2007年11月29日木曜日

ブサメン

 ブサメンとは若者言葉でブサイクな面構えの人の意味。イケメンの対として4-5年前に誕生した俗語らしいのですが、私がこの言葉を最初に目にしたのは守屋前防衛省事務次官のスキャンダルが話題になりだした初秋のころのことでした。

 ゴルフ接待、料亭接待、「防衛省の天皇」と呼ばれ権力と利権をほしいままにして私腹を肥やしていたなどと、彼の疑惑や行状を見てみるといまどきそんな古典的な汚職に没頭する人間がいるのだろうか?にわかには信じがたい気がします。ブサメン・コンプレックスが守屋氏をここまで増長させたのでしょうか?

 守屋夫妻が逮捕された同じ日、もうひとつ大きなニュースが流れました。お隣香川県坂出市で起きたミステリアスな殺人事件の犯人が逮捕され、供述にしたがって遺体が出てきました。

 逮捕された犯人の顔写真を見るとずいぶん若いときの写真みたいで風間杜夫ばりのイケメン。これに対し被害者である幼子たちの父親ははっきり言ってかなりのブサメンで饒舌なのに滑舌が悪いのです。

 「ばあちゃん」が1日13時間もきつい立ち仕事をして孫たちの面倒を見ていたというのに、仕事もせず車を乗り回して、、、と評判は悪く、そこのところをマスコミによって色眼鏡で見られ、かなりの偏見と先入観をともなった報道がなされてきました。

 もし被害者の父親が色白でシューッとした風間杜夫風の男だったらマスコミの姿勢もずいぶん違っていたはず。 「男は40歳になったら自分の顔に責任を持たなくてはならない」とはエイブラハム・リンカーンの言葉だそうですが、年とともにブサメン街道一直線の私にとってリンカーンの言葉が痛いです。

2007年11月23日金曜日

スローライフ=午後4時の窓辺から(2004年1.1号)

 午後4時。昼と言うには遅すぎるし、夕方というには早すぎる時間。私は中島みゆきの名曲「時代」を初めて聞いたとき、メロディーの美しさに酔うとともに歌詞のマジックに驚かされました。「回る、回るよ、時代は回る」これが私の耳には、「回る、回る、4時台は回る」と聞こえたのです。

 子供のころ両親とも教師で鍵っ子のハシリでした。5時を回らないと帰ってこない母を待って不安な4時台を一人寂しく過ごしていました。中島みゆきはそんな4時台の不安、やるせなさを詩にしたのだと勝手に思っていました。

 しかしながら、この真昼でもないし夕方でもない時間帯は本を読んだり、だれにもじゃまされないで音楽に聞き入ったりすることができる時間でもありました。その後の私の情操や価値観の中枢を形作った大切な時間だったように思えます。

 今私は55歳。年老いた両親の介護のために長年務めた大学を辞めふる里の岡山に帰ってきました。人生の真昼は過ぎてしまったけれど、夕闇が訪れるにはまだ多少時間があります。まさに人生の4時台です。介護にも自分自身の生き方も「肩肘はらず、もっとスローに」をモットーに生きていこうと思います。やがて実り豊かな夕べが訪れることを信じて。

ダ・ヴィンチ・コード(2006年5.29号)

 話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見ました。イエス・キリストがマグダラのマリアとのあいだに子供をもうけ、その血脈が今もヨーロッパに続いているというのが主たるストーリー。

 観客は主人公たちとともに謎解きに誘われ、観光旅行で見慣れたルーブル美術館やパリの街角が深夜には昼間とまったく別の様相を見せることに引き込まれます。

 たしかに石畳のパリの街には”秘密、悪意、陰謀、暗殺”などが渦巻いている気がします。イギリスのダイアナ妃がリッツホテルで夕食を食べたあと、セーヌ河畔の橋脚に激突して謎の死をとげたのはついこのあいだのことだし、事件の真相はいまだ闇の中です。

 でも王族でもなければ、キリスト教徒でもない我々日本人観光客がパリで気をつけなければならないのは、子供たちによる集団スリ。

 自分は大丈夫と思っていた私ですが、数年前ルーブル駅から乗車した地下鉄車内で子供たちが妙に体を寄せて来るな、と思ったら財布を抜き取られていました

 すぐ「おかしい!」と気付き子供たちをにらみつけたら、スリ集団の中にも気の弱いやつがいたとみえて、「あんたの財布、そこに落ちてるよ」と座席の下を指さすのです。

 日本円を含めお札は抜き取られていましたがカード類が無事だったので被害も限定的だったものの、外務省の海外安全情報でいつも警告が出ているルーブルでスリ被害に遭ってしまったのは腹立たしい限りです。

 ダ・ヴィンチ・コードを見てパリに行かれるかた、くれぐれもご用心!
 

