2020年2月26日水曜日

ハワイ旅行2020

2月中旬、新型コロナウィルス感染症の拡大におびえながらもハワイ旅行に出かけましたが、結果的には拍子抜けするほど普段通りの旅になりました。とりわけ米国入国の際の健康チェック、帰国時の関空の検疫も通常通りで、まさに水際作戦の最前線であるにもかかわらず何ら緊張感がないのは驚きでした。
さて30数年ぶりのハワイは高層ビルが増えて、昔はホテルのベランダから一幅の絵画のようにダイヤモンドヘッドが美しい姿を見せていたのにもう半分ぐらいしか見えなくなっていました。また昔はそんなに目に付かなかったホームレスが随所に増えていることが格差社会アメリカの縮図のように思われました。
どんな人がどのようにしてホームレスになってしまったのか、彼らと話をしたわけではないので私の想像に過ぎないのですが、多くは地元ハワイの原住民ではなくアメリカ本土から渡ってきた白人が多いように見受けられました。常夏の夢のような楽園ハワイにいったん住み着いたらもう二度と冬寒く夏暑いアメリカ本土には帰れなくなるのかもしれません。恐ろしい天国です。
ホテルではカナダから一足先に到着していた従姉のヨリコ、カズたち7人と合流し、ハワイ滞在を楽しみました。もっとも、楽しんだと言っても我々いとこ同士みんな60代から80代後半の高齢者で海に入る訳ではなく、食べる、昼寝をする、おしゃべりする、そしてショッピング通りをぶらぶら歩くの繰り返しです。
いつも不思議に思うのですが欧米人は、日本人は旅先でも忙しく動き回ってあれではバカンスとは言えない、とよく言います。しかし私は多数の日本人同様、同じ場所で何日も何もしないで過ごすのは苦手です。たった4泊のハワイ滞在も私には長すぎるのに従姉たちは10泊の予定でハワイに来ています。これがバカンス大国フランスともなると1か月海辺に滞在するのは当たり前というのですから、やはり休暇に対する考え方が日本と欧米では根本的に違うのかもしれません。

従姉のヨリコとその夫カズは昨年秋、ダイヤモンド・プリンセス号で日韓クルーズをしたばかりですが、ちょっと時期が違えば横浜で幽閉されるところでした。「クルーズはこういうことがあるから怖いでしょ?」と言っても全然通じませんでした。





さまよえるオランダ人

新型コロナウィルス感染症の蔓延で身動きとれなくなったダイヤモンド・プリンセス号の乗客、乗員は2週間の長きにわたって隔離された不安な日々からやっと解放される目処がたちました。またアメリカやカナダ政府からチャーター機が差し向けられ、多くの外国の方々も本国に帰ることがかなえられそうです。本当にご苦労さまでした。症状が出て入院中の皆様の平癒もお祈りします。
日本が受け入れたダイヤモンド・プリンセス号とは対照的に日本や台湾、フィリピン等から入港を拒否され一時漂流状態に陥ったクルーズ船ウエステルダム号に関しては、オランダ船籍ゆえにあちこちのニュース記事で「さまよえるオランダ船」などと形容されたものです。
私もワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」の存在は中学生のころからタイトルだけは知っていましたが、今回の事件を契機にどのようなストーリーなのか追ってみました。ごく簡単に紹介します。
ノルウェーのフィヨルドに面した港町。そこに幽霊船が現れ、船長は呪いを受け、7年に1度だけ上陸できるが、乙女の愛を受けなければ呪いが解けず、死ぬこともままならず永遠に暗い海をさまよわなければならない運命にあります。結末としては乙女の死を賭した愛が得られ船長の呪いは解け、死ぬことができたというお話です。
幽霊船は沈没し船長も乙女もともに死ぬので救いがない話のように思えます。しかし死のうにも永遠に死ねないことは究極の苦しみだという考えは古今東西あるようで、仏教でも輪廻転生の業から涅槃に入ることを説いています。平たく言えば何事も最後は決着がつけられなければならないという意味もあるでしょう。
何はともあれ何千人ものお客を乗せたウエステルダム号は永遠にさまよう幽霊船の運命をたどることなく、カンボジアの港に入港することが許され、新型ウィルス感染者の存在も否定できないながら乗客は無事解放されました。この点については、判断を二転三転させ、長期間無為無策のまま乗客、乗員を船の中に隔離して船内感染を拡大させてしまった日本の検疫当局の判断よりはるかによかったのではないかと思います。
いずれにしても新型コロナウィルスが世界のあちこちを永遠にさまよう事態だけはご免被りたいです。

2020年2月12日水曜日

老いの加速を楽しむ(下)

