2013年9月27日金曜日

「半沢直樹」意外な結末


長いあいだテレビドラマの不振が続いていましたが「半沢直樹」は驚異的な視聴率をたたきだしました(最終回は関西地区で50%)。

「倍返しだ!」の決めゼリフで陰謀うずまくメガバンクで不正を働く上層部にケンカを挑む主人公はかっこいいです。

私自身は大学図書館という出世競争とか権力抗争とあまり縁のない世界でしか働いた経験がないのでああいうドロドロした人間関係のありようがピンときません。日本の大企業社内ではドラマのようなどなりあいや土下座などという粗暴な行為が日常的に行われているのでしょうか。

銀行といえば30年ほど前ある大手都市銀行の支店長と預金口座の取り扱いをめぐってもめたことがあるのですが、支店長はお客の私に電話で怒鳴り声をあげていました。

ある日支店長から「車を差し向けるからおいでいただきたい」という連絡がありました。私はうかつにそんな車に乗ったら最後大阪湾の埋め立て地に連れて行かれ生き埋めにされるのではないかと本気で心配しました。実際は銀行もいつまでももめるのはよくないという結論に達したのか、二流半のケチな料亭に和解の席が設けられていました……。

どなったりなだめたり手のひらを返すようににこにこしたりよくそんなことが平気でできるものだなあと当時思ったものですが「半沢直樹」を見ていて昔の不愉快な記憶がトラウマのようによみがえってきました。

この作品の雰囲気は原作者の池井戸潤さんが「バブル入行組」の元銀行員ということなのであながちドラマゆえの誇張ではなさそうです。

さて痛快な「半沢直樹」の最終回は意外な結末でした。半沢自身あるいは彼の仲間たちもが半沢の2階級特進を信じていたのに証券子会社への出向が待っていたのです。やはり結末はこうでなくちゃ! 中野渡頭取の采配には徳川300年の太平の世を保証した巧妙な統治論的戦略が見て取れます。お上の不正を直訴、告発したものはごほうびをもらえるどころか彼自身もまた秩序を壊した罪を問われました。

中野渡頭取の顔が何だか徳川家康に見えました。自分の地位と銀行を守るためには理想主義では対処できません。中野渡のリアリズムがドラマに信憑性をもたらしましたね。続編への期待が高まります。

Tokyo2020 安倍さんの大芝居


 10年ほど前、当時の東京都知事だった石原さんがオリンピック誘致に名乗りをあげたとき、そんなこと本気で言っているのかと疑いました。

石の上にも3年、いや10年も同じことを言っていれば夢も実現するものですね。

  ブエノスアイレスで行われた最終プレゼンは翌朝録画したものを見たのですが、選考過程が分かりにくく一瞬東京は落選したとだれもが思ったようです。プレゼンする方はどんな些細なミスも許されない雰囲気なのに、選ぶ側は何とずさんなことをやっていることかと思いました。

 今やIOCは地上最強の絶対君主です。各国首脳がまるで就職面接を受ける大学生さながら小さく縮こまっているのですから。

もともと日本人は“プレゼンテーション”などという芝居がかった振る舞いには否定的な価値観をもっていました。「巧言令色、鮮し仁」という論語の言葉に従って生きてきた日本人。言葉たくみなやつのいうことは信用できない、というほどの意味でしょうか。あるいは「沈黙は金」などとも言われてきました。

ところが今回のプレゼンでそんなものは美徳でもなんでもない、黙っていたらだれからも見向きもされないという西欧流の価値観を今や日本人がしっかり受け入れ、さらにその流儀で勝てるだけのテクニックを身に付けていることが証明されました。

いやですねえ。人は服装、持ち物、学歴、自己PR能力で評価されることを認めるなんて。今回の勝利も綿密な戦略をたて、スピーチ・コーチまでつけて特訓していたのですね。

パラリンピックの佐藤真海さんがつらい経験をスポーツで克服した体験をつたない英語でスピーチしたことが感動を呼びました。しかしあとでイギリス人コーチと徹底したトレーニングを積んだという番組を見て少々白けた気分になりました。もちろん彼女のパフォーマンスはすばらしかったのですが。

プレゼン最大の立役者安倍総理の「アンダーコントロール」にはひっくり返りそうでした。誰の目にも大ウソなのに、何となく世界を説得してしまった安倍さんは恐ろしい人です。将来戦後最高の宰相だったと言われるかもしれません。「やっぱり巧言令色、鮮し仁だったか」と後で言われることがないよう廃炉問題だけは片を付けてくださいね。

