2020年7月15日水曜日

訳の分からないGo to キャンペーンよりも消費税、ガソリン税減税を

7月になって新型コロナウイルス感染症の第2波が首都圏を中心に第1波をしのぐ勢いで拡大しています。岡山県でもぽつぽつ新規感染例が報告され、この病気はなかなか一筋縄ではいかないしぶとさを見せつけています。そんな状況のなか政府は“Go to キャンペーン”なるものを都道府県の反対にも関わらず繰り広げようとしています。
伝えられるところによると、Go to キャンペーンには、Go to Travel キャンペーン、Go to EatGo to EventGo to 商店街の4種類があるとか。今また4月、5月の悪夢が再来しつつあるこのタイミングで、「観光旅行に出かけろ、はでに飲み食いしろ、お祭り騒ぎをし、商店街を練り歩け」というのですから驚きです。しかも最大半額は国民から巻き上げた税金で補填してあげますという途方もない政策。
お金の使い道がナンセンスなだけでなく、ネーミングがこれまた和洋折衷なうえ、“campaign”の綴りが難しいためかカタカナ表記という、いかにも頭のいいお役人様が(彼らがバカにしている)国民の受け狙いで、無い知恵をしぼったとしか思えないお寒いものです。
いったい日本はどうなったのでしょう?コロナ対策だけに限っても日本のやり方は一流先進国のそれではありませんでした。極端に少ないPCR検査、ちまたにあふれるようになってから配られたアベノマスク、気が遠くなるほど時間がかかった10万円一律支給。こうした国の政策に翻弄された一番の被害者は国民であることは言うまでもなく、医療現場や国の下請けで忙殺された自治体の職員の方々も相当ダメージを受けたことと思います。
政府が緊急にやるべきことは、「歌え、踊れ、遊べ、何度でも、心ゆくまで!」と号令をかけることではなく、一時的でも消費税を下げる(あるいは停止する)こと、ガソリン税のうち“暫定”と言いながら1974年以来(ほんのわずかな期間を除き)取り続けている暫定税率25.1円を廃止することではないかと思います。こうすれば消費はゆっくりと、しかし確実に回復し、国民は気が向いたらちょっと遠出して、温泉にでも浸かり、おいしいものを食べ、コロナ疲れを癒そうという気分に、自然になれると信じます。

2020年7月8日水曜日

マグカップ

実家の庭がいつのまにかドクダミに占拠されてしまいました。ドクダミのにおいが強烈過ぎるためか、かれんな白い花をつけるドクダミを愛でる人は少ないようです。そんなドクダミの姿を終生変わることなく焼き物のモチーフに描いた女流陶芸作家が牛窓にいました。
東海林由紀さん。1968年の4月、早稲田の教育心理学教室に入ったとき以来の長い交流でした。40数名のクラスメートのなかでひときわ聡明で芯の強い女性でした。卒業後は私は大阪で就職し、彼女は心理学とはおよそ縁のない陶芸の修行を始めました。そして、どのような縁があったのか岡山出身の陶芸家と結婚し、牛窓に工房を持ち、「青空」という喫茶店の経営と陶芸家の生活を両立させてきました。
私が大阪での仕事を辞めて両親の介護のために2001年に岡山に帰ってから数年の間、彼女が淹れるコーヒーを求めて本当によく牛窓まで車を走らせたものです。ある時、陶芸家としての彼女に、マグカップを作ってくれるよう依頼したことがあります。若いころオーストラリアのタスマニア島で見かけて買ったお気に入りのマグカップが壊れてしまい、東海林さんに壊れたカップを渡し、「こんな感じのものを作って」とお願いしたのです。
それから23年後、彼女は生まれ故郷の岩手県一関に引っ越してしまいました。そして東北大震災の前年、ドクダミの白い花が咲く頃、突然の彼女の訃報を聞きました。そして10年の歳月が流れました。依頼したままのマグカップのこともすっかり忘れてしまいました。
ところが今年も庭のドクダミの白い花が咲く頃、「青空」の店舗を引き継いだ「てれやカフェ」に行ったところ、マスターから「マグカップを預かっています」と言われてびっくりしました。牛窓在住の東海林さんの陶器の愛好家がドクダミのデザインが施されたマグカップを店を通じて私にくださったのです。驚きです。東海林さんは私がデザインを依頼したマグカップを一関に帰るまえのあわただしい時期に作ってくれていたことを知って感無量でした。

