2017年6月8日木曜日

京大総長式辞、JASRACに風穴か

音楽著作権管理団体として作詞家や作曲家の権利を代弁するJASRACの存在がかえって楽曲や詩を生み出すクリエーターとそれらを聞いて楽しみ感動する聴衆との日常的な心の交流を妨げているような気がします。音楽著作権管理団体はほかにもあるのですが実質的にはJASRACが業務を独占している状態です。
JASRACは著作権法が認めている正当な引用の判断基準をきびしく解釈していて、ものを書く人の創作意欲を減退させることはなはだしい。私も時代を映す演歌やはやり歌の歌詞の一節を自由に引用してブログやエッセイを書きたいのですが、JASRACからの問い合わせが来ることをおそれて歌詞の直接的な引用は避け、タイトルや歌い手の名前(これらには著作権がない)を挙げて何とか気持ちを伝えようと苦労してきました。
ところが今年の4月、天下の京都大学において山極総長が入学式式辞で昨年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの「風に吹かれて」の英文原詩を長々と引用したことがJASRACの目に触れ、京都大学に対して「お問い合わせ」があったことがニュースになりました。山極総長は「常識にとらわれない自由な発想とはどういうことをいうのでしょうか」と問いを発し、総長が高校生時代に流行ったボブ・ディランの「blowin’in the wind」を引用、披露しました。総長の挨拶文は以下のような引用の構造をしています。具体的には京都大学のホームページを開いて、「平成29年度入学式式辞」を見ていただきたいと思います。
「風に吹かれて」の英語の歌詞が2行、その和訳が2行ずつ、結局歌詞の1番が全部掲載され、さらに2番からももう2行引用されています。正直、びっくりしました。いままで1行の半分の引用にも文句をつけていたJASRACがどう対応するのか見守っていたら、なんと理事長が京大のケースは「著作権法の『引用』と判断し(使用料は)徴収しない」と会見で表明したからです。

京大の例がJASRAC問題に風穴を開けたことになると私は信じたいです。ただこの結果がただちに作家やブロガーにとって光明となるかどうかはもう少し時間が経過しないと分かりません。またJASRACはヤマハ音楽教室に対しても使用料を求めて逆に訴訟を起こされていますが、その結果にも注目したいと思います。

2017年6月7日水曜日

「わが青春のマリアンヌ」


シニア世代になった今も見るたびに思春期のころに引き戻してくれる特別な映画があります。「わが青春のマリアンヌ」。「銀河鉄道999」の松本零士など多くのクリエーターに多大な影響を与えた作品といわれています。監督はジュリアン・デュヴィヴィエ、仏独合作映画で1956に公開された白黒映画です。
実はこの映画にはフランス語版とドイツ語版の2種類があり、単に音声吹き替えというのではなく、主役の少年がドイツ人とフランス人のダブルキャストで撮影されています。両方とも現在YouTubeでフルムービーが視聴できますが、私はだんぜんドイツ語版の方が好きです。(注)
何と言っても若き日のホルスト・ブッフホルツが演じる主役のヴィンセントの憂いを含んだ繊細な演技が素晴らしい。思春期の少年独特の夢想、冒険、夢と現実の境界を自由に行き来するたましい、そんなものを見事に表現し尽くしています。
物語は、ある日森の奥にある寄宿学校にアルゼンチンからヴィンセント少年が転校してきます。湖の向こう岸に古い館があり、そこにマリアンヌという美しい少女が恐ろしい老伯爵かなんかに幽閉されていて、助けを待っている……。ヴィンセントは嵐の夜、手漕ぎボートで救出に向かいます。どこまでが夢で何が現実なのか、映画を見ている人は次第に青春の迷宮に導かれていきます。
この映画では青春のロマンチックな感情だけでなく残酷さも遺憾なく描かれています。男の子(小学生から高校生ぐらいの年代)だけの寄宿学校ですが、そこに校長の親戚の少女、リーゼもヴィンセントに少し遅れて転校してきます。
ヴィンセントは故郷のアルゼンチンのパンパで野生の馬を自由に乗り回していたほど動物の心をつかむ魅力を備えた少年です。深い森の中にある寄宿学校でヴィンセントがアルゼンチンの民謡をギターに合わせて歌い始めると、野生の鹿たちも感動して窓の外に集まってきます。

ところがヴィンセントの存在にうっとりしたのは鹿だけではありませんでした。リーゼも一方的に恋をし、ヴィンセントが大切に飼っている鹿を彼女は殺してしまいます。嫉妬からです。思春期の夢想から抜け出せない少年と一足先に「おとな」になった少女のこころの対比が残酷にも美しく描かれています。

