2013年1月31日木曜日

暴力コーチングを廃絶しよう

女子柔道15人が暴力で園田監督告発    大阪市立桜宮高校バスケット部主将が顧問の暴行を苦にして自殺した事件に続いて、女子柔道ナショナルチームの監督が選手に対し日常的に暴力行為を働いていたことが明らかになりました。JOCに告発した選手の勇気をたたえたいと思います。

桜宮高校の件では部活のリーダー等生徒自らが記者会見を開くという事態になりました。異様だったのは彼らの主張です。「スポーツ学科の伝統を守り学科を存続させることが死んだ生徒に報いることになる」。一見ごもっとも、しかし残酷かつ倒錯した心理が図らずも露呈していて問題の根の深さを物語っています。

「生徒の気持ち」とか「桜宮を受けようとしている受験生の気持ち」を大切にしろという彼らの主張には自分たちの仲間が苦しんで自殺したことに対する同情、悔しさ、喪失感が感じられず、彼ら自身一生負うべき心の傷などさっさと脇に放り捨てているような印象をもちました。

生徒も保護者も教師も部活の名のもとにマインドコントロールにかかっています。生徒自身が被害者であるにも関わらず、「自殺するような子は弱い子だった」、「きびしい指導についていけない生徒にも問題がある」などといった「受け入れがたい状況に対する過剰適応」がそこにあるのではないかと私は想像しています。この事件に対し行政と教育委員会の垣根を超えて介入した橋下大阪市長の行動は残念ながらまことに適切だったと言わざるをえません。

かつて相撲界では兄弟子による陰惨な暴行死事件がありました。高校や大学の部活では今でも先輩後輩の絶対的な主従関係、パワーハラスメントが公然と行われています。しかしこれは古来無批判に受け入れられてきた日本の伝統ではありません。

江戸時代中期の奇書「葉隠」には今日の教育論、コーチング論に通ずる明快な答が説かれています。すなわち、「子弟の教育に当たって暴力や脅しを使ってはならない。そんなことをすれば子供はびくびくおびえるだけで、いざというときお国のために力を発揮する立派な人材には育たない」と喝破しています。

桜宮高校事件では元プロ野球選手の桑田真澄が日本のスポーツ指導のあり方について繰り返し手厳しい批判をしていました。体罰など“百害あって一利なし”と「葉隠」とまったく同じ主張をしています。

2013年1月18日金曜日

アルジェリア人質事件

  砂漠のど真ん中に作られた天然ガスプラントが武装テロリスト集団に襲撃された今回の事件は事件に巻き込まれた多数の人質にとって最悪の結果になりました。平和な日本でテレビに釘付けになりながらことの進展を注視していた私自身、学生時代に日揮が建設していたアルズー精油所で半年働いた経験があり他人事とは思えませんでした。

私が滞在していた1971年ごろアルジェリアはフランスから独立してまだ10年にもならない時期でしたが治安は今よりはるかによく、現場でも宿舎でもおよそセキュリティに気を使うことはいっさいありませんでした。

アルズー精油所プロジェクトは日揮にとってアルジェリアでの最初の大型受注でした。重工業の伝統がまったくない国にいきなり水島のような巨大プラントを建設していくのですから苦労の連続です。

現地下請け業者が納期を守らないので工事に遅れが出る、すると発注側は工程遅れの違約金を日揮に要求するのですが、納期が遅れることは現地の労働者にとっては雇用が継続されることになるので歓迎すべきこと。何もかもがそんな調子で、ひたすら損をかぶっていたのが日揮で、結局このプロジェクトは会社にとっては大赤字だったようです。しかし日揮は約束を守って誠実にプロジェクトを完遂し、運転要員のトレーニングもきちんと行って引き渡しし、それ以後アルジェリアのプラント受注は日揮の独壇場になり、日揮自身業界最大手に育ちました。

アルジェリアはその後豊富な天然資源を生かして近代的な国に変貌していくのかと思っていたら1990年代になってイスラム原理主義によるテロが頻発するようになりますます荒れ果てた危険な国になってしまいました。それでも多くの日本人がアルジェリアで働いてきたのはアルジェリアの人々のお役に立ちたいという思いが気持ちの底にあったからに他なりません。

本社社員以外にも多くの人がいわばフリーランスの技術者として現場を支えていたのですが、ひとりひとりの方が人間として立派でしたね。他人に頼ることもなく不平不満をいうこともないすばらしい人々がなぜこんな最期を迎えなければならなかったのか、あまりにも不条理でむごい結末です。

(アルジェリアの路傍に咲くアイリス、iris alata)
 

2013年1月17日木曜日

パルスオキシメーター


読者の皆様、家庭用医療器具のひとつにパルスオキシメーターというものがあるのをご存知でしょうか。洗濯ばさみの親玉みたいな形をしていて、指先をはさむとたちどころに血中の飽和酸素濃度(SpO)がパーセントで表示される機械です。値段は2万円から4万円ぐらい。インターネット通販ではいろんな機種が売られています。

寝たきりで気管切開している母を在宅で介護している私にとってこの小さな機械は母の異変をごく初期にキャッチするための最大の武器としてこれまで何度も母の命を救ってくれました。

ふだん97%以上あるSpO値が95%くらいしか上がらなくなると最初の黄色信号です。痰を取っても93%以下に落ちてくるともう完全に赤信号で、肺炎などの呼吸器疾患を起こしていることが疑われます。

