2008年12月13日土曜日

隠居生活元年


 53歳のとき大学図書館を辞め両親の介護を始めてはや8年の歳月が流れました。この間元の同僚や中学校のクラスメートたちがそれぞれの職場で責任ある仕事に没頭しているのを横目で見ながら何とはなしに居心地の悪さを感じていました。
 ところが昨年夏、還暦の誕生日を迎えて気分が変わりました。同年齢の知人や友人が次々と退職し始めたからです。彼らに対して「自分は引退生活においては8年も彼らの先輩だ!」という妙な自負があります。言わば「自分はレースから早々とリタイアしてしまったと思っていたけれど実は先頭を走っていた」という感じかもしれません。
 また雀の涙ほどの額とはいえ共済年金の支給も始りました。働いてもいないのに2ヶ月に1度これから先、死ぬまでお金を振り込んでくれるなんてこれほど結構な精神安定剤は他にありません。
 物心両面、今まさに質素ながら落ち着いた本物の隠居生活が始まったという気分です。「今や何でもできる!」。とはいえ、「日暮れて道遠し」というようなことだけは避けたいと思います。
 たとえば「今からアラビア語を勉強してみよう」などというのは無謀なことです。二十代のころから何度かアラビア語に挑戦したもののその都度挫折したものが今更ものになるはずがありません。
 それよりも外国語で言えば学生時代、かなり熱心に勉強した英語、フランス語、イタリア語に限定して好きな映画のDVDを見ながらお気に入りのセリフを原語で丸暗記したりするほうがよほど実り豊かなものになると思います。
 旅。いままで恐ろしげなイメージゆえに行ったことがない青森の恐山がしばらく前から私を呼んでいます。
 暗く不思議な蠱惑で現世とあの世を結ぶ最果ての地の恐山を訪ね、そこから来し方を見直すことは隠居生活元年にふさわしい旅であるような気がします。

2008年12月3日水曜日

ご長寿の孫自慢


 いきつけの喫茶店で何となく顔見知りになった人が晩秋のある日伯父夫婦を伴って店にきました。老夫婦2人だけの暮らしは味気ないだろうと、よくできた甥っ子が気分転換に郊外までドライブに誘ったようです。
 今年85歳というそのお爺さんはまさに矍鑠(かくしゃく)という言葉がぴったりのダンディーで頭はしっかり、会話のポイントを外しません。そのうち孫自慢が始まりました。

 「孫娘は声楽の勉強のためにイタリアに留学してましてなあ・・・」
 「それはすごいですね」と私。
 「いやあ大したこたあない。芸大出たゆうても・・・」と謙遜しつつもお爺さんは問わず語りに、芸大というのは東京芸大のことだと付け加えるのを忘れませんでした。
 私が「声楽家が売れっ子歌手としてデビューするには運も大きいですよね。その点“千の風になって”の秋川雅史なんかいい歌に出会えて・・・」と言いかけたら、すかさず「ありゃあ、なにぃ東京芸大じゃないよ」と却下されました。
 私もめげずにしつこく、「デビューのチャンスはいつやってくるか分からないから、田舎の公民館の催し物でも結婚式の余興でも“お座敷”がかかる限り断ったりしたらだめですよ」と申し上げました。
 東京芸大出のソプラノを芸者呼ばわりしたのがお気に召さなかったのか一瞬気まずい沈黙が。すると甥っ子が、「伯父たちはこの前、県北のK町公民館まで孫の帰国リサイタルを聞きに岡山からわざわざ夫婦そろって行ってやったんですよ」と余計なフォローをしました。
 孫がちゃんと田舎の“お座敷”もこなしているのをお爺さんはよく知っていた故の沈黙でした。
 私の父もそうですが、85になっても90の坂を越えても決して“枯れない”こと、これこそが長生きの秘訣です。

2008年11月27日木曜日

心の傷


 霞ヶ関の高級官僚やOB達を震え上がらせた元厚生省次官殺害事件は意外な展開を見せています。

 容疑者が語る犯行の動機は、当初想像された政治テロとか暗黒社会とのつながりというようなものではなく、「34年前保健所に殺された犬の敵討ち」というにわかには信じがたいものでした。

 そこで「保健所に殺された」と男が言っている出来事の経緯をあらためて整理してみました。

 容疑者が12歳の少年時代、家にやってきた迷い犬を大切に飼っていた。ところがこの犬が知らない人に激しく吠えるのに手を焼いた父親は少年が学校に行っている留守を狙って保健所に連れていってしまった。

 学校から帰って異変に気付いた少年は保健所に犬を取り返しに行き、職員から「犬は元気、明日返してあげる」という説明を聞いて安堵し喜んで帰宅。翌日保健所に行ったらすでに処分されていたと知り、大変なショックを受けた。

 ほんとうにひどい話です。父親の行為も保健所の対応も。 “34年も前の出来事をいまだに引きずっているのはおかしい”とテレビコメンテーター達は口をそろえて疑問を投げかけています。しかしすべての人間が心に受けた傷を歳月とともに忘れ、癒されていくかというとそんなことはなく、感受性が強い子供は時としてそういうトラウマを生涯養い育てていく場合があります。

 漠然と「心に受けた傷」などと書きましたが、極度のストレスは文字通り大脳に障害を残すことがあり、今度のケースはそういう側面からの審理も必要ではないかという気がします。

 とはいえ、不運にもこのような男を隣人に持ってしまったら...逃げ出すのが一番。

2008年11月15日土曜日

国会答弁珍国語


 三転四転する2兆円ばらまき案の陰で、麻生首相の漢字の読み間違いが新聞をにぎわしています。「頻繁」かつ「未曾有」の首相の失態。麻生さんはこれらを“はんざつ”、“みぞうゆう”と読んだり、「踏襲」を“ふしゅう”と読む。
 “ふしゅう”と聞くとほぼ100%の人は「腐臭」という字を思い浮かべるでしょう。首相が好きな漫画本ではこういう漢字にはちゃんとふりがなが振ってあるはずですが・・・ 麻生さんに限らず身近にも傑作読みをする人々がいます。ある人が“ほっさく、ほっさく”と繰り返すので一体何のことかと思ったら「掘削」でした。「掘る」のホとサクを勝手に湯桶読みしているところは麻生さんの“ふしゅう”といい勝負です。
 小学校6年のとき、漢字の読み方テストがありました。隣の席の子が「断る」という字に“なぐる”とかなを振っているのを横目で見たときは思わず笑ってしまったものです。 確かに「殴る」によく似ているし、人の頼みをうかつに断ると殴られることも。そういえば“若い”という字は“苦しい”字に似ているといった歌詞の流行歌もありました(悲しみは駆け足でやってくる)。
 私はこういう読み間違いや連想はむしろ漢字のもつイメージ喚起力のすごさであって、教養うんぬんの問題にしてしまうのはつまらないなと思います。
 とはいえ、国会答弁などでよく耳にする“ちょくさい(直截)”は正しく“ちょくせつ”と読んで欲しいし、舛添厚労大臣がよく使う「喫緊の課題」の“きっきん”などという目くらまし語は何とかならぬかという気がします。
 閑話休題。読み間違いを指摘された麻生総理、「あ、そう?」と気にもとめてないところがいかにも良家のぼっちゃんらしく憎めません。
 

2008年11月13日木曜日

牛窓・てれやカフェ 


2年ほど前、牛窓にあった創作陶器とコーヒーの店「青空」がオーナーの故郷、岩手県一関に引っ越してしまい牛窓が寂しくなったと思っていたら、そのあとに「てれやカフェ」という喫茶店が今年の春オープンしました。
 岡山市西部の私の家から牛窓まで車で小一時間かかるのにもかかわらず暇を見つけては「てれやカフェ」に出かけています。その訳はそこのケーキがびっくりするぐらいおいしいからです。
 ケーキを作っているのはマスターの奥さんのテレサさん。アメリカ生まれで本業は藍染め作家。洋梨のタルト、クランベリースコーン、キャラメルロールケーキ・・・と季節の移ろいにあわせて彼女が焼き上げるケーキはひとくちにおいしいというのではなく、味が深いのです。滋味というか、しみじみ心の隙間を埋めてくれる暖かさがあります。
 子供時代から今まで、いろんなケーキを食べてきて、それはそれでおいしいと思っていましたが、テレサさんのケーキを食べてみて、ショックでした。このナチュラルで奥深い味はいったいどこからくるのだろう?という疑問がわいてきます。おそらく幼少のころからバターや砂糖、卵、それにハーブやスパイスの扱いに慣れ親しんだ家庭環境の中で自然に舌が覚えた味なのでしょう。
 “奥深い味”などと言ってもそれを説明するのはとても難しいのでぜひ店で実物を味わっていただきたいと思います。最新作は“デプレッション・チョコケーキ”。大恐慌のときバターや卵が高騰したときにそういう素材を使わないで作られたレシピを再現したそうです。
 今また、日本も不景気で気分は限りなくデプレッション(鬱状態)。そういうときこそ「大恐慌ケーキ」を食べて元気を出さなくちゃ。
 いろいろな文化的催しを定期的に開いたり、しゃれた創作雑貨を販売しているのは「青空」時代と変わりありません。 

2008年11月10日月曜日

蛤女房2008


 きょうの親父の昼飯は何にしようかと考えた結果、サンマの塩焼きとアサリの味噌汁にすることにしました。大根おろし用の大根、ユズやネギは畑から取ってくればいいので安上がり。