武力衝突(2007年2.19号)

 1月末、上海から列車で1時間ほど内陸に入ったところにある世界遺産の町、蘇州を訪ねました。

 駅前から市バスに乗って、中国版ピサの斜塔ともいうべき雲岩寺塔がある虎丘(こきゅう)に向かいましたが、しっとりとした古都にあってバスの運転の荒っぽいこと上海以上です。

 車道を走る自転車やバイクには絶え間なくクラクションをお見舞い、しかし警笛ごときではびくともしない自転車軍団に業を煮やしたバスは対向路線にまではみ出して走ります。

 対向路線も同じ状況なのであわやと思われることもしょっちゅう。しかし中国流ではブレーキを踏んだ方が負けです。もしどちらも譲らなかったどうなるか?武力衝突です。

 狭い道が渋滞しているので何事かと思って窓の外を見ると、観光三輪車が横転し、バイクも転倒していました。

 激しく罵りあう運転手たちの横には日本人らしき観光客が呆然と立ちつくしています。見ていると、運転手たちは怒鳴りあいながらもいっしょに三輪車を起こしたので、コトは収まるのかと思ったけれどさにあらず。怒りが再燃した三輪車の運転手は外れたチェーンを振り上げてバイクの持ち主に殴りかかっていきました。

 どうも紛争が起きたときすぐに警察にお願いするようなまどろっこしいやり方は中国人の好みには合わないようです。粗野と言えば粗野、しかし生きること、自分を守ることになりふりかまわずエネルギーをそそぎ込む彼らの情熱は感激ものでした。

 現在、東シナ海では尖閣諸島をめぐって日中の”攻防戦”が続いています。海上保安庁の警笛などなんのその、「先にブレーキを踏んだら負け」中国当局はそう思っているに違いありません。  

困りもの気象庁 (2007年4.2号)

 ひと昔まえの人は古くなった食べ物を食べるとき「測候所、測候所」と呪文を唱えて食べたそうです。そのココロは「当たらない」。

 これは今でも十分通用することだと最近、気象庁が発表する各種予報や予想を見て実感するところです。

 その1は桜の開花予想。暖冬異変で桜が咲くのが例年になく早まりそうなのはシロウトでも想像がつくこと。それを気象庁が3度に渡っておごそかに予想した結果はどうでしょう。3月7日に発表した第1回目の予想では高松で3月17日だったのがその後プログラムミスが発覚して26日と訂正。

 気象庁は記者会見まで開いてお詫びしていましたが、そもそも桜の開花予想など国費を使って気象庁が発表しなければならない種類の仕事でしょうか。

 春の訪れは神のみぞ知る。ボッチチェリの名画”春”にも描かれているプリマヴェーラ(春の女神)の機嫌など分かるはずがありません。

 その2は昨年北海道で起きた竜巻。家や車が吹き飛ばれ死者も出た記憶がありますが、当初マスコミは”竜巻”とカッコ付きで報道。翌日気象庁が「昨日の突風は竜巻であった」と認定してやっとカッコがとれました。

 おかしなことです。気象庁の権威主義とそれに盲従するマスコミ。記者の常識と感性で最初から竜巻と報道して何が悪いのかと思います。

 その3は津波警報。これは実態とかけ離れた大げさな警報に沿岸住民も慣れっこになって避難する人は2割にも満たないとか。気象庁もさすがにこれはまずいと気が付いたらしく改良するようです。

はたきがけ(2007年1.29号)

 ”はたき”と聞いて何のこと?とお思いの方も多いと思います。昔の掃除道具の定番アイテム。今では古本屋のオヤジが立ち読み客を追い払うときぐらいしか出番がありません。

 母が退院し半年ぶりの自宅での療養生活が始まりました。病院ではもうろうとしていたのに60年間見つめてきた6畳間の天井をながめて母はかすかに微笑んだような気がしました。

 私がまだ幼児だったころ、風呂上がりの私をひざの上に乗せて寝間着を着せてくれた母の記憶が鮮明に残っている部屋。母は教師だったので朝はとても忙しかったはずなのに、真冬でも部屋を開け放しガラス障子の桟をはたきではたいていました。