2013年9月6日金曜日

痛みに効く薬がありました

 この夏96歳の誕生日を迎えた父の深刻な悩みは体中どこであれ他人が少しでも触れると激痛が走ることでした。いや触れられなくてもベッドで横になっているだけで背中が痛み、「起こしてくれえー、起こしてくれえー」と深夜、早朝かまわず私を呼びます。寝不足の私はすっかり介護ノイローゼになりました。

 仕方なく、ベッドから起こして椅子に座らせても10分もしないうちに背中が再び痛み出し今度は「寝かせてくれえー」の連呼です。

 「お父さん、寝ていても痛いし、起きていても痛いんじゃどうしようもないじゃない。苦痛から解放されるためにはあの世に行くしかありません」と、腹立ちまぎれに父に冷たい言葉をかける私は鬼でした。

医師も鎮痛薬や湿布をいろいろ処方してくれているのですがどれもほとんど効き目がなく途方にくれる毎日。

ところが昨年私自身腰痛に悩まされたとき整形外科の若い医師が処方してくれた薬に「リリカカプセル」という乙女チックな名前の薬がありました。この薬は今までの薬と作用機序が異なるそうです。痛みの場所に作用するのではなく脳内の痛みの情報を伝える場所での神経伝達物質の放出を抑制するというものです。いわば向精神薬の一種でしょう。

私自身はリリカを最低量(25mg)飲んだだけで幻覚症状が出たのですぐ服用を中止し、結局従来の鎮痛剤で腰痛が治ったのですが、今の父にはもうこれしかないという気がして父の主治医にリリカを試してほしいと願いでました。

期待以上の効果がありました。痛みを訴えることがぐっと減り、椅子に座って1時間以上テレビに集中しています。表情も明るくなり、楽しい会話が成立するようになりました。もはや親子心中しかない、とまで思い詰めていたのがうそみたいです。父が朝までぐっすり寝てくれるので私もよく寝られるようになりました。

リリカカプセルはほかの薬同様様々な副作用があります。しかも高齢で腎不全の患者での治験データなど存在しないでしょう。そもそも父のような患者にこの薬が処方されることはありえないと思います。

しかしあえてそこに突破口を開いて父の地獄の苦痛を取り除くことに成功したのは息子の蛮勇です。ただそれは医学や介護の常識を逸脱した行為かもしれませんが。

「はだしのゲン」問題

  第二次世界大戦が残した悲惨なモニュメントの双璧が広島とアウシュビッツでしょう。ともに目をそむけたくなるようなマイナス遺産です。広島をめぐっては学校図書館での「はだしのゲン」の扱いが議論を呼んでいます。

この作品を閉架書庫にしまいこんで児童の目にふれにくくすることは戦争という現実から目をそらすことであり反対という意見と、いたずらに子供に恐怖心を植え付けるだけで何の教育的効果もなく弊害が大きいとする立場が対立しています。

1982年、戒厳令下にあったポーランドに2週間ほど滞在したことがあります。ポーランド人の友人の案内で古都クラコフの中世の町並みを堪能したところまではよかったのですが、その後訪問したアウシュビッツは大変衝撃的な体験でした。

かつての収容所がそのまま博物館になっていて当時の姿のまま保存されています。ヨーロッパ中から集められたユダヤ人捕虜たちから奪った眼鏡の山、頭髪の山、犠牲者の脂肪から製造した石鹸、義足の山……こうしたものが黙示録のように人間の悪魔性を物語っています。

なかでも近づくことさえ耐え難いものがガス室と火葬炉でした。合理主義者のドイツ人が設計しただけあって実にシステマティックにできていて、いったんガス室に入れられた人が生還できる可能性はゼロでした。炉付近に捧げられたたくさんの赤い花束が今も目に浮かびます。

アウシュビッツを訪れて以来、いまだにその記憶がトラウマになっていて果たしてアウシュビッツ訪問は自分にとってよかったのか悪かったのか、必要だったのかそうではなかったのか、よく分かりません。ただ2度とこのようなことを起こしてはいけない、戦争は絶対悪だ、という確信を持つようになったことだけは確かです。

このように、大の大人でもアウシュビッツのようなものを見せられたら夜中に引き付けを起こすぐらい心に傷を受けます。「はだしのゲン」については、いくら広島で現実に起きたことを描いたとはいえわざわざ児童の目につく場所に置いておくことに私は反対です。読みたいと思ったときに書庫から出してもらって読めば十分でしょう。平和記念館のジオラマを撤去する話もあるそうですが、ぜひそうしてほしいものです。