 つまらなそうな顔をして昼飯を食べる親父。「食欲がなくなったらお仕舞いよ!」などとイヤミをいいつつ半分以上残した昼飯をかたづけ始めました。そしてキッチンカウンターに放置したままになっていたアサリが入っていたプラスチック製のパックを捨てようとしたとき、きょうの不幸が始まりました。

 何とアサリが1個、パックの隅っこに残っていたのです。アサリも20個ぐらいの集団だと食品としてナベに放り込むことができるのに、1個だけ残っているのを見たらとたんに絶滅危惧種の生物、いや別に絶滅しかかっている様子はないけど、とにかく生き物という存在感が大きい。いったんは電子レンジに入れたもののスイッチが押せません。かくて、このアサリは瀬戸内海に返すことにしました。

 夜9時に兄が母の介護の交代に来たので、それからアサリを1つ助手席に載せて海を目指して出発。車のヒーターを入れるのもためらわれ、寒さをがまんしながら児島経由で王子が岳の下の海岸を目指しました。夜中の道路は不気味です。行けども行けども「児島方面」という標識が逃げていき永久にたどり着けないのではという感じさえしました。

 でも国道430号線に入り、海を近くに感じ始めたらまもなく国民宿舎「王子が岳」前の駐車スペースに到着しました。国道を横切り波打ち際まで暗闇の階段を降りてしばしxx(体が冷えたのです)。目が闇に慣れてきたら階段の端と砂浜の間が岩場になっていることが分かりました。波がその辺りまできているので気をつけないといけないなと思いつつ砂の上に立ったら想定外のことが、、、、何と砂がズズッと沈んでいくではありませんか。あわてて岩に乗ろうとしたら足が岩の上でぬるっと滑り90キロの巨体はスローモーションで波打ち際に転倒。左足の膝小僧を思い切り岩にたたきつけ激痛が走ると同時にジーンズ越しに海水が浸水してきて意識が薄れていきました。

 ふと気がつくと、趣味のいいスカンジナビア製のモダーン・ファーニチャーが置いてある高級ホテルのような部屋に。ううーん!? 竜宮城は確か中国風のインテリアだから違うような気がする。21世紀の竜宮城はやはりスウェーデン製の家具なのか、などとバカなことを考えているうちに、お決まりの美女・・・ではなく、顔はいまいち、しかしスタイル抜群の大女房が。
「私はあなたに助けていただいた蛤です」
「それは何かの間違いでしょう。私が海に返したのはアサリでした」
「それはこうなのです。アサリは私の仮の仮の姿、本当は蛤でした」
「えっ?蛤女房の蛤さんですか?」
「まあ、そんなところです」
「???あなたはいったいあなたなのですか?それとも蛤女房?ではなくアサリ嬢?」

などと、コンニャク問答をしているうちに波がザア、ザア寄せては引いていく音が大きくなって夜の海辺にぶっ倒れている自分に気がついたのです。

 立ち上がれなかったら携帯で110番しよう、と思ったのですが携帯は車の中に置いてきたらしくポケットにはありませんでした。正解でした。携帯が海水に浸からずに済んだし、もしパトカーを呼んだら、「こんな夜中に渋川の海に何の用があったのか?」と尋問されることは確実。「スーパーで買ったアサリを海に返しにきました」などと言おうものなら、外科病院ではなく精神病院へ連行されていたでしょう。

 両手の指も岩で激しく擦って強い痛みがあったものの出血はしてなさそう、どこかに行ったサンダルの片割れを探しだして、浜辺から上がり砂を払い落として駐車場へ。帰りは30号線を通って帰宅しました。とんだナイトメア・イブニングでした。(一部フィクションあり)

2008年11月6日木曜日

姉弟愛


 10月末、フジ子・ヘミングのピアノコンサートを聞きに東京まで行ってきました。

 フジ子・ヘミングは父方がロシア・スウェーデン、母方が日本人というインターナショナルなバックグラウンドをもった生まれであり、あの北欧的な憂いを秘めつつも力強いピアノのタッチはそういうところから来ているのかもしれません。

 1曲弾き終えるごとに客席から拍手と歓声がわき起こります。ところがその中にひときわ大きな胴間声で“ブラボー”と叫ぶ“変な外人”風のおっさんがいて何となくコンサート会場に不協和音が広がりました。

 このおっさん、アンコール曲のラ・カンパネラ(リスト)が始まると今度は三脚に据えたカメラで写真まで取り始める始末。プロダクション関係者とも思えません。 演奏会が終わったあと会場の係員に“変な外人”のことを尋ねたら、何とフジ子さんの実弟で、「私たちも困っています」とのことでした。

 岡山に帰ってからフジ子さんのプロフィールを調べたところ、弟というのは俳優の大月ウルフであることが分かりました。「必殺仕掛人」、「大鉄人」など数多くの映画やテレビで“変な外人”や神父役で活躍した人のようです。

 そうだったのか!と思いました。フジ子さんは弟がコンサート会場に来るのを嫌がるどころか、多少のやんちゃは大目にみるよう主催者に因果を含めているのではないか、などと想像されました。

 フジ子・ウルフ姉弟は戦時下の日本で子供時代から大人になるまでずっとひどい差別やイジメにあってきたのでしょう。そんな中で姉弟がかばいあいながら生きてきた歴史があったと思います。

 美空ひばりが世間が何と言おうといつも弟に花を持たせていたことが思い起こされました。偉大なピアニスト、フジ子・ヘミングの人間としての魅力が一段と輝いてみえた夜でした。

2008年10月29日水曜日

鶴亀算


 小学校高学年のころ不可解かつ奇怪な算術に苦しめられたものです。鶴亀算、水道算、旅人算、並木算のたぐい。教科書には載っていなかったものの、難関中学校受験問題集にはそんな奇怪算数があふれかえっていました。

 鶴亀算と格闘する私に教員だった両親は、「そんなものは中学校に入って方程式を学べば簡単に解けるので覚える必要はない」と常識的な線でなぐさめてくれましたが、本当は親も鶴亀算など理解していなかっただけのような気がします。

 鶴亀算に代表される算数文章題が小学生にとって必要かどうか現在でも教育関係者の間でホットな論争が繰り広げられています。

 文章題は難関中学入試で生徒の選別にとって必要であるとか、方程式に入る前に論理的思考を養うのに効果があるとかないとか。不毛な論争です。

 さて、鶴亀算や方程式などにとらわれることなく、もっと楽で最短な答えの求め方(私流)というと次のようになります。
 
例題。鶴亀あわせて20羽(匹)、足の数は52本の場合。

 鶴を基準に考えます。鶴の数は1羽から19羽の中に正解があるのでまず半分の10羽で計算。この場合足が60本になるので、正解の鶴は11羽と20羽の間にあるはず、そこでまた真ん中の15羽で計算(50本)。つまり2分法で正解を求めるというわけです。
 例題の場合、たった2回の計算ですでに足の合計が50本になったので正解は鶴をもう1羽減らした14羽になります。

 では鶴亀の合計が500羽(匹)ぐらいだったら大変かというと、大丈夫、鶴亀算はなぜか鶴亀合計で20羽(匹)以上という例は見たことがありません。それと鶴あるいは亀がゼロということがないのがいかにも”算数”です。

2008年10月16日木曜日

歯科自由診療


 何ヶ月も前から左上の小臼歯付近の口蓋からときどき膿が でるようになりました。いつまでも放置していては歯だけでなく 全身の健康にまで影響がありそうで、痛みが強くなった日、 意を決して近所の歯科医院を訪ねました。

 ところがこの歯医者さん、今年の春、元の医院のすぐ近くに ひどくバブリーな自由診療の分院を開設、大先生はそこで ご自身が理想とする診療に専念されることになったのです。

 私は従来通り保険診療もある本院の方へ出かけたので すが、「これは理事長に診てもらった方がいい」ということで 半ば自動的にお高い方に振られてしまいました。

 高級ホテル並のインテリア、超大型テレビの前には ブルガリのソファが鎮座し、さらにピアノやバーカウンタに ワイングラスまで備えられています。ときおりハイソな 上得意様を招待して「弦楽四重奏の夕べ」でも催している ようすがうかがえます。

 「ここは自分の身の丈にあってない、要するに治療以前に 居心地が悪い」という気がしたもののさりとて逃げ出す勇気も ありませんでした。診察の結果は、最悪の場合、抜歯して インプラントになるかもしれないとのことでした。

 でもどっちみちインプラントは保険がきかないし、他の 歯医者さんを探すのもめんどうなので先生におまかせ することにし、次回の予約票をもらって帰りました。 そこにはこのように書かれていました。

 「上質な治療を選ばれたあなたはとてもすばらしいと思います」

 先生も言うよねえ! (続く)

***

 歯科自由診療(下)

 自由診療の歯科に予約を入れたもののずいぶん迷いました。 株は史上空前の暴落をしているしこの先どんな経済事情が 待っているか不安です。それにそもそも保険による治療が そんなに劣悪とも思えません。

 ちょうど同じころ父が入れ歯をなくしたと言いだし、父を近所の 別の歯科医院に連れていきました。待合室の雰囲気もいいし 物静かで誠実そうな先生の人柄には好感がもて、私もここで 診てもらおうと心に決めて家に帰りました。

 ところが人のうわさは怖いもので、その歯医者に治療して もらった人が「あそこはお薦めできません」というのです。 理由を聞いたら歯髄が生きているかどうかを調べるのに いきなり歯に電気を通され、衝撃がズッキーンと脳天を襲ったとか。

 実は私も昔大阪でこれをやられたことがあります。車のキーが 静電気でパチッと鳴っても心臓が止まりかけるぐらい極度の 電気恐怖症の私にはそんな歯医者は論外です。

 結局、予約どおり自由診療の先生のところに行きました。 とびきり容姿端麗なアシスタントのお嬢さんが滅菌スリッパを 履かせてくれるのも今日は嫌じゃないな!