正月明け、寝たきりとはいえ病気ひとつしないで自宅で過ごしてきた母のSpOが下がり始め、私はすぐ主治医に連絡しました。医師はしばらく様子をみましょうと電話でアドバイスしてくれたのですが、1日でも様子見で時間を費やすと手遅れになってしまうことをこれまで経験的に知っているので、(主治医の意向を無視し)母をすぐ病院へ自分の車に乗せて連れていきました。検査の結果、インフルエンザに感染していることが判明し即入院のうえ治療を開始しました。

発症直後(48時間以内)に適切な治療を受けた場合、薬の効果も高いそうです。感染症に限らず、高齢者の異変は幼児の場合と同じで時間との勝負であることが多く、体温、脈、呼吸がいつもと違い、しかもSpOが低下していれば、もうあれこれ悩まず、病院へ連れていくべきだと思います。

人間が死ぬ直接の原因は餓死、凍死、窒息といいます。この中でも窒息が一番苦しい死に方ではないでしょうか。肺炎は肺から酸素が十分取り込めなくなる一種の窒息ですが、認知症を起こしている高齢者の場合、高熱がでない場合もあり、肺が十分機能しているかどうかは周囲には分かりづらく、そういう意味でもパルスオキシメーターの威力は大です。

また名前の由来どおりこの機械は脈拍も正確に測定してくれます。やや高い商品ですが、1家に1台欲しいすぐれものです。

電線の地中化

 
 安倍政権になってあらたな経済対策が次々と打ち出され金融市場は歓迎ムードです。それらの政策のなかで7日に発表された緊急経済対策のなかに注目すべき項目がありました。

「電線の地中化」です。今までも都市中心部や観光地を中心に遅々としたペースながら地中化がすすめられてきましたが、国家目標と取り上げられたからには少しはペースが上がるのではないかと期待します。

1970年代の始め、ヨーロッパを2ヶ月かけてゆっくり旅したことがあります。そのときヨーロッパと日本が決定的に違うなと感じたことが3つありました。

ひとつはトイレ。当時は東京区部でも水洗化率が低く、私が下宿していた練馬区や板橋区のアパートは悲惨でした。しかしトイレ事情に関していえばその後ウォシュレットの発明や下水道、合併浄化槽の設置がすすみ、いまや日本は世界一のトイレ先進国になりました。

2番目は窓ガラスの複層化。ドイツ以北は窓ガラスを2重にし家屋を徹底した断熱構造にするのが常識でした。フランスやイタリアなどは日本と同じく薄いガラス1枚で冬をしのいでいたように思いますが、90年代までにフランスなどでも窓ガラスがよくなりました。

我が家でも70年代に家を増築するに当たり何とか窓ガラスを2重化できないかいろいろ建材資料を調べたのですが、岡山では非常にコストがかかるのと業者さんに高機能窓ガラスに対する認識がなかったので話がまとまりませんでした。しかし住宅の省エネ断熱化は国の住宅金融政策によって今では様変わりです。新婚家庭向けのミニ開発されたかわいらしい住宅のサッシでも100パーセント複層ガラスが入っています。

そして残念なのがいまだ日本の美しい景観を決定的に損ねているのが電柱の存在。最近、倉敷の美観地区の電線地中化がほぼ完了したというニュースを見て現地に行ってみました。蜘蛛の巣のように空中でからんでいた電線や電柱が取り払われ、すっきりした町並みに石灯籠風の街灯がとてもよく似合っています。

倉敷の美観地区のような狭いエリアでさえ電柱撤去になぜ長い歳月が必要であったかというと、トイレや窓ガラスと異なり国の明確な政策がなかったからに他なりません。防災の観点からもまさに緊急課題です。

2013年1月1日火曜日

“年の日”考

 明けましておめでとうございます。このブログも7年目に入ります。変わったことがとくにないのに書き続けることはときおりとても困難で無意味に思えることもあるのですが、自分自身の備忘録としてこれからも書いていこうと思います。

 さて“年の日”というタイトルですが、フランス語で正月、あるいは元日、元旦等に相当する言葉は"jour de l'an" といいます。jour 「日」、de は「の」、l'an は「その年」です。だから日本語では「年の日」になります。英語では "New Year's day" と言いますね。「新年の日」という意味でフランス語と同じ発想法です。「の」は連体修飾語である格助詞ですが英語の of、フランス語の de と同じようなもの。わかりにくい説明をしていますが、要するにフランス語では、元日はバレンタインデーとか子供の日と同じような感覚で、「その年のある特定の記念日」なのです。

 これに比べると日本語の正月は文字通り「新年の月」であり時間的な広がりを感じさせます。これに対し、欧米では1日限りの祝日が日本ではだらだらと長い。そもそも公務員だけでなく銀行や企業は年末年始に1週間ぐらい休業します。土日でも祝日でもない平日にもかかわらず公然と仕事をしなくていい日になっています。話がそれますが東京のアメリカ大使館は本国の休日に当たる日、あるいは日本の休日には閉館しますが、12月30日31日、1月2日や3日が土日でなければ開館しています。欧米では年末年始の休みはなく、1月1日が祝日であるだけです。

 子供のころ感じていた日本の正月、独特の気分の2週間は冬休みとともにあったのですが、大人になり、年をとってきたら次第にそうした東アジア的祝祭気分が失われ、今では私の正月はすっかり単なる「年の日」になってしまいました。今年は父が入院したまま年越しをしたので餅も雑煮も省略です。これでいいのだと感じます。それに正月はダイエットの大敵ですから。(未完稿)