永青文庫 細川家の名宝展


岡山県立美術館で開催された永青文庫展は期間中展示替えがありました。最初(前期展示期間中)行ったときはお目当ての菱田春草の「黒き猫」が展示してなくちょっとがっかり。しかし今回の企画展は一度では十分みることができないぐらい充実したものだったので再度出かけて名宝をゆっくり堪能できよかったです。

私が「黒き猫」に最初に出会ったのは中学校か高校の美術の教科書においてでした。ずっと実物を見てみたいと思いながら50年が過ぎ、このたび思いがけずこの岡山で願いがかないました。

「黒き猫」、我が家のクロちゃんは雄の立派な猫ですが心優しくいつもほかの猫から身を一歩引いて餌を食べ、遠慮がちに私に甘えてきます。いつの時代でも黒猫は人間に何かを訴える特別な能力があるのかなと絵を見ながら思いました。

本物の「黒き猫」は教科書などの図版では分からなかった猫の表情が生き生きと読みとれ美術館に来たかいがありました。「うちのクロちゃんの方が男前だな」などと思ったのは親ばかのせいでしょうか。

さて細川家に伝わる美術工芸品の数々を収容した永青文庫は東京都文京区目白台の旧細川侯爵邸の中にあります。細川邸に接して和敬塾という男子学生寮があり兄がそこに住んでいたので兄を訪ねていくとき細川邸をよくのぞき見したものですが、そこに念願の「黒き猫」があったなんてまったく知りませんでした。

ちなみに和敬塾とはかつての細川邸のかなりの部分をある篤志家が購入して学生のために作った大規模な寮です。村上春樹の「ノルウェイの森」に和敬塾での学生生活の様子が生き生きと描かれています。

戦後、学生用住宅事情が最悪だった時代に暖房完備の良質な寮建設のために広大な屋敷を提供した細川家の英断について語られることがあまりないのでここにご紹介しました。

細川邸、和敬塾、田中(角栄)御殿、野間邸(講談社創業者一族)、椿山荘(ホテル)、日本女子大学、学習院、東京カテドラル教会、神田川、早大キャンパスとこのあたり一帯はかつての武蔵野の面影が色濃く残っている場所で今もケヤキやクスノキの大木がうっそうと茂っています。しかし現在の東京の森の主人公は黒き猫ではなくカァカァやかましいカラスの大群です。

日中、日韓関係


 今年も8月15日が近づき首相や閣僚が靖国神社にお参りするかどうか中国と韓国が固唾を飲んで注視しています。

中国や韓国の世論がどのようなものかを直接知る手がかりとして「サーチナ」という情報サイトがあり、日本に関する極東の隣人達のブログ発言が適宜日本語に翻訳されて掲載されています。また韓国の主要新聞である中央日報と朝鮮日報のオンライン日本語版は無料で閲覧可能です。

これらのブログや新聞記事をひまにまかせて毎日読んでいると同じ反日と言っても中韓では相当ニュアンスが異なることが分かります。中国人が日本を批判する論調には手厳しいものがあるとはいえ、中国政府による情報統制の中にあっても相当程度理性的、客観的であろうとする姿勢が常にうかがわれます。

また日本を攻撃するポーズをとりつつも実は共産党政府に対するかなりきわどい批判や皮肉を込めるという政治的に高度な技を披露する場としてブログが活用されているようにも見受けられます。

これに対し韓国メディアの日本に対する攻撃はきわめて感情的、没理性的、非論理的であってとにかく日本のなすことすることすべてが憎い、腹立たしい、羨ましい、妬ましいというまるで○の腐ったような社説が前述の「クォリティ紙」に堂々と掲載されていることに驚かされます。

常に上から目線の論調であるにもかかわらず彼らの本音は「日本よ、もっと自分たちのことをかまってくれ、関心をもってくれ」という悲痛な叫び声のように聞こえます。そしてストーカーのように日本の小さな出来事まで追ってきます。

中央日報には読者がコメントを書き込むことができ、日本語版なので当然多くの日本人が記事に対するコメントを書き込んでいますが、これが差別用語、侮蔑表現のオンパレードでここに引用することも憚られます。ひどい記事とそれに見合う品のないコメントは屁合戦さながら。

要は、中国は日本のライバルとして、また対等につきあう相手として無視できない。しかし韓国に対して日本ができることは何もないように思えます。何をしても「1000年怨みます」の国に日本が言えることは「日本にかまわないでくれ、甘えないでくれ、親子でも兄弟でもないのだから」ではないでしょうか。