 撮影と同時に診察室のテレビモニターに拡大表示される X線写真や歯根部まではっきり映し出されたモニター映像を 見ながらの治療はこれまでの“何をされているのか分から ない恐怖”とは無縁でずいぶんリラックスして治療を受ける ことができました。

 結局、問題の小臼歯は抜歯を免れ治療費も案外リーゾナブルな ものでした。いったん“上質な治療”の快楽に染まったらたたきに 靴やサンダルが所狭しと脱ぎ捨てられている診療所にはもう戻 れません。

2008年10月8日水曜日

同僚の忠告


 2001年3月両親の介護のため定年まで7年を残して早期退職しました。退職することが決まったとき同僚の女性が私に声をかけてくれました。彼女は5人姉妹の長女で苦労して育ったらしく人生を見つめる目はきびしい人でした。


 「あなたに二つアドバイスします。兄弟と仲良くすること、いずれ必ずお兄さんの助けが必要なときがくるので、取り返しのつかないような喧嘩をしないように。もう一つは退職金で株など買わないこと」 そうはいっても親元近くに住んでいる兄夫婦が親のめんどうを見る気がないので私が退職せざるとえなかったのだし仲良くなんてできるはずがありません。株はといえば、信用取引だけは手を出さなかったものの散々な有様です。


 7年後の今、あらためて同僚女性の言葉をかみしめています。いったい人間というものは何故他人や先輩の忠告を聞けないものなんでしょうか。親の意見にも本能的に反撥するようにできているような気がします。


 しかし人生ってこんなものではないでしょうか。親のいうことを素直にハイハイと言って聞くような子は大した大人にならないというのが定説であり、第一自分の人生は自分の好き勝手に生きていきたいものです。


 同僚女性の貴重なアドバイスを二つとも無視した結果は、恥ずかしくてとても彼女に報告できるようなものではありません。「だから言ったじゃないの」という声が聞こえてきそうです。


 しかしながら孤軍奮闘していた介護も兄が学校を定年退職した後、手伝うようになり徹夜で母親のおしめを換えたり、親父に朝飯を食べさせたりしています。案外やるものだと少々見直しました。なんとかなるものです。ただ兄弟仲が悪いことは以前と同じですが。

2008年10月2日木曜日

うんざり選挙


 いったいいつ衆院選をやるのか早く日程を決めてほしいと思っている人は多いと思います。私もずいぶん気をもみましたが今はあきらめの境地です。というのは・・・

 大阪のある市の選挙管理委員会で事務方をしている若い友人から10月31日に東京で開かれるピアノコンサートに誘われています。

 入手難のチケットも夏前に手配済みで、私もホテルや飛行機の予約をすませ、晩秋の東京でフジ子・ヘミングのすばらしいピアノを聴き、ついでに上野で開催中のフェルメール展を見に行けることを楽しみにしていました。

 ところが今の流動的な政局です。投票日が10月26日なら何とかなりそうですが、11月2日とか9日では公示期間の真っ最中なのでとうていダメ。ホテルや飛行機はキャンセルできてもコンサートの高いチケットは無駄になります。
 このように有権者は投票のために多少なりとも犠牲を払っているものですが、国会議員は国民の負託に応えるだけの仕事をしているのでしょうか。岡山県民としては昨年の参院選の“姫の虎退治”の顛末が思い起こされます。
 知り合いの女性は「棄権はしたくなかった、しかし票を入れたい人もいなかったので白票を投じてきた」と言っていました。
 私は、人物に多少問題があっても政党に投票する意味合いの方が大きいので白票はあまり意味がないのではないか、と思いながら彼女の言葉を聞いていました。
 しかしながら、知り合いの女性がいかに聡明で優れた判断力の持ち主であるかが分かるまでそんなに時間はかかりませんでした。
  “姫”の本質を初めから見抜いていた彼女の炯眼をほめたたえたら、「女の敵は女よ!」との答えが返ってきました。

2008年9月25日木曜日

一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)


 カレンダーに“一粒万倍日”と書かれた日が毎月あります。この日に種をまくと1粒の種が1万倍になるといわれています。実証精神の旺盛な私のこと、実際に植物の生育を見守って結果をカウントしてみました。

 対象はゴマ。ゴマは成長すると1メートルぐらいの高さになり、根本から先端に向かって順番に花が咲きます。白くて筒状のかわいい花です。花が咲いたあと、莢(さや)ができ、1つの莢は4つの部屋に分かれていて各々の部屋には20粒のゴマがぎっしり。つまり1つの花からゴマが80粒前後収穫できる勘定になります。花の総数は120ぐらいですから120×80=9600。みごと理論上は万倍になりました。

 さて、畑で刈り取ったゴマは根本近くの莢はすでに完熟していてはじけています。貴重なゴマをなるべく落とさないように気をつけながら庭に広げたシートに並べ天日に干し、毎日1回たたいてゴマを莢から出します。それを集めてゴミを風で飛ばし異物を取り除き、水に漬けて中身が空のゴマを浮かせて除去。そしてまた乾燥・・・と際限のない作業を繰り返してできた完成品が“洗いゴマ”です。

 こうしてできた自家製無農薬ゴマはたったの500グラム。播いた種は5グラムだったので、あれっ?計算が違う!万倍ではなく、百倍にしかなりませんでした。

 一方、500グラムのゴマを収穫するのにかけた労力は少なく見積もっても20時間は費やしたはず、時給千円として2万円。どうやらコストだけはまちがいなく輸入品の万倍かかりました。

 なお、一粒万倍日は種まきや新規開店には吉ですが、借金をすると万倍になるので凶だそうです。

事故米


 もう20年前ぐらいになりますが、霊幻道士という香港製の娯楽映画が大ヒットし、日本でも子供がキョンシーの真似をして、両手を前に突き出しピョンピョン飛び跳ねていたものです。

 シリーズの何作目かの作品に、キョンシーを撃退するにはもち米が卓効を示すという話がありました。主人公の男は米屋からもち米を買って待機、まもなくやってきたキョンシーに米を投げつけたところ、キョンシーは一瞬ひるむだけであまり効き目がありません。

 男が不思議に思って米を調べたら、何ともち米にうるち米が混ざっていたのです。米屋の仕業でした。値段の安い普通米をブレンドして客をだましていたのです。

 主人公がキョンシーの再来に備えてインチキ米をざるに広げて一粒づつもち米を選び出しているシーンはおかしくも泣けるものでした。

 今でもこのシーンをよく覚えているのは、何と言ってもそこに香港流のユーモアとペーソスが絶妙な味をもって表現されていたからですが、香港や中国ではわずかな利益のためにまさかそんなせこいことをするのだろうか?、うそだろう!という強烈な驚きがあったからです。 しかし、今回の事故米騒動をみていたら農林水産省や食糧取り扱い業者がやっていることは香港の米屋よりよほど悪質かつ大規模であることに愕然。

 事故米の多くがもち米だったということは正月にスーパーで山積みされる餅は大丈夫なのか、きわめて怪しいです。 事故米が使用された焼酎や和菓子は全商品を回収して消却するしかないと思いますが、懲りない食品業界のこと、今度は回収された食品が家畜の飼料に化ける心配があります。それほど食の安全に対する信用は地に墜ちています。

 福田首相は最後の仕事として即刻太田農水大臣の首を切るべきですが死に体内閣にもうそんな力は残ってないでしょうね。

2008年9月9日火曜日

クソ教育委員会


 ”クソ教育委員会”とは、橋下大阪府知事が府下市町村教育委員会が学力テストの成績を公開しないのをなじって発した言葉です。

 知事の発言は穏当とは言えませんが、抵抗する教育委員会の姿勢も理解に苦しみます。大阪は全国レベルからみて最底辺にあることは仕方ない、しかし自分の市町村が府内で最低であるようなことだけは絶対ばれてはいけない、と各市町村は考えているのでしょう。

 知事は一筋縄でいかない市町村に対し次は兵糧責めをちらつかせ泥仕合の様相を呈してきました。クソ呼ばわりされる教育委員会にしてみれば、公安委員会などとともに知事部局から独立した組織にズカズカ踏み込んでくる知事に対し強烈な反発があることは当然です。

 ともかく不名誉な事実が白日の下に曝されてしまったからには、知事も教育委員会も学校もなりふりかまわず児童の学力アップに邁進していくことだけは確か。ではどうやって点数を上げるのでしょう。地道にちゃんと教育していくようなやり方では即効性がありません。

 ズバリ、学力テスト当日はできない子に臨時休暇を与える、テスト前日に先生が試験のさわりの部分をそれとなく児童に教える。

 そんな馬鹿な!と思われる人がいるかもしれません。しかし昔はそんな工夫は全国どこでも行われていました。教育県愛媛の事例などつとに有名。

 そもそも文部省が日教組の反対を押し切って学力テストを開始したのは半世紀も前のこと、皮肉屋の父は、「日本は徴兵制度の復活を目論んでいるんじゃないか、そのために全国レベルで児童の学力を把握しておきたいのだろう」などと言っていましたが、父の見通しはみごとに外れました。