(注)2017年6月7日現在、YouTubeではドイツ語版が見あたりません。この2,3週間のうちに削除されたものと思われます。DVDもフランス語版しか販売されていないようです。私はなつかしのレーザーディスク時代のドイツ語版「わが青春のマリアンヌ」をもっています。またYouTubeのドイツ語版もダウンロードしています。このようにYouTubeにのせられる動画は著作権の問題などですぐ消されることは日常茶飯事なので、気に入ったものがあれば迷わずダウンロードしておくに限ります。


慢性疾患と薬

60歳70歳と、年を重ねると体にはさまざまな変化が起きます。体重は増加する一方だし、血圧、コレステロール、血糖、尿酸等あらゆる検査項目が正常値を上回ってきます。医師からは体重を二十歳のころに戻しなさいと指導され、慢性疾患に対しては病名ごとに薬が処方されます。
私の場合、若くてほっそりした体つきだったころからすでに中性脂肪の値が異常に高く、それは超肥満体型の現在も変わっていません。病院に行くたびに薬を勧められますが、何だか体に悪いような気がして処方をお断りしています。
 たしかに医師が言うとおり、腎臓や肝臓疾患、動脈硬化、糖尿病などはどれも静かに進行するので、症状がないからといって放置するのは命取りになるのかもしれません。脂質異常(高コレステロール血症)を放置しておくと動脈硬化を起こし、やがては心筋梗塞とか脳卒中で倒れるという経過をたどるのでしょう。
 しかし現在68歳の私の場合、50年もの長い年月を中性脂肪やコレステロールが高いまま過ごしてきたのにもかかわらず、どこで何度検査しても動脈硬化を指摘されたことはありません。血液ドロドロかも知れませんが血管はしなやかなようなのです。
 高脂血症の人が薬で数値を下げなければならないとされる理由は、大規模な調査の結果、薬の効果が立証されているからでしょう。しかしだからと言って動脈硬化を引き起こしていない老人が今さら薬を飲む意味があるのかどうか、むしろ副作用によるデメリットの方が大きいのではないか、と私は疑問に思います。
 医師はこうした疑問に対し「いやこれこれの理由で飲む意味があります」などとは答えてくれません。優しい先生は「まあ様子をみましょう」と言われるし、手厳しい先生は不機嫌になり「私の指示を聞けないあなたがこの病院に来る意味ありますか?」と匙を投げつけてきます。

 私の父は人工透析に頼りながらも96歳の人生をまっとうしました。父の70歳ごろの手帳が遺されていたので読んでみて思わず笑ってしまいました。腎臓が悪化して医師から大量の薬を処方されていたころの日記です。「こんなに何種類もの薬を飲んだら体に悪いような気がするから半分捨てた」。慢性腎不全にもかかわらず100近くまで生きた父には賢明な判断力があったのです。

2017年5月17日水曜日

日光浴をするカメに思う

そよ風に誘われて健康のため自転車で遠出することが多くなりました。幹線道路を避け、生活道路や農道をゆっくり進んでいると道沿いの用水路でカメが日光浴をしているところをよくみかけます。
ところが用水路はほぼ例外なくコンクリートで護岸されていて、カメにとってのんびりひなたぼっこをする場所はほとんどありません。たまに水の中に向かってコンクリートの階段が設けられていたりしたら狭いコンクリート板の上で数匹のカメが重なるようにして甲羅を干しています。なんだかかわいそうです。
昔の用水路は護岸なんかしていなくて自然の岸辺だったし、護岸しているにしても石積みの緩い傾斜になっていたのでカメなど水辺の生物は陸と水中を自由に行き来できていました。また石垣の隙間にはたいていウナギが住み着いていたものです。
親水護岸が施されている場所もあるにはあるようですが、きわめて限定的です。せめて用水路をコンクリートで護岸する際にはところどころでも傾斜を緩やかにした石積みの場所を確保することを行政の河川を設計管理されている部署に強くお願いしたいと思います。これは何もカメのためだけではありません。人間だって梅雨や台風シーズンに用水路に流されたニュースをよく聞きますが、今の用水路では自力で岸にはい上がることはできません。
さて、日光浴をしているカメをよく観察してみると、ほとんどのカメは在来種ではなくミドリガメのようです。おそらくペットとして飼われていたのが逃げ出したか、大きくなりすぎて捨てられたものが大繁殖しているのでしょう。最近では子どものころよく見かけたイシガメやクサガメを目撃することはまったくありません。ミドリガメに在来種が駆逐されたのでしょうか。
こうなると用水路にあふれているカメに対する気持ちも複雑になります。ミドリガメがイシガメを絶滅させるのなら何とかしないといけないでしょう。しかしミドリガメにしても何も好きこのんで日本で大繁殖している訳ではありません。ペットとして拉致されてきて捨てられた末のことゆえ、日本でたくましく生きている彼らに罪は問えません。