 寝坊の私はせっかくの部屋の温もりをいっぺんに追い出してまでなぜ毎日パタパタ無駄なことをするのか、いつも母に抗議。でも決して聞き入れてはもらえませんでした。 50年が過ぎた今また母とこの部屋で過ごすことになり、気管切開している母の健康のためにも掃除には気合いが入ります。ただし閉め切った部屋ではたきを使うとホコリを舞いたたせるだけなので、障子の桟はちまちまと雑巾で拭っていきます。

 胃瘻を介して”朝食”を食べてもらい、痰を取ったり、おしめを交換、部屋の掃除が終わるころにはまた昼食の用意と、あっという間に時間が過ぎていきます。

 でもそんな作業が大変かというとそうでもありません。主客は逆転したものの何だか子供のころに帰ったような”あまーい”懐かしさでいっぱい。

 母はなぜ毎朝パタパタやっていたのか?愛されていたからです。 

イカナゴのクギ煮(2006年3.20号)

 毎年3月の声をきくと関西ローカルではイカナゴのクギ煮がきまって新聞やテレビで取り上げられます。 私のところにも加古川の友人の奥さん手作りのクギ煮が2パック届きます。ひとつは私に、もうひとつは私の両親にという心遣いです。

 しかしそもそもイカナゴとはいったい何という魚なのか?いやいや”イカナゴ”という名前そのものが「いかなる魚の子なりや」という由来をもつらしい。

 ちょっと調べてみると何かほかの大きな魚の子ではなくれっきとしたスズキ目イカナゴ亜目イカナゴ科の魚で成魚になっても20センチぐらい、名前はカマスゴとかカナギに変わります。

 もともと兵庫県播磨地方特産のクギ煮ですが年々全国区化が進み今では大阪でも岡山でもスーパーに「クギ煮コーナー」が出現し、生のイカナゴと専用の煮汁、ショウガがセットで販売されています。

 こうして瀬戸内海沿岸の諸都市にクギ煮ブームが拡大してくるにつれ、資源が枯渇しやしないかという心配も出てきました。 クギ煮はたしかにおいしい。ご飯との相性が抜群によく食がすすみます。でもイカナゴを人間が一網打尽に取り尽くすとイカナゴを餌にしているほかの魚もとれなくなってしまいます。

 播磨名物はあくまで播磨名物ととしてそっとしておきたい、そんな気がします。     

「雪舟への旅」(2006年11.20号)

 今年は雪舟没後500年にあたり11月末日まで山口県立美術館において国宝6点を含む61作品が一挙に公開されています。

 岡山生まれの雪舟が大内氏の庇護のもと山口でその才能を思う存分開花させたのは岡山県人として少し悔しい気もしますが、洋の東西を問わず才能はよりよいパトロンを求めて移動していくものですね。

 さて、雪舟の全作品の中で最高峰のものが有名な「四季山水図巻」いわゆる「山水長巻」です。長さ16メートルの巻物に季節ごとのシーンが連続して描かれています。 垂直にそそり立つ山のあいだを隠者が道を求めてどこまでも孤独に歩いていく。行き着くところにはいったい何があるのだろう?と思って続きを見ると、意外にも広々とした湖のほとりにでます。

 湖には船が浮かび、水上生活者らしき人たちの楽しい日常。船には巨大な洗濯物が干してあったり、鉢植えの観葉植物が置かれていたり。

 さらに進むと秋の収穫を喜ぶ農民の祭りに遭遇し、家の中でくつろぐ家人の姿が窓越しに見えます。このあたりの描写になると筆のタッチががらりと変わり定規で平行線が何本も描かれていたりします。何やらデジタルな風景なのです。

 山水画というと古めかしく古代の老荘の世界を想像してしまいますが、時はすでに15世紀。雪舟の絵にはダ・ヴィンチやラファエロなどルネッサンスの天才たちに共通する近世の明晰さが感じられました。特別企画展「雪舟への旅」は30日までです。ぜひ。 

勝ち組み親子(2006年10.16号)

 10月初旬、沖縄県、西表島に行ってきました。連休前の平日というのに小学生連れがけっこう多い。いまどき、子どもの”皆勤賞”にこだわる親は少数派なのかもしれません。

 野生生物保護センターでイリオモテヤマネコを見たあと、島随一の高級ホテルのレストランに立ち寄ってみました。 私の背後には40代ぐらいの夫婦と、小学生の姉弟の一家4人が座っていて、メニューを見ながら品定め。微笑ましい家族の団らんです。 突然、男の子が小さな叫び声をあげました。「ランチ、2200円、安ッ!」「ウーム、これは小学校低学年のセリフじゃないよなあ。こいつはふだん何を食ってるんだろう?」思わず振り返ってその子を見ました。