 外れてよかったと思います。学力テストの成績を巡って不毛なバトルをやっている平和な日本が好きです。

2008年9月4日木曜日

祭りのあと 


北京オリンピックでは期待のマラソンや野球がみじめな結果に終わったものの日本人には無理と思われていたトラック競技でメダルを取ったり、だれも注目していなかったフェンシングで銀メダルを取る若者が出現したりでテレビ中継を見るのが楽しい2週間でした。

 祭りも終わり、異常なまでの猛暑もあっけなくどこかへ行ってしまい、今年は安倍政権が崩壊した昨年とは違い静かな秋が来るはずでした。

 ところが台風でもないのに各地で大雨が降り、人も家も流され、多くの犠牲者が出ました。そんな天変地異の中、人間の世の中も狂い始めました。

 またまたお騒がせ、ぶって姫の茶番劇。しかしこれこそその後の不幸な政治的空白劇の前座だったとは夢にも思いませんでした。

 9月1日、防災服に身を固め朝から忙しく大阪まで往復してのパフォーマンスを見せていた福田首相がゴールデンタイムに合わせたかのように辞任の記者会見を開いていました。

 国家の最高責任者として危機管理能力が一番問われる日に辞任表明するセンスはいかがなものでしょうか。

 しかし、福田さんのおかげで姫井氏のどたばた劇や太田農水大臣の事務所費問題などふっとんでしまい、代わりにまたもその存在がクローズアップされてきたのが、マダム回転寿司こと小池百合子氏。

 強運も手伝っているのでしょうが、いつも自分を絶妙の政治的ポジションに置いています。昨年安倍政権が崩壊したときはいち早く泥船から逃げていました。

 権力志向がだれよりも強く嗅覚のするどさは天下一。政治、経済、年金、福祉・・・何もかも八方ふさがりの今の日本に風穴を開けることができるのは小池氏をおいて他にいない気もします。

 まもなく稲刈りの季節ですが、日本のライスは鉄の女と言われたサッチャーになれるのでしょうか。

2008年8月27日水曜日

カイコ(2008年9月1日)


 夏休み、NHKの”ラジオ子供電話相談室”によせられる子供達の質問を聞いていると子供にとって依然として世界は驚異に満ちあふれた場所であることが再認識されます。

 「カイコは人間が何千年もかかって育ててきた家畜で飼育箱から絶対逃げていかないんだよ・・・」などという先生の説明を聞きながら私も子供時代カイコを飼ったことを思い出しました。

 卵からかえったばかりのカイコは真っ黒で大きさは2ミリほど。そのころ家には桑の木がなくて近所から葉っぱをもらってきてはカイコに与えたものです。

 手のひらに載せたカイコはおとなしく、柔らかいくせに弾力がありしかもひんやりとした感触が伝わってきて気持ちいい。そしていつのまにか大きな芋虫に成長します。

 やがてカイコの体に異変が起き皮膚が半透明になってくるともう桑を食べるのもやめてしまい、糸を口から吐き出しながら繭をつくり始めます。やがて繭からはもとのカイコとは似ても似つかない蛾が出てくることの驚きと神秘。そして蛾がまた卵を産んで元のサイクルに戻る不思議。カイコは子供が夢中になるカブトムシなんかよりはるかに教育的示唆に富んだ生物です。

 人間も今70歳以上の戦争体験者は、人生の節目節目でカイコのように鮮やかにきっぱりと過去のイメージを捨て去りながら世の中の動きに適応して生きてきたんだ、ということが一回り上の世代の人の文学作品やエッセイを通してよく分かります。人間としてちゃんと成熟しています。

 それに引き替え戦後世代の私はカマキリやバッタのように幼生のころの姿そのままに図体だけがいたずらに大きくなってむやみに斧を振り回してはバタバタしているだけ、そんな気がします。

還暦同窓会(2008年9月8日号)

 自分が生まれ育った岡山市福田学区にある実家で親の介護に明け暮れる日々を送っていることは幸せなことかもしれません。でも生涯ずっとここにいたのかというとそうではなく、小学校3年の3学期が終わった直後、隣の妹尾学区に家中で引っ越ししました。

 引っ越した理由は、どちらも教師だった両親が兄と私を岡大附属中学校(附中)に行かせようと思ったのですが、当時附中の学区は旧市内、妹尾、吉備、中庄、倉敷に限定されていて福田学区にいては受験できなかったのです。

 そんな理由で生まれ在所を捨てた私はいつも地元の友達を裏切ってしまったという引け目があって還暦を過ぎた今でも幼なじみたちに会うのがやや苦痛なのです。

 しかしそんなことを苦にしているのは私のひとり思い、先日河口メロン園の河口君から「こうちゃん、今度還暦同窓会するからこられー」とお誘いがありました。卒業していない学校の同窓会に出かけるのはいくらなんでも厚かましすぎるし、7歳から9歳までのたった3年間机を並べただけの旧友に50年ぶりに会うというのも何やら気恥ずかしいし大変勇気がいること。

 さんざん迷った挙げ句、欠席としたハガキを村の郵便局のポストに投函したところを偶然河口君に見つかってしまいました。「今欠席のハガキを出した」と言ったら、「おえん!ハガキが届いたらこっちで勝手に出席に変えとく」と押し切られました。

 1学年100人前後でしたが40人も出席するとはすばらしい、地元で足を地につけて生きてきたみんなの顔が浮かびます。ただ日航機墜落事件で犠牲になったY君はじめガンや事故でなくなったものも何人かいるようで50年の歳月の長さを感じます。

 河口君によれば「還暦同窓会はまたの名を東山へ行く準備会」というそうです。(注。東山=岡山市の斎場があるところ)

2008年8月11日月曜日

北京五輪開会式

 北京オリンピックの前評判はあまりパッとしないものでした。チベットや新疆ウイグル自治区の少数民族弾圧、四川大地震、深刻な大気汚染、セキュリティチェックの異常なまでの厳しさなどどれひとつとっても中国史上最大のイベント開催に水を差すものばかり。

 思うように準備が進んでいないと思われていた中国当局のなりふりかまわないやり方に対し、マスコミは一貫して批判と揶揄嘲笑をもって接してきました。

 ところが2008年8月8日午後8時、開会式が始まるや否や、批判的な論調は一瞬にして絶賛の嵐に。私も感動しました。

 圧倒的なスケールと芸術性の高さ。同じ人海戦術でも北朝鮮のアリラン祭のマスゲームのような不気味さはなく、”鳥の巣”の1万4千人のパフォーマー一人ひとりに個性が感じられました。そこには中国がちゃんとした方向に向かって発展している気配がありました。

 中国もなかなかやるではないか!というよりもこんな度はずれたスケールのイベントは中国といえどももう二度とできないんじゃないかと思います。

 民主化が進むとともに国家権力が弱まり、住民の権利意識が向上し、熱病がさめたら、不要な人間を何百万人も北京から強制退去させたり、古き良き伝統的な町並みの胡同(フートン)をいとも簡単に取り壊すことなんてできませんから。

 それにしても私がこの壮大なスペクタクルを見たのはワンセグ携帯の豆粒のような画面を通してでした。どうせ大したことはなかろうとタカをくくって買い物に出かけていたのが悔やまれます。

 家電業界の宣伝を素直に信じてこの際、大型画面の地デジテレビを買っておくべきでした。 

2008年7月29日火曜日

”誰でもよかった”

 秋葉原の通り魔事件以来、類似事件があちこちで頻発しています。こうした事件の凶悪さ、結果の悲惨さに比べると、犯行動機がきわだって幼稚なのに驚かされます。

 一連の事件はおおざっぱにいって2つのタイプがあるように思えます。ひとつは事件を起こすことで自分の存在を周りの人にアピールするタイプ。 

「親がかまってくれなかった」、「世間に無視された」、「ネットに犯行予告を書いたのに誰も本気にしてくれなかった」など幼児が親の気を引こうとしてすねたりふてたりするのとそっくり。

 もうひとつは、厭世的になり自殺しようとしてもひとりではいやなので、見ず知らずの他人を道連れにしようというタイプ。

 JR平塚駅で女がナイフで通行人の男性7人をつぎつぎと刺した事件の動機は、「父親を殺したいと思ったが、それもできず、人を道連れにして死のうと思った」とのことです。

 死にたいのならひとりで青木ヶ原の樹海に行け、とでもいいたくなるような支離滅裂な供述です。

 しかし彼女の言葉には、家族間の葛藤が家庭内で解決できないとき、その暗い情熱が外に向かって流れ出し、見ず知らずの人を道連れに破滅に向かう”未熟成人”による犯罪の特徴がよく表れています。

 家庭が家族ひとりひとりを育ててゆくホームとして機能していないばかりか今や最大のストレスの温床であり、ときには家が戦場にさえなっている現代社会、この構造が変化しない限り”誰でもよかった”殺人事件が終息に向かうことはありえないと思います。

2008年7月16日水曜日

返品ポリシー 

 本格的なリセッションに突入し、日経平均は業種を問わずコンスタントに右肩下がりを続けています。

 そんな中、若者向け衣料品の開発・販売を手がけているファーストリテイリングの株価はここ2ヶ月間一貫して上昇。その秘密を探るべく倉敷のイオンモールにあるユニクロに行ってみました。

 メタボな中年おじさんとしてはいかにも店に入りにくい、でもショーウインドウに展示してあるハーフパンツが1990円ときては買わないわけにはいかない、と勇気を出して売場に突入。

 広い店内を一巡して、デパートやスーパーにはない独特のユニクロ商法の一端が見えました。

 商品の種類はきわめて限定的なのに対し、サイズやカラーバリーションが豊富であること。単品で1990円の商品が2つでは2990円と抱き合わせ効果が絶大であること、下着などは近所のスーパーよりも安いなどなど。

 ハーフパンツや襟付きのシャツなど数点購入したのですが、合計で1万円でおつりがきました。感激!

