2007年7月26日木曜日

ヒューマン・ナビ

 知り合いの若者が、就職して初めて東京出張することになったが土地勘がなくホテル探しに困っている、というメールをよこしました。

 会合があるという会議場に近く、宿泊費は1万円以内、設備も整い、部屋は広めで清潔、こういう条件のホテルを探し出すのは困難なことながら私はなぜかこの手のリサーチには燃えるのです。

 さっそく西神田に昨年オープンしたばかりのVホテルに若者の名前で予約をとりました。すべての作業はパソコン上で行うので椅子から立ち上がることもありません。そして当日。

 夜遅く東京駅に到着した若者を無事ホテルまで届けなければなりません。ホテルに一番近い駅は地下鉄の神保町ですが、東京駅での地下鉄乗り換えは分かりにくいので”中央線”で水道橋まで行くようにケータイにメールを送りました。

 ところが水道橋駅はたしかに中央線が走っているけれどそこに止まる電車は総武線の電車であることを思い出して、お茶の水での乗り換えを指令。複雑怪奇です!首都圏の鉄道網は。ともかくも無事水道橋に到着。

 私はパソコンの画面に神田の詳細な地図を広げ、今度は電話で誘導。「マクドの角を右にまがって、そうそう、100メートルぐらい先にみずほ銀行の看板が見えてる?」などとあたかもその場にいるような調子でホテルまで道案内しました。

 こんなことをしていると、なんだか私もいっしょに旅しているような不思議な感覚におそわれました。画面には地図だけでなく実写風景も映し出されるのでますますリアリティがあります。

 カーナビの人間版、すなわちヒューマン・ナビ。ただしこのナビは人生の道案内は不得意です。

ピクチャーレール

 美術館で絵画を展示する方法として、額縁を壁面に固定せず、天井付近に設置されたピクチャーレールから垂れたワイヤーに吊すやり方が随所で流行しています。絵を壁に固定しないので展示替えが自由に行えるなどメリットもあるのでしょうが、天井に向かうワイヤーの存在が気になって絵の持つ雰囲気がぶち壊しです。

 高校生のころから好きだった東京のブリヂストン美術館。3年ほど前、上京した折りに寄ってみたら、そこでもピクチャーレールが導入されていました。そこでわざわざ学芸員に面会を求め、元の壁面固定方式に戻してもらえないかリクエストしたことがあります。

 先週、久しぶりに上京したのでブリヂストン美術館に寄ってみたら、なんとレールが撤去されているではありませんか!美術館内部でもあの不細工なワイヤーで吊すことへの反省があったのでしょう。

 若いころは作品そのものに集中できていたのに、年を取ってくると空調から漏れる雑音やまぶしすぎる照明、展示方法など作品とは直接関係ないことが何かと気になるようになりました。

 老化現象かもしれません。しかしながら気になることを率直に美術館スタッフに伝えることはそう恥ずかしいことではなく、むしろ何十年も一つ美術館を愛してきた人間の責務と考えることにしています。

 セザンヌの「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」が白壁にぽっかり浮かんでいます。しあわせな時間が過ぎていきます。

ガスパン遊び

 仙台の中学生6人がガス爆発で大やけどを負った事件の詳細が分かるにつれ、子供の世界で今何が起きているのか、自分はまったく無知であることを思い知らされました。

 ライターや制汗スプレーのガスを吸引するらしい”ガスパン遊び”。この耳慣れない言葉はすでに平成9年の「警察白書」において少年非行の実例として報告されており、驚くべきことに平成8年だけでも16人の少年が死亡しています。死者まででているのに今回の件のようなハデな事故がおきるまで見逃されてきたことが残念です。

 それにしても、シンナーが規制されて入手しにくくなったので、今度はガスを吸ってみようというのは、いかにもありえる”工夫”です。カナダの奇才クローネンバーグ監督の映画「裸のランチ」にこんなシーンがあります。

 大戦直後のニューヨーク、インテリ作家がゴキブリ駆除のアルバイトをしているのですが、どうも殺虫剤がすぐなくなるので変だと思っていたら奥さんが横取りして自分の腕に注射していたのです。亭主は亭主で南米産の巨大ムカデの干物を乱用して、、、と話は限りなくアブナイ展開をたどります。

 映画は全編極端にグロテスクなイメージに満ち満ちていて、そこがまたこの作品の魅力でもあるわけですが、まさか現代の日本の中学生が「裸のランチ」以上のシュールな世界にはまりこんでいたとは!