 小太りの男の子はいかにも学校でイジメにあうタイプ。IT長者風のお父さんは娘と息子に「人生ここ一番という時は競争に競り勝たなければならないよ」などと人生訓を垂れているのが聞こえてきます。

 男の子は悪びれる様子もなく「パパ、会社設立一周年記念おめでとう、ママ、お誕生日おめでとう」と乾杯の音頭をとって食事が始まりました。 我々団塊の世代くらいまでは、本音は疑わしいけれど、「いつかは世の中の傘になれよ(おふくろさん、森進一)」と教えられて育ったものですが、ホリエモン世代はストレートに「競争に競り勝て!」と子どもの尻をたたいているんですね。

 日本が将来、安倍首相が望むような「美しい国」になることは期待薄です。

2007年11月21日水曜日

「カンテサンス」

 グルメ界でもっとも権威のあるミシュランガイドが初めて日本版を出すことになりこのたび全容が公開されました。

 本場パリでも三ツ星は10軒しかないのに和洋食合わせ8軒が認定された東京は世界でも最高のグルメ都市であることが証明されたことになり、マスコミもおおはしゃぎで報道していました。

 さてその中の1軒、白金台のフレンチ、「カンテサンス」は10月に上京したおりにランチを食べに寄った店で相当なインパクトがありました。若いシェフ、岸田さんが創り出す料理はどれもこれも手品みたいで繊細優美にしてなおかつ力があるのです。

 カンテサンスが店を出したのは昨年の3月のこと、オープン以来ずいぶん話題になったのでいきなりの三ツ星も東京のグルメたちには当然と思われていたようです。 田舎者の私としてはシロガネーゼらしきヤングセレブマダムたちに夾まれてまるで料理と雰囲気に対決しているような気分でした。

 カンテサンスのいったい何がこんなに力強く迫ってくるのか冷静に考えてみたところ、岸田さんの料理は知性によって創られているからに他ならないという気がしました。

 伝統、格式、こだわり・・・などと形容される料理とはいっさい無縁。若いシェフが織りなす料理は舌だけでなく大脳にも直接訴えかけてくる最高のパズルで3時間は十分遊べます。

 席に着いたときは緊張したものの600種あるというワインをお任せで注いでもらっているうちにすっかりうちとけてきました。たまにはこんな昼食もいいものです。

  最後にシェフ自ら私が街角に消えるまで見送ってくれました。好感度は↑↑↑ 、三ツ星ならぬ三矢でした。

2007年11月13日火曜日

御侍史

 「御侍史(おんじし)」という古めかしい敬称をこのごろよく見かけます。高齢の両親をあちこちの病院に連れていくとき、かかりつけの先生が紹介状を書いてくれるのですが、その表書きに添えられているのがこの「・・先生御侍史」です。

 「御侍史」、耳慣れないこの言葉の意味をさぐってみると、どうやら「直接あなたに手紙をお渡しするのはぶしつけなのでお側仕えの人を通して便りを差し上げます」と意味らしい。 「お側仕えの人」が大先生の秘書のことを意味している限りは、古い慣習が残っている医者の世界のこと、門外漢が文句をつける筋合いのことではないのかもしれません。

 しかし現実には、紹介状は患者あるいは患者の家族が紹介先に持参し、診察が終わると今度は紹介元の先生あてに所見などが書き込まれた手紙が託されます。表書きはやはり「・・先生御侍史」。

 よく考えてみると、紹介状を先生に渡すのは患者自身、ということは何のことはない、「侍史」あるいは「お側仕えの人」とは「患者様」であるはずの自分のことだったのか!とムカつきます。

 つい先日も父の目薬のことでA病院とB眼科クリニックのあいだを何度も紹介状をもって往復させられたことがあります。お側仕えどころか私は郵便配達夫か、と腹がたち、2往復目のとき看護師に「私も忙しいのに手紙を届けに何度もいったりきたりできません、なぜメールかファックスでやりとりしていただけないのですか?」と抗議したら即座に「プライバシーの問題がありますから」と言ってよこしました。