 しかしもっと感激することがありました。独特の交換、返品ポリシーです。

 「値札を取ってしまったらだめですよね」と私が言いかけると、「大丈夫です。着用して洗濯したものでも、ユニクロの商品であることを示す縫い込みタグさえ確認できれば交換、返品できます」とのことでした。

 レシートがなくても、いったん着たものでも返却してかまわないという発想をユニクロだけのものにしておくのはもったいない。

 私が返品したいもの。マニフェストを反古にする政党、スキャンダルしか聞こえてこない国会議員、買えば下がり、売れば上がる株。
     

2008年7月12日土曜日

「ぶって姫」騒動(2007年9.24号)



 岡山市西部の我が町は今「ぶって姫」こと姫井ゆみ子参議院議員のスキャンダルでにぎわっています。というのも彼女と「愛欲の6年」(それにしても下品な表現!)を過ごした元教師が勤めていた中高一貫校があるからです。

 色白で顔面蒼白、しかも分厚い眼鏡をかけ高校生にしてすでにメタボ症候群を発症しているような体型の生徒たち。地元の中学生がたくましく日焼けしているのと対照的に、力無く自転車をこぐスタイルを見ただけでここの生徒だと分かります。

 そんな勉強一筋、受験のことしか頭にないような学校の生徒にとって、硬派で剣道7段の先生がいきなりテレビであることないこと議員との写真を数百枚を提示しつつ赤裸々に語ったのだから、生徒や保護者、学校当局の驚きと狼狽はいかばかりだったか想像にかたくありません。

 でもこういう教師って卒業して何年も何十年も経つと一番記憶に残っているんですよね。人間とは理性ではなくもっとどろどろしたもので生きていることを身をもって示してくれた先生として。

 何だか岩井志麻子の小説に出てくる男女の愛憎破局物語みたいな今回の騒動。当の「ぶって姫」はスキャンダルをものともせず、「姫は姫でもやんちゃ姫にございます」などと芸者スタイルで即興劇にまで登場していますが、いったい頭の中はどうなっているのか、今はやりの「脳内メーカー」で見てみました。

 脳みその8割は「H」、残り2割は「欲」と「金」で埋め尽くされていました。   

岩井志麻子 (2005年2.1号)


 今、岡山生まれでもっともエネルギッシュな創作活動をしている人と言えば、ホラー作家「ぼっけえ、きょうてえ」を書いた岩井志麻子さんをおいて他にないと思います。

 旺盛な執筆活動に加え、新聞や雑誌社のインタビューに応じ、テレビにも積極的に出演。妖艶な口元から常に過激な発言が飛びだしてきます。

 先日、TBSの人気番組「金スマ波瀾万丈」で彼女の生い立ちから今日までを再現ドラマ仕立てでやっていました。

 まだ本格的にデビューする前、岡山で夜中ひっそりと小説を書いていたら、突然「夜食をもってきたので食べてください」といって風采のあがらない男(再現ドラマですが)がオムライスを置いていく。私はてっきりストーカーにまとわりつかれた話でも展開するのかと思ったら何と彼女はその男と結婚し、二人の子供までもうけるのです。

 番組ではTBSの安住アナウンサーとともにソウル、サイゴンを訪れ、岩井さんの男友達も紹介されていました。その男達というのが地元のセレブというわけではなく、ホテルの従業員やレストランのボーイとかなりお手軽。「エロいことを書いていても生きていくことができることが分かりましたわ」と番組を締め括っていました。

 岩井さんの虚栄心など入り込むすきのない、ナチュラルで才能豊かな生き方を見ていると、ふとマラソンの有森裕子のことが頭に浮かびました。

 「マラソン選手の地位を向上させるためには結果を出してみせる以外ない」といって、バルセロナとアトランタでともにメダルを取りその後の女子マラソン黄金時代を切り開いた有森のたくましさ。

 岡山の女性はほんとうにぼっけえ、きょうてえ。金持ちの御曹司と結婚して「勝ち犬」の仲間入りしたなどというレベルの低い話は岡山では通用しません。


 

1円は誰のもの?(2008年7.14号)

 6月末は零細株主にもささやかな配当金が届くうれしい季節です。親の介護のため定年前に退職せざるを得なかった私には株の配当金が唯一の収入でまさに雀の涙。

 そのわずかな額からも10%の税が源泉徴収されています。内訳は所得税が7%、住民税が3%で、税額を計算すると必ずしも整数になるとは限りません。

 分かりやすい例で示します。税込み配当額が90円の場合、手取り(9掛け)は81円のはず。一方、国税は6.3円(7%)、地方税は2.7円(3%)になります。ここで小数点以下は四捨五入するか切り捨てるべきか?

 3年前の確定申告の会場で、この疑問にぶつかりました。税務署の職員氏に尋ねてもはっきりとした指示はなく、私の出した結論は端数を四捨五入して、国が6円、地方が3円、私は損得なし。

 ところが今日届いたある会社の配当金領収書を見て認識をあらたにしました。どうやら小数点以下の税は国、地方とも”切り捨て”でよかったみたいです。そうなると私の手取りは82円になり、1円お得。

 税務署は太っ腹!・・・ではなくそんなみみっちい話につきあうだけの暇がないというのが実状のようです。それに配当金に課税された税金まで確定申告で取り返すような人はめったにいないので職員氏も端数の取り扱い方法など分からなかったのでしょう。

 でも私としては、いつも気になっていた1円の処理方法がはっきりして気持ちもすっきりです。
  

e-TAX確定申告2008 

 私にとって税務署は恐いところでも不親切な役所でもありません。それどころか実務にうといさまよえる老羊たちを優しく導き、手取り足取り「さあ、この金額をこちらの欄へ書き写しましょうね!」などとお手伝いしてくれ、さらには申告のご褒美として2ヶ月後には2,3千円の小遣いを銀行口座に振り込んでくれます。

 その税務署が鳴り物入りで普及させようとしているのがe-TAX。医療費控除のための領収書など添付書類を提出しなくても申告できるらしいと聞いて、半日かけて市役所で住基カードやら電子証明書なるものを作ってもらい、パソコンショップでICカードリーダーを購入。

 しかしこのシステムを利用するには「開始届書」なるものを提出しないといけないことが判明、さらに市役所がくれたCDから専用ドライバーを組み込んで・・・となるとなかなかめんどくさそうで、結局例年どおり親切な職員が待ちかまえている申告会場へ行きました。

 申告初心者らしい年金世代のジイサン、バアサンを尻目に提出コーナーに直行。まずは親父の申告書を提出しました。「親父、けっこう税金取られてるなあ」と思いつつ、ふと、「私は親の介護で無収入、父の扶養親族になれますか」と職員に声をかけたらあっさり「いいですよ!」とのお返事が。

 60歳の息子が90のジイサンに扶養されるというのは沽券にかかわるなあ・・・などときれいごとを言ってる場合じゃない、さっそく税務署ご自慢のe-TAXパソコンの前に座わりご指導を待っていたら、お付きの職員氏がこうアドバイスしてくれました。「手書きの方が早いですよ」。

 e-TAX、何やら国鉄民営化のときに生まれてすぐに消えた”E電”(JR線)という呼び名を思い出しました。

たまには映画を:エクソシスト 


 ホラー映画の古典というべき「エクソシスト」(1973)。悪魔(その名もパズズ)に取り憑かれた12歳の少女の首が360度回ったり、緑色の反吐を吐きかけたりするシーンに思わず目を背けた記憶がある人も多いのではないでしょうか。 

 しかしこの映画は人間の深層心理をえぐったドラマとして見ごたえがあり私は大好きです。ちなみに古代の悪魔パズズの姿は1万円札の裏側に描かれている鳳凰そっくり。

 少女に取り憑いた悪魔はいろんな声色を使い分けて新米のカラス神父を混乱させます。それに対して長老のメリン神父はカラス神父に「悪魔が複数いるのではない、あくまで悪魔は1人、惑わされるな」と指導。どんなに複雑に入り組んだ問題も本質を突き止めれば解決の糸口が見えるという意味で含蓄のあるセリフです。

 さて、悪魔払いの儀式のハイライトは小瓶に入った聖水を悪魔に振りかけながら「キリストの名において汝を罰する」と繰り返し唱えるシーン。しかし悪魔もなかなか手強いのです。

 キリストが生まれるはるか何千年も前、チグリス・ユーフラテス文明の時代にすでに存在した悪魔パズズがそんな呪文ごときでは簡単にダウンしません。

 キリスト(の霊的パワー)にしても全人類を救うという大仕事を今も託されているというのに、20世紀のワシントンで起きた奇妙な憑依事件の解決になど本腰を入れるとは思えず、その結果、メリン神父は心臓発作で死に、カラス神父は自分の命と引き替えに少女を救出します。

 そんな凶悪な悪魔もDVDを繰り返し見ていると何となく愛嬌があることに気づきました。口元が案外かわいいのです。2000年に発売されたディレクターズカット版がおすすめです。

カクレガニ


 スーパーでパック入りのアサリを買って帰りました。パックを破ってアサリをボールに取ろうとしたら何か小さな生き物がアサリの間を動いていました。

 よく見たら体長2ミリくらいの小さなカニでしたが、アサリの味噌汁の中によくいるやつのようです。

 困った。私はこういう生き物の命を奪うことにめっぽう弱いのです。旅館の豪勢な夕食に出てくる伊勢エビやアワビの残酷焼きなど目をそむけないないではいられません。

 アワビが灼熱の陶版から逃げようと身をよじっているのを見ると食欲も吹っ飛んでしまいます。けれども数分後、目に入るのはアワビやエビの焼死体ではなくぜいたくなごちそうではあるのですが・・・ 

 さて、アサリを五右衛門風呂のようなナベに放り込むのにもやや抵抗があるのですが、きょうのカニのような食用ではない生物の場合は特に悩みます。無用な殺生は罰当たり、小さなカニはやはり海に返すべきではないか?

