まるで私のことを人格破綻者であるかのように非難するのですが、ひとことで言うと元の状態に復旧させるのがめんどうなのです。

老い先短い状況では高価な電気温水器ではなく、簡便なガス給湯器で済ませようと業者に聞いたら、半導体不足の影響で半年待ちとか。それに業者に来てもらうには家の内外を片づけて掃除もしないといけないし……。

結局、顔や食器を洗うときはやかんにお湯を沸かし、ほそぼそと。でも慣れるとどうということもありません。ウクライナの惨状を見ると水が出る生活ができているだけでも天国です。私が育った戦後間もないころは暖房なし、お湯なし、ガスなし、水道なしでした。電気だけはいつもありました。朝目覚めると母がたらいで絞った熱々のタオルで顔を拭いてくれたものです。

実家の風呂は私が高校生になるくらいまで薪で沸かしていました。そしてそのころ登場したのが夜間の安い電気を利用した電気温水器です。


去る者日々に疎し

コロナ禍で3年も人流がストップしていましたが、昨年の秋あたりから繁華街は訪日観光客でごった返すようになりました。私の身近でも年末にブロディとサラというカップルが来日。カナダの従姉の義理の孫になる若者たちです。日本の城に興味があるという彼らに国宝にして世界文化遺産でもある姫路城は外せません。姫路駅で落ち合い、遠目にも威風堂々の白鷺城に向かいました。

今時の若者は旅先で必要な情報は実にきめ細かく調べていて、あきらかに従姉(77歳)やその子ども世代(50代)とは違って、案内役などいなくてもスマホ片手にすいすいと旅を楽しんでいる様子でした。それに子どものころから日本のアニメや戦乱時代の武将ものゲームなどもあるのでしょう。私は日本史の細かいことを聞かれてたじたじでした。

姫路城の後は新幹線で岡山へ。定番の後楽園と新装なった岡山城や県立図書館を案内し、夕食後ホテルまで送りました。彼らは岡山の後は広島、福岡、長野と回り、成田から帰国する予定とのことでした。

さてここからの展開が外国人と日本人の気性というか習慣の違い、あるいは世代の違いなのか、何か変なのです。ホテルの入り口で「じゃあ気をつけて」、「ありがとう」の挨拶を最後に翌日になっても帰国間際になってもいっさいメール連絡がなく少々心配でした。カナダの親元にはどこかでわんこそばを100杯も平らげている楽しそうな写真が届いていて、それが転送されてきて、ああ元気に旅しているなと分かる始末。

こういう経験はカナダの若者に限らず、後楽園などで困っているヨーロッパからの観光客などを助けて感謝されメアドまで交換してもこちらからのメールに返信もくれない場合がほとんど。日本人ならほぼ間違いなく「先日は大変お世話になりました」みたいなお礼メールのひとつも送ってくるものですが……。 

そう言えばアメリカのTVドラマ、“Sex and the City”など見ていると車の中で濃厚なキスをしている男女でも車から降りたら彼女が名残惜しげに後を振り向くなどまったくありません。そういうものなのでしょうね。“Out of sight, out of mind”「去る者日々に疎し」どころか、別れた瞬間にもう気分の切り替えができてしまう彼らはやはり日本人とは違うなと率直に思います。

後期高齢者となる年の春を迎えて

一人暮らしは気ままなものですが大晦日を一人きりで過ごすのは侘びしく思われ、空港に行ってみました。JALのカウンターで混み具合を聞いたところ空席多数とのことでシニア料金で搭乗しました。大晦日の東京なんて学生時代以来数十年ぶりのこと、さぞかしにぎやかな年の瀬かと思いきや、新宿の繁華街でさえ閑散としていたのにはびっくりでした。

上京した際によく行く新宿の飲み屋に行ってみました。さすがは大都会、こういう場所には私のような行き場のない孤独な人が集まって、見ず知らずの人たち同士で盛り上がっていました。カラオケのテレビモニターには紅白歌合戦が映っていましたが、知っている歌手と言えば加山雄三ぐらいのもの、もうとっくの昔に消えてていい番組なのにまだNHKはこんなものに莫大な費用をかけているのですね。居酒屋で紅白歌合戦が終わるのを待つというのもつまらなく思われ「ゆく年くる年」を待たずホテルに引き上げました。

