2021年12月27日月曜日

12月の出来事

 12.7 従姉のミユキさん逝去、92歳

12.8 川崎医大整形外科 肩のレントゲン撮影。腱板損傷、右腕を上げるのがとてもつらい。

12.10 川崎医大腎臓内科、梶木病院整形外科。

12.11 真庭市にある佐田建美(株)訪問。行灯を作る。帰りに十字屋迎賓館訪問。

12.15 上京、JAL12:15-13:25 ホテルサンルート新宿泊。

12.16 ホテル・オークラのロビー見学。大倉集古館で開催中の篁牛人展観覧。

12.17 帰岡、JAL16:50-18:10 岡山空港吹雪。

12.19 大阪、黒門市場、神田君と寿司、エスペリア・イン泊。

12.20 梅田、お初天神の瓢亭で昼食、北新地からJR山陽本線で帰岡。

12:25 富有柿のジャムを作る。

12.26 年賀状10枚ほど書いて投函。月下美人、レモンの鉢を室内に取り込む。

12:27 ブログまとめ書き。


2021年12月2日木曜日

衰えゆく身体機能

一人暮らしをしていて気をつけなければならない最大のポイントはできる限り健康を保つこと、自立した生活をすることだろうと思います。現在の私の体の状況が果たして健康といえるのかどうか、自分では健康と思っていても病院で3か月ごとの定期検査を受けていると体中あちこちいろんなことを指摘されます。

高血圧、腎機能低下、高コレステロール血症、前立腺肥大症そしてこれらを引き起こしている元凶の肥満。いずれの項目も長年病院で見てもらっているのにちっとも改善しないし、かと言って急速に悪化している様子もありません。ただそれぞれの症状に合わせて処方される薬の種類が年々増えてきました。

こうしたいわば持病に加えて、この秋には右肩に激痛が居座るようになりました。50肩ならぬ70肩(?)でしょうか。数日様子を見ても痛みが引かないので整形外科を訪れたら筋肉痛とのことでした。毎年晩秋になると庭の渋柿を採って干し柿を作るのですが、今年は柿の皮むきをしたときにちょっと手首が痛いなと感じました。思い当たることと言えばそれぐらいしかないのですが、例年柿を500個むいていて何ともなかったのに、やはり年々老化が進行しているのかもしれません。

また数年前突然味覚障害と嗅覚障害を起こし、味覚障害は1週間ほどで回復したものの嗅覚はいまだにほとんどありません。

しかしながら体のすべてが悪いとこだらけというわけでもなく、いいところもいくつかあります。なかでも抜群の視力により眼鏡いらずの老後生活を送れているのはラッキーとしか言いようがありません。

40歳後半ごろ老眼が始まり、手元の地図や本の活字が見にくい時期もありました。いちおう度数の低い老眼鏡も購入したのですが、家の猫たちがおもちゃにして壊してしまい、それ以来がまんしていたら老眼が直ってしまったのです。

いまでは小さな活字の文庫本でもスマホの小さな画面にぎっしり表示された株価ボードの数値もくっきり、遠方の景色や信号機・交通標識もばっちり。オールディスタンスOKです。もちろん裸眼のままで手術なんかしていません。「老眼を数年間がまんしていたらすっかり直りました」と主治医に言っても、信じてもらえないのは不本意なのですが……。


2021年11月22日月曜日

甥っ子


 兄夫婦とはまったく馬が合わない私ですが、甥や姪はまた別です。かわいいし、どうしているのか気になるものです。コロナが収束したおかげで東京に行くのがずいぶん楽になり、この秋毎月のように2泊3日で上京しています。東京からの帰りの日、岡山行きの夕方の便までかなりの待ち時間ができたのを幸いに甥っ子を東京駅まで呼びだしてみました。土曜日で家にいました。甥は国土交通省職員で嫁さんは裁判所の書記官、子どもなしです。

 子どものころからカナダに2回、ヨーロッパにも一度連れていってやりかわいがってきたつもりでも、甥っ子から見れば、私という叔父さんがどんな人物に見えているのか見当もたちません。嫌われているふうでもなく、素直に東京駅八重洲口に現れました。地方大学出身の甥より私の方が東京の街に詳しいということもあり、まずは日本橋の丸善書店に向かいました。

 私の学生時代は、今のようにネットで簡単に洋書が買える時代ではなく、都内でも数少ない洋書の在庫が充実した丸善と新宿の紀伊国屋書店は私の遊び場でした。丸善は「ハヤシライス」の発祥の地とも言われ、甥っ子と店内のカフェに入りました。名物のハヤシライスを食べながらよもやま話をしていたら、甥が「明日、神戸に行くつもりだ」と言いだしびっくり。聞くと大学時代の友人がこの夏、心不全で亡くなりゼミ仲間とお墓参りに行くとのことでした。未亡人も同じゼミ生だったそうです。

 私のように70歳を過ぎれば学生時代のクラスメートの訃報を聞いても「ああそうか」程度しか心が動かなくなるものです。誰が先に逝くか多少順番が入れ替わる程度の話ですが、甥の年齢ではまるでトレンディドラマのストーリーみたいです。そんな悲しい彼の話を聞きながら、何を考えているのかさっぱり分からない甥っ子にも彼なりの人生観、喜びと悲しみがあって、人生と戦っているのだなと思いました。

 会計伝票が来たので、私が「叔父さん、たまには僕に払わせて下さい」という言葉を聞きたいなあ、と言ったら「たまには僕に……」というので大笑い。ハヤシライス代ぐらい叔父さんが払うので、やがて来る叔父さんの後始末だけはお願い、とたった一人しかいない甥っ子に無言で望みを託し羽田空港に向かいました。


2021年11月21日日曜日

晩秋の東京2021

 11月17日、大阪・天王寺で開催中のニューヨーク・メトロポリタン美術館展を見る。

天王寺から伊丹空港までバスで移動。阪神高速環状線が閉鎖中で福島入口まで阿弥陀筋を北進。危うく東京予約便に乗り遅れるところだった。

東京1日目 新宿泊。

東京2日目 新宿御苑散策、千駄ヶ谷門、国立競技場、神宮外苑の絵画館見学、銀杏並木を経て青山通りを赤坂見附方面へ、赤坂御用地、カナダ大使館、赤坂見附の寿司屋(魚岸日本一?)でにぎりと生ビール。

銀座線で日本橋へ。東京センターホテル。後睡のあと藪伊豆で鴨せいろ蕎麦。銀座線上野、日比谷線茅場町、センターホテル泊。

東京3日目 センターホテルから丸の内、三菱一号館美術館まで歩く。イスラエル博物館展見学。丸ノ内線東京駅から新宿3丁目、伊勢丹へ。伊勢丹メンズ館、本館地下食料品売り場で弁当、イタリアのサラミソーセージ、クロワッサンなど買い込み、東横インで夕食。

11月20日 東京4日目 帰岡

新宿御苑前バス停から都営バス97番品川高輪口行きに乗車。京急品川から羽田空港へ。午後便は6時発岡山行きしかなく、裕に電話。リュックサックだけチェックインしてモノレール、山手線で東京駅へ移動。裕と合流。高島屋、丸善。丸善で裕はハヤシライス。朝のサラミやホテルの朝食がまだ胃につかえていたのでコーヒーフロートのみ。

再び羽田空港へ。浜松町で寿司とビール。19時20分岡山空港到着。岡山駅構内の新宿さぼてんでトンカツ定食。妹尾のマンションに帰り、入浴、就寝。長い1日だった。




2021年10月29日金曜日

鞍馬・貴船ハイキング

 10月27~28日の1泊2日で、秋の京都探訪第2弾のプティ登山をしてきました。洛北の観光地として、比叡山や大原三千院、花脊峠などへは若いころ何度か行ったことがありますが、鞍馬天狗と義経、火祭り、紅葉で人気の鞍馬は年中人が多そうで長年敬遠してきました。外人観光客のいない今が千載一遇のチャンスです。

前泊した大阪淀屋橋でいつもの相棒K君と落ち合い京阪電車で出町柳へ。K君はクローン病でしょっちゅうトイレ(大)に、私も前立腺肥大症でトイレ(小)が近く、バイオリズムが合います。私が53歳で早期退職したのを見習ったのか、K君は38歳で退職。30歳で引退したジャン・ジャック・ルソーには負けていますが、もう一生働く気はないらしい。

さて京阪特急はあっという間に出町柳に到着。叡山電鉄に乗り換えました。叡山電鉄鞍馬線は2020年夏に発生した落石事故で1年以上運休していたのがやっと再開したところでした。しかし日本でも有数の北山杉の美林が広範囲に無惨な荒れ方をしていました。地元の人に聞いたら、平成30年の台風で深刻な被害を受けたそうです。関空が沈没し、連絡橋が壊れたあの台風です。

鞍馬駅周辺は案外飲食店、お土産屋が少なく、本堂、奥の院を目指して厳しい階段登りが続きます。寺域を越えて山を登り続けると、貴船に降りる古道につながり、急な坂を下ると、京都のブルジョワジーの密かな楽しみの聖地、貴船の料理旅館街へ到着です。

川床はつい先日、今年の営業を終えたばかりでした。山歩きしたあといきなり、料亭の座敷にトドのような体を投げ出して「女将!、とりあえずビール」。シアワセ!。鯉の洗いなど勧められるままに。「においもクセものうて美味しおすえ」なんて女将は言ってたけど、川魚ならやはり鮎にすべきだったと思いました。貴船神社には桂の大木がありました。黄葉の桂を見たのは初めてです。まだ歩ける!まだ生きている!ことを確認できた鞍馬貴船ハイキングでした。



帰路はパンパンの足では四条河原町の喫茶店「フランソワ」に寄る気力もなく、京都駅から新快速姫路行き、山陽本線と乗り継いで猫どもがまつ岡山に向かいました。なお、ICOCAカードは200キロメートルを越える乗車には使えないとのことで岡山駅では窓口精算となりました。

2021年10月27日水曜日

2年ぶり東京1泊旅行(雑誌掲載版)

 10月下旬、全国的に新型コロナ感染者数が激減した時期を狙って東京に行ってきました。昨年の正月明け、リニューアル・オープンしたばかりの東京京橋にあるアーティゾン美術館に行こうと思っていたらコロナが始まり、今日まで2年近く東京に出かけることを控えていたのです。

 アーティゾン美術館とはかつての「ブリヂストン美術館」であり、ブリヂストンの本社ビル建て替えに伴って、最新鋭の設備と機能を備えた美術館として数年がかりで全面リニューアルされたものです。

高校生のころ初めて訪れたブリヂストン美術館で出会ったセザンヌの「サント・ヴィクトワール山」は終生忘れられない名画としていつも私の心の中にあります。東京で学生生活を送っていたころ、関西に居を移してからも、そして岡山で老後生活をしている現在も上京の機会があればこの絵に会いに出かけてきました。

新美術館は現代の絵画作品の大型化に対処できるよう天井が高くとられ、また欧米での最新の展示技術、観覧予約システム等も採用していて、世界水準の美術館になっていると思いました。ただ館内の照明が全般に一様に明るく平板で、ひとつひとつの作品が広い空間に埋もれているような印象を受けました。「サント・ヴィクトワール山」も高校生のころ初めて訪れたときの暗い展示室に浮かびあがる圧倒的な迫力がかなり減衰して感じられました。美術館の運営に何の力もない1ファンが自分の思うような展示方法を望むのはしょせん無理な話ですが。

東京に行った帰りにもうひとつ長年気になっていた熱海のMOA美術館にも初めて行くことができました。宗教法人「世界救世教」の創始者岡田茂吉のコレクションが所蔵展示されている美術館です。長いエスカレーターを何台も乗り継いで展示室に至る壮大な構造の美術館にびっくりでした。ちょうど「琳派展」が開催中でしたが、観客も少なくゆっくり国宝級の絵画や工芸品を間近に鑑賞できてラッキーでした。

二つの美術館をパパっと回ってみたのですが、コロナ禍ですっかり乾いてしまった私の心にみずみずしい「気」が戻ってくるのが感じられました。MOA美術館の庭園から見渡せた伊豆の海のように、ポストコロナの世界はきっと青く澄み渡った豊かなものであろうと心が高鳴りました。

