2018年11月30日金曜日

左大腿骨「内軟骨腫」発見される!

大学病院の腎臓内科で内臓全体のCTを撮る。医師から大腿骨に軟骨腫所見があるので整形外科で診てもらってくださいとのことで翌日(11月29日)再び病院へ。2週間後にMRI検査することになった。症状がないのでたぶん様子見となるらしい。いつからそんなものができていたのか過去のCT画像を検索してもらったら平成15年の画像にはすでに現在と同じくらいの陰が写っていた。今後は年1回経過観察するようだ。

体重を落として骨に対する負荷を減らそうと決意。ただ今96.5kg。来週木曜日までに93キロにしたい。(来週は市立病院で定期検診あり。体重が落ちないのでこのままでは行きにくい)

内軟骨腫 → enchondroma (E)
                   

2018年11月28日水曜日

職務質問

3か月に1度、倉敷市中庄にある大学病院に出かけています。以前から腎機能がやや低く、専門医による経過観察を受けているのですが、ここ数年それなりに安定して推移してきました。岡山市の自宅から中庄の病院までは愛用の電動アシスト自転車を駆って田んぼ道をスイスイ飛ばします。晴天続きの晩秋のサイクリングは快適そのものですが、今日は空模様が怪しく診察が終わったら、茶店になど寄らないで雨が降り出さないうちに帰宅するに限ります。
今日の診察結果ですが、これが私の予想に反して少し数値が悪くなっていました。医師からは「しばらくは毎月1回来院してください」との指示があり、会計を済ませて足取り重く駐輪場に向かいました。
私はいつも交通量の多い旧国道を避けて病院の南側の生活道路を通って田んぼ道に出ることにしています。どの家の庭にも柿がたわわに実り平和な光景です。しかし今日のあまり芳しくなかった診断結果に悄然としながら自転車をこいでいたら正面から道幅いっぱいにパトカーがやってきました。私は道がちょっと広くなっているところによけてパトカーをやり過ごそうとしたのですが、警官は車から降りてこちらに来ます。
「道を譲ったくらいでわざわざ降りてご挨拶してくれなくても……」と思った私は何とおめでたい人間でしょう。「この自転車はあなたのものですか?」これが警官のご挨拶でした。私が16,7歳の少年ならともかく、真っ昼間に70歳の老人がしょんぼり自転車に乗っているのを見て、自転車ドロと疑うのはいったいどういうこと、と思いました。
「近くの人ですか?」、「違いますけど」などと言っているうちに彼らは目ざとく防犯登録シールを読みとったのでしょう。「名前は?」、「パナソニックの、えーと何という名前だったかなあ」、「いえ、ご主人の名前は?」と漫才みたいなやりとりでした。
それにしてもこの電動アシスト自転車はパナソニックとビームスのコラボ商品でなかなかスタイリッシュな仕上がりです。若い人が乗るのも素敵ですが、自動車を捨てた自然愛好派熟年にもよくマッチしているはず、私のセルフ・イメージはおよそこんなものでしたが、他人から見ると自転車泥棒でもしかねない、けしからん老人なのですね。悲しいです。



2018年11月20日火曜日

2年ぶりのバンコク


 10月末に35日の日程でバンコクに行ってきました。旅先で特に行きたい場所があるとか知り合いがいる訳でもないのに、しばらく行かないと何となく出かけてみたくなります。秋のバンコクはよく晴れて暑すぎることもなく、以前に比べ街も落ち着いて感じられました。
 旅先の土地ではタクシーにはまず乗らない私にとって市内を縦横に走る路線バスほど頼もしいものはありません。地下鉄や高架軌道線(BTS)は路線が少なく、駅の階段を上り下りするだけで足にきてしまいますが、次から次へとやってくるバスはボロいけれど本当に便利です。今の時代でもバスには車掌さん(おばちゃんが多い)が乗っていて、乗車するとすぐに切符を売りにきます。
 車掌さんは、私が財布の中のコインを全部取り出し手のひらに載せておくとバス賃を取ってくれます。いつも感心するのは彼女たちの記憶力です。路線バスといってもかなり長距離を走り、停留所毎にお客の乗り降りも激しいのですが、一度料金を支払ったお客にまた切符を買えと言うことは絶対ありません。また停留所でバスの前後の乗降口からどっと乗り込んでくるお客から料金を取り忘れることも決してありません。
 バンコクの路線バスでもICカードの普及を目指しているのですが、見たところカードで払っている人はほぼいませんでした。こんなところはキャッシュレス社会になってしまった中国とは大きな違いがあります。
 一方、高架軌道線(BTS)ではICカードがかなり普及しているようでした。乗車するたびに券売機の前に並ぶのは大変なので15回回数券を買ったのですが大失敗。4日ほどの滞在期間では15回も乗車する機会がありません。有効期限も設定されているので、滞在最終日、切符売り場に並んでいた若者に「これまだ使えますのでどうぞ」と声をかけてみました。笑顔ながら固辞されました。