 しかし海は遠いし、ひまもなし。いっそ瞬時にひねりつぶしてやる方がいいと思って、指でつぶそうとしたのですが、小さくても意外に頑丈でつぶれません。

 下水に流しても生きていけるわけではないし、結局このカニはアサリと運命をともにしてもらうことにしました。食べてやることが供養になるという理屈をつけて。小さくてもカニの味がしました。

 ところでこのカニにも名前がありました。「カクレガニ」、名前のとおり安全な二枚貝の中に隠れ棲んでいる利口者ですが、へたをすれば宿主のアサリといっしょに味噌汁にされてしまうところまで知恵が回らないのが悲しいです。

岡山空港に瓦せんべいを

 昭和39年に同じ中学校を卒業した我々「16期組」はことのほか仲がよく、いろいろ理由を見つけてはしょっちゅう会っています。今年はみんな還暦を迎えるのでひとつ”卒業旅行”なるものを敢行しようということになりました。行き先はアドリア海に面する風光明媚なクロアチア。

 彼の地で大使としてがんばっている男の慰問を兼ねての旅、一回りしか違わない恩師夫妻も含め総勢19名からなる大旅行団ができました。

 味噌、醤油が不足しているらしい現地事情を考えて参加者全員がそんなものを持って出かけたところも戦後の修学旅行そのままです。

 さて、旅に参加できなかった私もおみやげには頭をひねりました。吉備団子や大手饅頭などはきっと岡山から行く人はみんなもっていっていくに違いなく面白みに欠けます。

 そこで思いついたのがお隣、高松の瓦せんべい。それも特大のもの。歯の折れそうな堅いお菓子がヨーロッパにもあるのかどうか知りませんが、とにかく珍奇なみやげには違いありません。賞味期限が3ヶ月と長いのもおみやげにぴったり。

 ところが高松名物のこのせんべい、岡山では入手が困難です。あちこち電話した結果、岡山駅のサンステで売っていることが分かりましたが、肝心の岡山空港には置いていません。

 あらためて空港のみやげものショップの商品構成をみてみると見事なまでに岡山県産品に特化しています。県外の名物といえばわずかに広島の「もみじ饅頭」があるのみ。

 近接する岡山、広島、高松の3空港は行き先や時間帯の構成から相互補完の関係にあります。私も以前沖縄に行ったとき座席の関係で行きは高松便、帰りは岡山便に乗りました。

 このように三位一体として使われている空港のショップが県産品にこだわるあまり他県のものはほとんど置いていないというのは考えもの。岡山空港に瓦せんべいを、高松空港には吉備団子をぜひ置いてください。

国保改革私案

 国民皆保険制度のないアメリカでは医療を受けられない人が6千万人もいるとか。医学のレベルは世界一でも国全体の医療レベルはとても先進国とはいえません。

 それに比べ日本はだれでも最高の医療を受けられる幸せな国だと信じてきたのにここにきて急に雲行きが怪しくなってきました。とりわけ不評をかっているのが後期高齢者医療制度ですが、若者でも国民皆保険の網からもれている人が激増していて、私の知り合いの病院長も入院費を払わず夜逃げしてしまう輩に頭を悩ましています。

 そもそも国民健康保険は無収入の人からも保険料を情け容赦なく取り立てることになっていて、これは同じ公租公課でも所得税の場合、一定額以下の年収に対しては非課税措置がとられているのとずいぶん趣が違います。

 一方、所得税の上限は青天井なのに国保の最高額はせいぜい数十万円。つまり低所得者に非常に厳しい負担を求める反面、高額所得層にとって保険料は限定的です。

 そこで私からの提案です。

 1.国保、年金財源の確保のため消費税を上げる。消費税が15%程度になるのは先進国として仕方ない。

 2.国保負担金の最高額を今の10倍、年額にして500万円にする一方、国民年金満額以下の収入しかない人からは免除。

 3.年額500万円も国保料を払ってくれる人にはもれなく褒章を授け、総理大臣自ら謝意を表する。さらに、10年以上最高額を支払ってくれた人には勲章なり園遊会招待なりのごほうびをあげる。

 単に政府高官を務めただけの連中にお手盛り叙勲することなど即刻廃止すべし。毎年500万円も他人の健康のためにお金を負担してくれた人こそ天皇から勲章をいただくだけの値打ちがあると思います。

河口メロン園


 岡山市西部、福田小学校にほど近いところに静岡メロンをしのぐ絶品メロンを栽培している河口(こうぐち)メロン園があります。テレビにもよく登場するのでご存知の方も多いと思います。

 園主の河口和夫さんのキャラのおもしろさとウンチクを垂れる”オヤジ度”の高さが人気の秘密のようです。

 2001年4月、親の介護に専念するために故郷に帰ってきて、最初に再会したのが小学校時代のクラスメートだったこの河口君。

  小学生の河口君は色白でおとなしく控えめな性格だったように記憶していたので、目の前の日に焼けた元気のいいオジサンがあの河口少年の50年後の姿だとはにわかには信じがたい気持ちでした。(まあ、容姿の激変については他人のことは言えませんが)

 河口君が先祖代々の稲作をやめてメロン一本にしぼったのは大変な知恵と勇気のたまものだと思います。アメリカやカナダの大規模農家が地平線のかなたまで耕して得られる所得をわずか3棟か4棟のメロンハウスで稼ぎ出すのですから。

 さて私も早々、名だたるメロンを求めて河口君の家を訪ねました。父が日ごろお世話になっている方へのあいさつ代わりにしようと思ったのです。

 「コウちゃん、ノシはどねんする?」と河口君。快気祝いでもないし、お中元でもない、ただ「いつも気にかけてくれてありがとう」という気持ちが控えめに伝わればいい・・・などと考えた末に「粗品にしてん」と言ったら、にわかに河口君の顔が歪みました。

 自慢の一品を”粗品”だなんて失礼!結局何と書いてもらったか、それは忘れてしまいました。

鼻の手術

 中学2年の夏休み、現在、日銀岡山支店が建っている場所にあった日赤病院で副鼻腔炎の手術を受けました。上の唇をひっぺがす野蛮な手術の恐怖は半世紀経っても忘れられるものではありません。

 手術を受けた日の深夜、私は病室で突然洗面器一杯ぐらいの大量の血を吐いてしまいました。鼻から出ていた血をすべて呑み込んでいたのです。病室の床は血の海と化し手もつけられない惨状でした。

 付き添っていた母がおおあわてで看護師を呼んだり吐瀉物の後片付けをしていたら、中庭を挟んだ向かいの病棟の人が「主人が危篤で安静にしていないといけないのに、なにを夜中に灯りをつけて大騒ぎしているのか」と文句をつけてきました。

 母はそのときの屈辱を生涯忘れたことはなく、いつも思い出しては怒っていました。「うちの子こそ大量の血を吐いて死にかけていたのに・・・」。 私自身は胃が空になったらすっきりして、気分もよくなったのですが、母には日赤病院そのものがトラウマになってしまったと同時に私にはますます甘い母親になりました。

 2学期になって中間試験のあと父兄面談があって、母は担任から「息子さんにはもう少し本気で勉強に取り組むよう親御さんから指導してください」と言われたらしい。

 母は、「お言葉ですが、息子は大病をやっと乗り越えた身、生きていてくれさえすればそれでいい、成績の善し悪しなど問題外です、と申し上げたら先生呆れていたわ」といかにも楽しそうに語ってきかせてくれました。

 子供のころ成績がよかった兄には「東大以外、大学ではない」などとプレッシャーをかけていた母も私にはこうるさいことはいっさいなし。血の海と化した鼻の手術のおかげです。
 

地球最期の日

 洞爺湖サミットの期間中、テレビは繰り返し氷原を失った北極熊や崩落する氷河の映像を流していました。うち続く天変地異といい「誰でもよかった」殺人の流行といい、時代感覚はまさに終末思想そのものです。

 小学校の図書室で読んだ絵本の恐怖を今でもよく覚えています。何億年かの未来、太陽が年を取って巨大化し、地球上のすべてのものを焼き尽くしていくようすが描かれていました。

 焦熱地獄よりはるかに怖かったのは、近づいた太陽の引力によって自動車や人間が空中に舞い上がりやがて太陽に吸い込まれるイラスト。

 子供の私は、太陽の引力で体が浮きそうになったらすぐに校庭のプラタナスの大木にしがみつこう、地中深く根を張った木が一番頼りになるはず、などと対策を考えたものです。 でも少し後になって考えてみると、絵本のイラストも私の対策も誤っていることに気づきました。

 本当にそんな日が来たら、人や自動車どころか地球そのものが太陽に呑み込まれるので大木にしがみついたところで無意味。第一、人類が何億年後も存在していること自体ありえない・・・それなら何も心配することはないかというと今度は新たな恐怖に取り付かれてしまいました。

 遠い未来人類が滅亡したら、いったいだれがかつて地球に生命があったことを認識するのか、認識主体そのものがなくなることの恐怖!校庭のプラタナスに抱きついてもこの実存的恐怖からのがれることはできませんでした。

 それにしても人類最期の日はいったいいつなのか、仏教はずいぶん楽観的な数値を出しています。弥勒菩薩が下生(出現)するのは56億7千万年後だそうですが、そのころまで生命が存続しているとはとても思えません。

クレジットカードのたそがれ

 携帯電話に心当たりのない番号が着信記録されていて気色悪いなと思っていたら、その後も1日1回微妙に時間帯をずらしてかけてきました。

 大阪の市外局番であるところをみるとさてはナニワのその筋、それとも借金取り?などと不安がつのります。しかし借金など1円もないし裏社会から狙われるほどの人間でもないし、私を怯えさせるのはいったい誰?