写真、上2つはアーティゾン美術館

下は熱海、MOA美術館







薔薇と菊

 昨日(10.26)、いつもの散髪屋で髪を切ってもらっていたらちょうど眞子さまの結婚会見が目の前のテレビに映し出されました。小さなピンクの薔薇のブーケをもった眞子さまが家族と別れるシーンは映画の中のシーンのように感動的でした。ただ弟君がいなかったのはなぜかな?という気がしました。

 今朝は朝からモーニングショーで改めて会見のシーンを流していて、眞子さんというのはなかなかの人物だなと思いました。長い皇室の人物伝の中で一休宗純(いっきゅうさん)に並ぶ傑出した人だったのではといったらおおげさかも知れませんが、すごい人だと思います。ちなみに一休さんは自らを狂雲子と呼び、幼名は千菊丸、号は夢閨(むけい)あるいは国景(こっけい)と称し、なんとなく「こむろけい」の字面が並ぶのは悪い偶然でしょう。室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で詩人、説話のモデルとして知られていますが、出自は後小松天皇の落胤と伝えられています。
晩年の一休和尚は70代後半になって盲目の森女(しんじょ)を愛人にし「一代風流之美人」と玉のように森女をいとおしんだそうです。森女は20いくつで一休より50歳も若く、一休によれば楊貴妃並の美貌だったとか。今ふうに言えば彼女は盲目のシンガーソングライターだったのでしょう。「憂きもひととき、嬉しさも、思ひませば夢候よ」(森女)
一休宗純は当時の平均寿命の倍の87歳まで生き、マラリアで亡くなったのですが、臨終の言葉はかの有名な「死にとうない」でした。悟りを開いた高僧の最後の言葉に一休さんの非凡さがよく現れていると思います。墓所は21世紀の現在でも宮内庁が管理していて立ち入りできないということです。眞子さまもあらゆるスキャンダルにも耐え(屁とも思わない?)、ニューヨークでの新生活を男に用意させ、最後の会見でも「しおらしさ」のかけらもない堂々とした主張をしていたことにわたくし岡は参りました。
 
眞子さまから連想する女性がもう一人います。スタンダールの「赤と黒」に登場するマチルドです。小説の後半、パリに出た田舎者のジュリアン・ソレルが出会って結婚するドラモール公爵の娘です。ジュリアンとマチルドの恋愛はまるで2匹の猛獣が取っ組み合いの喧嘩をしているような凄惨なものでした。父親の公爵にとって執事というか住み込み下僕と思っていたジュリアンがまさか娘のマチルドと出来ていたなんてとんでもない悪夢。「公爵の令嬢が大工風情のせがれと結婚する!?」気が狂いそうになりますが、マチルドはジュリアンにぞっこんでどうしようもありません。1830年のパリは王政復古の時代で21世紀の日本などとは比較にならない貴族社会でしたから、秋篠宮の苦悩などかわいいものです。そもそもプライドが高い小娘のマチルドがなぜ下層民のジュリアンに惚れ込んだかというと、マチルドは貴族社会に生まれて退屈しきっていたのです。「美貌、才能、名声、財産、私にはすべてがそろっている。ああ幸せだけを除いて!」と16、7の小娘が日々鬱々と過ごしているところへ、とんでもない魅力的な若者が公爵邸に就職してきたのです。
父親の秘書、ジュリアンソレルは大変な美貌の持ち主だったうえに、誇り高く、野心に燃え、何を考えているのかつかみどころがない。貴族社交界にはいないタイプ! マチルドにふさわしいと思われていた婚約者の貴族青年ドクロワズノワなどは要するにかっこばかりつけていざというとき何の力もない唾棄すべき存在だったのです。
ジュリアンとマチルドの結婚は、しかしハッピーエンドにはなりませんでした。ジュリアンが昔の愛人、レナール夫人を教会で銃撃し大けがを負わす事件を起こし、死刑の判決を受けます。マチルドは陪審員を買収してでも夫を救出しようとするのですが、ジュリアンはこれを拒否。レナール夫人と過ごした幸福な日々を思い出しながらギロチンの露と消えていきます。ジュリアンの葬儀ではマチルドは何万枚もの金貨を用意させ、葬儀参列者に金貨をばらまくというトンデモアイデアを実行します。マチルドによれば後々、人々がジュリアンソレルのことを思い返すとき、ジュリアンのイメージ(成り上がり青年が痴情事件を起こして死刑にされたというぱっとしないイメージ)に金貨が投影されて輝かしいものとして連想される効果を狙ってのことでした。いっぽうレナール夫人もジュリアンの死の数日後後を追うように死にます(死因は述べられていません)。
 
ながながと書いてきましたが、眞子さまの強い意志の背後に何があるのかは想像できませんが、皇室には一休宗純のような人物が血脈の中にいること、19世紀のフランスにもマチルドのような人物が文豪スタンダールによって描かれていたことなどを勝手に結びつけて、私の感想といたしました。菊のカーテンを破って現代のバビロン、ニューヨークへ。私でも若さと才能と財産があったらこんな田舎生活はすぐさま捨ててニューヨークに行きたいものです。
 

2021年10月24日日曜日

東京1泊旅行2021/10/22-23

 東京のコロナが激減しました。でもタヌキ婆さんが25日にはあらゆる規制を解除すると記者会見で述べているのをニュースで見て、来週からまた感染が増大するに違いないと思い、上京するのはこの週末以外ないと判断、実行しました。

念願のリニューアルオープンした後のアーティゾン美術館を訪れました。以前のブリヂストン美術館時代に比べ展示面積が増え、天井が高くなり、また最新の美術館運営テクノロジーが駆使されていることなど、数年がかりで建て替えただけのことはあるなと思いました。ただ照明が均一で平板なものになっていてもっと部屋を暗くし、作品にスポットをあてて欲しかったという気がしました。

夜は新宿で学生時代以来50年ぶりにジンライムを飲みながら楽しい時間を過ごしました。心が若返りました。やはり東京は特別な街。お店の皆様ありがとう。

23日は日本橋の高島屋と丸善に寄りクリスマスカードなど物色。でも買うと荷物になるので岡山の丸善で買うことにして東京駅へ。熱海のMOA美術館を初めて訪問。琳派展開催中。エスカレーターを何回も乗り継いだ先に展示室があり、山の地形を生かした美術館の構造にびっくり。

さて、帰りは羽田に引き返すか新幹線でそのまま帰るか迷ったけれど、新幹線にしてしまい後悔。こだまは遅すぎ!しかも岡山に着いたとき岡山空港に置いてきた車を取りに行くための最終バスに乗り遅れ、本日改めて車を回収。教訓。飛行機で出かけたら飛行機で帰ること!

次また上京の機会があったらせめて2泊しよう。

写真(上) アーティゾン美術館

写真(中) MOA美術館、尾形光琳「虎図」




MOA美術館から房総半島、伊豆半島、伊豆大島が遠望できました。


2021年10月20日水曜日

衆議院選挙2021雑感

 東京オリンピック・パラリンピックが終わるや否や政局が大きく動き、10月下旬、わずか10日余りの衆院選が始まりました。すでに期日前投票が開始されているというのにまだ手元に投票所入場券が届いていないという前代未聞のあわただしい選挙です。31日の投開票というのは想定よりさらに1週間前倒しの選挙であり、事務を担当する市役所職員はてんてこ舞いだと思います。

しかし市役所職員の皆様よりさらに忙しい思いをしているのは他ならぬ立候補した先生方でしょう。なかでも県内選挙区割りの面積が異様に広い3区や5区を10日ちょっとで回り切ることは素人目にもほとんど不可能に思えます。

とりわけ瀬戸内海に浮かぶ島から鳥取県との県境に面する山間地まで包含する3区の中心的都市と言えば津山市ということになるのでしょうが、この広大な地域が地政学的にひとまとまりである要素はまったく見あたりません。候補者はいたずらに連日何百キロもの田舎道を走行してひたすら「お願いします」と連呼するだけで、地域の問題や国政に関する問題を有権者と意見交換することなど到底無理だと思います。

これは何も本県だけの問題ではなく衆議院選挙そのものがかかえている問題です。かつての広すぎる選挙区問題を解決するために導入した小選挙区制ですが、地方の選挙区は全然コンパクトになっていないうえ、都会の住民の選挙権の軽さに対する不満も増大する一方です。

それに加えてさらに複雑な仕組みの比例代表制が問題をややこしくしていて、結果的には見たことも聞いたこともない候補者が次々と当選していきます。1994年に改正された公職選挙法ですが、もうそろそろ足で歩く選挙区割り制度からデジタル時代にふさわしい、地域の人口に比例した議員が誕生する選挙システムを作っていくことを検討すべき時期にきているのではないでしょうか。

国内外の情勢が風雲急を告げるなか、コロナ、風水害、地震、火山噴火等々災害が連発する日本、そんな日本で政治に意欲を燃やす候補者の皆様には心から敬意を表したいと思います。有権者としては最低限投票という行動で候補者の意欲に応えるのが礼儀であり務めだと思います。

2021年10月15日金曜日

平等院鳳凰堂


東福寺庭園。 完全な幾何学模様ではなく、右方向に石の配置が減っているところに、庭園を設計した人の遊び心を感じます。

 相変わらず汗ばむ気候ですが、コロナが落ち着いているので久しぶりに大阪京都まで1泊の旅にでました。

創業当時からよくいく心斎橋のフレンチ、ビストロダンジュは広い店内にわずか二組でした。道頓堀の人出も少なく、この夏の感染爆発の恐怖は尾をひいているように感じました。

本日は淀屋橋から京阪に乗って京都の宇治へ。大阪で長く暮らしたのに平等院鳳凰堂には行ったことがなく、初めて訪れました。両サイドのウイングには昇るための階段がないことに気付きました。国宝の展示館に鳳凰の実物が展示されていました。案外小さなものでした。

その後、東福寺に移動。50年ぶりの参拝で、建物の大きさにはびっくりでした。記憶に残っていた市松模様の庭園は逆に「えっ!こんなに狭かったのか」と意外な感じがしました。

最後は八坂神社、円山公園を散歩。足はガクガク、額から汗がポタポタ。四条河原町の喫茶店フランソワでコーヒーを飲んで今回のプチ旅行を終えました。京都も大阪同様閑散としていてちょっと不気味でした。



2021年10月6日水曜日

愛は私たちより強く

 https://youtu.be/M9qPulvWkA4

大学生になってフランス語を勉強し始めたころ、シャンソンの虜になりました。それから50年、フランス語はほとんど忘れてしまったけれど、今でも歌詞を丸暗記している名曲がいくつかあります。

クロード・ルルーシュ監督の「男と女」のサウンドトラックにあるピエール・バルーの「愛は私たちよりも強く」もそのうちのひとつです。

どろ沼の世間の中で自由に生きるか、籠の中で幸せに生きるか、それは愛が決めること...