学友にして生涯の友人だった由紀さんが逝ってちょうど10年。たっぷりコーヒーをそそげる清楚なマグカップはついに私の元に届きました。不思議な縁があるものです。



2020年7月1日水曜日

山田ねずみ大根

冬の食卓を代表する野菜のひとつに大根があります。もともとは地中海沿岸地方が原産とのことですが、なぜか極東の果ての日本で大根は民衆からこよなく愛され、他国では考えられないほど大きさ、色形もさまざまな品種が育成されました。圧巻は重さ30キロにもなる桜島大根と長さ2メートル近くまで伸びる守口大根です。ともに同じ大根とは信じられないほどマニアックな野菜をよくぞ作り出したものだ、と昔の人の研究熱心さに驚かされます。
日本には上記2種ほどユニークではないにしても、全国各地に特有の固有種があり、なかでも私が毎年作っている品種に「山田ねずみ大根」という滋賀県特産の真っ白で小振りな大根があります。山田ねずみの特徴はお尻がきゅっと締まり、まるでネズミのしっぽのように主根がピンと飛び出しているからです。肉質は緻密で柔らかく、また葉っぱも棘がなくすべすべして煮食いに最適。
そして何と言っても、市販の大根が現代の少人数家庭の食生活にマッチしないどでかい代物であるのに対し、山田ねずみは独り者でも食べきるのにちょうどいい大きさなのです。
しかも、こうした特産大根は種苗商や研究施設で改良された交配種と違い、固定種と呼ばれ、自分で種を採って蒔くことができます。私は今まで大根の種を自家採取した経験はなかったのですが、この春はコロナ騒動で畑に行かないうちに山田ねずみ大根に花が咲き、5月の末には大量の種ができてしまいました。
9月になり自宅の狭い菜園で大根を作るのに必要な種はせいぜい100粒で十分、しかしせっかくここまで命を長らえた種を捨てるのはかわいそう、そしていちいち鞘から種を取りだしました。約2デシリットルもの山田ねずみ大根の種の収穫です。
 とはいえ、いくら何でもこんなにも大量の種は個人ではどうしようもなく考えあぐねていたら、岡山大学で有用植物を研究されている方からいいアドバイスをいただきました。大根の種はライフクシという生薬になるそうです。消化を助け、おなかをスッキリ整えるとか。これなら大根の種が大量にあってもちゃんと命を大切にいただくことになります。

 コロナがどうもすっきり収まらないままもう7月になりました。はや後半です。そして8月下旬にはまた大根の種蒔きの準備が始まります。

2020年6月24日水曜日

現代の鎖国

日本史で習った江戸時代の鎖国っていったいどんな感じだったのでしょうか。鎖国していても現実には外国からいろいろな道具や嗜好品などが長崎を経由して日本に持ち込まれていたと思いますが、やはり庶民にとって外国とは日常生活に縁のない遠い存在であったに違いありません。
一方、当時の日本人は外国で起きるさまざまな戦争、動乱、革命、疫病の流行、宗教の対立等の混乱など知る由も、それらに悩まされることもなく、日本独自の文化を育み、人々は仕事と趣味を調和させ、貧しくとも平和な生活を築いていたものです。そして1867年、大政奉還があり、鎖国は解け明治という疾風怒濤の時代に突入しました。
日本は急速に近代化し、敗戦、高度経済成長等いろいろあり、2020年の現在、世界はすっかりグローバル化しました。がここにきてまさかのコロナ鎖国の復活です。もちろん動けないのは人間だけで、物流、情報、通信は従前通り機能しています。
4月初め、カナダの従姉に「大葉」の種を航空便で送ってあげました。「大葉が好きなのだけれど、種が手に入らない」と言っていた彼女の希望をかなえることなど簡単なことです。スーパーで種を買って封筒に入れて郵便局で投函するだけ。
ところが1週間過ぎても1か月過ぎても「届いた」とのメールが来ません。そして我が家の庭でうっとうしいぐらい大葉が茂りだした6月半ばになってやっと届きました。考えてみると郵便局は引き受けてくれたけれどカナダ行きの直行便がない現状では、大葉の種が入った封書はいったいどんな旅をしたのでしょう。横浜からバンクーバー行きの貨物船に乗せられたのかもしれません。
このように物流は確保されているといっても、本来1週間で届くものが2か月を要する例もあります。同じく情報はテレビやネットでちゃんと伝えられているはずですが、現地に出かけて自分で見聞きしたものとは迫力も生々しさも違います。大葉の写真からあのさわやかなにおいが伝わってこないのと同じです。