  4回目、ついに勇気を出して電話にでてみたらクレジットカード会社からでした。ちょっとほっとしたものの用件を聞いて少し憂鬱になりました。私のVISAカードがアメリカで不正使用されたというのです。

 問い合わせがあった買い物には心当たりがない旨を告げると、その場でカードを無効にしてくれ、私も被害をまぬかれたのですが、改めてカードのセキュリティの脆弱さを思い知らされました。

 なるほどネットでの取引にはいろいろセキュリティ対策がなされている、といっても基本はカード番号と有効期限というカード本体に明示してある情報だけで決済が完了するという大変な”ざる”であることには違いありません。

 これに対し、カード会社はカード所持者の利用パターンを常時モニターすることで対抗。モニターと言えば聞こえがいいけれど要するにコンピュータで顧客の消費行動パターンを監視しているわけです。

 モニタリングのおかげで不正利用がいち早く見つかるのは事実ですが、それはとりもなおさず、会員ひとりひとりがどんな商品に興味をもっているかがデータベース化されていることを意味し、あまり気持ちがいいものではありません。

 50年ほど全盛期が続いたクレジットカードもそろそろ退場の時期を迎えていないでしょうか。安全便利、すべての人が使え、しかもプライバシーが徹底的に守られる21世紀にふさわしい決済手段が1日も早く考案されることを期待しています。

”私鉄”という誤解 

 国鉄が民営化されて20年以上になります。民営化されたのだからJRも”私鉄”かと思ったらそうでもないらしく、もともと民営だった近鉄や阪急などとは区別されています。

 さてこの”私鉄”という言葉、英語ではprivate lineと表現されていることが多いのですが、和英辞典を参考に直訳したようなこの言い方では、私鉄など存在しない国の人には思いもよらない誤解を与えるものだという経験をしたことがありますのでご披露します。

 1982年の夏、知人を訪ねて戒厳令下のポーランドにへ行ったときのこと、大阪府庁が作成した大阪の地政学、産業、文化等を紹介する英文パンフをポーランド人に見せました。

 しばらくパンフを見ていたそのポーランド人は突然「日本にはとてつもない大金持ちがいるんですね」と驚きとも溜息ともつかない声をあげました。

 パンフレットのどこを見てそんなことを言い出すのかと思ったのですが、謎が解けてみるとまるで笑い話でした。近畿地方の略図に描かれた国鉄(当時)の路線はTokaido Line などと個別路線名を記載して あったのに対し、私鉄はどれも細い字でprivate line としか書かれてなく、このprivate の一言が誤解の元でした。

 private line を民営鉄道ではなく、文字通りプライベートな鉄道と思ったらしいのです。確かに、奈良公園に向かうprivate lineは奈良を統治する大富豪一族専用列車と解釈できなく もない!

 私は「プライベート(民営)と言ってもパブリック(公共)の鉄道ですよ」と説明してポーランド人の誤解を解きました。

 では、パンフレットで私鉄をどのように表現していたらよかったのかというと、具体的にKintetsu Line, Hankyu Line などと路線名を挙げておけば妙な誤解をされずに 済んだのではないかと思った次第です。
 

2008年7月10日木曜日

”モンスーンの庭”


 デパート好きの私が一番苦手なフロアーは1階のブランド品売場。売場に用はなくてもデパートの中を裏口まで突っ切りたいとき、あの気まずい売場を駆け抜けなければなりません。反対側の出口にたどり着いたとき寿命が最低3日は縮んでいるはずです。 

おしゃれに無縁な中年のおっさんとしては、ばっちりメイクを決めた生けるマヌカンの視線が耐えられないのです(だれも貧乏くさいおやじことなど見ていないって?) 

 それなのに先日、岡山駅前のデパートのブランドショップに足を踏み入れました。エルメスが新作のオードトワレ、”モンスーンの庭”を5月に発売したという記事を雑誌で読んでたまらなく買いたくなったのです。

 エルメスの調香師によると、インド南部、アラビア海に面した町ケララで着想した香りであるとか。雨期が終わった直後のひととき、乾き始めた大地が放つ一瞬の香りを閉じこめたという。きっと日本でいう梅雨明けのさわやかな匂いのことだろうかと想像が膨らみました。

 家に帰りさっそくスプレーしてみると抑制のきいたフレッシュなにおいが広がってきました。ジンジャーの香りがただよう南インド、スリランカをゆっくり旅したい、そんな気分にさせてくれます。

 エルメスの”庭シリーズ”には先行の”地中海の庭”と”ナイルの庭”が発売中です。すぐにでもあのブランドショップで全部そろえたい! しかし待てよ、とここでブレーキがかります。やはり貧乏臭いおっさんは歓迎されてなかったんじゃないか、中年のひがみかもしれないけれどどうもそんな気がします。

 というのも、食品売場でしつこく聞かれる「当店のカードお持ちですか?」の一言がなかったから・・・ ブランド品の購入はインターネットの通販に限ります。

2008年3月11日火曜日

春蘭展


 3月初旬、岡山市撫川のRSKバラ園まで「春蘭展」を見に出かけました。

 春蘭とは愛好家が野生のジジババから優れた形質を持ったものを選別・改良したもので、日本産と中国産に大別されているようです。

 豪華絢爛な洋ランに比べると地味で自己主張がなく清楚で上品!一目でその魅力に取り憑かれてしまいました。受賞作品をひととおり見た後、即売コーナーで「台湾白花」という鉢をひとつ求めました。

 「あんた、いいものを選ぶなあ」とおだてられたついでに役員らしき大御所氏に春蘭の育て方を尋ねました。蘭を育てることに人生の意味を感じられそうだし、役員諸氏の優雅なたたずまいにあやかって私も心静かに老年を過ごしたい!

「蘭は気難しい、水やり10年」というような答えが返ってくるのかと思ったら全然違いました。「兄ちゃん、これから始めるんなら高うても素性のはっきりしたものを買わにゃあおえんで。そして株を増やしたらこういう展覧会や交換会で売りに出されえ。そういう楽しみがなけりゃあ蘭は育てられんよ」

 なるほど、蘭展の役員諸氏の平均年齢は80歳ぐらいなのに皆さん目が”爛々”と輝いておられる。最終日、にわか蘭愛好家になった私は専用の土や鉢を買いにまた会場をのぞいてみました。

 「あんたなんぼう売れた?」「全部で12万円ぐらい」。いやいや一株何十万、何百万するものもある東洋蘭の世界、今回の展覧会での小遣い稼ぎなどはお遊びみたいなものだったのでしょう。

  玄関に飾った風雅な「台湾白花」。一瞬油断したすきに愛猫が大切な葉っぱをかじってしまいました。そういえばキャットグラスそっくり。

2008年3月5日水曜日

電子マネー 

よく立ち寄るコンビニが電子マネーのキャンペーンをしていて、私も携帯電話に電子マネーソフトをダウンロードしてみました。

 ほんとうに携帯で買い物ができるのだろうか?という一抹の不安を感じながらまずは千円チャージ。試しに缶コーヒーとキャットフードを購入してみました。

 カードリーダーに携帯をかざすと「チャリーン」という音がして支払い完了。現金の受け渡しがないのは便利なうえ、ポイントが付くので実質1%引き、何だかお得感があります!。

 いままで空港で若いサラリーマンが携帯ひとつですいすいチェックインしているのを横目でみながらああいうものが使えない自分にコンプレックスを感じていたのがひとつ解消しました。

 さっそく”おサイフケータイ(docomo)"デビューをいきつけの喫茶店のマドモアゼルに自慢したところ、「それで、何を買ったのですか?」と質問されました。「猫の餌」、すると「コンビニで割高なペットフードなんか買っちゃだめですよ。スーパーの特売日に買わなきゃ」とのご指導がありました。

 たしかに便利な電子マネーですが、サービス業による客の囲い込みが主目的で汎用性はきわめて限定的。これではかつてのプリペイドカードといっしょです。

 しかしせっかくの技術です。政府も役に立たない住基カードをごり押しするよりも、国策電子マネーを発行してくれたらそれこそ21世紀の通貨として十分認知され、もはやスーパーのレジでがま口から小銭をゆっくり探しているおばちゃんにイラつくこともなくなると思うのですが、、、   

2008年2月20日水曜日

メイプルソープ写真集事件

1999年、東京のある出版社社長がアメリカの著名な写真家、故ロバート・メイプルソープの写真集を輸入しようとして税関にストップをかけられました。容疑は関税定率法違反。

 おもしろいのはこの写真集は社長が'94年に東京で出版したものをアメリカに持ち出し帰国の際、再び輸入しようとして没収されたもの。つまり国内で何の問題もなく売られていた写真集が通関できない(!?)というのです。