主演のジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エメの名演技は忘れられません。

眞子さんの結婚がいよいよ近づいてきて、ふとこのシャンソンを思い出しました。1966年制作の「男と女」で歌っていたピエール・バルーは精悍な若者でした。それが何と50年後、日本のしかも岡山のライブ会場「Mo:gla」で歌うというので聞きに行ったことがあります。すっかりおじいちゃんになっていました。2016年12月、パリで没。

ともかく、
ニューヨークは泥沼ではないし、ただ有名人なだけに鳥籠みたいな幽閉感はつきものでしょうが、眞子さんにはしあわせな人生を送ってほしいものです。

人権もプライバシーもない生活を30年も送ってきたのだから一時金は受け取るべきだと思います。

ハレカハーフを利用しよう

岡山市長選で3選を決めた大森市長のテレビ会見を聞いていて初めて“ハレカハーフ”という岡山市内の高齢者や身体障害者を対象とした路線バス・路面電車の半額割引制度の存在を知りました。

割引専用ICカード、ハレカハーフには2種類あって、ひとつは65歳以上の岡山市民を対象としたもの、もうひとつは身体障害者手帳等を持っている市民を対象としたものがあります。対象路線は岡山市内を発着する民間バスの全路線および備北バスの地頭線(天満屋ー地頭)、中鉄北部バスの勝山線(天満屋ー勝山)であるとパンフに記されています。

これまで東京や大阪、京都など大都市ではシニア向けに無料または大幅割引パスを配布しているのを見聞きして、シニア世代になった私はずいぶんうらやましく思っていたものです。でも岡山市には市営バスがなく民営各社が競合するなかでそういうサービスは永久に実現できないものと諦めていたので大森さんの発言はビッグサプライズでした。

新サービスはすでに開始されていて、市役所で配布しているハレカハーフ交付申込書に名前や住所等を記入して申し込めば2週間程度で割引専用ICカードが送られてくるということです。またすべての手続きはWEBでできます。ハレカハーフカードには写真が表示されるのでそのための写真をスマホで撮って添付するのが少々めんどうでしたが、この種の電子申請制度のなかでは比較的簡単にできたという印象です。

ただいまハレカカードの到着を楽しみに待っているところです。半額というのはかなりのインパクトがあります。我が家は駅から遠く、これまで車で出かけることができる郊外型の飲食店しか利用してこなかったのですが、バスが身近になれば市内中心部のレストランでアルコール付きの食事もできるなと思います。

ハレカハーフにはうれしい3つの特典もあります。チャージ金額の8%がプレミアとして加算、前月の利用総額に応じて最大10%のプレミア加算、さらに誕生日から3日間は通常運賃から50円を引いた運賃の半額で乗れるとのことです。赤字路線の廃止傾向が止まらない民営バス業界ですが、シニア世代の皆様、ご自身の健康のため、また公共交通機関維持のため、おおいにこの制度を利用しようではありませんか。


山中鹿之助のお墓

 田んぼのあぜ道や河原が真紅の彼岸花で覆われるこの季節、松江まで1泊2日のドライブをしてきました。山陰を代表する美術館といえば安来市にある足立美術館ですが、そこから車で数分のところに月山富田城(がっさんとだじょう)という戦国時代の城跡があり、標高190メートルの月山頂上まで汗だくになりながら登ってみました。天空の城のひとつとして歴史ファンの人々に大変人気がある場所だそうです。

頂上の本丸跡からは城下の広瀬の町並みから米子市街地まで、中海、弓ヶ浜そして日本海までがパノラミックに広がり、心臓破りの急な坂を登った甲斐がありました。私は子どものころから日本史が苦手で戦国武将のエピソードなどほとんど知識がないのですが、にわか勉強したところによると、まさにこの富田城こそ戦国時代に山陰・山陽八ヶ国の守護大名だった尼子氏の本拠地だったということです。

群雄割拠の戦国時代のこと、中国地方の広大な土地を支配した尼子氏もやがて安芸の国、毛利氏との対立が深まり、1566年に滅亡、そして残されたのが「山陰の麒麟児」の異名を取った山中幸盛鹿之介(鹿介とも)ら尼子十勇士の存在です。

鹿之介については尼子氏再興のため「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名、その3度にわたる毛利氏との戦いもついに力尽きて1578年、備中松山城に近い高梁川の河原で謀殺されたとのことです。鹿之介が生まれた富田城を訪れたのをいい機会に、高梁川と成羽川が合流する場所にある鹿之介のお墓も見物してきました。わずか33年という短い生涯にあって休む間もなく大活躍した鹿之介の墓所はコンビニ、ローソンのすぐ隣にありました。だれがお参りしたのか菊の花が手向けられていました。

2021年9月末、鹿之介の時代から450年の歳月が流れ、立憲君主制の民主主義の平和な世の中です。しかし、テレビが中継する自民党総裁戦の結末は最後の最後まで「専門家」の予想をことごとく裏切るドラマチックなものでした。選挙期間中、麻生副総理が「これは権力闘争だ」といみじくも言っていたように、議員票は明日のおこぼれを狙ってあちこち大移動しました。鹿之介のように傾きかけた主君にいつまでも忠義を尽くしていては生き残れないのが世の常なのでしょう。


菅さんの功績


昨年秋に突然退任した安倍首相に代わり菅さんが総理大臣になったもののわずか1年で降板となりました。菅さんの業績に対する評価は人それぞれ。小泉環境大臣は「こんなに仕事をした政権が正当な評価を受けていない」と涙目になりながら会見で述べていました。「小泉さんもなかなかの役者やのう」とどっちらけでしたが、実際菅さんの施政下で日経平均はバブル崩壊以来の高値を達成し、無謀とも思えたオリンピック、パラリンピックも成功裏に終えることができました。

 しかしながらこの1年、相次ぐ地方選挙で与党系候補が連敗し、菅さんでは間近にせまった総選挙が戦えないとのことで、無念の降板となりました。政界の権力闘争とはなかなか非情なもののようです。

そんな菅政権の1年でしたが、国民すべてに大きな恩恵をもたらしたのは携帯料金の大幅値下げです。昨年秋の政権発足後まもなく携帯大手各社は相次いで2千円台の新プランを発表し、今年3月には実際に新しいサービスが始まりました。多くの若者はすぐさま新プランに変更したようですが、私には契約変更の手続きがやや複雑そうに思え、半年ほど様子見したあげくやっとこの9月にデータ量20ギガバイト、電話かけ放題のオプション付きプランに切り替えることができました。

キャリアメールのアドレスが消滅すること、市中のショップで気軽に相談できないことなど懸念はあったのですが、いざ携帯会社の手順にしたがってやってみたらあっけないほど簡単でした。いままでたった2ギガの容量でちょっと油断したら月初めにもう規定データ量がなくなるという悲劇から解放され、しかも料金は半額以下!どこにいても自由に情報にアクセスできる喜びを遅ればせながら味わっています。

いっぽう、旧来の契約のままの利用者、多くは「情弱」と言われる中高年の利用者からは貧弱なサービスはそのままで高額な利用料を取り続けています。菅さんの力をもってしても大手携帯各社の料金体系を抜本的に見直しさせるところまでは及ばなかったのでしょう。

現在、次期総理大臣になるはずの自民党総裁戦のまっただ中です。候補者の皆さん、大きなビジョンも大切ですが、菅さんのように身近な課題、切実な問題のこともよろしく。


2021年9月19日日曜日

岡山大学イベルメクチン治験

 9月始めごろ岡大病院がコロナ治療薬としてのイベルメクチンの治験を北里大学に協力するかたちで開始したと発表していましたが、今ごろになって山陽新聞が記事にしていました。

イベルメクチンは北里大学の大村智先生が象皮病やかいせんの特効薬として川奈のゴルフ場の土壌から分離し、アフリカ大陸の寄生虫に苦しむ人々を救った功績で製薬メーカーのメルクとともに2015年にノーベル賞を受賞した薬です。アフリカ大陸でコロナ患者が爆発的に増えないことから、アフリカでよくつかわれているイベルメクチンに予防効果と治療薬としての薬効があるのではと言われています。

現在コロナ治療薬として日本でも臨床使用が認可されていて実際、兵庫県のある診療所の医師はイベルメクチンを積極投与してかなりの成果をあげているようです。ただアメリカのFDAなどは否定的であり、日本の感染症学会も慎重です。
(アメリカでは牛馬用のイベルメクチンを人間が大量に服用して健康被害続出)

岡大治験の記事では、PCR検査で陽性になった人を入院させ2つのグループに分け、イベルメクチン投与とプラセボ投与で効果を評価するといいます。治験の宿命ですが、プラセボで症状が悪化した人はアンラッキーですね。

藁にもすがる思いのイベルメクチンですが、ここにきて抗体カクテル療法が在宅でも受けられるようになったようで、この夏首都圏で起きたような医療崩壊による自宅放置死は、岡山では現実味がないように思えます。しかし兵庫県の医師が言うように、39度の熱が出たときすぐイベルメクチンを飲めばかなりのケースで軽快するのなら、コロナ感染に対する恐怖はかなり減るのではないかと思います。北里大学での治験の結果が待たれます。イベルメクチンは大野先生が特許ロイヤリティの一部を放棄していて、薬価が安く製薬メーカーにとって開発メリットは少ないそうです。

写真は個人輸入して手元においてあるイベルメクチン。1錠12mg。

(本文は単なる私個人の意見です。正確性も正当性も保証できないのでよろしく)



2021年9月10日金曜日

お湯のない生活

今年の2月、極寒の日々を過ごしていたとき突然、実家の電気温水器が壊れ、2日ほど水が流れっぱなしになりました。「お湯が出ないとはおかしいな」と思いつつもすぐに温水器の点検をしなかった代償はいつもの数倍の水道料金になって返ってきました。水道代のこともさることながら、21世紀の日本でお湯が出ない生活というのは困りものです。

思い返せば、この温水器は40年も前から働き続けてきた年代物で、長年何のトラブルもなくいつも豊富なお湯をお風呂や台所に届けてくれました。足腰が弱って自分で入浴できなくなった母を湯船にそっと入れてあげると母はうれしそうに「いいあんばい」と喜んでくれました。

一方100歳近くになった父を風呂に入れるのは至難の業でした。もともと風呂嫌いの父でしたが、昔飼っていた犬さながら全身を使って抵抗するのには私もついに根負けして、最晩年にはベッドに横たわる父の体をお湯で拭いてあげるだけになりました。そんな思い出深い風呂ですが、秋風が吹き渡る今現在に至っても相変わらずお湯が出ません。台所での洗い物も大変です。

いまさら最新鋭のヒートポンプ電気温水器を設置しても一人暮らしではコスパが悪いので、長年の電化住宅契約をやめて、ガス給湯器にしようかなあ。ともかく工事の人に来てもらうためには壊れた温水器周辺に積み上げられた粗大ゴミの撤去から始めなければ……、それはそれでなかなか大変、よだちます(岡山弁)。

給湯器ひとつ取り替えが進まない老人になってしまった今、子どものころの日々がとても幸せだったと懐かしくなります。薪で沸かすお風呂に浸かっていると母が頃合いを見計らって追い炊きをしてくれます。近所の身よりのないおばあさんが遠慮がちに我が家のお風呂に入りにきました。そしてみんなみんなこの世を去っていきました。

幾年ふるさと 来てみれば

咲く花 鳴く鳥 そよぐ風

門辺の小川の ささやきも

なれにし昔に 変わらねど

あれたる我家に

住む人絶えてなく

(故郷の廃家、ヘイス作曲、犬童球渓作詞)

さて感傷的になるのはもうやめてガス屋さんに電話するとします。


2021年9月1日水曜日

9月になって続く大きなニュース

暑い夏がようやく終わり暦の上では秋になりました。9月という月は関東大震災(1923)、ミュンヘンオリンピック事件(1972)、アメリカ同時多発テロ事件(2001)などとても大きな災害や事件が過去に発生した特異な月であるように思われます。日本では9月には台風が頻繁に上陸するのでいっそう災害が多い月だという気がするのかもしれません。

関東大震災が発生したとき母は4歳だったのに終生「私はその日のことをよく覚えている」と語っていました。家族と離ればなれになったけれど奇跡的に再会できたというのですから、4歳児でも街全体が炎上し人々が逃げまどう東京の様子は鮮烈な印象として残ったのでしょう。

1972年9月に発生したミュンヘンオリンピック事件はイスラエルのアスリート11名が人質となり殺害された事件で、ちょうどその時3ヶ月のヨーロッパ旅行を楽しんでいた最中の出来事でした。たまたま日本人テロリストの名前の一部が私の姓と重なり、国境のパスポートチェック時によく追加質問をされました。「OKAとかOKAMOTOという名前は日本人の姓にはよくある平凡な名前なので……」と説明したらそれ以上疑われることはありませんでした。

2001年の9.11同時多発テロには本当に震撼しました。その前年ぐらいでしたか、職場の後輩君を誘ってニューヨーク観光に出かけ、当時世界一と言われたワールドトレードセンタービルの最上階にある展望台に登ったことがあります。この展望台がよほど気にいったのか後輩君は翌日も行ってみようというのでまた出かけ、エレベータに乗り込みました。

2日連続で観光に来る日本人の存在が目立ったのか、黒人のエレベータおじさん(オペレータ)が我々を見て「今日も来たのかい?」と話しかけてきました。おそらくあの黒人おじさんは崩壊したビルと運命をともにしたのではないかと思われます。

同時多発テロをきっかけに始まったアメリカのアフガニスタン侵攻でしたが、この8月末にアメリカの敗走というまさかの結末を迎えました。日本大使館職員はいち早くカブールから脱出し、現地職員や日本と関係が深い数百人のアフガン人が取り残されたという報道には暗澹たる思いがします。こういう大事件に比べると某党の総裁選などコップの中の嵐でしょう。皇族の慶事もまた。


