2021年2月25日木曜日

お釣り

今、このコラムのタイトルを書きながら、パソコンが提示する「釣り銭」という字面になぜ「釣る」という漢字が使われているのか、ふと疑問に思いました。「魚を釣る」のなら分かりますが、「お客を釣る」意味合いでもあるのでしょうか。

 そう言えば、昭和30年ごろ、まだ私が小学校低学年のころ、ときどき母から鍋に入ったままの総菜をお隣さんへお裾分けに持っていくよう頼まれることがありました。そのときお隣のおばさんが返してくれる鍋の中にはなぜかマッチ棒が数本必ず入っていました。その心は?

 マッチの火は移る → うつる → おうつり → お釣り。つまり、「お返し」としてさし当たり何もないので、その気持ちを数本のマッチに託しました、という意味だったようです。「いじましい!」(いじけた感じがするほどみみっちい)と東京育ちの母が思ったかどうか。いっぽう、お隣のおばさんはマッチ数本で「ちゃんとお返しはしたからね」と意地を見せたというところでしょうか。

 さて、コロナ禍に隠れてしまって最近キャッシュレス化の話題がすっかり下火になりました。店も各種キャッシュレスに対応しているところと昔ながらの現金のみの店に分かれるようです。そんな現金主義の店で近所の寿司屋はレジ横の器に1円玉を山盛りにして置いてあります。「1円玉が足りないときは4円までここから取ってください」と。

そういうやり方が巷で流行っているのかどうか知らないのですが、これはなかなかいいアイデアだと思います。何事にもきっちりした日本では支払いもお釣りも1円の単位までおろそかにできません。その結果、お店では日常的に釣り銭が不足することになります。

ところが以前は無料だった銀行の両替手数料がいつのまにかすごいことになっています。最近でも三井住友銀行が硬貨10枚までの両替手数料を330円と改定しました(銀行口座なしの場合)。500枚までなら770円。低収益環境で銀行も必死なのでしょうが、1円玉を500個調達するのに770円の手数料とは!いくら何でもという気がします。

銀行にこんな暴利を払うぐらいなら近所の寿司屋のように、1円玉はサービスする方がよほど気がきいているうえ、店も1円玉の両替に煩わされることがないと思います。


2021年2月24日水曜日

大腸内視鏡検査

 5年ぶりに大腸がんの検査を受けた。切っても切らなくてもいいサイズのポリープが1個、小さいのが2個あった。モニターを注視したが、美しきかな我が大腸! この病院は前の病院と異なり、その場で切ることはしていない。切るのならまた日を改めてだそうだが、とんでもない話。不味い下剤を2リットルも飲まされるだけでも苦痛なのに、今日のカメラ挿入は痛かった。途中で「麻酔して!」とお願いしたら、「誓約書ないからできない」とのこと。「今、書くから」と言おうと思ったけど、お尻に太いホースがぶっ刺さったまま誓約書を書くのもみっともないのでガマン。途中から痛みを感じなくなってよかったと思ったら、看護師さんが腹の上から腸をもみもみ。激痛が。

これなら前の病院の方がましだったような気がする。

総社市福山城跡、幸山城跡登山

 (2021.2.23天皇誕生日)

再び総社市の福山城跡、幸山城跡(こうざんじょうあと)登頂。今回は山の北西にあるふれあい広場から登り、西側の1234段階段を400段ほど降りたところにある「上の横道」をたどり、藪の中の獣道を降り、「下の横道」を通ってもとのふれあい広場へ。

暑い陽気で高梁川、そこに流れ込む小田川が幸せに見えたました。2000キロカロリー消費。




2021年2月22日月曜日

吉備の中山で藪肉圭の木発見

 肉圭(ニッケイ)とはシナモンのこと。「発見」というと自分で見つけたような口振りですが、木に名札があり、岡山の里山にヤブニッケイの天然木があることに驚きました。

常緑樹で葉っぱに独特の芳香があります。



2021年2月21日日曜日

讃岐富士登頂

 瀬戸大橋を渡るときいつも讃岐平野にぽこっと富士山のような格好をした山が目に入ります。以前から一度登ってみたいと思っていたのですが本日遂に登りました。422メートルあり、駐車場からいきなり登り始められるので効率のいい山歩きができました。下りは反対側に降りたので車を停めたところまで30分ほど歩き、早春の讃岐路を楽しめました。

補給は水500ミリリットルのみ。食べ物はなし、うどんもパス、岡山に直帰です。というのも財布を家に忘れてきたので!車の中に150円あったので130円のミネラルウォーターを買いました。

遠景は金比羅山の象頭山。
青線が歩いた跡です。







2021年2月19日金曜日

大阪、街歩き

 2021.2.18

毎日、岡山南部の低山を歩き回っていますが、今日は1年ぶりに大阪に来て街歩きをしています。昨日は中津の東横インに泊まり、朝10時にチェックアウト、開店直後の阪急百貨店の地下食品売り場へ直行!国産紅鮭の甘塩切り身、生のタラ、40センチぐらいの生のニシンなど、昔から阪急の鮮魚商は目利きですね。でも生ものを買うと歩けないので後でまた。

それから堂島方面へ。中之島の国際美術館隣に大阪市が建設中の中之島美術館は今年中に完工するようです。黒い箱のような外観です。

ただいまの歩行距離は5キロメートル。本日の目標はあともう5キロメートルです。山野歩きを始めて気付いたのですが、以前の異常食欲にブレーキがかかるようになりました。蓄積した脂肪が燃え始めたのでしょうか?

