2011年7月25日月曜日

草食動物の勝機


 3月11日に東日本を襲った巨大地震と津波、そしてそれによって引き起こされた福島原発のメルトダウンという千年に一度あるかないかの大惨事に国全体が打ちひしがれているなか、なでしこジャパンがワールドカップで優勝するというこれまた百年に一度あるかないかの快挙はみごとでした。

 優勝候補のドイツ、スウェーデン、アメリカ人選手のあの高さ、あのガタイ、スピード、パワーをまえにしてか弱い“なでしこ”に勝機があるとはだれも想像していませんでした。

 ちょうどドイツ戦の前日、たまたまドイツの友人ウド君が私の誕生日祝いにメールをくれていたので、お礼の電話をかけました。ひととおりよもやま話をしたあと、ウド君が「ところで明日のサッカーの日独戦どう思う?」と聞いてきました。

 正直いって女子ワールドカップにほとんど注目していなかった私は返答に困りながらも、「身長差があれだけあるのははなはだ不利ではあるけれど、ドイツの選手は背の低いチーム相手の試合には慣れてないだろうから、その辺が日本にとって有利かもしれない…」などとコメントをしました。そして日本はそのように勝ち進みました。

圧倒的なパワーとスピードを誇る欧米チームに伍して金メダルに輝いたのはわが“なでしこ”。勝因をめぐってはいろいろ専門的な分析がなされていますが、私なりに考えてみると、欧米チーム対日本の戦いは肉食獣対草食獣との戦略の違いのようなものがあったのではないかということです。

 ライオンやチータなど肉食獣がサバンナで群れをなす草食獣に狙いをつけて忍び寄る光景。草食獣に勝ち目はないと思われるのですが、案外草食獣は機敏に方向転換を図りながら逃げ切ります。最初の一瞬を逃した肉食獣はすぐにスタミナ切れをおこして長追いはできません。

 ねばりにねばって延長戦に持ち込んで競り勝った日本の戦いぶりは理にかなったものだっと思います。映像的にもピッチの上で何か種類の違う2種類の競技が行われているような印象を受けました。

 こうしてみると来年のオリンピックに向けたアジア予選はある意味欧米チーム相手より手ごわいかもしれません。草食同士、おのずと戦術に工夫が要りそうです。

2011年7月13日水曜日

朝食ビュッフェ

 旅の楽しみはいろんな土地でいろんな食べものに出会うことに尽きるといっても過言ではありません。ところが国内でも国外でもホテルの朝食といえばセルフサービスのビュッフェと相場が決まっています。

所狭しと並べられた大皿は遠目にはどれも豪勢に見えるのですがいざ自分の皿にとって見るとベーコンエッグ、焼き飯、パン、サラダ、スパゲッティ、ワカサギの甘露煮、チンゲン菜のうま煮、シュウマイ、ライチ・・・と突飛な組み合わせの食材がゴテゴテ盛られ何だか食べる前から残飯状態です。

でも団塊世代の人間としては仕方ありません。子供時代ずっと食べるものに事欠いて育ったせいか大皿いっぱい並んでいる料理を見たらたちまち理性をなくしてしまい、経験的にはかなりの高級ホテルの朝食と言えども大したことはないと分かっているのに、とりあえずひととおり取ってみないと気がすまないのです。そして常に満足感なき満腹感とともにレストランを後にします。

それでもたまにはビュッフェで珍しいものに遭遇することがあります。先日台北のホテルで思いがけず生まれて初めてベーコン巻のマコモを食す機会がありました。タケノコとアスパラガスをミックスしたようなさっぱり味の珍味で、日本ではお目にかかったことがありません。大皿に20本ほどあったのを1人で3本もとってきました。

ノルウェーの小さなホテルでは朝食にニシンの酢漬けやスモークサーモン、ボイルした手長エビなどがハム、ソーセージ、チーズなどとともに並べられていました。そこの朝食は世界標準のビュッフェ料理とは一線を画す印象深いもので、ひとつひとつの素材に料理人の魂と土地の味がこもっているような気がしました。

日本の観光旅館のさりげない朝食も捨てがたい魅力があります。夜の宴会で名物料理をたらふく食べ最後は雑炊までかきこんで身動きならない状態のまま寝たというのに、朝になれば食欲は復活しています。

炊きたてのご飯にアジの干物、ノリ、卵、つくだ煮、味噌汁で構成された旅館の朝食をご飯一膳で済ますことは不可能。外食チェーン店のチリ産のサケを使った焼き魚定食とは比較にならない美味しさです。やはり素材のレベルが10倍ぐらい違うからだと思います。

2011年7月9日土曜日

古紙再生工場


 いつのまにか書斎や廊下に重苦しくたまる新聞や雑誌の山。さっさと資源ゴミ回収の日に捨ててしまえばいいのに、月1回の資源ゴミ回収日に合わせて段ボールを折りたたんだり、新聞をひもでくくるのはなかなか大変で山はどんどん成長します。

 そんなおり、耳寄りな話を聞きました。近所の製紙工場が段ボール、新聞紙、雑誌、雑紙、アルミ缶をいつでも引き取ってくれおまけにポイントまでくれるというのです。岡山市南区大福にあるアテナ製紙という古くからその場所にある製紙工場が行っているサービスです。

 アテナ製紙株式会社の沿革を見てみると昭和11年に同地に創業したそうで、私が子供のころは「日清製紙」という名前でした。“日清”というのは「日清製粉株式会社」の関連企業でそのような名前になったそうですが、地元の人は単に“製紙”と呼んでいました。