 理不尽な税関の処分に対しこの男性は最高裁まで戦い抜いて、ついにこの19日「わいせつには当たらない」という判決を勝ち取りました。最高裁は以前、同じ写真を「わいせつ」と認定したけれど時代の変化に追随したかに見えます。

 しかし判決を読むと問題の写真集がメイプルソープというアメリカを代表する写真家の芸術作品であったから輸入を認めたというあいまいな判断をしたに過ぎず、この問題の核心部分である、「わいせつが何故いけない?」という問いに答えていません。

 さらに刑法が禁じていない個人のわいせつ図画の所有を場違いな関税定率法で取り締まるのは検閲を禁じた憲法に違反するのではないかという一番の問題点にも触れずじまい。社長の勝訴は50年遅れの一歩前進という感じです。

 問題のメイプルソープの写真は男性の裸体が写っているに過ぎないもので、”わいせつ度”でいうならちまたのレンタルビデオや週刊誌のグラビアと比べるのもばかばかしい。とうてい「いたずらに性欲を刺激する」などというレベルのものではありません。

 千年前に「源氏物語」というきわめて官能的かつ芸術性の高い文学を生み出した日本でありながら、現代の日本で実に低次元の取り締まりが行われています。サミット加盟国でここまで文化度が低い国はほかにありません。

2008年2月12日火曜日

当たって当惑・バリ旅行

 留守中に宅急便が来たらしく不在通知が置いてありました。某携帯電話会社からの配達物でした。

 携帯電話会社からいったい何が届いたのか、気になったのでわざわざ宅配便の営業所まで取りに出かけてびっくり、「バリ島5日間の旅」が当たったというお知らせでした。

 くじ運の悪い私なのに「こいつぁ春から縁起がいい」とばかりにツァー参加条件を見てまたまたびっくり、何ともふざけた内容でした。

 1.出発地は成田国際空港、成田までの交通費は自己負担、岡山からだと往復4万円近い出費です。2.燃料サーチャージ、空港使用料などが2万8千円。3.無料招待は応募した人本人のみ、同伴は何人でもOKだけれど参加費が1人10万円。4.権利を第三者に譲ることは不可。さらに追い打ちをかけるように、出発日はサラリーマンが一番休みを取りにくい連休明けの5月。

 バリなどせいぜい5万円も出せば関空からいくらでも行けます。50人の当選者のうちいったい何人が実際に参加するか興味津々ですが、それよりもなによりもバリのような名だたる観光地のデラックスホテルでひとりで3泊も過ごせとはいったいどういう発想法なのでしょう?イカガワシイ!

 懸賞に応募したことさえ忘れていた当選劇。「どうせ当たらないのなら一番豪華な景品を狙おう」と想ったことだけがおぼろげながら思い出されました。

 こんなことなら野菜の皮むき器かハム・ソーセージ詰め合わせセットにでも○を付けておくべきでした。

2008年2月5日火曜日

毒餃子事件

 今回の農薬混入餃子事件では今のところ死亡例が報告されていないのはほんとうに運がよかったとしか言いようがありません。

 連日の報道をみていて気になることがありました。繰り返される食の安全をおびやかす事件に対し、テレビ局が買い物客にインタビューすると決まって、「私たち消費者は何を信じていいのか分かりません」というお決まりのコメントが返ってきます。

 でもこれって変。「何を信じるか?」と問われれば「自分を信じる」しかないでしょう。自分の鑑識眼、経験、味覚、嗅覚、臭覚、値段とのバランスなどを総動員して。

 口に入れたとたん異臭や変な味がしたら即座に吐くこと。これは意識しなくても体がかってにやってくれます。胃の中に入っても胃が「これはダメ」と思えばちゃんともどしてくれます。逆にいえば胃が受け付けてくれたものは少々賞味期限が過ぎていようが多少品質に問題があろうが大丈夫。

 それなのに今回の毒餃子事件で被害者は2通りに別れました。「変な味がしたのでもどした人」と「変な味がしたけれど食べてしまった人」に。食べてしまった人はおそらく「これは生協で買ったから」とか「JTが輸入した食材だから安心」と思ったのでしょう。恐ろしいことです。

 この点、中国の庶民は日本人よりはるかに敏感に食の安全に対して自衛策をとっています。場末のこきたない食堂の店先でおばちゃんがせっせと餃子を作っている。でもよく見ると野菜を徹底的に洗っています。日本人の目から見ると野菜を洗剤で洗うことの方が怖いのですが・・・ 

おいしいウーロン茶も一煎目は惜しげもなく捨てます。何故と聞くと「だって茶葉についたほこりやゴミ、農薬はまず熱湯で洗い流さないといけないでしょう」。  

2008年1月25日金曜日

松下・水道哲学の終焉

 1932年5月、松下電器創業者である松下幸之助氏は後に”水道哲学”と呼ばれる理念を従業員に説きました。

 いわく、「道行く人がよその家の水道の水を飲んでもとがめられることはない、あまりに安いからである。産業人の使命も優秀な製品を水道水のごとく安価に提供し楽土を建設すること」。

 それから80年近く経過し今や最先端のテクノロジーを凝縮した薄型テレビ、携帯電話、デジカメなど性能のことを考えたら本当に割安な価格で消費者に届くようになりました。

 たしかに、国民が優秀な商品を”水道をひねる”ように買えることはけっこうなことですが、松下電器はじめ日本を代表する産業はほんとうに利潤をあげているのかどうか。世の中には高いもの好きな人がいっぱいいることも経営の視野に入れて”最高の商品を最高の値段で売る”ことも考えないといけないと思います。

 例えば、アラブの富裕層向けに売る薄型テレビが家電量販店の目玉商品と同じ価格でいいはずがありません。アラブ向けには同じテレビでも画面以外の部分にはプラチナを使い、漆や金箔で華麗な装飾を施し、リモコンは金張りにし、ところどころダイヤモンドを散りばめた、100インチで2千万円ぐらいの限定商品を売り出せば即完売することまちがいありません。

  いったんそうしたプレミア商品が世に出ればロシアや中国のニューリッチも黙っていないでしょう。

 松下電器が今年10月社名を”パナソニック”に変更し、来年には”ナショナル”ブランドも捨てることにしたのはようやく水道哲学の呪縛から自らを開放する決断をしたものと理解し、儲かる企業に変貌することを期待しています。

2008年1月15日火曜日

ご長寿ギャグ

 2001年4月に始まった両親の介護は依然として続いています。最初のころ飲み会の席で、友人の医師に「ひとりで介護に専念するつもり」と話したら、「私の経験ではみんな張り切って介護を始めるけれどだいたい半年で音を上げる」と言われたものです。

 それから7年。友人の予測の十倍の歳月が過ぎていつの間にかエンドレスの様相を呈してきました。ただこの生活がいやかといえばそうでもありません。その秘訣は「介護の合間に休息」がふつうであるのに対し、私は「休憩の合間に介護」をしているからだと思っています。

 それでも、もともと相性の悪い父とは何もかもが煮詰まって90歳対60歳の心理戦はエスカレートする一方です。

 日曜日の夕方、夕飯の支度がいつもより遅くなってしまいました。父が「今日はもう夕飯はいただきましたかな?」とボケ老人を演じて私の怠慢を婉曲に非難。「いやまだ。今日はちょっと胃がムカムカして動けん。胃ガンかも知れん」と父を脅かしてみました。介護人と息子を同時に失う危険性を喚起し、少しは息子に同情せえ、というのが私のメッセージ。

 すると父は、背を前に曲げてみせ「こうか?」と言うのです。「ハァ?それどういう意味?」と聞いたら「背中がいがんどる」。オジン・ギャグは可笑しくも腹が立つ!しかも私が子供のころから猫背ぎみでコンプレックスに感じているところを突いてくるなんて・・・

 お涙頂戴などまっぴら、あくまで自己中で90年を生きてきた父の芸風にはまたしても完敗でした。

2008年1月8日火曜日

おねしょ布団

 幼児のころの記憶はどこまで遡れるのか、三島由紀夫は「仮面の告白」のなかで、自分が生まれた日の光景を鮮明に覚えていると少年時代にまわりの大人に主張して失笑を買ったエピソードを紹介しています。

 それは「産湯に写る電球の光」という怪しくも耽美的なシーンで、長じて華麗な文章を紡ぎ続けて突然この世を去った文豪の最初の記憶にふさわしい心象であったと思います。

 作家のような鮮明な記憶はないものの、私にはおねしょをしたあとの何ともいえない情けない感覚が幼児期最初のころの記憶として思い返されます。

 トイレに行きたくなる、暗くて寒く恐いトイレにやっとたどりつき気持ちよく放出し始めたとたん「何か変、しまった、これはいつも見るおねしょの夢だ!」と夢の中で気づいてももう手遅れ。

 母は真夜中でも慌てず騒がず濡れた敷き布団の上にタオルを敷いてくれて、朝がくると布団を干してくれました。真綿布団は洗うことができないのでいくら干しても汚れが取れるわけではないのに、1日太陽に当たった布団は気持ちよく、それがまたその夜の快眠と快おねしょを誘発したものでした。

 それから半世紀が過ぎ、今また同じ六畳間で親子の1日が過ぎていきます。ときどき子猫が入ってきては母のベッドに登ってうっとりした顔をしているときが最悪。びっくりするぐらいのおしっこの水たまりができています。

 でも今は重い真綿布団に代わって軽い羽布団の時代、洗濯機で丸洗いし乾燥はコインランドリーの大型乾燥機にかければばっちりです。慌てず騒がず、母と12匹の猫のお世話をする幸福な日々が続いています。