2014年3月15日土曜日

和食2軒、勝負あり

   子どものころから母親の手伝いをよくやらされていた私は家庭料理を作るのは今でも好きです。ステーキやすき焼きは肉さえいいものを買ってくれば専門店で高いお金を払わなくても自分なりに満足いくものができます。ただ真似しようにも最初からできないなと思うのがフランス料理と本格的な日本料理です。

春の味覚を求めて岡山市内の料理屋さんを2日連続で2軒訪ねてみました。初日は岡山市北区丸の内の料亭「桜川」で5千円(税別)のおまかせコースをお願いしました。「京の味」と看板に出ていました。

京都で修行したというご主人は京料理の繊細さ、華麗さを岡山の地に持ち帰られた一方、京の店の気位の高さ、敷居の高さは京都に置いてこられたようで、私のようにぱっとしない一見(いちげん)の客にも心を込めて、時にはご亭主自らおもてなししてくれました。ソラマメ、タケノコ、黄ニラなど春の食材が控えめに季節を演出していました。

2日目は桃太郎大通りに面した「アートダイニング武蔵」です。大阪からやってきた若者をお供にやはり5千円(税別)のコースを選びました。ちなみに創業70年のこの店は昔からお昼の炊き合わせ定食が絶品。お腹にやさしい野菜が何種類か鉢にもられてくるのですが、ひとつひとつの野菜が絶妙のハーモニーを奏でます。しかもたったの750円! 一番安いメニューが一番グッドです。

さて、夜のコースは? 先付には酢味噌が添えられたベラタが供されました。春の気配が一気に口に広がります。その後でしたか茶碗蒸しが運ばれてきたとき、しまったと思いました。連れは甲殻類アレルギーがあるのを伝えるのを忘れていたのです。遅ればせながらその旨伝えたところ、「以後のお料理はエビ・カニ抜きにします」とのことでした。

自分の不注意を棚に上げて言うのもなんですが、ここは「すぐ、作り直してお持ちします」と言って欲しかったです。そう言われれば「いえ、お気遣いなく、私が2人前いただきます」などと応じることができたのですが……結局、私が茶碗蒸しを2つ食べ、連れには絶品炊き合わせを2鉢食べてもらいました。

そんなこんなでこの勝負(?)軍配は「桜川」に。いやあ日本人に生まれてよかった、としみじみ思う春の連チャン宴席料理でした。

2014年3月4日火曜日

タナトス

このところ実家周辺でタナトスが頻繁に目撃されます。2週間前は南隣のクソ婆ァが連れて行かれ、とばっちりで自宅弔問の受付役をさせられ大迷惑。同じ日、裏隣の幼馴染みのセーちゃん(69)が末期大腸がんで。そして昨日は町内会会長さんが。
奴の標的になっている我が家は警戒レベルを最高に設定しているつもりですが昨夜は危なかった。 痛み止めの向精神薬リリカの副作用が疑われ、医師と相談して親父にリリカを飲ますのを止めたら、からだ中あちこち痛みを訴えてただならぬ気配でした。「死にそうなの?」と聞いたら「そんなことはない」というので母の部屋で寝ました。
夜中3時ごろ夜の静寂の中、門扉がカチャリと開く音がしたのであわてて飛び起き玄関ドアを見に行ったらロックされていませんでした。すぐさまダブルロックしチェーンをかけ親父を見に行ったらスヤスヤと。ひと安心してまた寝たら今度は風呂場のドアがきしむ音がしたので、「しまった、奴は風呂場の窓から入ってくるつもりだ」と直感。風呂場に行ったら窓ガラスが開いていて網戸だけに。ガラス戸をしめロックしやっと安心して寝ましたがもう朝になっていました。
ラジオをつけてフランス語講座とイタリア語講座、中国語講座を聞いたのち起床。親父に朝飯を食べさせながら長谷川式テストをしました。私は誰?コウジロウ君。誕生日は?大正6年8月10日。100引く7は?93, 86。今何月? 7月。部屋の温度は7月並だから仕方ないか……これから父の主治医に面会してリリカを復活させるべきか相談するつもりです。
昨夜、タナトスを撃退したとき奴は窓越しに「オレが連れに来たのはジイサン、バアサンじゃないぞ」と確かにそう言ったような気がします。冗談じゃないよ、まったく。(3月3日早朝)

注:タナトスとは死神の謂い。

『レオナール・フジタとパリ1913-1931』展


『レオナール・フジタとパリ1913-1931』展
「藤田嗣治 渡仏100周年記念」と冠した展覧会が岡山県立美術館で開催中です。セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなど後期印象派の巨匠たちが去ったあと、ヨーロッパの画壇はピカソやモジリアニ、アンリ・ルソーなど20世紀絵画の時代を迎えました。
パリを中心に20世紀前半ごろ大活躍した一派は絵画史ではエコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれています。ルソー、ヴラマンク、ドラン、ユトリロ、ローランサン、シャガール……の名画の数々は岡山県人にとっては子どものころから大原美術館でおなじみですね。
そのなかでひときわユニークな存在感を示しているのが藤田嗣治(レオナール・フジタ)で、単に日本人画家であったというよりエコール・ド・パリを代表する画家であったことは案外日本では知られていないのではないでしょうか。
藤田の作品は国内の主要美術館にたいてい2,3点所蔵されているはずですが、一挙に100点近くの藤田を見られる機会はめったになく、4月6日の会期末まで何度か足を運ぼうと思います。なお画家の名前が「藤田」であったり「フジタ」であるのは晩年、藤田がフランスに帰化し、カトリックに改宗したためで、絵画史的にはフランスを代表する画家の一人ということになります。
そのような意味で、今回の企画展では岡山にゆかりのある画家でアメリカに帰化した国吉康雄の作品が多数展示されていて、なかなか気のきいた展覧会だと感心しました。
国吉はアメリカ美術史においてもっとも芸術的に成功した画家としてゆるぎない地位を確立した人ですが、藤田同様日本での知名度がやや低いのが残念です。県立美術館の国吉作品の多くは福武書店からの寄託を受けたものですが、ふだんは館蔵作品が3,4点展示されているだけなので、今回は見ごたえがあります。
こうした企画展を通して日本人の足跡をたどってみると大正・昭和初期、経済的には苦しいなか、船で40日もかかる長旅をものともせずアメリカへ、フランスへ雄飛し、超一流の芸術家たちと肩を並べて才能を開花させてきたことがよくわかります。彼らは現代日本の直接の先輩世代のアーティストたちで、そのエネルギッシュなことに脱帽です。