御堂筋に戻って、これから本町、心斎橋、難波と回り、シメは千日前の丸福珈琲店になりそうです。

写真
ステンレスのジャングルジムのようなのが国立国際美術館入口、背後の黒いのが中之島美術館です。私の感想は、日本中にこのような小中規模の美術館ばかり建てないで、ニューヨークのメトロポリタンクラスのものをドンと建てて欲しいです。

淀屋橋から肥後橋方向。左手茶色の低層ビル、旧住友銀行本店は文化財としての価値が高いのか再開発を免れています。




2021年2月16日火曜日

雪舟と玉堂展

 岡山県立美術館において開催中の同展覧会は3月14日までです。岡山にゆかりのある雪舟と玉堂の作品がこれほどまとまって一度に見られる機会はもうないかもしれません。というのも近い将来、美術館の展示スタイルが伝統的なものから様変わりするかもしれないからです。

これからの拠点美術館の機能は作品の文献学的な考察に留まらず、科学的鑑定、保護と修復、永久保存のためのセンターとしての役割がますます大きくなる一方、展示については従来のオリジナル作品をそのまま陳列する方法から、高精細画像、立体画像として作品をデジタルデータ化し、ネット回線を通じて提供するスタイルに遷移するでしょう。いつでもどこでも、感染症の流行など気にすることなく、世界中の文化遺産を自宅や学校において見ることができるようになるのは時間の問題だと思います。

そういう意味では今回のような大きな展覧会は、我々現代人にとって、数百年前に描かれた国宝級の書画を直に、しかも圧巻のスケールで見られるほとんど最後の幸運な機会と言っても過言ではないと思います。

さて今回の「雪舟と玉堂」展の中でも圧巻は国宝の雪舟「四季山水図巻」です。いわゆる「山水長巻」、全長16メートルの大作です。2006年の晩秋、私は雪舟没後500年を記念した大きな展覧会を見るため、山口県立美術館まで出かけ、初めて山水長巻の実物を見て大変感動したことを今でもよく覚えています。

雪舟の絵にはストーリー性があります。従者を伴った旅人はひたすら幽すいな山の奥深くへ踏み入っていくのですが、意外にもやがてひろびろとした湖が広がる明るい場所に出ます。湖に浮かぶ数隻の船には人々の日常生活も見えます。甲板には巨大な洗濯物が干してあったり、観葉植物の大きな鉢まで見えます。

このあたり、私は雪舟に対し無限の親しみを感じます。中世から近世へと時代が移っていることを雪舟は同時代のほかの誰よりも明瞭に意識していたのでしょう。登場人物は小さな筆で輪郭が描かれているだけなのに、人物一人ひとりの個性が伝わってきます。全人類が残した文化遺産のなかで「山水長巻」はダ・ヴィンチの「モナリザ」に勝るとも劣らない、まさに絵画芸術の頂点に立つ作品と言っていいかと思います。


2021年2月6日土曜日

家から大元駅まで

 2月5日(金)

50年前の体型を目指して毎日歩います。今日は実家から曳舟橋、御南大橋、今村宮を通って大元駅まで歩いてみました。その後はバスに乗り、岡山駅へ。高島屋の地下食品売り場で魚の干物やチーズなど見て回ったのですが、衝動買いしないで帰ることに。

山陽本線の電車に乗り、庭瀬駅下車、徒歩で妹尾崎にあるマドモアゼルの喫茶店に寄って休憩、そして最後の1.5キロメートルを歩いて帰宅しました。28000歩くらい。

連日かなりの歩数(15000歩)歩いていても、不思議なことにあまり腹が減った感じがしません。体重は何故か現状維持です。脂肪と筋肉が入れ替わっていると信じたいです。

写真は今村宮。1334年創建。


2021年2月4日木曜日

山田、大年、妹尾崎、高尾ウォーキング

福の里団地、水源地、妹尾崎、高尾を廻る。烏帽子岩、高尾の厳島神社など初めて見る。歩行距離6キロメートル、16,000歩。

最下段は吉備の中山





2021年2月3日水曜日

金甲山、怒塚山登山


昨日(2月2日)は金甲山(403m)の直ぐ手前にある怒塚山(いかづかやま、332m)に登りました。金甲山はテレビ局の電波塔が林立し、知名度が高いのですが、側峰の怒塚山はほとんど知られていません。私も今回の登山で初めてその名を知りました。