 考えてみれば言葉の通じない外国人が差し出すカードなんて意味が分かりません。押し売り、あるいは残高ゼロのカードを売りつけるケチな詐欺師? と疑われたのかという気もしますが、そもそもタイの人々はプライドが高く、見知らぬ人から言われなき施しを受けることなど彼らがいちばん嫌うことだったに違いない、と自分の独善的、軽率な行為を大いに反省したタイ旅行でした。

2018年11月14日水曜日

広島平和記念資料館

 だれもが一度は訪れたことがあるであろう、広島の原爆資料館に何十年ぶりかで行ってみました。私が初めて行ったのは学生時代、1970年前後だったと思います。背中の皮がベロンと剥がれた人が逃げまどうレプリカなどが展示してあり、原爆の恐ろしさが如術に伝わってきました。
 ところが半世紀後の現在、公園はきれいに整備され木々が茂り、館内に入ってみると明るい空間が広がり、修学旅行生や外国人観光客でいっぱいでした。外国からの訪問客は一様にゾッとしたような表情でたたずんでいたのに対し、修学旅行生たちは割合平静な様子でした。
私も「何かおかしい、展示物が昔ほどは私に訴えかけてこないのはなぜ?見た後しばらくは夜中にひきつけを起こすくらい強烈な印象だったのに」と思いました。かつてのあの救いがたい感覚、恐怖、暗さ、絶望が入り交じった感覚がわいてきません。その理由を少し考えてみました。
 耐震工事中のせいもあって展示場の面積が縮小されていること、明るい照明と快適な空調の展示室からは以前の生々しい悲惨な展示物が減り、逆に日記や手紙など間接的な資料が増えているように見受けられました。
 いっとき原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」が図書館の書架から撤去され、子どもの目に直接触れないようにした事件が話題になりました。学校では幼い子どもにそういう配慮も必要でしょう。しかし広島原爆資料館は長崎とともに原爆の悲惨さを伝える世界で唯一の施設です。いかにそれが正視しがたい残酷なものであっても、現実に起きたことをそのまま伝えること以外にこの資料館の存在理由はありません。
  ためらいながらも私は事務所を尋ね、担当の方に展示方法について上記のような印象をお伝えしました。人が焼けこげるニオイ、絶望が伝わってくる、かつての展示方法に戻すべきではないか、説明文ではなく展示物をしてみずからヒバクを語らしめるテクニックが貧弱なのではないか、と。しかし資料館の印象が薄くなった本当の原因は、展示方法のまずさもさることながら、194586日の灰燼に帰した広島も70余年の歳月とともにすっかり復興し、原爆の恐ろしいイメージも時代とともにすっかり風化してしまったことに依るのではないか、そんな気もしました。
 余談ですが、館内にはボランティアの「語り部」のおばちゃんがそこここにいて、おばちゃんどうし楽しげに談笑していました。声をかけると急に真面目モードになりよどみなく原爆被災の様子を生き生きと語ります。彼女たちは見たところ70歳代で直接被爆体験した世代ではないようです。意義ある生活をしている実感があるし、老化防止にぴったりのお仕事です。資料館の外の公園には被爆したアオギリの木があり、ここではおじさん語り部が原爆から生き残ったアオギリの説明をしていました。

2018年11月10日土曜日

ミズナ植え替えなど

タマネギは種から育てた苗300本だけにしておこうと思っていたのに、ホームセンターで赤タマネギの苗が苗ポットに密植されたものが120円ほどで売られているのを見て衝動買いしました。苗をばらしてみると約30本ありました。コスパ最高。一本一本の苗はふつうの苗より細く弱々しいのですが、それでけっこう。一人暮らしでは大きなタマネギは使いづらいのです。

さらに、今度は同じホームセンターで比較的状態のいい赤タマネギの苗が入荷していてまたも追加購入。50本の束です。もう植える場所がないのを無理して畑を作り密植しました。赤タマネギはあまり好きではないのになぜ合計80本も植えてしまったのか?それは謎です。

タマネギを植え終えたら何だかガーデニングに意欲が沸いてきて、種まき以来そのまま放置していたミズナ(水菜)の苗を定植しました。昔はミズナを生で食べる習慣はどこにもなかったのに今やサラダにミズナは定番です。苦みにイタリアのルッコラの風味があるからかもしれません。いっぽう昔のミズナはうまく育てると一株で2~3キログラムぐらいになります。漬け物にしたり、アゲやクジラ肉と一緒に炊いたりしたものです。2月末になると畑の白菜や大根など冬野菜がトウ立ちし始め味覚が悪くなりますが、ミズナはトウ立ちする直前に一段と大株になり味もよろしい。

定植したのは10センチぐらいに育った苗ですが、大小いろいろ。大株や小さめの株ができる方が使いやすいです。

スナップエンドウも2,3日前に種まきしました。ホームセンターではもうかなり大きくなった苗を売っていますが、遅蒔きしてもそれなりに収穫できます。今年は秋に暖かい日が続いているので月末までには苗ができるものと期待してます。月末に里芋やキクイモを堀り上げた跡にエンドウを定植するつもりです。