元旦は沖縄に住んでいる友人がちょうど上京中と聞いていたので、連絡してみたところ閑そうで、彼の娘さんを含め3人でファミレスに行きました。弁護士の友人は中学校時代のクラスメートですが、実際に会って話をすると仕事がらみのメールでは感じられない友の「老い」が見えてきます。でもその「老い」は悲惨なものではありません。ファミレスみたいなカジュアルな店で正月早々まったり話をしていると、我々もほのぼのいい爺さんになったものだ、人生の苦しみの多くはすでに経験済みで今生きていること自体が何となく楽しい、そんな気分になりました。

それでも近年同年代の友人たちとの交友関係は一人また一人と少なくなってきました。死別という場合が多いのは確かですが、多くの場合、なしつぶし的に、あるいはあからさまに「もう連絡して来ないで」と言われて交友が終わることもあります。かつてあれほど親しいと思っていた友人たちがある日去っていくのです。私の友人に対する接し方に問題があったのでしょう。若い頃はそれでもつきあってくれていたのが、残り時間が少なくなった今、みなさん自分の時間を大切にすることに正直になってきたせいかと想像します。

老いの道はかくのごとく孤独なものですがそれはそれ、若い世代の人々と仲良くしていきたいものです。

2022年12月26日月曜日

2022年を振り返って

今年も残り少なくなった今日このごろ1年を振り返ってみるといろいろ感慨深いものがあります。ウクライナ戦争はウクライナの善戦が伝えられているものの戦線がぶつかり合う現地に住んでいる人々にとっては、地獄の日々に違いありません。

日本は幸いなことに太平洋戦争を最後に70数年平和と繁栄を享受してきましたが、ここにきて東シナ海がずいぶんきな臭くなってきました。また経済的にもいつのまにか先頭グループから置いてきぼりをくらっているような情けない状況です。

コロナに関しては欧米でもアジアの多くの国々でももはや何の規制もない以前の状態に戻っているのに対し、中国のゼロコロナ政策の異様さは際だっています。日本ははっきりした政策を欠き、欧米とも中国とも違うあいまい戦術でコロナに対処しているところがいかにも日本的だと感じます。

大事件もありました。安倍元総理が夏の参院選の応援演説をしている最中に背後から手製の銃で暗殺されるというショッキングな出来事。この件は旧統一教会問題という予期せぬ事態を露呈させました。

イギリスのエリザベス女王の急逝にも驚かされました。世界史上最長の在位を誇った君主かと思っていたのですが、調べてみると第1位はフランスのルイ14世で72年と110日、第2位のエリザベス2世女王陛下は70年と127日だそうです。こうした神話級の記録が破られることはもはやないでしょう。

個人的な出来事としては、おおむね健康に恵まれた1年だったものの、11月に受けた歯茎の手術で頬がパンパンに腫れたのには本当に参りました。友人に腫れた顔の写真を見せたら“通天閣のビリケンさんそっくり、拝んだら御利益がありそうなくらい!”とまで言われました。

来年は久しぶりにカナダの親戚の子たちが桜の咲くころ日本に来るというので私も通訳として彼らに同行し京都や山陰の春を楽しみたいと思います。桜が咲き花見ができるのは何と平凡で幸せなことかと思います。

(お詫びと訂正)

本誌11月7日号に掲載した当コラム中において「甲本種苗店」と記しましたが、正しくは「こうもと種苗店」(代表者名:河本勝吉)でした。ご指摘いただいた読者の方には心より御礼申し上げます。