カメたちの遺伝子が汚染される(自然交雑)のも人間の罪として受け入れざるをえないのが悲しいです。

「ミドリガメ」の画像検索結果

いつの時代も人気者、太宰治

「恥の多い生涯を送って来ました」という読者の気持ちをいきなりぐっとつかむ名せりふで始まる、太宰治の代表作「人間失格」ほど戦後の日本人からこよなく愛されてきた小説はほかにないと思います。
私の誕生と同年同月の19487月に発表されて以来、新潮文庫だけでも累計600万部を超え、2010年には映画が公開され、また繰り返しアニメやコミックにもなり、さらに先日52日発売のビッグコミックオリジナル誌において新連載が始まりました。大変な人気です。
主人公、大庭葉蔵の幼年時代は自意識過剰な性格を隠すために道化を演じ、青年になってからは酒と女とクスリにどっぷり浸かり27歳にしてまさに“廃人”になってしまったというのに、その間ひたすら女性からもてまくる不思議な話です。
葉蔵少年は太宰治その人であることは間違いなく、太宰治は「人間失格」を脱稿して1ヶ月後に愛人と玉川上水で心中してしまうのですが、それがまた若い女性の心をつかみ、毎年サクランボが実るころ(桜桃忌)後追い自殺者が続出するというもてもてぶりです。
私も今では太宰治の大ファンのひとりですが長い間、この東北出身の作家に注目したことは一度もありませんでした。子ども時代に学校で読んだ「走れメロス」のあまりのクサさぶりに、他の傑作におもむく意欲がそがれたからです。しかし、中年もそろそろ終わろうかというころ「人間失格」を初めてまともに読んでびっくり仰天でした。
根暗な中学生の葉蔵が自分の本性を隠すために明るくおどけた振る舞いをしているのを、よりによってクラスでもっとも頭が悪そうで虚弱な竹一という少年に見破られるシーンはこの短編の前半のハイライトです。葉蔵少年の身に起きた不意打ちにはおよばないにしても、誰にとってもその後の自分の運命を暗示するような何ものかにまったく予期しないかたちで出くわし、その恐怖を抱えたまま生涯を送るということはよくあることではないでしょうか。

酒と女とクスリにまつわる不始末しか描かれていない後半を読み終えて不思議となつかしいようなほっとするような印象を持つのは、「人間とはこの程度のものです」と作品のディテール(細部)が読者にやさしく語りかけてくるからだと思います。


2017年4月27日木曜日

にわか観光ボランティア


4月は桜を求めてあちこちよく出歩きました。家で一人ぽつんと行く春を眺め暮らすのは精神衛生上よくないという危機感があったからです。旅に出れば何かしら新しい出会いや発見があるものですね。鳥取県の倉吉市を皮切りに京都と大阪に2回、愛媛県松山市と道後温泉、そして岡山の後楽園と忙しく動きました。
松山では日が暮れてから道後温泉に出かけてみました。道後には今までも数回行ったことがありますが、あの有名な道後温泉本館の中に入ったのは今回が初めてでした。浴槽は思っていたより狭くその上深いのでゆっくりのんびりくつろぐのはちょっと無理という感じでした。
一度は入浴体験すべき、しかし二度はけっこうと言ったら道後の人に叱られるかもしれません。入浴中の地元のお年寄りが観光客をつかまえて説教しているのを聞くと、「この湯に朝晩浸かればどんなガンも自然と治る」そうですから。
早々と温泉から出てラーメン屋に入ったらカウンター席に白人の2人連れが座っていました。2人はフランス語で会話していたので、勇気を出して「フランスから来られたのですか?」と声をかけてみました。フランス人ではなくベルギー人夫妻で、レンタカーで西日本各地を回っているとのことです。山陰を観光したあと岡山に行くというので、私が後楽園をご案内する約束をしました。
そして4,5日後、岡山では桜もほぼ終わってしまったのですがベルギー人夫妻と再会し、いっしょに後楽園を見て回りました。2人はこの庭園が江戸時代に造られた大名庭園であることなど日本の歴史や風土についてある程度勉強したうえでの来日であることが感じられました。
こうして、いわば押し掛けボランティア観光ガイドをして感じたことは、日本は今、有史以来最高に世界中の人々から注目されているという事実です。確かに日本は訪れるだけの価値がある国であることは、このベルギー人夫妻のようにじっくり日本を見て回っている観光客の熱の入れ方からも感じられます。