外国旅行がいまだ解禁にならない現代の鎖国状況のなかで、今一番の望みは国際線の飛行機の席に座ること。安全な行き先が少ないのがやっかいですが、ニュージーランドあたりなら問題ないのではないかと“開国”の日が待ち遠しいこのごろです。

2020年6月17日水曜日

マロン、肛門嚢胞炎

2週間前の金曜日、マロンの様子がおかしいので調べたらお尻が赤黒く腫れていて、すぐにせのお動物病院に。
そろそろ完治してもいいころなのに、かさぶたができているのでカラーを外せないし、食事の補助が大変。一度、食事時にカラーを外してやったら、治りかけていた傷口を舐めて出血し、元のもくあみに。それ以来エサを食べ終わるまでずっと監視し、食べ終えるとすぐ捕まえてカラー装着。今ではどこにもぶつからず器用に家の中を歩き回っています。

2020年6月16日火曜日

芭蕉


昭和23年ごろ、家の新築と同時に父がどこからかもらってきて植えた芭蕉が72年後の今も絶えることなく東の庭に育っています。ある程度大きくなったら花が咲いて小さなバナナが現れ、バナナは大きくなることなく、木そのものも枯れていきます。
長年身近にある芭蕉って分類学的にはどこに位置付けられるのか、ふと知りたくなってWikipediaを見たら、何と生姜の近縁種でした。そういえば、地下茎で繁殖し、花の構造も茗荷に似ています。
道路にはみ出すように大きな花を咲かせるので、小学生なんかが、「わっ! バナナがなってる」と見上げて通りすぎます。
近年、岡山で耐寒性のあるバナナが栽培されマスコミがよく取り上げています。冬の冷え込みが昔ほど厳しくないので、もしかしたら耐寒バナナを栽培するのも夢ではないかもしれません。

2020年6月15日月曜日

梅雨入り

今年の梅雨はいきなり大雨で始まりました。例年なら梅雨の末期によくある集中豪雨に似た激しい降り方に真備の悲劇が思い起こされます。
日曜日、今にも落ちて来そうな暗い空の下、総社から矢掛にかけてドライブしてみました。小田川流域の水没した町並みは今では傷跡が目立たないまでに立派に復興していました。被災された住民の大変な努力のたまものと頭が下がります。
道路沿いの農家の庭先には、ナス、トマト、キュウリ、トウモロコシがはやくも実を付け収穫の時期を待っています。連休前、野菜の苗が植えられ、種が蒔かれたころは新型コロナの真っ最中で、世の中から人も車も消えてしまったような状態でした。
私も野菜畑を少々持っていますが、コロナ隆盛期のころは野菜の植え付けに関して何もする気になれず畑は荒れるにまかせていました。感覚的には何だか、自分の内部にある季節を感じるセンサーが麻痺してしまったような今年の春でした。
ところがやはり農家の人には季節の移ろいを何よりも大切にする習慣がほとんど本能のように備わっていて、ちゃんと適期に野菜の苗を植え、田んぼでは籾を蒔き、例年通りのペースで田植えが終わっています。
梅雨に入って、私も遅ればせながらホームセンターに出かけキュウリやゴーヤの苗を買ってきました。インゲンやササゲはこれから種蒔きしても十分間にあうので植えてみようと思います。
思えば、コロナさえなければ今ごろはオリンピックの開幕を前に日本中が大フィーバーを起こしている最中だったでしょう。まったく戦争に匹敵する犠牲者を出し、未曾有の経済的、文化的、心理的損失をもたらした新型コロナウイルスの世界的な流行は当初の甘い見通しをはるかにくつがえすものでした。東京都知事でさえ(だからこそ)3月末ごろまでオリンピックは開くと公言していました。ほんとうに世の中一寸先は闇とはよく言ったものです。
一方、農家の庭先に植えられた野菜が季節どおりに実り、例年どおりツバメが農家の納屋の天井に巣を作って子育てしているところを見ると、自然の営みほど安心確実なことはありません。慈雨が田んぼの稲をはぐくみ幾多の水辺の植物や動物を養う6月の田園。ただ集中豪雨だけはご遠慮いただきたいものです。