2021年8月27日金曜日

収まる気配のないコロナ感染症

いまや日本で流行している新型コロナの9割以上がインドで猛威を振るったデルタ株で占められているそうです。その特徴は従来型に比べ重症化しやすく、入院リスクは2.1倍、ICUが必要になるリスクが3.3倍、死亡するリスクが2.3倍(カナダのトロント大学での調査)とNHKのホームページで紹介されています。

首都圏での医療逼迫の悲惨な現場レポートを見るにつけデルタ株の恐ろしさが実感されます。さらに年代別の感染を見ると、初期のアルファ株は高齢世代を中心に罹患していたのが、最近では10代から60代までまんべんなく広がっています。とりわけ新学期が始まり学校でまん延した場合の深刻度は従来の比ではありません。場合によっては一家全員感染ということもありえます。

そして本当に恐ろしいのは医療逼迫が極限に達し、東京や神奈川では救急車を呼んでも病院に搬送してもらえない事例が珍しくもなくなってきていること。さいわい岡山県は人口の割に大きな病院が多いので首都圏のような医療壊滅は起きていないし、この先も決して起きないことを祈りたいのですが、新たな変異株次第で状況は厳しくなることも想定しておかなければなりません。

後手後手とはいえ、国や都道府県、医療機関がコロナ対策に必死で取り組んでいることには敬意を表したいと思います。行政や医療現場の対応に不満をぶつけても、現状の能力を超える要求はできません。となるとひとりひとりの国民、県民が自分なりの創意と工夫で自分や家族を守ることに取り組むしかないでしょう。

感染の機会をなるべく減らすこと、近くで咳をしている人がいたらすっと遠ざかる、アルコール消毒スプレーを持ち歩くこと、マスクは少し高めのもの、不織布でできているものを選択。こうしたベーシックな対策の他、私は多くの専門家が効果を認めているイベルメクチンを個人輸入してお守りにしています。

イベルメクチンは国内でも治験が進んでいますが、いままでの医療の常識では「未承認の薬を海外手配して飲むなどもってのほか」。しかしことコロナに関してはPCR検査で陽性と分かっても自宅でなすすべもなく恐怖におののいて過ごすしかないのです。自分の命は自分で守るしかありません。それで死んだらそこまでの運命だと諦めます。


2021年8月18日水曜日

入浴施設のロッカーキー

最近リニューアルオープンした新見千屋温泉「いぶきの里」に行ってみました。ロケーションは鳥取県との県境手前、国道180号線沿いで分かりやすく、県北に出かけた際などには気軽に立ち寄ることができます。泉質は単純アルカリ性とのことで確かにお湯に浸かるとたちまち体中がつるつるスベスベに。

私が出かけたのはお盆休み明けの平日の午後だったので、男湯のお客は年輩の人が2、3人入っているだけでした。変化に富んだいろんな浴槽、野天風呂、サウナもほぼ独占状態でとてものんびりできました。

ただひとつ画竜点睛を欠くというか、気になったことがありました。それは更衣室のロッカーキーがフロントで係員から下駄箱の鍵と交換に手渡される仕組みになっていることです。「えっ、いったいそれのどこが不都合なの?」と思われる方も多いでしょう。それは混雑しているわけでもないのに、このような鍵管理システムを採用している施設においては、往々にしてフロントの係員はパラパラ来る客に対しても、同一ブロックのしかもかなり近接したロッカーを割り当てる傾向があります。

今回の「いぶきの里」でもそうでした。500番代まであるだだっ広いロッカールームの奥の奥にやっと自分の番号を見つけました。すると私のすぐ後に入館したお客がいたのですが、その方のロッカーは50センチほど左に隣接し、扉の開け閉めもお互いに気を使います。他はがら空きなのに、よりによってなぜ? 狭苦しいし、何となくバツも悪い……。

そしてこういう悲劇(?)は繰り返されます。だいたい入浴というのは思い思いに時間を過ごす割には風呂から上がる時間がまたバッティングするものです。いろんなお湯を堪能してさっぱりした気分で脱衣所に引き上げたらやはりおじさんも風呂から出てきて近接のロッカーに。私は裸のまま自分のロッカーの中身を全部取り出し、離れた場所にあったベンチに移動して服を着ました。

フロントにキーを返したとき、係員に「もっと間隔を取ってキーを配布してもらいたい」旨、リクエストしました。フロントの方が利用者の便宜のために、なるべく浴室に近いロッカーキーをくれたことは状況から十分拝察されましたが、コロナ禍の3密を避ける意味でも閑散時は思いっきりバラして欲しいものです。


2021年8月6日金曜日

オリンピック雑感

 


2020東京オリンピックは連日熱戦が繰り広げられ、ふだんあまりスポーツ中継を見ない私もすっかりテレビ漬けになっています。一日のどの時間帯にテレビを付けてもワクワクするようなライブ映像や録画が見られるのはさすがオリンピックならではです。そのオリンピックも札幌でのマラソン等を残すのみとなりました。最終的に日本のメダル数はいったいいくつになるのでしょう。

柔道、体操、水泳、サッカー、野球、レスリング、陸上、卓球、バドミントンのようなメジャーな種目だけでなくアーチェリー、フェンシング、サーフィン、スケートボード、競歩などでもメダルがとれるなんて、日本のスポーツレベルの高さをあらためて世界に見せつけた結果になりました。

空手の「形」という競技は今までもあったのでしょうが、今回オリンピックで初めてその勇ましくも気合いの入った試合を見ることができ、感動しました。金メダルを取ったスペイン代表のサンドラ・サンチェスと銀メダルの清水希容の鬼気迫る演武!スポーツの競技種目はいろいろあるけれど、実在の相手のいない競技の存在にはびっくり。まさに一人相撲ならぬ一人演武にしてあの度迫力!美しいです。私も子どものころこういう武道に出会っていれば、もしかしてのめり込めたのではないかと悔やまれます。

今回のオリンピックは無観客だっただけに、どの種目においてもテレビを通じて選手の覚悟、息遣いが直に観客に伝わってきた気がします。どのようにモチベーションを維持し、この大会にすべてをかけてきたか、それはコロナなどで機会を奪われてはならない命懸けのものであり、メダリストたちが異口同音に大会が開催されたことへの感謝の気持ちを表明したことに如術に現れています。

実際、オリンピックの期間中、無観客にもかかわらず新規感染者が急増し、医療崩壊寸前の状況になりました。だからといってオリンピックが開催されたことを非難する世論はほんの少数で、ほぼ100パーセントの国民はアスリートたちに惜しみない賛辞をおくっています。

各国から参加した選手や役員たちはせっかくの来日の機会を競技以外で楽しむことができず、ホスト国国民としても残念なのですが、コロナ禍が収まったらぜひとも日本を楽しみにきていただきたいものです。


2021年7月27日火曜日

荒戸山、恋ヶ窪湿原

 岡山県にも200万年前に噴火したトロイデ火山があるというので出かけてみました。新見市の西部、広島県東城に近いところにありました。


荒戸神社の境内に車を停め、標高761mの荒戸山(阿哲富士)に登り始めたのですが、登山道の整備が悪く途中で道を見失い引き返しました。津和野の近くにも標高907メートルの美しいトロイデ火山(青野山)があり、いつか登ってみたいものです。

その後、車で10ほどドライブしたところに西の尾瀬ヶ原と言われる恋ヶ窪湿原があり、入山料200円也を払って2.4キロメートルの遊歩道を一周しました。学生時代は東京で過ごしたのに、本物の尾瀬には一度も行ったことがないのが残念です。今は暇は腐るほどあっても尾瀬は岡山からはあまりに遠く、しかもとても行きにくい場所にあります。恋ヶ窪湿原で我慢したいところですが、尾瀬に比べるとあまりにショボい規模ですね。

帰路は東城から国道182号線を経由し、R2に入り福山、笠岡と走ってきました。暑い1日でドライブしていて猛烈な眠気に誘われます。笠岡にもある星乃珈琲で眠気覚ましのアイスコーヒーを飲んでから家に帰りました。(2021/7/25、日曜日)





TOKYO 2020始まりました

ついに開催にこぎつけた2020東京オリンピック大会ですが、いざ本番の競技が始まったら連日日本チームの大活躍で、「やはり無理してでもオリンピックが開催されて本当によかった」と思います。振り返ってみると、TOKYO 2020が決まって以来、国立競技場の設計案変更、ロゴマークの剽窃騒動、森会長の女性蔑視発言による退任、コロナ禍による1年延期、さらには土壇場になって開会式の演出や音楽担当者による過去の不適切発言の発覚など、何から何までまるで悪霊にでも祟られているのではないかと思わせるぐらいネガティブな出来事が続きました。

それは壮大なページェントのプロローグ当日のセレモニー場面にまで及びました。夜8時という遅い時間に始まった開会式の様子はテレビ中継されていましたが、ちらっと見るだけで、見ているこちらが恥ずかしくなるような陳腐なものでした。歌舞伎や舞踏のつまみ食い的アレンジ、過去の映像の大写しにノスタルジーに浸るなど、私には5分と続けて見ることができない代物でした。

それでも天皇陛下の開会宣言だけは見てみようと、もう日付が変わるころ、チャンネルを中継場面に合わせたら、ちょうど橋本聖子組織委員会会長の挨拶が始まったところでした。「だれもあんたの話なんか興味ないよ」と思いつつもがまん、しかしバッハ会長の度を超したダラダラスピーチにはもはや最後までつきあい切れずテレビを消して寝ました。

そして、バッハ会長のスピーチの直後にいわゆる「天皇不敬事件」は起きたようです。翌朝その様子をYouTubeの映像で見てびっくり。天皇陛下が開会宣言を読み始めたのに、菅首相も小池都知事も座ったまま。途中で小池都知事がそれに気づいて立ち上がり、菅首相もよろよろ立ち上がりました。この前代未聞の珍事が起きた理由は何も「不敬」などという物騒なものではなく、エンドレスに続くバッハ会長のスピーチに菅さんたちも頭がもうろうとしていたからでしょう。

ともかくこうして始まったTOKYO 2020ですが、いざふたを開けてみたら意外や意外、大変な盛り上がりです。歳を取っていろんな出来事にあまり感動しなくなった私ですが、コロナで鬱々としていた気分が吹っ飛びました。スポーツには人々の心を結びつける魔力があるものですね。




2021年7月20日火曜日

ヨーロッパ絵画400年の旅展

 先日、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展を見にいきました。日本の美術館ではなかなか見る機会のない16世紀の絵画から20世紀絵画まで、まるでヨーロッパの美術館の中を歩いているような錯覚を覚え、興奮しました。

もはや一つ一つの作品に付された画家の名前や解説を読むのに時間を費やすことなく、ただ全体的な雰囲気を楽しむことに集中しました。

西洋絵画は、余白と簡素な線で構成された東洋絵画と異なり、すごくsensualというかvoluptuous、つまり肉感的だなと感じました。美術館を出たら「今日は血のしたたるステーキをたべよう!」という気分になりました。

モネの「睡蓮」もありました。睡蓮と言えば大原美術館の「睡蓮」が有名ですが、正月に大原美術館を訪れたとき英語タイトルがWaterliliesと一つの単語になってるのはおかしい、再考を、と美術館に意見を述べました。そのことをこのブログに書いたような記憶がありますが、大原美術館の学芸員は私の意見に丁寧な返事をくれたものの、なかなかしぶとい。最近のテレビニュースに写った映像からも、分かち書きする気はないようです。

ちなみに富士美術館の「睡蓮」は世界中のほとんどの美術館で表記されているとおり、Water lilies となっていました。また東京富士美術館の創設者は池田大作氏、美術館は八王子の創価大学と隣接しています。

英語の分かち書きは本当に難しいと思います。カナダの従姉にメールを書いていていつも、everyday なのかevery
dayなのか、こんがらがります。これはアメリカ人もよく間違えるそうです。
調べてみるとeverydayは「日常の」という形容詞、every day 「毎日」は副詞(句)で意味も用法も微妙に違うのですが、しばらくするとまたどっちだったかなあとあやふやになります。

余談が長くなりましたが、岡山県立美術館で開催中の富士美術館コレクション展は8月29日まで。シニア料金1100円。

(山陽新聞7月20日より)