今まで日本の伝統、歴史、文化は主として日本人によってつくられ、守られ、研究されてきたのですが、今後はいろんな分野で外国人が大きな役割を果たす時代に入ってきたという気がします。ちょうど相撲という日本の伝統文化が外国人力士に支えられているように。

首の捻挫と心理テスト

桜が終わると同時にむせかえるような新緑の季節です。
どこまでも美しい中国地方の山中をドライブしようと思っていたら前の日曜日の朝、首筋に猛烈な痛みがありドライブどころではなくなりました。首が回らないとはこのことです。湿布と痛み止め(ロキソニン有効期限2008年11月)で治るだろうと思っていたのですが、がまんできず病院のペインクリニックを受診しました。
受診に先立ち、受付の若い女性が何やら紙切れをもってきて私の横に座り、「この調査は少々複雑なので一問ずつ私が説明しますので当てはまるところに○をつけて下さい」とのことでした。
1.最近よく眠れますか?
2.自分は世の中の役に立っていると思いますか?
3.将来に希望を感じますか?
9.食欲はありますか?
などと続き、質問は次第に微妙に。
ついに、
「○欲はありますか?」というのが出てきました。
事務の若い女の子が隣で見ているのでどこに○をつけていいのか迷っていたら、彼女曰く「ないのなら”ない”と書いて下さっていいですよ」と誘導してきます。私は右端に○を付けたかったのに、彼女の助言に従って左端に○を付けました。(1.ない 2.ほとんどない・・5.おおいにある)
首が痛くて病院に来ているのに何でこんなことになるのでしょう?診療費の嵩上げ以外理由は見当たりません!

"眠れません、世の中真っ暗で希望はもてません、友人は1人もいません、食欲も○欲もありません、、、"などと答えたら廃用性人格障害かうつ病とでも診断されるのでしょうか。ともかく、医師は「心理テストは問題ありません」と言い、ロキソニンと湿布を処方してくれました。何のことはない自分で手当した内容と同じでした。筋肉痛など様子を見ていればそのうち治ることは分かっていてももともと臆病な性格なのですぐ病院に行ってはいつも不満をかかえて帰っています。

2017年4月12日水曜日

ひとりきりの春に母を思う

 今年の桜は例年になく豪華でしかも長く咲いているような気がします。思えば昨年の今ごろはまだ母が存命で、私は介護のために精神的な余裕を失い、花などゆっくり見ている気分ではありませんでした。
 母は60代半ばごろからうつ病を発症したのですが、何とか病気を克服しようと、自分を鼓舞して専門の病院に通っていました。かつて古京町(岡山市中区)にあった県の精神保健福祉センターからの帰り道、母は旭川に架かる相生橋の上で立ち止まり、“いっそここで身を投げよう”と思うのが常だったと私に語ったことがあります。
「でも私が自殺したら、孫に縁談が持ち上がったとき、おばあさんが自殺したとなると縁談話の妨げになるからと思いとどまった」そうです。孫に対する愛情に満ち、どんな時でも感情的にならず生涯理性を貫き通した母らしい話です。
うつ病がやや収まってきたころ、突然全身が硬直し、麻痺してしまう病気になり神経内科がある病院に入院しました。ちょうど冷夏で米が収穫できず米不足騒動があった年です(1993)。私は週末毎に大阪から車で岡山に帰り、入院中の母を見舞い、家で一人で過ごしていた父の用事を片づけたりしていました。母の入院は半年も続き、リハビリに取り組んだ結果何とかまた歩くことができるようになりました。
退院後も神経内科の先生にはすがるような思いで老いと病の相談をしていたようです。あるとき母が「先生、私はいったい毎日何をして生きていけばいいのでしょう?」と尋ねたそうです。医師の返事は母の怒りを買いました。「庭の草取りでもしながら、静かにお迎えが来るのを待ちなさい、と私に言うのよ」。
母はうつ病や原因不明の病気になってもなお明日を信じて生き甲斐のある生活ができることを望んでいたのです。そのための具体的なアドバイスを求めていた母にとって医師の言葉は大きな打撃になりました。その後もパーキンソン病、認知証を併発し、母はそれらの病にあらがうこともままならないうちに昨年の夏の終わり、97歳の大往生をとげました。