2018年11月7日水曜日

カナダからのメール

昔、平尾昌晃作曲の「カナダからの手紙」という歌がありました。歌詞の内容はほとんど記憶にありませんが、畑中葉子とのデュエットでセンチメンタルながら楽しい歌でした。日本人がカナダに対して抱くイメージは隣国アメリカのイメージと少し違い、この歌のように何となくロマンチックな要素もあるようです。
実際、米国は軍事力、国際政治力、映画IT産業、ポップカルチャーのいずれの分野でも世界に君臨し続け、陰に陽に世界に貢献し、また同時に圧迫もしています。弱肉強食、銃器による自己防衛は彼らにとって何の違和感もないようです。反対にカナダは形式的には立憲君主制で元首はエリザベス女王。その名代として総督がカナダ首相の上に君臨していることは日本では案外知られていないのではないでしょうか。英連邦の国だけあって社会制度や文化にはヨーロッパの理性と香りが感じられます。
さてそんなカナダですが、今年春に来日し、いっしょに楽しく京都や奈良観光をしたカナダ生まれの従姉妹たちからのメールが秋口からパタッと途絶え、何度かメールを送ってもなしのつぶてです。悪い想像をしてしまいます。“従姉妹達もみんな7080代ともなればだれが突然がんになっていてもおかしくない、事実すでにふたりは故人となっているし、あるいは総勢30人は下らない子どもや孫の家族に何か心配事でもあるのではないか?”などと不安がつのります。遠回しに探りを入れようにもそんなツテはないし、電話はなぜかいつも留守電です。7月の倉敷豪雨の際はしつこいぐらい私の安否を尋ねてきた彼らがもし無事なら私のメールを無視するはずがない……。
やっと連絡がついた従姉妹はメールの冒頭で「I’m sorry, 連絡を取らなかったことについてどんな申し開きもできないわ」と言いつつも、神戸台湾クルーズに続いて夏は香港、9月はみんなでハワイへクルーズ、来週はカリフォルニアのパームスプリングスでゴルフ三昧、おまけにマンション管理組合の理事職、ボランティアなど毎日忙しいのよ! と達者ぶりをアピールしていました。
いやはやよかった! 便りのないのはいい便りと昔から決まっているのに、遠隔地にいるとお互い心配がつのります。みんな高齢になりクリスマスカードで年1回は生存確認する意味がますます大きくなってきました。

2018年11月5日月曜日

タマネギ苗を植えました

(2018年11月5日)

9月に約300粒、種まきしたタマネギの苗が定植の適期になり畑に植えました。タキイ種苗の「平安球型黄」という晩生種です。タキイのホームページを見ると、この品種は植える間隔は10センチと密植するように書いてあり、そのような間隔にしました。タマネギ栽培には黒マルチが雑草防止の観点からもいいそうですが、作業がしにくい上に根を広げて植えることができないので、ふつう通りに植えました。そして近所の農家からもみがらをもらってきてマルチしました。
タイ旅行から帰ったばかりで体が非常に重く、しゃがんで植えるのは無理で、両膝を地面について、はいつくばるようなかっこうで作業をしました。
今日は南風が吹き込んで汗ばむ陽気でした。大きい苗も小さい苗も一本もむだにすることなく植えました。
考えてみると、たまねぎは案外長寿な野菜であることに気づきました。
最初の年の9月 種まき、発芽
(同)       11月 定植
翌年5-6月  収穫、利用しながら玉吊り保存。
翌々年3月ごろ 保存の限界。この時期は北海道産のものがほとんど。そして九州産新タマネギが出回る。

固定種のタマネギなら自家採取できるので一度やってみたいと思います。市販の種はほとんどF1で300粒ほどの種が400円前後します。高いなあと思うのですが、よく考えたら採種用のタマネギ1個から採れる種の数はそう多くはないはずで、高いのも無理ない気がします。
(と、ここまで書いてネットで調べてみると、採種用に植えたタマネギは株が4~5個に分球し、それぞれ花茎を伸ばすようで、種も相当採れるみたいです)。




世界一高い仏塔

バンコクから西約50キロメートルほどの大平原の中に高さ120メートルの仏塔があります。仏塔がある町、ナコーンパトムまで行きは国鉄、帰りはバスで見物に行きました。交通費の安さには驚かされます。片道200円ほどです。ちなみにバンコクの地下鉄は距離別料金ですが一回乗車すると約120円です。
仏塔は駅前にあり予想していたものよりはるかに壮麗!4世紀ごろ原型の仏塔が建てられたとか。世界遺産申請中だそうですが、早急に実現すべき価値があると思います。
塔の内部には入れませんが、外壁のところまでは自由に行けました。

しょっちゅうバンコクに行く私ですが、郊外にこのようなすばらしい建物があることを知りませんでした。観光客もほとんどなく、駅から仏塔までの参道(?)には素朴なおみやげを売ってる店は何軒かありましたが、レストランがなく困りました。コンビニでおにぎりとサンドイッチを買って食べました。