2021年7月14日水曜日

大阪・奈良1泊2日旅

 まもなく東京でオリンピックが始まろうというのに、コロナ禍は一向に収まる気配がなく、祝祭感、ワクワク感がほとんど感じられないのは寂しいものです。家でボサッとしていても何も始まらないので、気分転換のために日曜と月曜の1泊2日で大阪・奈良まで出かけてみました。

 行政の意のままには動かない大阪人も長引くパンデミックにエネルギーを吸い取られてしまったのか、あるいは日曜のせいか人出は少なく、8時にはいっせいに店が閉まり、キタやミナミの繁華街が寂しく感じられました。すでに未来に向かって明るくにぎやかに歩み始めた欧米の街角の様子をテレビで見るにつけ、感染者数、死者数とも欧米に比べれば桁違いに少ない日本で、担当大臣自らフリップまで用意して酒販業者に直接、間接に圧力をかけ、更なる自粛を迫っていることは異様です。

 翌月曜日は大阪・日本橋の喫茶店「丸福」で大阪在住の友人K君と落ち合い、「暇だし、奈良へ行ってみよう」という話になりました。K君は現役時代の職場の後輩で歴史や時事問題に詳しく、私がどんなことを質問しても間髪入れず「それはこんな歴史背景があるから」と明快。歩く辞書です。おまけに安倍元首相と同じ難病を患い、仕事も40歳過ぎには辞めてしまい、いつも暇で、私の突然の呼び出しにも気軽につきあってくれる貴重な存在です。

 奈良までは近鉄でわずか30分。いつも観光客でごった返す奈良も観光客がこうも少ないとまるで初めて訪れた街のような錯覚にとらわれます。いつもなら群をなす鹿が煎餅をくれと通行人に近づいてくるのに、観光客が払底して鹿も煎餅をねだることを忘れてしまったようです。その代わり広大な芝生の上で無数の子鹿たちが草を食んでいました。不思議なことに屈強な牡鹿の姿がありません。こんなところにもコロナの影響が及んでいるのかもしれません。

 お昼ご飯を食べようと老舗料亭の「菊水楼」に立ち寄ったのですが、メインのレストランは平日は休業中でがっかり。明治24年創業の由緒あるこの料亭も、今回のコロナ・パンデミックにはお手上げの様子でした。感染症の恐怖に加えて飲食業に不当に圧力をかける政策と相まって、全国の多くの店が廃業に追い込まれています。政府には圧力ではなく積極的な支援が求められます。






2021年7月7日水曜日

伊豆箱根の美術館群と自然災害

 昭和30年代、中学生になったばかりのころだったか、夏休みに親戚を頼って上京したことがあります。新幹線など影も形もなかった時代、あこがれの寝台特急列車「あさかぜ」に乗車することは夢見がちな少年にとって、まるで夢の中の出来事だったような気さえします。

夜岡山駅を出発した「あさかぜ」は外が白むころ早くも静岡県東部に到達しました。そして丹那トンネルを出るとすぐ熱海です。食堂車で朝食をとりました。トーストに添えられたバターがビー玉のように丸められているのを生まれて初めて見ました。シルバーのナイフ、フォークが白いテーブルクロスにセットされ、窓の外には朝の相模湾がまぶしく光り、旅に出た喜びにあふれました。

それ以来60数年の間、何百回となく新幹線で熱海を通過したのですが、電光掲示板が「ただいま熱海駅を通過しています」と親切に案内してくれても「そろそろ東京が近いな」くらいしか心が動きません。東京で過ごした数年の学生生活のあいだでもすでに熱海は時代遅れの観光地というイメージしかなく、途中下車してまで観光したことはありません。

ところが近年、熱海や箱根には魅力的な美術館が3館もあるというのに一度も出かけたことがないことが人生での見残し事のような気がしてなりません。コロナ禍が収まったら一番に出かけてみたい場所がこの熱海と箱根です。日本絵画、中国・朝鮮絵画のコレクションにおいて日本を代表する美術館のひとつであるMOA美術館、箱根の小涌谷にある岡田美術館も伊藤若冲など日本画の宝庫。箱根には西洋絵画1万点を所蔵するポーラ美術館があります。

今回の熱海の土石流の第一報が流れたとき多くの人々がMOA美術館に避難していると報じられていました。この美術館を創設したのは世界救世教の開祖、岡田茂吉氏であり美術館が被災者に救援の手を差し延べるのはごく自然なことだと思います。

ただ私には火山噴火や崖崩れ、山崩れ、地震などありとあらゆる自然災害が定期的に襲ってくるこの伊豆箱根の土地になぜ重要な美術品満載の美術館が存在するのか不思議な気がしてなりません。風光明媚な土地柄が魅力なのでしょうか。自然災害は人々の暮らしや生命だけでなく、2度と復元できない人類の至宝も無惨に奪っていきます。


2021年6月30日水曜日

魑魅魍魎

 今年も迷惑害虫の季節到来です。草深い我が家では日替わりメニューで出没する彼らとの闘いが続いています。

先ずは定番の藪蚊。昔は蚊と言えばアカイエカが主流でしたが最近ではヤブ蚊の天下になってしまいました。彼らは獰猛なうえなかなか頭がよくて、私が車を出そうとドアを開けると必ず2,3匹が私より先に車に乗り込みます。そしてハンドルを握っていてはどうにも応戦できない私の手や足から思う存分血を吸って、私が車を降りるためにドアを開けるとさっさと彼ら(いや彼女たち)は車を離れ、産卵場所へ直行です。

 次はゴキブリ。イギリス・カナダ合作映画「裸のランチ」(クローネンバーグ監督、1991)にはタイプライターサイズの巨大ゴキブリが登場し、主人公である作家ウイリアム・リーと実存的に対峙します。何度みても飽きることのない魅力的な映画ですが、我が家の台所で夜な夜な活躍するゴキブリたちもなかなかの存在感があります。

以前は彼らを退治するのにママレモンの原液をかけて窒息死させていたのですが、後始末が大変。ところがコロナの流行のおかげでアルコール消毒スプレーが簡単に手に入るようになったので、今はこれが主力兵器です。私の存在に気づいてキッチンの片隅で“頭隠して尻隠さず”状態になっているゴキにアルコールをシュッと一吹きすると酔っぱらうのか動きが緩慢になります。そこを捕獲して窓の外へ放逐します。

次の大物は「裸のランチ」にも登場する巨大なムカデ。ムカデはゴキブリなどを補食するらしいので益虫とも言えるのですが、ヤツの強烈な顎で噛まれ毒液を注入されたときはたまりません。なぜ神様はこんな不気味なものを創造したのでしょう?

そして真打ちは猛毒のマムシ。マムシを見ない年はないくらい我が家ではお馴染みの最凶キャラです。先日も雨上がりの夕方、もうかなり薄暗くなって帰宅し、門扉を開けようとしたら何か異変を感じました。門扉の下に大きなマムシがとぐろを巻いてじっとしていたのです。踏みつけでもしたら一発でアウト、救急車のお世話になってしまいます。

マムシにかまれた人の入院体験記など読むと毒の強さは生やさしいものではありません。こんな危険なものが我が家に棲んでいるなんて!


2021年6月23日水曜日

予期せぬ出来事

   先日、遅めの昼食をとろうと近所のこじゃれた和食の店に行きました。ランチタイムだけ営業しているその店は、聞くところによると店のオーナー(ママさん)は適応障害がある息子さんの社会リハビリのために作ったそうです。採算よりも息子が活躍できる空間を確保するために開いた店だけあって、インテリアにも料理にもやさしい気遣いが随所に感じられます。とりわけ定食についてくる山菜御飯が絶品でいつもお代わりをお願いしています。

さて、時計は1時を回っていたのでお客はカウンター席にOLが2人いるだけ。私はソーシャル・ディスタンスを取って奥の4人掛けテーブル席に座りました。離れて座っていても静かな店内に食事を終えた彼女たちのテンポのいい、楽しそうなおしゃべりが響き渡ります。仕事のこと、子育てのこと、おしゃれのこと。でも今はコロナ禍のご時世、他のお客(私)もいることだしもう少し声を低くしてもらえたらなあ……。

そんなことを思いながらも私の山菜御飯の茶碗はすぐに空っぽになりました。「お代わりお願いしまーす」、私は茶碗をテーブルの通路側に置きました。ちょうどそのときOLさん達がカウンター席から立ち上がり、会計のために私のテーブル席の横を通りました。びっくりしました。何と一人のOLさんが私の空になった茶碗を取ってカウンター奥にいたママさんに手渡したのです。予期せぬ一瞬の出来事でした。

たぶん彼女はとても心根の優しい素敵な女性なのです。茶碗を無造作に持ったりしないで、両手の指をピンと外側にそらせ、親指と小指の下の膨らみ(指球)4点だけで茶碗を支える、とても器用な持ち方ではありました。

でもそのとき私は思いました。「いや、いや、いや、たとえコロナ禍のご時世でなくても、知らない人が勝手に見ず知らずの人の茶碗に触る?」。ママさんが持ってきてくれたお代わりは新しい茶碗だったのか元の茶碗によそおわれていたのか、私も気が動転していて確かめもしませんでしたが、もはやお代わりの山菜御飯は絶品ではありませんでした。

子どものころ、夕飯のときうっかり間違えて父の茶碗でご飯を食べてしまったときのあの吐き気を催す感覚、あれに近いものがあったと言ったら言い過ぎですが……。


2021年6月17日木曜日

入院に対するカナダとの温度差

 還暦を過ぎたころから定期的に大腸の検査を受けています。検査時にポリープが発見され、その場で内視鏡で切除した場合、経過観察のために1泊の入院を求められるのが標準的なやり方のようです。万一の出血などを想定してのことだと思いますが、欧米では病院で出産しても問題がなければそのまま帰宅させるのに比べ、日本は軽微な手術に対しても過度に慎重だという気がします。

 今年の5月、カナダ在住の従姉妹キャスリーンから思いがけない話を聞きました。実は2月ごろ右の乳房にしこりがあるのに気付き、検査を受けたらDCIS(非浸潤性乳管がん)だと判明した、ステージ的には極早期ではあるけれど、憂いを残す部分切除や術後の放射線、化学療法は望まないので、右の乳房を全切除することにした、との重い内容でした。

 手術予定日の6月1日が過ぎ、もちろんキャスリーン本人は術後の回復のため病院で過ごしているはずで連絡はありません。1週間してもほかの従姉妹たちからも連絡がないのでひょっとして経過が悪いのかも知れないと思い、キャスリーンの姉のヨリコに国際電話をかけてみました。

ヨリコによれば手術は無事終わり家で過ごしているというので、いったい何日間入院していたのか尋ねたら、「日帰りよ!」とのことでした。右の乳房全切除というのは私の大腸にできた7ミリのポリープを取るのと訳が違うはず。ヨリコのしゃべる英語を私が聞き違えたのではないかと思っていたら、追ってキャスリーンからメールが届き、やはり日帰り手術でノープロブレムだったと書いてありました。

 一方、私も前回の大腸検査から数年が経過し、来年の2月に検査/手術の予定を組んでいます。前回とは病院を変えているのですが、1泊入院するのは同じで、まだ8ヶ月も先の話なのに先日、別の用件で病院を訪れたとき入退院の説明がありました。差額ベッドの話や身元引受人の指名など詳細な入院の手順を拝聴しているうちに、自分は末期がんにでもおかされた重病人なのか、と絶望的な気分になってきました。

 何事にも慎重に、万一の事態に備えて入院のうえ経過観察していただけるのはとても贅沢なことですが、望めば自己責任で帰宅させてもらいたいものです。カナダの従姉妹の場合との違いはあまりに大きいです。


高知城(6/13)

深夜寝ていたら右上腕に痛みが。ムカデにやられたらしい。そのまま起きて朝4時までの高速代割引を利用して高知までドライブ。お城の駐車場に車を停め日曜市を見て回り喫茶店に。モーニングを注文したらコーヒー、トーストの他にも何故か味噌汁、コーヒーゼリー、オレンジなどが付いて豪華。最後にお茶が出てきた。

スマートな天守閣が屹立している姿は壮観。

お城の回りには名門高校が立ち並び、朝練の野球部の生徒が学校周囲の歩道の掃き掃除をしていた。旅のおっちゃんにも明るく挨拶してくれた。民度高い!