2020年5月27日水曜日

クワの実が熟れる季節

5月末から6月初めにかけての梅雨前、晴天に恵まれた日が続きます。家庭菜園ではタマネギやニンニクの収穫適期になり、また連休中に植えたナス、キュウリ、トマトがぐんぐん大きくなる季節です。今年は3年ほど前に庭に植えたクワの木に実がたわわになり始め、手を紫に染めながら一つずつ収穫しています。ジャムにするとこれが絶品なのです。
そういえば、童謡の「赤とんぼ」にクワの実が登場しますね。
「赤とんぼ」
夕焼、小焼の、あかとんぼ
負はれて見たのは、いつの日か。
山の畑の、桑の実を、
小籠に、つんだは、まぼろしか。
十五で、姐やは、嫁にゆき、
お里の、たよりも、たえはてた。
夕やけ、小やけの、赤とんぼ。
とまっているよ、竿の先。
(三木露風作詞、大正10年、歌詞の表記にはゆれがある)
「赤とんぼ」という題名から私は長い間、季節は秋と思いこんでいたのですが、よく考えるとクワの実が熟すのはちょうど今ごろなので「あれっ?何か変」と思いました。でも歌詞の流れを追っていくと一つの年の初夏とか秋の出来事を描いたのではなく1番から4番まで歌詞をたどっていくと、そこには十数年ぐらいの歳月が流れていることがはっきりしてきました。
まだ歩くことができない幼児のころ、姐やに負われて夕焼けを見たのが1番、少年になって山の畑にクワの実を取りに行ったのが2番、そして3番は子守り奉公をしていた姐やが15歳で嫁に行ってしまった、そして4番では何とも甘酸っぱく少しさびしい記憶の流れを大人になった現在懐かしく思い出している。
三木露風のような詩人でなくてもどんな子どもも桑の実には何か郷愁を感じるのではないでしょうか。それが今や我が家の庭に何本も育ち、しかも品種改良のせいもありひとつひとつの実が大きいのです。

ざる一杯実を採ってきて軸などは取り除き、ざっと水洗いした桑1キログラムに対し砂糖400グラム、ペクチン、レモン汁を加え煮ていきます。煮詰めていけばジャムになりますが、私はまだ流動性が十分残っている状態で火を止めます。ミルクやヨーグルトとの相性が抜群。びっくりするぐらいおいしい桑の実プレザーブの完成です。