年々、時が過ぎゆくのが早くなるのは、親の介護が終わったいま1日の大半を無為に過ごしているからに他なりません。働き盛りのころ、いろんな問題が次から次へとわき出てきて、毎日を忙しく過ごしていたころのことを思い返してみると時間不足に悩んでいたのとは裏腹に当時は1日、1週間、ひと月、1年がずいぶん充実して長かったという印象に置き換わっているのが不思議です。
時間とは絶対的なものではなく「ものごとが変化した積算量そのもの」と定義していいでしょう。変化量が多いと時間は豊かであり、時計が知らせる同じ1時間もずいぶん拡張して感じられるはずです。逆にこれといった事件もなく毎日ぼんやり生きていれば時間の流れは光陰矢の如し。だからといって加速する時間にブレーキをかけるのはむずかしく、こうなったら時間に抗うことは諦め、むしろ流れに身をまかせてそのときどきを楽しむほかありません。
今回30年ぶりにハワイでカナダの従姉たちと落ち合って、何も考えず、涼風に吹かれるまま数日を過ごすことに決めたのは、老いに慣れるためのいい機会ではないか、およそこんなことを考えながら旅の計画を立てました。
ところが物事は言うほど単純ではなく、間近に迫ったハワイ旅行に暗雲が立ちこめてきました。武漢発の新型肺炎の爆発がいっこうに収束する気配を見せず、それに加えてアメリカでは十数年ぶりにインフルエンザが猛威をふるい、すでに1万人以上の犠牲者が出ています。実際怖いのは新型コロナウィルスよりもインフルエンザかもしれません。
万一、ハワイ行きの飛行機の中で熱でも出たら30年前ホノルルの空港で母がお世話になった鎖付きの別室にぶち込まれるかもしれない、そもそも新型ウィルスの蔓延に効果的な対策が取れない国からの旅行者に対しアメリカが突然出入国禁止措置を発令したら……気楽に決めたハワイ旅行もずいぶん先行き不透明になりました。
こうなっては旅を前にぼんやりしている場合ではなく、いま一度頭を働かせ、時間を有効に活用して段取りを決めなくてはなりません。ダイヤモンドプリンセス号のような最悪の事態を想定するとドタキャンも賢明な判断かもしれません。私がどこかで足止めを食らうと留守番役の12匹の愛猫が餓死しますから。

2020年2月4日火曜日

老いの加速を楽しむ(中)

カナダの従姉たちと私の関係は父親同士が兄弟です。第2次世界大戦が始まる前、19歳で単身カナダに渡った伯父は文字通り開拓者魂のかたまりのような人物でした。太平洋戦争が始まると理不尽にも敵国の日本人だという理由で強制収容所に入れられ大変な苦労をしたのですが、8人の子どもにも恵まれ、人生に対して常に前向きに生きた人でした。
それでも晩年の伯父は妻に先立たれて寂しくなったのかしきりと父に長い手紙やカセットに録音した音声手紙を寄越すようになりました。子ども時代をともに過ごした父のことや故郷のことが懐かしく思われたのでしょう。もう30年以上昔のことになりますが、私は年老いた伯父と父がハワイで数日いっしょに過ごせるよう計画を立て、渋る母も説得して親子で出かけたことがあります。
ちょうど晩秋で庭の柿が熟すころ、私は選りすぐりのおいしそうな富有柿の実を10個ほどスーツケースに忍ばせて出かけました。果物類の持ち込みは当然御法度なのですが、伯父さんにぜひとの思いでした。ところが入国・税関審査の長い行列は遅々として進まず、すでにうつ病とパーキンソン病を発症していた母が「気分が悪い」といって突然倒れ大騒動になりました。すぐに空港の係員が車椅子を持ってきてくれ、我々親子3人は医務室のような別室に案内されました。心配な母をベッドに移して回復を待ちました。
しかしその部屋は医務室にしてはなんだか殺風景でよく見るとベッドの四隅に何と鉄の鎖が取り付けられています。そうかこの部屋は不審者を隔離する留置場も兼ねているのか!私は急に隠し持ってきた柿のことが気になりだし、その部屋にあったゴミ箱に全部捨ててしまいました。
そうこうしているうちに母も元気を取り戻したようなので、係員に伝えるとその場で3人分の入国審査と税関審査をすばやくやってくれ、もはや長い行列に戻る必要はありませんでした。到着ロビーではすでにハワイ入りしていた伯父や従姉たち家族が出迎えに来てくれているはず。

「伯父さん、ずいぶんお待たせしてごめんなさい、これこれこんなハプニングがあって……。伯父さんが子どものころ登って遊んでいた柿の実をさっきまで持っていたのに、医務室に捨てて来ちゃった。惜しいことをしました」(続く)

2020年2月1日土曜日

老いの加速を楽しむ(上)

カナダの従姉妹たちとはしょっちゅうメールのやりとりをしていますが、ときおり23週間沈黙が続くことがあります。私は“筆まめ”なのでメールをもらうとすぐその場で返信します。辞書も見ないで作る英作文なのでスペルの間違いもあるし、センテンスのつながりもぶちぶち途切れてまるで箇条書きのような拙さですが、無事に生きていることさえ伝わればそれで十分です。
ところがすでに80代半ばに差しかかったカナダの従姉たちはときおり私からのメールに返事をくれないことがあります。とくに返事が必要なわけではないのでかまわないのですが、こちらとしては「ひょっとして家族か親戚のだれかが調子悪いのかなあ?」と不安になるものです。
新年以来はやひと月になるというのに従姉のキャスリーンからも従弟のブルースからも便りが返ってこないので、思い切って別の従姉ヨリコに電話してみました。「みんな元気よ、気温がマイナス30度の日が続いて家から出られないので腐っているのよ」とのこと、私は安心して「今年も日本かカナダか、それともハワイあたりで会えたらいいね」と言って電話を切りました。
すると翌日、ヨリコからメールが届きました「ゲス ホワット?昨日お前と電話したあとキャスリーンやブルースに電話して、2月中旬に総勢9人で2週間ハワイに行く話をまとめたのよ、コウジロウも都合がつけばぜひ!」いやはや決断が速すぎます。
今度は私が沈黙する番です。中国発の新型肺炎がどうなるのか分からないし、そもそもハワイは旅費が高い。でもワイキキの浜辺を見下ろすホテルのオープンテラスで遅い朝食をいとこたちとゆっくり食べるのも悪くないなあ、高齢の従姉たちとのお別れはいつきてもおかしくない。無理してでも今会っておくべき!

私も行くことを伝えたらみんな大喜びの返信をくれました。「お前がいい提案をしてくれたから決断できた。実は前々からみんなでハワイに行こうと思案中だったの」とのこと。早々自分のためのホテル探しを始めてハワイのホテル代の異常な高さには参りました。つくづく安くて快適な日本のビジネスホテルがありがたく感じられます。(続く)