高知は四国のなかで独特の雰囲気があり、また近々行ってみたいと思う。




2021年6月10日木曜日

美味な台湾産パイナップル

   今年の3月ごろ、台湾と中国の関係が政治的にぎくしゃくするなか、中国の税関当局が突然台湾産パイナップルの輸入を禁止しました。台湾産パイナップルから害虫が発見されたというのがその理由です。台湾の年間パイナップル生産量42万トンのうち約1割が輸出に回され、そのほとんどが中国向けでした。

 春から初夏にかけてパイナップルの収穫時期直前に突然輸入禁止措置を取った中国税関の行為は政治的嫌がらせのひとつでしょう。2010年、尖閣諸島国有化問題に伴う日中対立が激化したとき、中国が日本向けに輸出してきたレアアースを禁輸したのと同じにおいがします。

 レアアース事件が日本に打撃を与えたかというと、日本は戦略物資を一国に頼る危険性に気づき、輸入先をオーストラリアやモンゴルなどに分散させるとともに、レアメタルを多く必要としない機器の開発にも取り組み、結局中国の制裁を無力化できました。

 今回のパイナップル事件も同じような経過をたどりました。台湾のパイナップル農家の窮状を聞いて大きく動いたのが日本の消費者です。ネットには「台湾産パイナップルを買いたいのだけれどどこに売っているの?」という質問があふれ、どこそこのスーパーで見かけたとか、大手スーパーが4月から大量に売り出し予定、などとにぎやかでした。

 台湾産パイナップルは甘く美味なうえ、堅い中心の軸まで食べられるというのが一番の魅力らしく、5月ごろになってようやく地元のスーパーでもお目にかかるようになりました。食べ慣れたフィリピン産のものと一線を画す甘さに感動!パイナップル表面のでこぼこの度合いも少なく、確かに芯まで独特の歯ごたえがあって美味です。

 パイナップルってこんなにおいしい果物だったのか、と改めて感動しましたが、むしろなぜ今まで安価ながら少々酸っぱいフィリピン産のものしか売ってこなかったのか、日本の果物流通業界の怠慢も感じました。中台パイナップル戦争のおかげで、図らずもおいしい果物に巡り会え、台湾農家も日本の消費者も喜んでいる現状を中国の政策当局はどう思っているのでしょうか。台湾の独立、帰属のような高度に政治的なイシューに対し子どもじみた嫌がらせを仕掛けた中国の負けはあきらかです。


2021年6月2日水曜日

コロナワクチンについて

高齢者を優先して始まったコロナワクチンの接種は、大小様々なトラブルはあるものの、岡山県でも順調に進んでいます。医療関係者への接種はほぼ終わったようで、副反応は特になかった、腕がだるく微熱が出た、という話はよく聞きます。

コロナ対策に関して、すべてが後手後手に回った政府もオリンピックの開催日が迫るなか、地方自治体に対しワクチン接種のスピードアップをするよう、かなり強引に働きかけています。マスコミも連日ワクチンを打ち終えた老人にマイクを突きつけて、「スムーズにいってホッとしました。これでひと安心です」というお決まりの感想をしゃべらせて接種フィーバーをあおっています。

ところがネット社会ではコロナワクチンに対して懐疑的な人々の意見が積極派の意見をはるかに上回っています。「バイオハザード」さながら、悪の中枢企業アンブレラ社の表の顔は製薬会社、ところが裏では密かに生物兵器を開発している、というストーリーにCovid-19を重ねて陰謀論に真実味を与えています。短期間の治験しか行っていない新しいタイプのワクチンに対する不安は否定できません。また、免疫学的、統計学的な不備を指摘する真摯な議論も数多く見受けられます。

私も一応7月に予約を入れたものの、厚労省がまとめた5月21日までの接種後死亡例85名の詳細データを見たら急に怖じ気づいてきました。ほとんどの死因は一見ワクチン接種と関係なさそうなコメントが付されていますが、接種後まもなく、それも多くの場合1週間以内に亡くなっている事実には遺族の方々もさぞ腑に落ちないことでしょう。

私のもうひとつの懸念というか疑問はワクチンの摂取量です。体格の大きいアメリカ人を対象に開発されたワクチンが人種、男女別、子ども、若者、高齢者の違い等をいっさい無視して0.3mLと決められていることの是非。シロウトの常識で考えても体重の軽い子どもや女性に対しては匙加減というものがあってもよさそうに思います。

こうした疑念を接種担当の医師に直接投げかけてみたいのですが、止めておこうと思います。医師はきっとこう言うでしょう。「分かりました。見たところあなたの体重は100kgはありそうなので、ワクチンは倍量で打っておきますね」と。


2021年5月26日水曜日

新幹線運転士トイレ離席事件

 5月に起きた東海道新幹線ひかり号東京発新大阪行きの列車が熱海-三島間を走行中、運転士(36)が腹痛のため約3分間運転席を離れ、客車のトイレに行って用をたしたというニュースには笑えないものがありました。JR東海は社内規定違反として運転士と代わりに運転室に入った車掌を処分するとのことですが、穏便に済ませてほしいと思います。

 たしか国鉄時代の新幹線は常時2名の運転士が乗務していた記憶があります。当時の国鉄OBの思い出話を読むと、運転士は二人いるので、交代で食堂車でゆっくり食事を楽しんだとか。運転士には国鉄から食事代の半額補助があり、ビュッフェ東京のビーフシチュー、帝国ホテルのハンバーグ、日本食堂のシュウマイが運転士の間で人気があったそうです。そしてもうひとつの楽しみは四季折々の沿線の風景や各地で催される花火大会を運転席という特等席から見ることだったと記しています。

 ところが民営化にともなって運転士は1人体制になりました。1人と2人では全然違います。食事はおろか小用だって乗車勤務中は無理です。話相手もいなく、時速300キロメートルでめまぐるしく飛び去る風景を横目に見るだけの味気ない勤務ではないでしょうか。

 国土交通省によれば今回の事態のような場合は、指令の指示を仰ぎ、運転資格がある車掌が乗務していない場合は列車を停める、ということのようです。確かに原則は守るために存在しているのですが、果たして急にがまんならない便意に襲われるなかでそんな手順など踏んでいられるかと思います。3分から5分後、すぐ後を次の列車が迫って来るなかで臨時停車などしようものなら、ダイヤは乱れ大事になります。

 ハイテク新幹線、世界に誇る死亡事故ゼロの新幹線の走行はコンピュータで制御されているので本当は無人運転だって可能なはず。指令がモニター室の映像を見ながら自動運転するのと運転士が先頭車両の運転席に座っているのとどれだけの違いがあるのかと思います。

 どうしても運転士を置かないといけないのなら、運転席がボタン操作一つで洗浄機能付き自動トイレに早変わりする装置を導入したいもの。あれもダメ、これもダメなら規定通り列車を停めて心おきなく用を足してもらいたいものです。


老朽化が激しい国道の道路橋

国道2号線を車で走るときいつも恐怖を感じるポイントがあります。岡山市南区妹尾西交差点と古新田交差点の間にある低い丘陵は高尾(たこう)と呼ばれる地域ですが、2号線はその丘陵の切り通しを突っ切っています。問題の恐怖のポイントとはまさにその切り通しの上空に架かっている長大な道路橋のことです。

この道路橋は昭和40年ごろ国道2号線(通称バイパス)が開通したとき、もともと高尾山の中を通っていた細い林道を維持するために設置された鋼鉄製の構造物ですが、年々橋の土台や本体の錆が拡大し、もともとはベージュ色だった橋が今では全体的に真っ茶色になっています。

その下を通過するとき、とりわけ2号線バイパス名物の朝夕の大渋滞に引っかかって車が進まないとき、私はいつも「ある日突然大地震でも起きてあの巨大な道路橋がこちらに向かってワリワリ・ドッサーンと倒れて来たらもう最後、助かるすべはない」と妄想します。

実際この目で阪神大震災(1995)発生当日、倒壊した阪神高速道路を目の当たりにしたこともあるし、外国での道路橋の崩落映像を見たり、中央高速笹子トンネル天井板落下事件(2012)の痛ましい映像を見るにつけ、国やNEXCOがちゃんと管理しているはずの道路でも、いつ何時“想定外”の事故が起こりうることは想像に難くありません。まして日常的に私を悩ましている道路橋のひどい劣化とメンテナンス皆無の実体はだれの目にもはっきり分かることです。岡山国道事務所の職員の方々も日常的にあの橋の下を通っておられるはずで気づかない事案ではないと思います。

この歩道橋の近くに住んでいる私の実感ではもはやだれも使っておらず、場合によっては撤去という選択肢もあるのではないでしょうか。本当に考えてもらいたいものです。もし車が渋滞しているときに倒れてきたら死傷者は数十人を下らないし、長期間国道2号線が通行止めになり大惨事です。

とにかく私の不安と憂慮をこのようなコラムに書いて満足するのではなく、近々岡山国道事務所に連絡して、見解なり対策案をお伺いしてみようと思います。なかなか動かないようにみえる行政も、これまでの経験から言って、市民からの要望や提案に対しては案外前向きにしかも早急に取り組んでもらえるものです。


2021年5月12日水曜日

島根県海潮のカツラ

 島根県の山中にある海潮(うしお)カツラです。日原神社の境内にあるとのことでナビまかせで来たのですが、「目的地に着きました」と案内があるものの通り過ぎてしまいました。車を降りて探したらありました。あまりの巨大さで分からなかったのです。樹齢5000年と説明板に記されていました。


カツラの名木はどれにも共通していて孤立樹のような印象があります。付近にカツラの若木がまったくみあたりません。古代から人が神社に植えて大切に育ててきたのでしょう。

もう田植えが終わっています。





初夏の大山

 5月9日(日)1泊2日で松江までドライブに出かけました。雲の冠をいただいた大山。米子道大山PAにて。もう雪はありません。もう1枚は蒜山PAから見た黄砂にけぶる大山。





反骨の老女医U先生

 行きつけの喫茶店で幼なじみとよもやま話をするのがほぼお決まりの日課になってもう20年近い歳月が流れました。年寄りが集まれば体の不具合の披露合戦になるのが常、近くの病院や診療所の評判やうわさ話のオンパレードです。コロナ騒動以前のことですが、そんなおしゃべりの中で近場の診療所の女医U先生のことに話が及びました。もう80に近いお年だと思います。

「U先生はとても優しく親身になって診てくれるので子育ての間中ずっとお世話になりました」と友人の奥さんがおっしゃいます。続けて、「だけどU先生はどんな種類であれワクチンは打ってくれないので、さすがにこのごろはよその診療所に行くことにしているのよ」と。

この話を聞いて私は思わず笑ってしまいました。U先生とは直接の面識はないのですが、実はU先生が小学校6年生のとき私の父がクラス担任をしていて、夕食のときなどに「Uちゃんは本当に聡明な子だ」とよく話題にしていました。Uさんのお父さんは芸術家肌のちょっと変わった人でときおり我が家を訪ねてきては長居するのが子ども心に私の不満でした。お客様がいる間はじっとしているよう母に言われてもそこは子どものこと、私がちょっとはしゃいだりすると、Uおじさんの雷が落ちます。「畳の上をジタバタするねえ(ドタバタするな)、ほこりが立たあ!」と。

6年生のUさんは才女にふさわしく名門中学、高校へと進学し、地元の医大に行って女医になったことは私の父の自慢でもありました。その後はUさん一家との交流もないまま50年もの歳月が流れ、Uおじさん自らが設計した瀟洒なレンガ造りのご自宅も今は廃墟になったまま町中にたたずんでいます。私はU先生の診療所の存在は知ってはいるものの直接お目にかかったことはありません。

ところが5月10日から新型コロナウイルスワクチン接種の予約受付が岡山市でも高齢者を対象に始まり、久しぶりにU先生のことが思い出されました。ワクチンに懐疑的な姿勢を貫いてこられた先生の診療所は接種可能な医療機関のリストに載っているのかなと目を凝らしても見当たりません。反骨の老女医の意地が透けて見えます。私もワクチン予約フィーバーを横に見つつ、何も大急ぎでワクチン接種などしなくてもいいだろうとのんびり構えています。