生きる意味を問うた母に次々と襲いかかる病は過酷な答えしかもたらさなかったのですが、母はひるむことなく虚無に勇敢に立ち向かいました。そんな母をあっぱれと思います。

旧友と京都観光

 このごろ年齢とともに体のあちこちにガタが出てきたせいもあって「自分の足で歩けるうちに動いておこう」というあせりにも似た衝動でつき動かされることが多くなりました。「今年花見をしたからと言って来年もあるかどうかは分からない」なんてことは若いころはまったく考えもしませんでした。
 そんなおり沖縄に住んでいる友人K君が本土の桜を見たいので岡山に行ってもいいとメールをよこしてきました。それならいっそ京都で花見をしようと逆に提案し、1泊2日の花見旅行が実現しました。今年は全国的に桜の開花が遅れ、京都も例外ではありませんでしたが、空前の外国人観光ブームに沸き立つ京のみやこは着物姿の外国人で春らしく華やいだ活気に満ちていました。
 K君は大学教授兼弁護士をしているのですが、視線は常にアジア、アフリカの発展途上国に向けられていて、若いころから今日に至るまで貧しい辺境の国々に出かけてはフィールドワークに精出しているだけあって、気取ったプチブル的なものは本質的にきらいな性格。それに引きかえ、私は伝統と格式に支えられたブルジョワ的、こけおどし的なものがきらいではありません。そういう意味では京都はスノッブな私の趣味にけっこうよく合った町なのです。
 平安神宮にほど近い閑静な場所にあるホテルにチェックインした後、夕食を求めてK君と出かけました。ところが広大な公園や神社にはばまれてなかなか食事処が見つかりません。やっと店らしい灯りを見つけてそばまで行ってみたら何やら高そうな料亭。昼間歩き疲れてヒザにきていた私は「たまにはこういう店はどう?」と打診するも即座に却下。
 ついに大通りにたどりついたところに、京大も近いせいか学生向きの食堂がありました。学生らしい若者3人がアジの開き定食を食べていたので我々もそれにしました。安くておいしい! K君も大満足。でも私はどこか物足りない。春爛漫の京都でアジの干物定食は味気ない。

 翌日の昼は、天明元年創業の鯖寿司「いづう」に行きました。私は満足。だまって食べていたK君の感想は聞かなくても想像できます。食べ物は怖いです。往年の友情、久しぶりの再会もこうしてすきま風が吹き始め、いづうを出た時点で花見は余韻もないまま突然終了しました。

DIY(Do It Yourself)パンク修理

 健康のためにあちこち自転車で出かることが多くなりました。住み慣れた町も違った魅力をときおり見せてくれます。こんなところに中世の碑があった! 意外なところに話題の喫茶店があった!などの発見も多いうえ、体のためにいいことをしているという満足感もあります。
 ある日、いつものように自転車を軒先から引っぱり出したときのことです。前輪がパンクしていて一気に憂鬱になりました。自転車屋まで押して行くとリムやチューブがダメージを受けると言うし、だからと言ってわざわざパンク修理のためだけに自転車屋さんにトラックで取りにきてもらうのも何だか気が引けます。
 そこで思い立ったのがパンク修理にチャレンジしてみることでした。とりあえずホームセンターで修理キットを買ってきましたが、内心いかにもハードルが高そうで本当に自分にできるのだろうかと不安に。そこでYouTubeに修理方法が投稿されていないかチェックしてみたらいっぱい動画が出てきました。どなたの動画も懇切丁寧に手順やコツを分かりやすく解説してくれています。
 タイヤから引き出したゴムチューブに少し空気を入れてバケツの水につけ気泡がブクブク出ている箇所を見つけたときは思わず心が躍りました。子どものころ自転車屋のおっちゃんがやっているのを横で見ていたころの光景そのままです。
 子どもには魔法のように思えていたパンク修理もちょっと手順やコツを指南してもらえれば小学校高学年ぐらいの子どもでもすぐやれるようになると思います。でもまあ学校の児童や生徒は勉強やクラブ活動が忙しいので、餅は餅屋、つまり本職にまかせることは健全な分業社会のあるべき姿かもしれません。
 むしろ我々老年期に達し、認知症予防をしなければやばいという世代の閑人こそが、脳に刺激を与え活性化する目的も兼ねて、今まで業者におまかせしていたものを自分で修理し、未知のことにチャレンジするのはとてもいいことだと思います。ただし体力の限界範囲内で。

 実際、築70年の実家は庭木が2階の屋根にぶつかっています。これもDIYでやってみたいのですが体重100キロの私が梯子から落ちたらこの先数十年は村の人の同情を装った嘲笑を浴びるでしょう。やはり専門家に任せるのが無難なようです。