今は岡山市になっていますが、昔は“製紙”があったあたりは純然たる農村(都窪郡福田村)でした。“製紙”は村で唯一の近代産業工場で、村の財政にとって“製紙”がもたらす税収は少なくなかったと思います。ただ一般の村民には製紙工場との関わりはほとんどなく、広大な敷地は近寄りがたい場所でした。ところが時は流れ、今やエコの時代、“製紙”は一般人が資源ゴミを気軽に持ち込めるとてもありがたい場所に変身していました。

梅雨の晴れ間、車に新聞紙と段ボールを積み込み出かけてみました。初めてで要領が分からなかったのですが、受付の女性が手順を説明してくれ、現場では男性職員が懇切丁寧に指導してくれ無事ポイントカードも手に入りました。10キロの古紙で70ポイントget! 500ポイント貯まれば500円の商品券に交換してくれるそうです。

古新聞や段ボールが片付いてほっとしたところで缶コーヒーを買って飲みましたがこちらは120円。車のガソリン代などコストを計算すると少々のポイントでは割に合いません。

でも気になる資源ゴミを安心して任せられる場所にお返しでき気分は爽快。捨てるのがためらわれる雑誌やパンフレット類もこの工場にお任せしたらきれいな段ボールに生まれ変わるのだと思うとがぜんポイント集めに熱が入りそうです。

白夜と狂気、ムンク


 昨日は夏至でした。夕方5時過ぎ牛窓に行った帰り、薄曇りの天気の中、国道2号線を倉敷方向に向かって車を運転して、ふと今の時間太陽はどこにあるのだろうと思いました。しばらくして雲の間から現れた太陽は思いのほか高い位置にありました。さすがは夏至です。

 もうかなり昔のことですが夏至のころノルウェーを旅したことがあります。首都オスロではちゃんと夜があったのに対し北方のロフォーテン諸島は北極圏にあるため深夜零時を回っても外は明るいままでした。

といっても昼間の明るさとは違う陰影のない間接照明のような明るさです。深夜窓から入ってくるこの異様な光にさらされていると精神錯乱を起こすのではないかという気がし、ベッドから起き出して町に出てみると何だかにぎやか。過疎地の島なのに人々は町の中心に集まり白夜を騒いでは楽しんでいました。

白夜の季節太陽はいったいどういう動きをするのかというと、夕刻太陽は西の地平線に沈むのではなく地平線上を北の方向に水平に移動していき、やがて日付が変わるころ真北の地平線ぎりぎりのところで沈むと見せかけてそのまま今度は東に移動しつつ高度を上げていきます。つまり北の空で太陽は楕円の輪を描くようにぐるぐる回っているという感じでしょうか。

一年を通して東の空から昇りやがて西に沈む太陽しか知らない日本人の私にはロマンチックな白夜もなんだか空恐ろしく不気味なものに感じられました。いや日本人だけでなくノルウェーの人々にとってもあの沈まない太陽は狂気を誘う存在ではないか? オスロ市立美術館を訪ねて「叫び」をはじめおびただしいムンクの傑作を見たときそう思いました。

ムンクが描く太陽はギラギラした光線を意地悪く放射するだけで、四季折々暖かく、情熱的に、穏やかに、さわやかに大地を照らす日本の太陽ではありません。でもなぜか日本人はムンクが大好き、毎年どこかの美術館でムンク展をやっています。これは日本人にも極北の白夜の下で暮らしていた民族の血がいくらか流れているせいかもしれませんね。

8月まで東京の出光美術館においてオスロ市立美術館蔵のムンクが3点見られるようです。http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html

2011年7月1日金曜日

父の本音

3泊4日で台北に行ってきました。短期間の旅行でも高齢の両親を病院に預け、留守番の12匹の猫たちに餌、水を十分与え、また締め切った家の中で熱中症にならないように空調にも気を使い、戸締りその他万事OKであることを確認して関西空港へ向かいました。それでも新幹線が岡山駅を出てまもなく台所においてある糠床を冷蔵庫に入れるのを忘れていることに気付きましたが時すでに遅しです。

一事が万事、気になることをあれこれ気にしていては旅になど出られません。父は私の旅行に異議は唱えませんがきっと心の中で「あのバカ息子は親を病院に放り込んでおいて台湾とはけっこうなことですな」と言っているに違いありません。

台北では特に行きたいところも見たいものもなく、ただ街に溶け込んで骨休めにつとめました。泊まったホテルの隣に北京ダックの有名店があったので友人と2人で出かけました。

日本で食べる北京ダックは皮はほんのちょっぴり、味など分かりません。しかしさすがは本場、ローストされたアヒル一匹丸ごと持ってきて見せて「これをさばいてきます」といったん退場。ほどなく大皿の上にきれいに並べられた皮と薄餅(バオビン)、ネギ、味噌ダレがやってきました。さっそくひと口。「うーむ」。

正直言ってフグのミリン干しの方が美味かな?などと思いつつ、大の男2人黙々とノルマを果たしていると今度は肉がドーンと運ばれてきました。皮だけでも食べきれないのにとんでもない誤算でした。

楽しい時間はすぐに過ぎ去り猫12匹が待つ家に帰りました。猫たちは私の不在に腹を立てているようすもなくあくびしながら「どこか行ってたの?」という顔でお出迎え。そして翌日両親を迎えに病院に行きました。

私の到着を待ちながら父は看護師さんたちに私のことをしゃべっていました。たぶん「孝行息子さんを持ってしあわせですね」ぐらいのことを言われたのでしょう。父は「バカ親から生まれたバカ息子じゃ」などと本音らしきことを看護婦さんたちに漏らしていました。

私が「どこのバカ息子の話?」と言いながら病室に入って言ったら、それでもうれしそうに「やっと来てくれたのか」と生き返ったような顔になりました。