2021年4月30日金曜日

中国、「反食品浪費法」制定

 中国国営メディアの報道によると、中国は全人代(国会)において、飲食店での大量の食べ残しや大食い動画の配信に対し罰則を設けて規制することを可決したそうです。このニュースに対して、日ごろ中国政府のすることなすことに手厳しい日本のネット民も諸手を挙げて賛同の意を表明しています。日本のテレビも大食い番組などやめてほしいものです。

 思い返せば、2005年ごろだったか友人と誘い合わせて初めて中国に行きました。古都の蘇州では有名な松鼠桂魚(しょうそうけいぎょ)をぜひ食べてみようということになり、ランチタイムもそろそろ終わりというころにある老舗レストランに入りました。

我々は二人ともそんなに大食ではなくメインの魚料理だけでいいと思ったのですが、単品というのも寂しいのでスープも注文しました。もうほとんどお客が帰ってしまったレストランで日本人が二人取り残されたように食事をするのですから10数人もいる従業員の視線が気になります。

しばらくしたらスープとリスのかっこうをした魚が登場してきました。魚料理は食べるところが案外少なく味もまあまあでしたが、問題はスープの方です。日本で酢豚ランチなんか注文したときについてくる小さなお碗ではなく、ラーメンどんぶりよりさらに大きな食器になみなみとスープが入っています。いくらがんばって熱々のスープを飲んでも水位はもとのまま。従業員たちは手持ちぶさたに「早く食べて帰ってくれないかな」と思っているような気がしてあせってもスープは減りません。

「どうしよう、これほとんど残すしかないなあ」と私が友人に言ったら、中国通の友人は「大丈夫、残したスープは厨房の大鍋に戻すだけだから」とのたまいます。友人の発言が事実だったとしたら、同じころ大阪の船場吉兆がやっていた食べ残し食品使い回し事件と同じですね。

何はともあれ、完食を美徳とする日本の食習慣はほんとうにすばらしい。しかし実相は寿司屋でも料亭でもステーキハウスでも「とてもおいしかったけどちょっと物足りないな」というぐらいの量しかもともと出てこないのですから完食できて当たり前。長い人生の大半は外食でしたが、給食を含め食べ残したことなど全然記憶にありません。これは幸せ? 不幸せ?

 

2021年4月11日日曜日

見尾の大カツラ

 


醍醐桜からそう遠くない勝山の山中にカツラの大木があるというので見に行きました。往年の名画「愛染かつら」のロケに使われたかつらの大木は長野県上田市別所の北向観音の境内にあるそうですが、カツラの巨木は日本海側の冷涼な谷川沿いに多いようです。

見尾のカツラも神木として祀られています。とはいえ、私には少々意地悪な木でした。写真を撮ったあと、次は葉桜になった醍醐桜を見ようと車を始動させようとしたら、プスンとエンスト。エンジンはかかるのに直ぐ停止。あせりました。こんな山の中までレスキューを呼んだら大事です。ほぼアウトと観念しつつまたやってみたらエンジンがかかりました!いつまたエンストするか分からない車を運転するのは本当に心細い。街道に出て最初のガソリンスタンドでバッテリーを点検してもらったら異常なしで、このまま帰り早めに点検に出したらどうか、ということでした。岡山道をヒヤヒヤしながら無事帰ってきました。
カツラの大木の前にあった祠に賽銭を入れなかった祟りですかねー?

愛染かつらの主題歌、「旅の夜風」を最晩年の父が深夜よく歌っていたのも今では懐かしい思い出になりました。当時は安眠を妨げられ「夜中の2時に何がほろほろ鳥じゃー」と怒りまくっていたものですが。

花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる途
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を独り行く
(西条八十作詞)

用水路の泥上げ

 私が住んでいる田舎の集落では、毎年4月最初の日曜日は地域内の側溝と用水路の大掃除をする日と決まっています。各家庭からひとりは参加しなければならないというのが習わしで、もし共同作業に出られないのなら3千円の罰金みたいなものを支払わなければなりません。

地域でやや浮いているなという自覚症状がある私は毎年この時期が近づくと「めんどくさいなあ」という気持ちになります。けれども「村の掟じゃあ」という声がどこからともなく聞こえてくるので、うっかりこの日を忘れて花見なんかに出かけるわけにはいきません。いろいろな疑問があるのですが、隣近所とのつきあい、しきたり、行事に関して「言挙げ」は最大のタブーです。いや言挙げがタブーなのは何も田舎の隣組だけの話ではありません。

コロナ対策・指導を取り仕切る総本山の厚労省においてさえ、課長が「飲み会やるぞー」と呼びかけたら、だれも「そんな非常識なことは止めましょう」との声を挙げず、課内20人以上のインテリ高級官僚が深夜まで居酒屋で大宴会にうち興じるのが日本という国のお国柄です。

話が脱線しましたが、私が感じる疑問は次のようなものです。(1)罰金の3千円を徴収する根拠とその使い道。(2)重労働であること。用水路からヘドロをすくい上げ、一輪車に乗せて集積所まで運び、さらにそれをスコップでダンプカーに積み込む一連の作業。これは若者にとってもきつい作業ですが、メンバーの中に若者なんて一人もいません。平均年齢75歳ぐらいの年寄りしか出てきません。もはや限界に近いと思うのですが、たぶん来年も再来年も同じことが繰り返されるでしょう。

とはいえ、下水道のないこの地域では我が家の生活排水もその用水路に流れていくので、体力が続く限り参加することはやぶさかではありません。おまけに今時こんな田舎でもふだん隣近所の人々と話をする機会はほとんどなく、年1回のどぶ掃除がお互いの安否情報を交換する唯一のチャンスです。ご近所の人々に「元気でやってますよ」とアピールしておくことも大切なことです。

和気藹々、2時間ほどでヘドロを片づけたら、ごほうびにペットボトル入りのお茶の配給があります。ムラ人としての義務を今年も立派に果たした証拠物件のお茶です。

醍醐桜見物にマイカー規制を

長年岡山県に住んでいながら、いままで一度も県北の真庭の山中にあるという醍醐桜を見に行ったことがありません。どんなところにどんな姿で樹齢千年のその大桜は立っているのかずっと気になっていました。ところがこの春ついに長年の夢を実現すべく、地元新聞に満開したとの記事が掲載された直後の月曜日、マイカーで出かけました。

北房インターを降り、案内標識に従って山の方へ向かっていくと、下諏訪神社のところに駐車場があり、係りの人が観光客の対応をしています。「ここから先、Uターンはできません」という看板が何か所かありました。しかし醍醐桜までまだ2キロメートルはあるとのことなので、少々の渋滞は覚悟の上で「ここから先」の一本道に突入してしまいました。あまりに軽率な判断でした。

すぐに延々続く渋滞が目に飛び込んできてにっちもさっちもいきません。5分ほど止まってはまた2~3メートル動くような状態がたっぷり2時間続きへとへと。途中で一瞬めまいのようなものを感じました。「このまま気分が悪くなって車を運転できなくなったらどうしよう? この状況から逃げ出す手段は全然ありません。絶望感のみ。トイレは途中1か所簡易トイレが道の端に設置されていますが、衆人環視のもと車から離れてトイレにいくのは勇気がいることです。「これなら下諏訪神社のところに車を止めて歩けばよかった」と悔やんでも後の祭り。

それでも遂に車窓から山のてっぺんにそびえ立つ醍醐桜の立ち姿が目に入ってきたときは感動しました。しかしもはや車を駐車場に停めて桜を見る気力は消え失せてしまって、一刻も早くこの状況から逃げ出したくなり、桜は見ないでそのまま帰りの一方通行の山道を下りました。

真庭市が今の方式を採用しているのにはそれなりの理由もあるのでしょう。しかしながら地元集落の人々の生活と安全、見物客のことを考えたら早急に花見シーズンには日中だけでもマイカー規制をして、マイクロバスやジャンボタクシーで観光客を運ぶ方式にしてもらいたいと強く願います。何事にも規制を受けるのは抵抗があるのは確かなのですが、私のように高をくくって進入してしまい失禁寸前の恐怖の体験をするよりはるかに楽しくゆっくり天下一の醍醐桜を楽しめると思います。




2021年4月5日月曜日

鷺が食事を待っています

 鯖寿司の老舗「いづう」に行く途中、白川沿いの料亭の勝手口に鷺がいました。時折ご馳走をもらえるのでしょう。いづうの鯖寿司はそれを食べるために京都まで出かける価値があると思わせるものがありますね。



渡月橋

 こんなに人が少ない渡月橋は初めてです。人力車のお兄さん方も暇そうでした。




仁和寺の御室桜

 3月31日、4月1日の1泊2日で大阪、京都旅行に出かけました。遅咲きで有名な仁和寺の御室桜も今年はかなり早く咲き始めていました。



2021年3月23日火曜日

水清ければ魚棲まず

早春の播州路の風物詩と言えばイカナゴの釘煮に尽きます。隣県の釘煮のことなどまったく知られていなかった岡山でも2000年ごろから、うわさがうわさを呼んで、家庭で釘煮を作るのが流行し始め、どこのスーパーでもイカナゴのシンコ(稚魚)が並ぶようになりました。ところが近年イカナゴはまったくの不漁で、シンコの値段が今ではキロ当たり4~5千円もするうえ、そもそも入荷自体がレアになってきました。

瀬戸内海からイカナゴが激減してしまった原因について兵庫県の水産資源管理当局の説明では、海水がきれいになり過ぎた結果だと結論づけています。海水中の窒素やリンなどの栄養塩が減った結果、プランクトンが減り、それを餌にするイカナゴも減ったという負の連鎖説です。

岡山のローカルニュースでも海苔について同じような話を聞きました。児島湾で養殖されている海苔が黒々と着色することなく色落ちが激しいのは、河川から流れ込む水がきれいになりすぎたせいだというのです。海水の貧栄養化に伴うイカナゴや海苔の不漁に対して兵庫県や岡山県当局は、今後は排水中の窒素やリンの含有率を人為的にコントロールする、つまりはきれいになりすぎた海に栄養塩を補給することでイカナゴ不漁問題、海苔の色落ち問題に対処する方針のようです。

一連の話を聞いて、私は「なるほど」と思う反面「海がきれいになりすぎてプランクトンが減り、海産物が不漁になった」という説が本当にそうなのか疑問に思います。というのも、そもそも日本の海、とりわけ瀬戸内海は高度経済成長時代以前、公害垂れ流し時代以前は透明で有機物に乏しい海域でした。またよく手入れされた山林から腐植有機物が河川を伝って海に流入する量は今よりずっと少なかったはずです。

水島コンビナートはまだなく、山紫水明の岡山。川の水は春夏秋冬サラサラ清らかに流れ、春にはシラスウナギが小川を遡上していきます。岡山はばら寿司に代表されるように昔からとびきり美味な魚に恵まれた土地でした。我が家も質素な暮らしながら夕食の主役は「下津井もの」の魚たち。このような体験的記憶を呼び起こすにつけ、イカナゴや海苔の不漁の原因を栄養塩の欠乏と断定する「水清ければ魚棲まず」説には少々首をかしげたくなります。


2021年3月11日木曜日

YouTubeで高校やり直し

1964年(昭和39年)、普通科高校に入学した私は、数学や理科諸科目が中学時代とは別物の難解さの固まりであることにその後4年間(高校3年プラス浪人)苦しめられました。歯が立たなかったのです。70歳をとうに過ぎた今でもときどき夢でうなされます。とりわけ数学で習った指数、対数、三角関数、微分積分、ベクトル、虚数などあれはいったい全体何だったの?というぐらい当時の私には不明なものでした。

それが人生の終盤になって暇もでき、テレビも政治もコロナ問題も、さらには映画や読書までほとんど興味がなくなった現在、かつてまったく理解できなかった数学のいろいろな概念がしきりに私にその存在をアピールしてくるようになってきました。素数のことを知れば知るほど宇宙は素数で記述されているとか、「博士の愛した数式」(小川洋子)に出てくる“ネイピア数”とか“オイラーの公式”などの不思議さがワイドショーなんか見ているよりよほど面白くなってきました。

とはいえ元々の数学音痴が治った訳ではありません。とりあえず高校や大学の入試問題を解いてみる実践作業が必要です。そして出会ったのがYouTubeの入試問題解説の多くのチャンネルです。あらためて、高校入試の定番、因数分解が論理を問うというより実は暗記問題だったなどということに今頃気付いてびっくりしています。視聴者の数をかせいでいる名物ユーチューバー達は本当に教えるのが上手!!