児島湾締切堤防を渡ると直ぐの山裾に登山口と駐車場があり、むだに歩くことなく直登できます。ところがこの山、けっこう難所でした。先日来の雨と落ち葉で道が滑りやすく緊張します。その辺に落ちていた枯れ枝を杖にして谷底に落ちないように登ります。ドングリや桜の大木が繁茂していますが時々視界が開けるところもあり、岡山市全域が俯瞰できます。天気のいい日には金甲山頂上から鳥取の大山も見えるそうです。

山頂からは児島方面がよく見えました。金甲山頂上へはあと1500メートルほど歩けばたどりつけますが、体力的にも限界が近く、スマホのバッテリーもGPSで消耗が激しく空っぽが近くなったので、鞍部から中池まで急斜面を下りました。ほとんど人が通らない消えかけの山道を下るのは命がけです。笹や立ち木の細い幹をつかみながらの歩行。私の靴は山歩き用のシューズではなくよく滑ります。3回も滑り落ちました!100キロの肉の塊は一旦滑り出すと自分の力では止めようがございません。
とにもかくにもズボンもウインドブレーカーも泥まみれになりながら中池まで下り、そこからは農道を2キロメートル弱、駐車場まで歩きました。

マンションに帰り、風呂に入ってさっぱりしてから、実家近くのマドモアゼルの喫茶店へ。「岡さん、金甲山の谷底の藪の中に転落してもだれも見つけてくれないですよ」と言われてしまいました。スマホのバッテリーはあがっているし、かなりの無謀山登りでした。

我が幼年時代の「スタンド・バイ・ミー」


1986年公開のアメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」はオレゴン州の片田舎に住んでいる少年4人が、死体が森の中にあるといううわさを聞いて、線路づたいに探検に出かけるという話で、ベン・E・キングの鼻にかかった独特の印象深い歌でも有名です。少年たちはそれぞれ親子関係や兄弟との間に葛藤があり、それがこの作品に深みを与えています。

私自身も映画ほどドラマチックではなかったにせよ、我が「スタンド・バイ・ミー」というべき幼い日の思い出があります。たしか私が小学校4年生、兄が6年生のときのことです。土曜日の放課後、兄が「これから金甲山に行ってみよう」と言いだし、兄の友達二人も誘って4人で自転車で出かけました。児島湾の向こうにそびえるあの金甲山です。

今となっては本当に金甲山までたどり着くことができたのか記憶があいまいですが、出かけたのは事実です。当時はまだ児島湾締切堤防が開通しておらず、灘崎、八浜の方を大回りして行くには遠すぎて、あのときどこをさ迷ったのかはっきりしません。当時の干拓地は背丈より高いアシが繁茂し、人家など皆無でした。おそらく金甲山のふもとにたどり着くまでもなく、夕闇が迫ってきて怖くなり、みんなそろって自宅をめざして引き返したと思います。

すっかり日が暮れてやっと我が家にたどり着いたとき、近所の人まで集まって大変な騒ぎになっていました。何しろ小学生4人が行方不明になったのですから。とりわけ父は半狂乱状態で取り乱し、我々の教科書や文具を窓の外へ残らず放り棄てていました。お隣のおじいさんが父をなだめすかしてくれたのを覚えています。「子どもがみんな無事帰ってきたんじゃからもうええがな」と。

兄と私はその夜、早めに寝かされました。すると父がやってきて寝ている兄のほっぺたをはり倒しているのです。「次はこっちの番だ」と薄目を開けて様子をみていたら、父は兄を殴りつけて気が済んだのか寝室から出ていきました。そのときほど「次男でよかった!長男は大変だな」と思ったことはありません。

それから60数年、美しい金甲山の姿は昔と変わりません。しかし家から金甲山まで、車で締切堤防を通って出かけても遠いです。父とはその時のことについてついに話題にすることなく終わりました。遠い昔の惨憺たる冒険旅行でした。


2021年2月1日月曜日

吉備の中山ウォーキング

 今日は今にも雨が降りそうななか雨傘を片手にウォーキング。出発点は吉備津彦神社、黒住教本部の食堂できつねうどん、車道を通って下山、駐車場まで約2キロメートル、ウォーキング。トータル歩行数は18000歩。連日2万歩近く歩いているのに体重が落ちないのはなぜ?

写真は吉備津彦命の陵墓、茶臼山古墳。



王子が岳登山

 昨日(1/30)渋川海岸からそそりたつ王子が岳に登りました。瀬戸大橋、本島、讃岐富士、屋島などがパノラミックにひろがります。巨石がかろうじてバランスを保って崖の上に留まっていてスリル満点です。