 「口は方便」とはよく言ったものです。

2007年11月10日土曜日

廃車/廃鶏/廃兵(未定稿)

関東は雨模様のようですが、岡山は快晴です。

 長年乗り続けている日産パルサー、23万キロ走ってなお酷使していたらついにエンジンルームから煙りが出てきて動かなくなりました。ラジェータに水を送るポンプが壊れたらしくもう廃車にしようと思いましたがポンプの交換を含め車検に出し、さきほど帰ってきました。「この車では遠出しないように」と車屋さんから言われました。ポンプやバッテリー交換も含めいっさいがっさいで135000円。良心的な修理屋さんです。

 修理屋さんの話では排ガスによる環境汚染に関して、私の車も新車もたいして変わらないそうです。でも自動車税は古い車には割り増し税をかけてきて納得がいきません。廃車にして新車を買うほうがよほど環境負荷が高いのに。

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 地鶏偽装問題で「廃鶏」という言葉が使われています。廃鶏といっても死んだ鳥ではなく、卵を毎日は産まなくなった鶏のことです。産卵率が悪くなると即食肉かペットフードにされてしまうのが鶏の運命。うちのニワトリたちは一番多いときで7羽いたのですが、今やたった一羽残るのみとなりました。もう卵も産まず庭で余生を猫相手に過ごしています。

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パリの観光名所にアンバリッドがあります。日本語で「廃兵院」という巨大ドーム型の建物で、ドームの真ん中にナポレオンの棺が鎮座しています。廃兵院!人権にうるさいはずのフランス人がすごい名前をつけるものだと20代のころ初めて廃兵院を訪れたとき感じました。廃兵とは戦場で傷ついた兵士のことで、廃人になってしまった兵が余生を過ごす場所が廃兵院。ただしあの壮麗にして豪華絢爛な建物に実際に廃兵が収容されたかどうか怪しい。高級将校クラスなら入れたかもしれません。

 前置きはともかく、廃兵(invalide) ということばは残酷。文字通り”価値のない人”という意味です。日本ならさしずめマスコミ禁止用語の筆頭になりそうな言葉ですが、この言葉はナポレオンの時代から200年も過ぎた今でも現役。パリの地下鉄の優先席の案内に使われています。曰く、この席は以下の順序で優先的に使用しなければならない。1位:廃兵 2位:妊婦 3位:赤ちゃんを連れたお母さん4位:年寄りみたいなことが明記されています。日本の「善意の席」だの「ゆずりあいの席」だのといった情緒的、なまぬるい表現とはまるで別世界の言葉です。

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 高い生産性や効率性を発揮する時期をすぎてしまったら、ニワトリでも車でも人間でもすべてはアンバリッド(英語:invalid)として扱われます。母の介護にかなりの犠牲を払ってがんばっていますが、肝心の医者が本質的には母を廃人としか見ていないのがつらいです。年寄りばかり診ている医師は生命を霊的な存在として認めることができなくなるのでしょうか。

2007年11月7日水曜日

連帯保証人

 大学生になって親元を離れる日、母から一言だけ注意をうながされました。「いかなる事情があっても連帯保証人になってはいけない」と。それは母自身、母の父親が寺の和尚にだまされて連帯保証人になったばかりに身代をつぶしてしまった苦い体験があったからです。

 さいわい人望のない私に連帯保証人になってくれというような話はこれまでの長い人生で皆無でした。ところが最近、若い人からマンションを借りるのに連帯保証人になって欲しいと言われおおいに当惑しているところです。

 そもそも公務員を辞めて無収入の人間が連帯保証人になどなれるわけもないのですが、それでも早くに両親を亡くした若い知人にとって保証人探しは大変だろうと同情します。

 ふりかえってこの連帯保証人の制度を調べてみるときわめて日本的な制度らしいことが分かりました。とりわけ不可解なのは保証人の責任が無限に大きい割には報酬が支払われることがまれなこと。

 頼む方は友人や親戚に泣きつかんばかりに哀願して保証人になってもらうくせに後は知らん顔。

 一方連帯保証人にされた人はいつも「甥っ子のヤツ、公金に手を出さないだろうな」とか「セクハラ事件なんか起こさなないだろうな」とときおりうずく虫歯のような不安をかかえて何十年も過ごさないといけません。

 まして金がからむとたちまち青木雄二の漫画「ナニワ金融道」の地獄に直行です。意味のない連帯保証人の制度は公序良俗に反する行為として民法から追放することはできないものでしょうか?