中でも私が気に入っているのが「数学を数楽に」というチャンネル。そこに寄せられているコメントを見ると、私のような高齢の固定ファンが大勢いるものですね。みなさんやはり死ぬ前に今一度若かりしころ悩んだ数学の問題に取り組みたい欲求にかられるものと思われます。

英語に関しても数学同様すばらしいチャンネルであふれています。特に発音トレーニング系の番組を見ると、中学高校時代のあのジャパニーズ・イングリッシュはいったい何だったのか、いかに貧しい教育しか受けてこなかったかを思い知らされます。ふたつだけご紹介します。[英語発音コーチ]セイダイ音声学、Yumi’s English Boot Campは絶対お奨めです。あなたの英語が変わります。つくづくいい時代になったものだと感激する毎日です。


2021年3月3日水曜日

中性脂肪450

 昔から血中の中性脂肪(TG)がとても高く、昨年から処方薬を服用しています。しかし最近は毎日山や田舎道を激しく歩いているので、TGが正常化しているかどうか確認のため、独断でこの1か月間薬の服用を中断しました。

そして本日の健康診断の結果はガーン!中性脂肪が激増!医師は「薬をちゃんと飲んでますか?」と疑いの目で聞いてきます。自分で実験しているとも言えず、「はい」と虚偽返答。「薬を増やした方がいいなあ」と先生。いまさら実は、とも言えず黙っていたら、「採血のタイミングで数値が変動することもあるので様子見しましょうか」とのお言葉が。

ウォーキングではTGが下がらないことがはっきりしたので、薬を飲むことにしました。気分がもやもやするので精神安定剤のデパスを飲んでもう寝ます。

2021年3月2日火曜日

笠井山展望台

 岡山市北部にある笠井山とか金山は岡山の西に住んでいる私としては行きにくい山々でした。でも今日は車で60年ぶりに来てみました。無惨というくらい荒れ果てた場所になっていました。

どこの山も同じですが木々が生い茂り温帯ジャングルになっています。
むかしのように薪拾いに山に人が入らないうえに、あろうことか展望台の周囲にソメイヨシノなどが植えられいっそう視野を遮っています。
山の木を切り倒す運動を提唱したいものです。

笠井山は中学校時代か高校生のころ遠足で来たことがあるのをどなたか覚えておられないでしょうか?

山のてっぺんで石の上に転んで、すね坊さんがぱっくり開いてしまい、妹尾の家に帰ってから、近所の大橋医院に駆け込みました。大橋先生は「こんなのは麻酔しないで縫う方がよくくっつく」と言って、釣り針みたいな太い針をブスッと割れたひざの分厚い皮に通して縫ってくれました。一発で治りました。むかしの医者はすることが荒っぽかったけど、治すのも上手だったと思います。今も大橋医院はあります。



2021年2月25日木曜日

お釣り

今、このコラムのタイトルを書きながら、パソコンが提示する「釣り銭」という字面になぜ「釣る」という漢字が使われているのか、ふと疑問に思いました。「魚を釣る」のなら分かりますが、「お客を釣る」意味合いでもあるのでしょうか。

 そう言えば、昭和30年ごろ、まだ私が小学校低学年のころ、ときどき母から鍋に入ったままの総菜をお隣さんへお裾分けに持っていくよう頼まれることがありました。そのときお隣のおばさんが返してくれる鍋の中にはなぜかマッチ棒が数本必ず入っていました。その心は?

 マッチの火は移る → うつる → おうつり → お釣り。つまり、「お返し」としてさし当たり何もないので、その気持ちを数本のマッチに託しました、という意味だったようです。「いじましい!」(いじけた感じがするほどみみっちい)と東京育ちの母が思ったかどうか。いっぽう、お隣のおばさんはマッチ数本で「ちゃんとお返しはしたからね」と意地を見せたというところでしょうか。

 さて、コロナ禍に隠れてしまって最近キャッシュレス化の話題がすっかり下火になりました。店も各種キャッシュレスに対応しているところと昔ながらの現金のみの店に分かれるようです。そんな現金主義の店で近所の寿司屋はレジ横の器に1円玉を山盛りにして置いてあります。「1円玉が足りないときは4円までここから取ってください」と。

そういうやり方が巷で流行っているのかどうか知らないのですが、これはなかなかいいアイデアだと思います。何事にもきっちりした日本では支払いもお釣りも1円の単位までおろそかにできません。その結果、お店では日常的に釣り銭が不足することになります。

ところが以前は無料だった銀行の両替手数料がいつのまにかすごいことになっています。最近でも三井住友銀行が硬貨10枚までの両替手数料を330円と改定しました(銀行口座なしの場合)。500枚までなら770円。低収益環境で銀行も必死なのでしょうが、1円玉を500個調達するのに770円の手数料とは!いくら何でもという気がします。

銀行にこんな暴利を払うぐらいなら近所の寿司屋のように、1円玉はサービスする方がよほど気がきいているうえ、店も1円玉の両替に煩わされることがないと思います。


2021年2月24日水曜日

大腸内視鏡検査

 5年ぶりに大腸がんの検査を受けた。切っても切らなくてもいいサイズのポリープが1個、小さいのが2個あった。モニターを注視したが、美しきかな我が大腸! この病院は前の病院と異なり、その場で切ることはしていない。切るのならまた日を改めてだそうだが、とんでもない話。不味い下剤を2リットルも飲まされるだけでも苦痛なのに、今日のカメラ挿入は痛かった。途中で「麻酔して!」とお願いしたら、「誓約書ないからできない」とのこと。「今、書くから」と言おうと思ったけど、お尻に太いホースがぶっ刺さったまま誓約書を書くのもみっともないのでガマン。途中から痛みを感じなくなってよかったと思ったら、看護師さんが腹の上から腸をもみもみ。激痛が。

これなら前の病院の方がましだったような気がする。

総社市福山城跡、幸山城跡登山

 (2021.2.23天皇誕生日)

再び総社市の福山城跡、幸山城跡(こうざんじょうあと)登頂。今回は山の北西にあるふれあい広場から登り、西側の1234段階段を400段ほど降りたところにある「上の横道」をたどり、藪の中の獣道を降り、「下の横道」を通ってもとのふれあい広場へ。

暑い陽気で高梁川、そこに流れ込む小田川が幸せに見えたました。2000キロカロリー消費。




2021年2月22日月曜日

吉備の中山で藪肉圭の木発見

 肉圭(ニッケイ)とはシナモンのこと。「発見」というと自分で見つけたような口振りですが、木に名札があり、岡山の里山にヤブニッケイの天然木があることに驚きました。

常緑樹で葉っぱに独特の芳香があります。



2021年2月21日日曜日

讃岐富士登頂

 瀬戸大橋を渡るときいつも讃岐平野にぽこっと富士山のような格好をした山が目に入ります。以前から一度登ってみたいと思っていたのですが本日遂に登りました。422メートルあり、駐車場からいきなり登り始められるので効率のいい山歩きができました。下りは反対側に降りたので車を停めたところまで30分ほど歩き、早春の讃岐路を楽しめました。

補給は水500ミリリットルのみ。食べ物はなし、うどんもパス、岡山に直帰です。というのも財布を家に忘れてきたので!車の中に150円あったので130円のミネラルウォーターを買いました。

遠景は金比羅山の象頭山。
青線が歩いた跡です。







2021年2月19日金曜日

大阪、街歩き

 2021.2.18

毎日、岡山南部の低山を歩き回っていますが、今日は1年ぶりに大阪に来て街歩きをしています。昨日は中津の東横インに泊まり、朝10時にチェックアウト、開店直後の阪急百貨店の地下食品売り場へ直行!国産紅鮭の甘塩切り身、生のタラ、40センチぐらいの生のニシンなど、昔から阪急の鮮魚商は目利きですね。でも生ものを買うと歩けないので後でまた。

それから堂島方面へ。中之島の国際美術館隣に大阪市が建設中の中之島美術館は今年中に完工するようです。黒い箱のような外観です。

ただいまの歩行距離は5キロメートル。本日の目標はあともう5キロメートルです。山野歩きを始めて気付いたのですが、以前の異常食欲にブレーキがかかるようになりました。蓄積した脂肪が燃え始めたのでしょうか?

御堂筋に戻って、これから本町、心斎橋、難波と回り、シメは千日前の丸福珈琲店になりそうです。

写真
ステンレスのジャングルジムのようなのが国立国際美術館入口、背後の黒いのが中之島美術館です。私の感想は、日本中にこのような小中規模の美術館ばかり建てないで、ニューヨークのメトロポリタンクラスのものをドンと建てて欲しいです。

淀屋橋から肥後橋方向。左手茶色の低層ビル、旧住友銀行本店は文化財としての価値が高いのか再開発を免れています。




2021年2月16日火曜日

雪舟と玉堂展

 岡山県立美術館において開催中の同展覧会は3月14日までです。岡山にゆかりのある雪舟と玉堂の作品がこれほどまとまって一度に見られる機会はもうないかもしれません。というのも近い将来、美術館の展示スタイルが伝統的なものから様変わりするかもしれないからです。

これからの拠点美術館の機能は作品の文献学的な考察に留まらず、科学的鑑定、保護と修復、永久保存のためのセンターとしての役割がますます大きくなる一方、展示については従来のオリジナル作品をそのまま陳列する方法から、高精細画像、立体画像として作品をデジタルデータ化し、ネット回線を通じて提供するスタイルに遷移するでしょう。いつでもどこでも、感染症の流行など気にすることなく、世界中の文化遺産を自宅や学校において見ることができるようになるのは時間の問題だと思います。

そういう意味では今回のような大きな展覧会は、我々現代人にとって、数百年前に描かれた国宝級の書画を直に、しかも圧巻のスケールで見られるほとんど最後の幸運な機会と言っても過言ではないと思います。

さて今回の「雪舟と玉堂」展の中でも圧巻は国宝の雪舟「四季山水図巻」です。いわゆる「山水長巻」、全長16メートルの大作です。2006年の晩秋、私は雪舟没後500年を記念した大きな展覧会を見るため、山口県立美術館まで出かけ、初めて山水長巻の実物を見て大変感動したことを今でもよく覚えています。

雪舟の絵にはストーリー性があります。従者を伴った旅人はひたすら幽すいな山の奥深くへ踏み入っていくのですが、意外にもやがてひろびろとした湖が広がる明るい場所に出ます。湖に浮かぶ数隻の船には人々の日常生活も見えます。甲板には巨大な洗濯物が干してあったり、観葉植物の大きな鉢まで見えます。

このあたり、私は雪舟に対し無限の親しみを感じます。中世から近世へと時代が移っていることを雪舟は同時代のほかの誰よりも明瞭に意識していたのでしょう。登場人物は小さな筆で輪郭が描かれているだけなのに、人物一人ひとりの個性が伝わってきます。全人類が残した文化遺産のなかで「山水長巻」はダ・ヴィンチの「モナリザ」に勝るとも劣らない、まさに絵画芸術の頂点に立つ作品と言っていいかと思います。


2021年2月6日土曜日

家から大元駅まで

 2月5日(金)

50年前の体型を目指して毎日歩います。今日は実家から曳舟橋、御南大橋、今村宮を通って大元駅まで歩いてみました。その後はバスに乗り、岡山駅へ。高島屋の地下食品売り場で魚の干物やチーズなど見て回ったのですが、衝動買いしないで帰ることに。

山陽本線の電車に乗り、庭瀬駅下車、徒歩で妹尾崎にあるマドモアゼルの喫茶店に寄って休憩、そして最後の1.5キロメートルを歩いて帰宅しました。28000歩くらい。

連日かなりの歩数(15000歩)歩いていても、不思議なことにあまり腹が減った感じがしません。体重は何故か現状維持です。脂肪と筋肉が入れ替わっていると信じたいです。

写真は今村宮。1334年創建。


2021年2月4日木曜日

山田、大年、妹尾崎、高尾ウォーキング

福の里団地、水源地、妹尾崎、高尾を廻る。烏帽子岩、高尾の厳島神社など初めて見る。歩行距離6キロメートル、16,000歩。

最下段は吉備の中山