 少年たちを現実に引き戻す方法はあるのか?、子供たち一人一人が心と体に負った傷のリアルな痛みに向かいあう以外だれもどうすることもできないのでは、と思います。

中3日の余裕 (2007.7.16)

 大学を出たてのころ、図書館でアルバイトをしたことがあります。利用者からやや込み入った内容の調査依頼を受けた私は、これなら明日中に回答できる、という見通しがあったので、電話で「明日までにお返事します」と答えました。

 すると、そのやりとりを横で聞いていた鬼上司が、「なぜ、明日と明言したのか」と怒りだしました。そしてこんな指導を受けました。明日までに片づくつもりでももしできなかったり、他に緊急の用件が入ったらどうするのか、そういうことも考えて中3日は余裕を持たせろ、と。なるほどこれが公務員の論理かと感心しました。

 月曜日、10年ぶりに旅券の申請をしました。窓口の係員の態度は昔と様変わりして親切この上ありません、しかし交付は来週の月曜日以降と言われたとき、昔の上司の「中3日」を思い出してしまいました。

 パスポートは重要な書類なので審査に慎重を期すのは当然のことですが、これとて戸籍抄本や過去の発給歴と照合する程度のことを機械的にやっているにすぎないでしょうから1日もあれば十分のはず。ではこのIT時代になぜ1週間もかかるのでしょう。

 申請書が市町村から県へ行くのに1日(岡山市以外は2日)、作成するのに1日、検査に1日、できあがったパスポートが県から市町村窓口に到着するのにまた1日(2日)、そして受け取りはその翌日からとひとつひとつの動作が時間単位でなく1日単位でしか進まないことに遅くなる理由があるようです。

 ある意味ではパスポートよりさらに重要な運転免許証ですら即日交付の時代に旅券発給だけ船旅時代のスローペースを守っているのはいかがなものでしょうか。

 せめて中3日で発給してくれたら月曜日の申請で週末の海外旅行に間に合うのですが。 

井戸塀政治家いまいずこ (2007.7.23)

 赤城農林水産大臣の政治団体が実体のない事務所費を計上していたのではないかとされる問題で、テレビに映し出される農相の実家の門構えを見て思わずのけぞりました。いつのまに、政治家を何代か続ければ途方もない資産やお城のような豪邸を残すことができるようになったのでしょうか。

 父がテレビを見ながら「代議士のことを昔は井戸塀(いどべい)と言ったものだが、、、」とつぶやいていました。政治家になると金がかかりすぎてかつて立派だった家屋敷も引退する頃には資産も底をついて井戸と塀を残すのみとなるという意味です。

 私が生まれた家の近所に秋山長造氏の家があります。社会党参議院議員として長年活躍され、最後は副議長職を努めて引退。戦後の日本社会党の盛衰と命運をともにした政治家です。

 秋山氏は父と同じ歳。90の坂を越え、生まれ在所で余生を過ごされていますが、お住まいはことばのあやでいえばまさに井戸塀状態、赤城農相の実家などとは比ぶべくもありません。
 それにしても
赤城農相をかばって「800円のことで首にしろと言うのですか」と景色ばんで見せる安倍首相の滑らかな口吻はかえって空しく、これが一国の首相の言葉かと耳を疑います。赤城農相も異様にゆっくりした口調で言い訳会見をしたあと逃げるようにヨーロッパに出かけました。