伯母の戒め

 小学生のころの夏休み、母に連れられて東京見物に出かけたことがあります。渋谷の道玄坂でビジネス旅館を経営していた伯母はしっかり者で世知に長け、母にとっては姉というより母親的な存在でした。文学少女がそのまま大人になったような母とはあらゆる面で気性も経済感覚も異なっていました。
 渋谷にも大きなデパートがあるのに、伯母は地下鉄銀座線に乗ってわざわざ三越本店まで買い物に出かけていました。もともと新潟生まれの伯母にとって呉服店「越後屋」が発展してできた三越には古里のにおいがあったのかもしれません。東京滞在の三日目ぐらいだったか伯母がその日本橋三越に連れていってくれました。「好きなもの、何でも買っていいから」と。
 私は遠慮がちな田舎の子どもだったし、当時の天満屋でさえ巨大なデパートに思えていたのに三越本店の偉容にはすっかり怖じ気づいたものです。伯母がこれはどうか、あれはどうか?と催促してきても私は「要らない」を連発。リッチな大人のためのデパートに子ども向き商品はそれほどなかったような気もします。それでもせっかくの伯母の好意を無下(むげ)にするのも悪いので、東京タワーの模型を買ってもらいました。
 ところが……。楽しかった数日間の東京旅行を終えて岡山に帰った日の夜のこと、ふと両親の寝室から母の嗚咽(おえつ)の声が聞こえてきました。母は父に取りすがって「東京で姉さんに酷いことを言われた、悔しい」と泣いているのです。
 後に何を言われたのか母が語ってくれたのはこうでした。「あんたたち夫婦は子育てを間違っている。つましい教員なんかやっていて子どもに倹約を強いているのだろう。そのせいで子どもがいじけているではないか。何を買ってやると言っても『要らない』の一点張りだった……」
 私は母に対し申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。なぜほどほどに値の張るおもちゃとか洋服でもねだって、伯母さんの自尊心をくすぐってあげなかったのか、大失敗でした。
“三つ子の魂百まで”、今でもデパートは食料品売場以外は苦手です。それでも伯母に似ていて上京したら用はなくても新宿の伊勢丹に寄ります。もっとも伯母に言わせれば「伊勢丹なんか……」でしょうが。 

インプラントその後

インプラントの人工歯根を埋め込むための手術を大学病院の口腔外科で受けてきました。私の場合、人工歯根を支えるだけの骨の厚みが不足していたので、人工骨で歯槽骨をかさ上げし、そこに人工歯根を埋入するというかなり大がかりな手術でした。

所要時間はたっぷり2時間。麻酔を打ちその後は口を大きく開けたままにしておくのですが、助手をつとめるシニア・レジデントの学生さんが金具で頬をずうっと引っ張り続けます。歯茎を切開する痛みは麻酔で消されているのに対し、頬に金具が当たる痛みは相当のもの。「頬が痛いのですが……」と申し出たら、先生は何と頬に麻酔をチュチュッと打たれるではありませんか!「こんな対処の仕方もありなの!?」

歯科の診療台の周囲には手術を担当している教授のほかにインプラント科の教授、レジデントや学生さんが3、4人見学しています。ガリガリガリと歯茎の中の骨が削られる音を聞きながら、ふと困った感覚が、最初は遠雷のように、そして次の瞬間にはすぐそこまで迫ってきました。トイレです。

「すみません、トイレに行かせてください」-「あとどのくらいがまんできますか?」

「漏れそうです」-「じゃあトイレに行ったらすぐ帰ってきてくださいね」

衆人環視の中でこういう会話をするのはなかなか非日常感が伴いますが、自然の要求には抵抗できません。白内障の手術では紙おむつをはかされるそうで、それに比べればまだマシ、トイレに行くくらいどうということはないとも言えます。

人工歯根の埋め込み作業も終わり、口腔外科の先生は額に汗を光らせながら30針とも40針とも数え切れないぐらい傷口を縫っていかれます。耐え難い時間。その日は病院に1泊して翌日帰宅しました。しかし本当の地獄はむしろ退院してから2、3日後に訪れました。頬の腫れが尋常ではないのです。

目も開かないほどの腫れが術後1週間も居座り、いやはや。インプラントのメリットは絶大ですが、難しい部位へのインプラントは歯科医師と十分話しあって、決して無理をしてまで強行すべきではないと思いました。後は人工骨がうまく定着することを祈るのみです。

2022年11月13日日曜日

インプラント手術で顔がパンパン

 春に抜歯した右上奥歯があった場所にインプラントの人工歯根を埋入する手術を受けました。大学病院に1泊しての大変な手術でした。上の歯の歯茎は副鼻腔までの距離がとても薄く、口腔外科の先生が先ず歯槽骨の増量かさ上げの処置をし、引き続きインプラント科の先生が歯根埋入されました。

退院後、2日3日と日にちが経過するにつれ、顔の腫れが信じられないぐらいパンパンに。そろそろ引き始めてくれないと、外出もままならないです。