2020年5月20日水曜日

緊急事態宣言解除になって

新型コロナ感染症の流行にはずいぶんハラハラさせられましたが、5月も半ばを過ぎた昨今、状況は目に見えて沈静化してきました。そして北海道および首都圏4都県以外の府県では緊急事態宣言が解除となり、デパートや飲食店も再開され街に活気が戻り始めました。
ところが自治体の長やマスコミの論調を聞くと何やら人出が戻ってきたことを素直に歓迎していないような口ぶりなのが気になります。国が宣言を解除したのは、今までステイホームで経済活動、人と人との交流など国民生活が死んだようになっていた状態から目を醒まし日常を取り戻すためだったはずなのに、です。
そう言えば「3密」という東京都知事が流行らせた言葉の定義も最初は、密閉、密集、密接の3つが重なることは避けなさいということだったはずなのに、いつのまにかこれら3つのいずれか一つでもあればダメと拡大解釈されてきました。
そして岡山県知事の「岡山県に来たことを後悔させてやる」発言です。これは岡山県に限らず全国あちこちで他府県ナンバーの車が攻撃されるという常軌を逸した行為にまでエスカレートしました。ひどい例では駐車した車に傷が付けられるとか他府県ナンバーの車を写真に撮ってネットにさらすなどということも行われたようです。
そもそも政府が緊急事態宣言を発した理由は感染爆発により医療崩壊が起こることを避けるという明確な目的があってのことでした。つまり、新型コロナウイルスには今のところ有効なワクチンも特効薬もないが、病院で対処できる範囲にダラダラ流行を下げることで、遠くない将来コロナと人間が共存できるところまでもっていきたいので、国民の協力をお願いしたいという趣旨でした。
ところが真面目かつ集団同調的な国民性もあって過剰な自粛や他府県民攻撃、陽性者・医療従事者いじめなどが起きたものと思います。統計学的に見てひとまず流行は終わったと見なしていいにも関わらず、マスコミは早くも「第2波、第3波を警戒せよ」と危機感をあおってきます。

コロナとは「適当に」つきあっていかないとそれこそコロナの思うつぼ。新しい患者がぽつぽつ出ても騒ぎ立てない、第2波が来たらそのときまた対策を取るというスタンスで十分ではないかと思います。

2020年5月13日水曜日

無意識のうちに逆走!

 高速道路を逆走して大事故を起こす高齢ドライバーの存在は一種の社会問題と化しています。対向車と正面衝突して双方の車に死者がでることも珍しくありません。
 高速道路を逆走してしまう主因はサービスエリアやパーキングエリアで休憩した後、出口ではなくもと来た方向へ走ってしまうことにあるようです。「そんなバカな!あり得ない」とニュースを見ながら高齢ドライバーにあきれてしまう私ですが、そのありえないことを先日自分でやってしまいました。幸い高速道路でなかったこと、信号付近のできごとであり、双方向ともすべての車が停止中だったことにまず感謝です。
 家のすぐ近くという訳ではないのですが一応生活圏にあるコンビニにでかけたときのことです。信号機のある交差点の角地にある大きなコンビニです。駐車場の一方は細い田舎道に面し、もう一方は片側2車線で中央分離帯をはさんで反対車線が2車線ある立派な道路に面しています。
 昼間たまに立ち寄るときは全然問題ないのに、先日夕方暗くなってそのコンビニに行った帰り、4車線道路を何故か上下2車線と勘違いし、右折して「左車線」に入りました。正面の信号は赤で停止。すると交差点の真向かいの車がライトを激しくハイビームとロービームを繰り返してきます。「えっ?私がハイビーム?」と頭をひねっていたら、助手席の同乗者が「逆走してる!」と絶叫。ようやく私も異常事態に気づいて信号が青に変わる寸前に交差点のど真ん中を横切って本来の走行車線に進むことができました。いやはや、自分の車の真っ正面にヘッドライトをつけた車があること自体おかしいのに、対向車から激しくパッシングされるまで気づかないなんて!
まったく無意識のうちにこんなとんでもないないことをしでかしてしまい、同乗者も対向車の方もさぞ肝を冷やされたことと申し訳なく思うとともに、「このようにして逆走が起きるのか」と怖くなりました。後日問題のコンビニの駐車場を見に行きました。とくに看板のようなものはなく、できれば「←お帰りは左折のみ」とでも案内標識があったらと思いました。昼間なら絶対(たぶん?)間違わないのに夜間の運転はこんなところにも落とし穴があったのか、と逆走は他人ごとではないことが身にしみて分かりました。