 茨城の田舎でひっそり暮らしていたであろう農相の両親が「ここは事務所ではありません」と正直にマスコミにしゃべったばかりに、おそらく息子にこっぴどく叱られたあげく苦しい言い訳をしている様子を見るにつけ、農相はとんでもない親不孝ものという気がします。

2007年7月25日水曜日

猫パニック


 5月にミーシャが産んだ5匹の子猫は順調に育ち、いまが一番かわいい時期です。生まれたときは90グラムほどだった体重もみんな1キロ近くなり餌も大人と同じものを食べています。

 そのくせいまだにお母さんのおっぱいも忘れられないのか大きな子猫5匹がいっせいにやせこけたミーシャのお乳に取り付いている光景はたまらなくビューティフル。

 親子の猫がいる平和な光景を時がたつのを忘れていつまでもうっとりながめていたい。しかし、現実は崖っぷち、目を細めて猫と遊んでいる場合じゃありません。9匹の猫が跋扈する我が家はりっぱな猫屋敷です。

 スーパーで買うキャットフード代はひょっとして人間様の食費を上回っているかもしれず、なるべく安いものでがまんしてもらおうと思うと、今度は獣医さんが、安物はダメ、尿路結石を起こさないようこれを与えなさいと奨めてくれるフランス製のキャットフードはキロ2千円の高級品。

 ああ、もうダメ! 猫のことを考えると思考回路は緊急停止。いったいどうしよう。曰く、せっかく命をつないだミーシャに避妊手術を受けさせるのはかわいそう、また曰く、生まれた子猫を兄弟バラバラに人にあげるのはかわいそう、、、とすべてを優柔不断にしてきた私に猫を飼う資格はないのかもしれません。

 避妊手術などという非人道的(?)な方法ではなく、もっとおだやかな避妊方法はないものかと、まだ年若い友人に相談しました。すると、「猫にパンツをはかせたらどうでしょう?」とまじめに提案してきました。

 けさ父のためにきてくれているヘルパーさんが、「子猫ちゃんたちがお腹が空いたといって私のズボンにさばりついてきて仕事にならないので勝手ながら餌をやりました」というので餌入れを見たら食パンの山が。

 飼い主だけでなく周囲の人も猫のことになると支離滅裂。
    

2007年7月24日火曜日

委任状

委任状
 3月。高齢で外出もままならない父に代わって郵便局までキャッシュカードの再発行の手続きにいきました。案の定、代理人では仕事にならず本人から委任状を取ってくるよう仰せつかりました。

 90になる父にとって委任状ひとつ書くのも大変な作業でなかなか進みません。見ていると住所欄に名前を書き、名前欄に住所を記入していましたが、ともかくそこまで書き終えた時点で「あとはぼくが書くから」と言って用紙を取り上げ、受任者欄に私の住所氏名を記入し父の印鑑を押して郵便局に提出、受理されました。

 4月。めでたくキャッシュカードが再発行され一件落着したかに思われたころ、郵便局から呼び出し状が届きました。委任状の筆跡が委任者と受任者とで違うので再提出してほしいということでした。すべてをやり直したときすでに初夏になっていました。

 7月。父あてに市県民税の督促状がきました。額をみるといままでの4倍に跳ね上がっています。定率減税の廃止、地方への税源移譲に加えて今年は父の確定申告をさぼっていたのが響いたに違いありません。

 遅ればせながら申告することにし、社会保険事務所に出かけ昨年の源泉徴収票の再発行を願い出たところ、やはり委任状が必要といいます。その足で確定申告を済ませたかった私が困惑していると、「筆跡までは・・・」と係員が水を向けてきました。

 郵便局の一件で賢くなった私は少しリグレット(遺憾)を感じつつも車の中で委任状を作り、今度は向かいの年金相談センターに提出しました。同じ事務所に5分後に顔をだすのはためらわれたからです。

 源泉徴収票はその場で再発行されましたが、本人自筆の証明までは要求されない委任状なんて何のためにあるのかという気がします。